(1,778m、新潟県) 126座
相模原(500)−川越IC−(640)高坂SA(700)−(835)六日町IC−芝原登山口−(1020)ロープウェイ−(1120)五合目(1135)−(1140)女人堂(昼食1220) −(1313)薬師岳−(1330)千本檜小屋(泊) |
八海山は、駒ケ岳、中ノ岳と共に「越後三山」と呼ばれ、駒ケ岳が日本百名山で八海山と中ノ岳は
日本二百名山である。
八海山は地図やガイドブックを見ると、クサリや梯子が連続した岩峰で、『熟練者向き』と書いてあるが、
昨年、一昨年と妙義山の岩場を歩いて来たので、今年はぜひ八海山の岩場を歩いてみたいと思っていた。
朝5時に家を出た。久しぶりに星空を見た。
川越ICから関越道に乗った。高坂SAへ6時40分着。頭上には雲一つない紺碧の空が広がっていた。紺碧の空を見るとなぜか穂高を思い出す。
関越道を走っていると、赤城山や妙義山、榛名山などがクッキリと見えた。榛名山などは岩肌まで見えそう だった。今日は絶好の登山日和だと思った。
しかし、ここから異変に気づく。前方に見えるはずの谷川岳が見えない。頭上は完全に晴れているが、目指す北方の空だけが白い雲に覆われていた。
沼田ICを過ぎると前方に虹が見えた。そして月夜野IC付近で雨になった。それも路面を叩きつけるような豪雨だった。「ウソー・・・」と思わず唸ってしまった。つい先ほどまで完璧に晴れていたのに、雨が降るなんて信じられない。
六日町ICで降り、料金所で天気予報を尋ねると、「今日は降ったり止んだりらしいですよ・・」、とのことだった。
八海山を目指して行くが雨は依然として止まない。八海山パークホテルを左に見て右折する。やっと車一台が通れそうな細い林道を登って行くと、すぐに芝原の駐車場へ着いた。
車は一台もなかった。こんな雨の日に山へ登るバカはいないということだろうか。
車を止めてしばらく様子を見ることにした。
周りには石仏や石碑などが立ち並び、たとえ車の中にいても薄気味悪い。
今日は山頂の小屋へ泊まり、明日は八ツ峰を登って新開道を下ってここまで戻り、荒沢岳へ行くため銀山平まで移動しなければならない。
しかし、こんな雨では登りたくなかった。屏風道は梯子やクサリが多いと聞く。岩は滑りやすく、クサリ場ではたとえ雨具を着ていても顔や手から雨水が入ってしまう。
それに登山者が一人もいないのはいただけない。いくら静かな山旅が好きでも、たった一人では寂しい。それに熊も怖い。(後で地元の人に聞くと八海山には熊はいないとのこと)。
そんな時、「そうだ、ロープウェイで登ればいい!」とひらめいた。今までロープウェイで登ることなど思ってもいなかったが、ロープウェイで行けば簡単に千本檜小屋まで行るではないか。
そうと決めると、今までモヤモヤしていたものが吹っ飛んだ。薄気味悪い駐車場から逃げ出すように、ロープウェイ駅へ向かった。
ロープウェイ駅の下にあったお土産屋さんの駐車場へ車を止め、店の中で雨宿り。登山者も何人かいた。みんな雨が止むのを待っていた。
工事関係者らしい人に天気予報を聞いてみると、「あと1時間も待てば止むと思いますよ」と言われたが、本当に1時間ほどで止んだ。さすがは地元の人だ。急いで出かける準備をして10時20分のロープウェイに飛び乗った。
山頂駅はガスの中だった。視界はせいぜい5、60メートル位だろうか。
急な階段を2、3分も登ると広い展望台になっており、そこに避難小屋と遥拝場があった。八海大神に両手を合わせて山の安全を祈った。(写真右)
雑木林の尾根を進んで行くと、カエデやウルシなどがわずかに色付いていたが、紅葉というには早過ぎた。
黄葉したモミジがチラホラと見えて来た時、5合目へ着いた。ここでしばし休憩。地図を広げてコースを確認する。ロープウェイで来ることなど考えていなかったからだ。
5合目を11時20分発。
しばらく歩くと、空が明るくなって来た。
女人堂にはログハウスの立派な避難小屋があった(写真左)。板の間にはジュウタンが敷いてあり、布団や毛布もあった。ただトイレの匂いが気になった。私は非常の時以外は泊まりたくないと思った。
この小屋の前で弁当を広げる。すぐ向かいで男性1人と女性3人のパーティーも弁当を広げていた。
八海山は昔は女人禁制で、女性はここまでしか登れなかったので、ここで遥拝したという。今では山へ登るのは男性より女性の方が多いのではないだろうか。
女人堂から7、8分ほど歩くと沢の音が聞こえて来た。祓川の水場だった。ここでポリタンを満タンにする。私が水を汲んでいると、後から息を弾ませながらやって来たオジさんが、「お−! 水場だ!」と感嘆の声を上げ、大きなポリタンに水を満たしていた。
12時40分、ついに青空が広がって来た。視界も次第に広がって行く。
ここから薬師岳への急登になった。クサリ場を登り切ると薬師岳の山頂へ着いた。一瞬、小屋が見えたがすぐガスに隠れてしまった。(薬師岳の山頂) |
(薬師岳から見た小屋と地蔵岳。翌日撮ったもの) |
千本檜小屋へ13時30分頃着いた。4人のパーティーとオジさんが宿泊手続きをしているところだった。
私は避難小屋へ泊まるつもりで来たが、避難小屋は狭くて、お世辞にも綺麗とは言えない。隣の本堂を使ってもいいと言われたが、本堂は神棚や太鼓などがあって薄気味悪い。迷わず有料の小屋へ泊めてもらうことにした。
小屋は素泊まりが2,000円で、フトンを借りると1,500円増。それに2食付の場合は3,000円増しとなり、合計6,500円を払い、缶ビール(700円)を2本買い込んだ。
二階の広いスペースに、4人組のパーティーとオジさんが思い思いにフトンを敷いて潜り込んていた。私も布団を敷き、その上でビールを飲んだ。
夕方になって、薬師岳や小屋の前にある地蔵岳へ続く岩塊が見えて来た(写真左)。明日は好天が期待できそうだ。
食事はインターネットで「日本一粗食な食事」というのを見ていたが、その通りだった。私が知っている限り やはり日本一粗食だと思った。ここが日本一で、ニ番目は鳥海山かも知れないと思った。いずれも信仰の山で、修験者からは「食事が頂けるだけで有り難い」と感謝されるだろうから、企業努力などする必要がないのだろうと思った。(文句を言うなら泊まるな!と叱られそうだ)
しかし、やたらと寒い中で、温かいご飯と味噌汁は本当に有難かった。
夜はそうとう冷え込んだ。湿っぽいフトンと毛布の中で震えていた。夜中にトイレに起きた時は満天の星が美しかった。しかし、寒くて身体がガタガタ震え、フトンの中へ入っても震えが止まらなかった。
千本檜小屋(645)−(707)分岐−(723)摩利支岳−大日岳(745)−(838)入道山(905)−(940)新開道分岐−(931)分岐−(1003)白河岳− (1050)不動岳−(1103)地蔵岳−(1115)千本檜小屋(1200)−(1240)女人堂−(1339)ロープウェイ−駅 |
夜明けとともにセーターと雨具を着込んで外へ出た。正面にわずかに雪を抱いた駒ケ岳が見えた。その右奥には駒ケ岳より
も標高が高い中ノ岳が、うっすらと新雪を抱いて聳えていた。いずれもどっしりとした山で、風格と迫力があった。
小屋の裏側からは巻機(まきはた)山などが見えた。巻機山も新雪を抱いていた。昨日の雨は山頂付近では雪になったようだ。
今日は入道山まで行って新開道を下る予定だったが、ロープウェイで下ることにした。不要な荷物を小屋へ預けて6時45分に出発する。
小屋から2、3分の所に地蔵岳へ登る分岐があるが、気づかずにそのまま進んでしまった。途中で「おかしい」と気づいたが、そのまま進んで行った。
日の池がある分岐へ着いた。右手に摩利支岳の岩峰と左に釈迦岳がそそり立っていた。
迂回路を来てしまったので地蔵岳や不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳を巻いてしまったが、ここから稜線へ出て、摩利支天から入道山まで行き、帰りは迂回路を通ってここまで戻って、登りそこなった岩峰を下って行くことにした。
釈迦岳と摩利支岳の鞍部をめざして行くと、「日ノ池御神水」と書かれた1.5平米ほどの小さな池があった。池は凍っていた。
釣鐘がぶら下がった鞍部へ到着。やっと八ツ峰のスタート地点へ立つ事が出来てホッとした。
目の前には駒ケ岳と中ノ岳が聳えていた。
摩利支岳の垂直の梯子を登り、クサリを登り切ったところで写真を撮り、怪獣の背中のような岩塊を登って行くと「摩利支岳」の標識が立っていた。
誰もいないたった一人の山頂、最高の気分。そして最高の展望だった。
(写真は帰りに撮った摩利支天。青年が立っているのが見えるだろうか。拡大写真は→こちら) 左手には駒ケ岳と中ノ岳、右手には巻機山が見える。もちろん目の前には目指す大日岳の岩峰があり、振り向けば釈迦岳や白河岳の岩峰がラクダのコブのように連なって見えた。 |
いよいよここから八ツ峰の主峰ともいえる大日岳(写真右)をめざして行く。まずはクサリで鞍部へ降りる。 3、4メートルの垂直の梯子を登って、クサリを何本か登った所に大照大神があった。ここが剣ケ峰かと思ったが、 そこから2メートルほど先に大日岳の石柱があった。剣ケ峰は巻いてしまったらしい。途中にあった小さな岩が剣ケ峰だったようだ。 大日岳には像が建っていた。八海大神だろうか。 |
ここからはボッテリとした山容の入道山が見えた。何の変哲もない平凡な山だが、八海山の最高峰である。
(写真左が大日岳から見た入道山。左後方の白くなった山は中ノ岳) |