(1,200m、福岡県) 178座
2010年3月29日(月)
由布岳登山口−湯布院IC−杷木IC−英彦山神宮・別所−神宮下−しゃくなげ荘(泊) |
由布岳を登ってから、湯布院ICから大分道に乗った。目指すは英彦山である。
杷木(はき)ICで降り、R211で小石原、R500で英彦山神宮を目指して行った。
今日の宿、「しゃくなげ荘」を確認し、そのまま神宮へ向かって行く。 まずは佐賀藩主・鍋島勝茂が寄贈したという銅(かね)の鳥居が見たかった。その鳥居が右奥にチラッと見えた。急いで車を路肩へ止め、石段を駆け登って行った。青銅の鳥居は確かに立派だった(写真右)。 それにしても、神宮の表玄関というわりには通る人は少ないようで、石段はコケむしていた。 |
すぐに引き返し、明日の登山口になる別所へ向かって行った。
別所の無料駐車場は、ガラガラだった。ここへ車を止め、登山口を確認した。交番の脇の舗装道路を行くが、車で先まで入れるようだ。
再び車に乗って終点の神宮下まで行って見た。周りは全て有料駐車場で、しかも2時間毎に300円と書いてあった。しかし、車は1、2台しか止まっていない。軒を並べるお土産屋さんも休業状態だ。何か寂しさを感じる。
ここから4、50mも戻った所に広い空き地があったので、明日、ここへ駐車させてほしいと頼むと、そこも有料だった。ただ一日置いても300円というので、明日はここへ止めさせてもらうことにした。
駐車場と登山口を確認したので一安心。今宵の宿、しゃくなげ荘へ向かった。
しゃくなげ荘は、立ち寄り湯でも人気があり、大勢の人で賑わっていた。最初は鷹巣高原ホテルへ電話をしたが、「お一人様はお受けしておりません」と、にべもない。1人ではお客ではないというホテルなんぞに泊めてもらう必要はない。
(別所駐車場、正面が登山口) |
(神宮下、正面右が参道への道) |
(しゃくなげ荘) |
2010年3月30日(火)
しゃくなげ荘−神宮下駐車場623〜639奉幣殿〜735中津宮〜822上宮(中岳)〜845南岳910〜1004鬼杉〜1050玉屋神社1102〜1146奉幣殿〜神宮下 |
朝6時に出発しようとしたが、車のフロントがバリバリに凍っていた。
今日は予約していた別所の有料駐車場へまっしぐら。予想通り他の車は1台もなかった。準備をして6時23分に出発。 お土産屋さんの前を通り2、3分で参道へ出た。そこに大きな鳥居があった。その鳥居を潜り、石段を登って行く。自然石をうまく組み合わせた石畳と階段だ。 (写真は神宮下から参道へ出た所。大きな鳥居が見える) |
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上の方からゴーン、ゴーンと鐘の音が聞こえて来た。
15分ほどで奉幣殿(ほうへいでん)へ着いた。ここが英彦山の本殿のようだ。この建物は、1616年(元和2)に小倉藩主・細川忠興が再建したというから凄い。 |
そもそも、この英彦山は、「BIGLOBE百科」によれば、 『羽黒山(山形県)・熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられ、山伏の坊舎跡など往時をしのぶ史跡が残る。山伏の修験道場として古くから武芸の鍛錬に力を入れ、 最盛期には数千名の僧兵を擁し、大名に匹敵する兵力を保持していたという』と書いてあった。
また英彦山という名前については、地元の添田町のHPに、
『銅(かね)の鳥居の「英彦山」という額は1734年(享保19)、霊元法皇より御下賜されたものです。このときから彦山は英の一字を加えて「英彦山」と書くようになりました』というから、かなり格式が高いようだ。
ここで簡単にお参りをして、すぐに中岳への参道を登って行った。
途中でジャンパーを脱いだ。もう暑くてたまらない。 やがて石段も不規則になり、岩場が現われて来た。何とクサリまであったが、巻き道もあった。そしてまた石段が続く。 延々と続く石段を登りながら、毎年清掃登山で登っている大山(おおやま)の石段よりは歩きやすいかな、と思った。 途中に野鳥観察所があった。そこを過ぎると、すぐ石段は終わり、わずかに山道を下って登り返しになった。 |
広くなだらかな道を進んで行くと、案内板があったので覗いて見ると、「中津宮」について書かれていた。中津宮?と思って左手後方を見ると、立派な鳥居と祠が見えた。それが中津宮(中宮)だった。案内板を見なければ気付かず通り過ぎてしまう所だった。せっかくだから立ち寄って行こう。
案内板によればここが5合目だという。立ち止っていると寒いので、すぐに引き返す。 |
日陰には残雪がチラホラと現われて来た。凍った霜柱をバリバリと踏んで行く。
やっと日差しを浴びた。山はこうでなくちゃあ〜。今日は山頂からの展望が期待できそうだ。といってもまだ中岳も南岳も見えない。こういう山頂も山容も分からない山はどうも苦手だ。目標も張合いもない。
ついに上宮かと思いきや、産霊(むすび)神社(行者堂)だった。近くに水場もあった。ここは写真を撮っただけで素通り。
上部が壊れて無くなった太い木の鳥居をくぐり、石段を登って行く。
次第に石段の間に雪がギッシリと詰まって来た。そして、ついに上宮の屋根が見えて来た。逆光で黒くしか見えないが、かまわずシャッターを押した。
ここからの石段が長く感じる。こんな石段を造った人達は本当にエライと思った。
ついに上宮(中岳山頂)へ到着。8時22分。
(お〜、上宮が見えて来たぞ〜!) |
(これが上宮) |
(そして中岳山頂でもある) |
神社は屋根は立派に見えたが、周りは避難小屋のようだった。ここは扉が閉まっていても開けて御参りできると聞いていたので、扉を開けようとしたが開かなかった。
神社の周りを一周した。ここから由布岳や九重連山が見えると聞いていたからだ。両山ともそれらしい山は確認できたが、ボンヤリとしか見えなかった。
この英彦山は、北岳、中岳、南岳の三山からなるが、最高峰は南岳である。その南岳はここから見ると、どこにでもあるような平凡な山だった。