雪が積もった岩や石をまたいだり、登ったりしながら右側から回り込んで行くと、そこに「城内コース」との分岐があった。それを見た時はホッとした。やはり間違えてはいなかった。
城内コースとの分岐を左に曲がると、もう山頂の一角だった。
城内コースとの分岐 |
山頂の岩塊 |
山頂の祠 |
山頂には、途中で私を追い越して行った若者2人がいた。彼らは、風がビュウビュウ唸る中で、湯を沸かしていた。
私は写真を撮りまくった。ここからの岩手山がすばらしい。岩手山から見たこの姫神山も良かったが、ここから見る岩手山は何も遮るものがない。新雪に輝く岩手山は神秘的であり、幻想的でもあった。ここから見ると、岩手山と姫神山が夫婦山というのも頷ける。もっとも夫婦ではなく早池峰山を含めた三角関係という説もあるのだが・・・。
|
|
山頂からの岩手山(西側) |
城内方面(南側) |
若者は早々に「土コース」というところを下って行った。土コースなんて地図には載っていないが、一本杉コースと途中で合流するのだろうか。
誰もいなくなった山頂で、中腰のままコンビニのオイナリさんを食べ、テルモスのお湯でコーヒーを飲んだ。とにかく風が強くて寒いが、岩陰に隠れても雪が積もっているので腰を下ろすことも出来ない。
軽アイゼンを着け、早々に下山することにした。下りは「くわ坂コース」を下るか、往路を戻るべきか迷ったが、「くわ坂コース」もしっかりとトレースがついていたので、予定通り「くわ坂コース」を下ることにした。
山頂から20〜30mも下ると、ウソのように風がなくなった。どうせならここで昼食にすれば良かった、と思った。
さらに40〜50mも行くと、森林地帯になり風は全く感じなくなった。
森林地帯の急な雪の斜面を下って行く。このコースは岩場も石もほとんどなく、人工的な階段もない。本当に歩きやすいコースだった。どんどん下って行った。
ここは2人が肩を並べて歩けるほど道幅が広いので、トレースが仮になくなっても、日没になっても心配ないだろうと思った。 |
|
しばらく下ると、正面に小高い茂みが見えて来た。まさかあれを越えることはないだろうから、あの手前が峠になっているのだろう、と思っていると、すぐに小さな標識が現れ道路が見えた。「え?もう着いちゃったの?」という感じだった。 |
舗装された道路はバリバリに凍っていた。アイゼンを着けたまま下って行った。ここは一本杉登山口まで下りになるので楽チンだった。
途中から今登って来たばかりの姫神山がバッチリと見えた。 |
つるつるに凍った、一本杉登山口へ13時52分に到着。タクシーと約束していた時間より早く着いてしまったので、タクシー会社へ電話を入れてから、テルモスのお湯でコーヒーを飲みながらタクシーを待った。
帰りに「石川啄木記念館」(写真左)へ寄った。入館者は私一人だけだったので館長が丁寧に説明してくれた。
啄木の特徴は、1.身近なことを、2.わかりやすい言葉で、3.三行で書く、ということらしい。啄木の句が三行で書いてあったとは、恥ずかしながら今まで知らなかった。
ちなみに、
『ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな』
と、確かに三行で書いてあった。
私の好きな句も三行で書いてあった。
『汽車の窓
はるかに北にふるさとの山見え来れば
襟を正すも』
私は20代の頃、涸沢を第二の故郷のように思い、穂高を故郷の山と思っていた時期があった。その穂高を望む時、いつも襟を正すような、シャキッとした気分になったものである。それゆえにこの句が好きなのである。
記念館の隣にあった、啄木が代用教員を勤めていたという「渋民尋常高等小学校」と、その時に啄木が間借りしていたという「斉藤家」を見学してから渋民駅へ向かった。
啄木が幼少の頃は草原だったという渋民駅の陸橋からは、姫神山が美しく見えた(TOPの写真)。この陸橋には、大きな木の板に書かれた啄木のうた(写真右下)が、ズラリと並んでいた。
渋民駅 |
駅の陸橋には、板に書かれた句が 反対側のホームまで繋がっていた。 |
私はそれらの句を読みながら電車を待ち、詩人になったような気分で盛岡行きの電車に乗った。
|
|
|