飯縄山(いいづなやま)

(1,917m、長野県)  128座

飯縄南登山道から見た飯縄山

飯縄山南登山口〜飯縄山〜萱ノ宮〜戸隠中社−(バス)−飯縄山登山口

2004年11月6日(土)

相模原(500)−相模湖IC−(820)須坂長野東IC−バードライン−(858)飯縄山南登山口(905)〜(1013)駒つなぎの場(1025)〜 (1120)中社との分岐〜(1132)ニセピーク〜(1150)山頂(1240)〜(1302)分岐〜(1345)萱ノ宮−(1405)林道−(1424)戸隠中社−(バス)− 飯縄山南登山口ー戸隠中社(泊)

 一週間前に天気予報を見て、黒姫山と飯縄山へ行くことにした。
 季節としては花もなく、紅葉も終ってしまい、なんとなく「中途半端」な季節だが、 晩秋の北信濃も良いかも知れない。

 黒姫や飯縄は、戸隠山、妙高山、斑尾山とともに「北信五岳」と呼ばれ、戸隠の最高峰である高妻山と妙高は日本百名山であり、飯縄と黒姫は日本二百名山である。

 私は、飯縄山といえばスキー場ぐらいしかイメージが湧いて来なかったが、昔から信仰登山として登られ、特に武士の信仰が厚く、 武田信玄や上杉謙信が熱心な飯縄信仰の信徒だったと知って、が然ファイトが湧いて来た。

 今日は短時間で登れる飯縄山を登って戸隠へ泊まり、明日黒姫を登ることにして、 朝5時に家を出た。

 空は期待したほどの天気ではなく、どんよりした雲が覆っていた。
 中央高速からは、甲斐駒ケ岳がぼんやりとシルエットになって見えたが、八ケ岳は見えなかった。

 高速道路を走っていると、道の両脇の紅葉が見事に見えた。今が真っ盛りで、今年初めて綺麗な紅葉を見たような気がした。

 姨捨SAでガソリン補給のため休憩する。それにしても「おばすて」という地名に驚く。おとぎ話に出て来るオバ捨て山が本当にあったのだろうか?

 豊科付近から濃い霧になった。
 須坂長野東ICで降り、善光寺の脇を抜けてバードラインを走って行く。ICから 約40分ほどで飯綱登山口へ着いた。100台も置けそうな広い駐車場に、たった2台しか止まっていなかった。飯縄山は、 「長野市民の山として親しまれている」と聞いているが、その割には人が少ないと思った。
 天気もいつの間にか回復し、薄日が差し込んで来た。

 9時5分、駐車場発。
 バス停の横から舗装された道を進んで行く。周りは黄葉したカラマツ林で美しい。この辺は別荘地帯らしいが、人が住んでいないため廃墟のように見えるものもあった。

 正面に飯縄山が見えて来た。そして、すぐに木の鳥居が現れた。鳥居には「飯縄山」と書かれていた。イイヅナ は、山や神社は「縄」の字を使い、それ以外の観光地名などは「綱」の字を使うよう長野市が決めたという。

 この鳥居をくぐって少し進むと右手に駐車場、左手に石の鳥居が現れた。20台ほど置けそうな駐車場に、15、6台が止まっていた。実は私もここへ止めようと思ったのだが、下りは戸隠の中社(ちゅうしゃ)へ下ってバスで戻って来るため、バス停近くへ止めたのである。

 石の鳥居の奥にある、小さな神社が飯縄大明神らしい。ここで両手を合わせてお参りしたが、ここで、 武田信玄や上杉謙信もお参りしたのかと思うとロマンを感じる。

 その神社の左手から登山道になり、黄葉したカラマツと緑のアカマツなどが茂った森林地帯を登って行く。

 30分ほど歩いた時、左手に第一大日本聖不動明王の石仏があった。この登山道には第1から第13まで石仏があるというから、やっと13分の1だけ登ったことになる。30分で13分の1では先が思いやられる。

 第二釈迦如来を過ぎ、第三文珠菩薩がある所で厚手のシャツを脱いだ。今日は風がなく、蒸し風呂へ入っているようだ。

 登山者の熊除け鈴がうるさくなった。前の人も後ろのパーティーも鈴を2個づつぶら下げて いるので、やたらとうるさく、まるでお祭りのようだった。こんなに大勢入っているのだから熊も出て来ないと思うのだが・・・。

 足元に変わった色をした植物があった。赤と黒を混ぜたような、ヘンな色に紅葉した葉っぱだった。後ろにいた単独のご婦人に尋ねてみると、 「イワカガミですよ。紅葉するとこんな色になるんですよ」と教えてくれた。

 いつの間にか第七薬師如来まで来た。ちょうど10時だった。
 この辺はもう針葉樹はなく、落葉した枯れ枝ばかりだった。その枯れ枝の間から飯縄山が目の前に見えた。

 空はカンパレとまではいかないが、青空がかなり広がって来た。日差しも強くなって来た。
 第十阿弥陀如来を過ぎ、第十一阿△如来(△は読めなかった)の石仏がある所まで来ると、広く平らになっており、絶好の休憩場所だった。さっそく荷物を置いて一服タイム。(10時13分着)

 ここが「駒つなぎの場」だった。馬も3、4頭ならつなげそうである。武田信玄や上杉謙信もここへ駒をつないだのだろうか・・・。

 しかし、こんな急坂を馬が登って来られたのだろうか、と思いながらも、ここは長野市の幼稚園の遠足で園児さえも登っているというから、馬だって登れるのかも知れないと思った。

 ここから10分ほど登ると、チョロチョロ流れる水場があった。コップがあったのですくって飲んでみたが、 冷たくなかった。水が岩の上をナメるように流れているので暖まってしまうのだろう。
 そこから5分ほど登った所に、親指ほどのかわいいパイプから水が流れていた。

 第十三虚空蔵菩薩という所まで来た。石仏は第十三番までだから、もう山頂は近いはずだ、と思った時、 見晴らしの良い所へ出た。眼下に野尻湖のような湖が見えた。しかし、野尻湖にしては小さ過ぎると思った。どうもここが 「天狗の硯石」といわれている所らしい。

 最後の急登を登り出すと、すぐ低いダケカンバとクマザサになり、左手後方に戸隠山と新雪を抱いた北アルプスが 見えた(写真左)。写真を撮り、一服しようかと思ったが、どうせあと5分か10分で着くだろうと思ってそのまま登って行った。

 戸隠の中社との分岐まで来ると、戸隠山や高妻山がバッチリと見えた。特に高妻山はひときわ高く、 天に向かってそそり立った山容は、さすがに日本百名山だと思った。

 そこから急登を登ると、鳥居があり神社があった(写真右)。両手を合わせお参りをしてから、ゆるやかになった道を2、30メートルほど登るとピークへ出た。(11時32分着)

 そこからは、戸隠や高妻山、その奥に北アルプスの白馬岳から槍、穂高まで見えた。槍の穂先に少し雲がかかっているのが残念だった。

 このピークは実は山頂ではなく、ニセピークと呼ばれている所で、本当の山頂はここからなだらかな斜面を15分ほど行った先にある。

(写真左はニセピークから見た高妻山)

 その山頂へ向かおうとした時、右下に小屋のようなものがあった。ここに避難小屋があるとは思えなかったので帰りに確認することにして、まずは山頂へ向かって行った。

 11時50分山頂着。
 広い山頂には先客が10人ぐらいいた。
 山頂は文字通り360度の展望だった。戸隠や高妻、北アルプス、明日登る予定の黒姫山が見え、その奥にひときわ目を惹く妙高山や火打山が見えた。妙高は一度登っているが、 どうしてももう一度、天気の良い時に登らねばならないと思った。

 黒姫はまだ雪はなく、山全体が黒く見えた。念のため軽アイゼンを持って来たが、その必要はなさそうだ。

 その黒姫と妙高が見えるところで昼食にした。


(飯縄山頂)

(山頂からの高妻山)

(手前が黒姫山、奥が妙高山)

 帰りにニセピークにあった避難小屋のような建物を覗いて見た。それは避難小屋ではなく、飯縄神社だった。
 ここに神社があるということは、昔はここが山頂とみなされていたのかもしれないと思った。

 ここから戸隠との分岐まで戻り、中社(ちゅうしゃ)を目指して下って行った。この道は下る人も登る人も少ないようで、人影は全くなく、寂しいほどの静寂だった。

 眼下に戸隠の里を見下ろし、正面に並び立った戸隠や高妻山を見ながら下って行く。

 森林地帯へ入ると、途中に鳥居があり、萱(かや)ノ宮の祠があった。
 さらに下って行くと、道が二本に分かれ一瞬躊躇したが、地図を出すのが面倒なので、そのまま真っ直ぐ進んで行った(右の道が近道だった)。

 途中で、急げば14時30分のバスに乗れるかも知れないと思い、ピッチを上げた。
 林道へ出てからは走るようにして中社へ急ぐ。バス停へ6分前に着いた。

 バスで飯綱山南登山口まで戻り、車で再び戸隠中社へ向かった。明日、黒姫山へ登るため戸隠に宿をとったからだ。
 戸隠へ向かう途中から黄金色に紅葉した森林の奥に、今登って来たばかりの飯縄山が見えた。(写真左下)

 戸隠中社へ初めて行った(写真右下)。戸隠といえば「戸隠伝説」を思い出し、何となく薄気味悪く近寄り難かったが、ごくフツーの神社だった。


(バードラインから見た飯縄山)

(戸隠中社)
黒姫山へ続く