開聞岳(かいもんだけ)    86座目

(922m、 鹿児島県)


池田湖から見た開聞岳。(写真は九州のつぼやん提供)


霧島から続く

2号目登山口から往復

2001年4月30日(月)

 今朝、霧島神宮から高千穂峰を往復し、鹿児島へ出て開聞町へやって来た。
 雨は上がったが肝心な開聞岳は見えない。

(晴れていればこの交差点から開聞岳がそそり立って見えるという)

 宿へ荷物を置いて枚聞(ひらきき)神社へ行った。昨日、霧島神宮で天気の回復を祈願したが、御利益がなかったのはお賽銭が少なかったせいだろうと思い、今日は奮発して100円玉数枚と10円玉数枚を入れて「明日の好天」を祈った。

2001年5月1日(火)

開聞町(宿)−(タクシー)−2号目登山口507〜820開聞岳〜10402号目登山口−(タクシー)−開聞町−(タクシー)−指宿−鹿児島空港−羽田空港

 4時起床、5時出発の予定だったが、3時半に目がさめた。外は今日も雨……。
 しばらくして住田さんも起き出した。2人で天を仰いた後、「登るのやめようか……」と私が言うと、「いいですよ」という住田さん。
 しかし、改めて出直して来るのもしんどい。わさわざやって来るほど魅力がある訳でもない。しばし思案にくれたが、「やっぱり登ってしまおう」ということになった。

 5時に約束していたタクシーで2合目登山口まで行った。タクシーの運転手に10時半に迎えに来るようにお願いした。
 まだ真っ暗だったが、ヘッドランプの明かりで案内版が見えた。それには「大人登り何分、下り何分、子供何分とあり、老人登り180分、下り120分」とあった。つまり往復5時間である。我々は5時間以上みているので、「我々は老人以上だなあ……」と苦笑い。

 5時7分、傘をさして大木が茂った原生林のような樹林帯へ入って行った。ここは昼間でも薄暗いという。しばらくは雨水でえぐられた窪んだ道を進んで行った。

 15分ほど歩くと2・5合目になった。ここでさっそく休憩していると5人のパーティーが追い越して行った。こんな天気でも登る人はいるようだ。

 雨はまだ降っているのか雫が落ちているのか分からなかったが、メガネがすぐに曇ってしまうので時々立ち止まってメガネと額の汗を拭いた。
 2・5合目からも3合目、4合目と各合目ごとに休憩した。時間はたっぷりある。タクシーが迎えに来るまでに下ればいい。

 途中で、ヘッドランプの明かりを頼りに足元ばかり見て歩いていたので、道に張り出していた倒木に気づかず、思い切り頭をぶつけてしまい、目から火花が散った。

 3合目からはヘッドランプがなくても歩けるようになった。樹木の間がかなり白んできた。
 4合目付近でまた雨が降ってきた。
 ここは登山道は良く整備されて歩きやすかったが、樹木に覆われて薄気味悪かった。麓の方はまるで屋久島を思わせるような原生林だった。高度を上げるごとに背丈が低い雑木林になってきた。

 ここの登山道は、山をぐるっと一周しており、たえず右手が山で左手が海側となるが、視界が利かないため高度感も方向も分からなかった。

 8合目を過ぎると途中で追い越された5人のパーティーが下ってきた。「何も見えませんでしたよ」と言ったが、もう展望は諦めていた。もう山頂に立つだけでいいと思った。

 9合目を過ぎると急登になった。最後の岩場を登って行くと、「あと52メートル」と書いてあった。あと52メートルとは、やけに細かく親切だな、と思った。そして2、3歩進んで、「2メートル歩いたからあと50メートルだな!」と一人で苦笑い。

 岩場を過ぎ、登山道を覆い隠すような樹木の中を潜って行くと、パッと明るくなって正面に山頂らしい岩場が見えた。岩陰から人の声が聞こえて来た。ついに開聞岳の山頂へ到着。8時20分。

 さっそく風が避けられそうな岩陰に腰を下ろし、宿で作ってくれたオニギリを食べた。しかし、風が強くてゆっくりと食事もしていられない。私より早く食事が済んだ住田さんに先に下ってもらった。

 私は、三角点の後ろにある大きな石に登ってみた。ここが本当の山頂である。先客も下ってしまい誰もいない山頂で、「ヤッホー」と大きな声を張り上げた。
 すると、ひょっこりと登山者が1人現れた。そして私が立っている石へ真っ直ぐ登って来ようとしたので左へ巻くように教える。そして急いで住田さんの後を追った。

 2合目の登山口へ10時40分着。タクシーが待っていた。近くにあった自販機で買って飲んだアイスコーヒーが、涙が出るほどうまかった。

 宿で汗を流した後、タクシーで指宿へ出て砂蒸に入ってから鹿児島空港へ向かった。


(写真はタクシーで指宿へ向かっている途中、わずかに姿を見せた開聞岳)

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