(1,700m、 宮崎県・鹿児島県)
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2001年4月28日(土)
羽田−宮崎−えびの高原(泊) |
霧島は宮崎県と鹿児島県の県境にあり、韓国(からくに)岳や新燃(しんもえ)岳、中岳、高千穂峰(たかちほのみね)などの総称で、霧島山という山は存在しない。
現在、日本百名山は連峰の最高峰である韓国岳とされているが、私は何としても高千穂峰へ登りたかった。私は初めて高千穂峰の写真を見た時から、その品位と美しさに魅せられていた。
日本百名山の著者である深田久弥氏は、この高千穂峰について『左に二ツ石、右に御鉢の二峰を従えて、相称の形でスックとそびえ立った姿は、まことに神々しく品格がある』、と述べている。この山を見た人は、きっと一度は登ってみたくなるに違いない。
その高千穂峰へ登るため、住田さんと韓国岳から縦走することにした。住田さんとは、若い頃何回も一緒に山へ行ったが、その後お互いに山登りをやめてしまったので、一緒に行くのは20数年振りだった。
羽田を発った時は好天だったが、宮崎空港へ着くとどんよりとした雲が覆っていた。嫌な予感がした。私が九州へ来ると天気に恵まれないからだ。屋久島へ行った時は三日三晩雨に降られ、久住山では一日中土砂降りの中を歩き、由布岳では季節はずれの吹雪にあって登頂を断念した。私が九州へ来るとどうもお天道様の機嫌が悪いようだ。
空港でバスを待っている時、ついにポツポツと落ちてきた。予感的中である。
えびの高原(1、170m)へ着いた時は本降りだった。しかし韓国岳が見えた(写真右)。雨の中で韓国岳の写真を撮りながら、明日はあの頂から、一目でいいから高千穂峰が見たいと思った。 えびの高原はリゾート地という感じだった。緑の高原の中にポツン、ポツンとしゃれた建物が建っていた。 「からくに荘」へ早く着きすぎてしまい、3時までフロントの脇でビールを飲みながら待った。 |
えびの高原〜韓国岳往復−霧島神宮(泊) |
夜中に何回も起き出して外を見たが雨は止まなかった。4時になっても止まなかったので、出発を1時間遅らせることにした。
雨具を着て傘をさしながら車道を歩き、途中から登山道へ入って行った。すぐにバス停がある韓国岳登山口からの道と合流した。
視界は余り良くないが、それでも硫黄岳との分岐で噴煙を上げる大地獄が見えた。(写真左)。そこから3、4分で灌木帯へ入って行った。
途中にミヤマキリシマが一輪だけ咲いていた。この辺はミヤマキリシマが満開になるのは5月中旬と聞いていたので、たとえ一輪でも咲いていれば嬉しい。
3合目、6時58分着。ここで一本たてた。
今日は温度が高く、雨具を着ているのですぐに汗が吹き出してくる。まるでサウナにでも入っているようだ。
途中で単独行が下って来た。彼は「韓国岳から高千穂峰まで縦走する予定だったが、諦めて下って来た」と言った。
ガイドブックには、「5合目までが一番急で、道はしだいに火口縁に向かって上がり、右手に大浪池がのけぞるようになると8合目である」と書いてあったが、大浪池どころか何も見えない。
左手に防護柵が見えてきた。あれが韓国岳の噴火口だろうと思って近づいて覗いて見たが、足元から1メートルほど見えるだけで、あとは白いガスに覆われていた。
二人組のパーティーが下ってきた。そして、彼らも縦走を諦めて下って来たと言った。
山頂は縦走路から左手の岩場を数10メートルほど登った所にあった。その山頂へ8時15分に到着。カメラが濡れないように傘をさしながら住田さんと交代で写真を撮った。
韓国岳は「晴れた日には韓国まで見える」ということから、この名が付けられたと云うが、実際は見えないそうだ。
我々は、もう縦走する気はなくなった。高千穂峰が見えない山を歩いても意味がない。明日、高千穂河原から高千穂峰を往復することにして引き返すことにした。
山頂から100メートルほど下った時、大浪池方面の標識があってあわてて引き返した。我々のすぐ後ろにいた若夫婦にも道が違うことを教え、一緒に引き返した。すぐに防護柵が見えてきたので、そこからトラバースした。
登山口バス停へ9時30分着。ここで記念写真を撮って、車道を歩いて「からくに荘」へ行った。一度チェックアウトをしてしまったので休憩室を使わせてもらい、さっそく露天風呂で汗を流すことにした。
休憩室でビールを飲みながらくつろいでいると一人の夫人が入って来た。旦那が韓国岳を登っているので待っているという。旦那は自衛隊員で毎週のように山へ登っていると言ったが、韓国岳を1時間50分で往復して戻って来たのには驚いた。 その夫婦に霧島神宮温泉まで車に乗させてもらった。霧島神宮までは原生林をむりやりに切り開いたような道だった。 |
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さっそく宿へ荷物を置いて霧島神宮を参拝した。神宮はさすがに立派だった。境内には坂本龍馬が新婚旅行で霧島神宮を参拝して高千穂峰を登ったことが記されていた。竜馬の奥方さえ高千穂峰を登ったのだから、私にだって登れるだろうと思った。
明日は4時起床、5時出発の予定で9時消灯。 翌日は高千穂峰へ、下へ続く |
霧島神宮の宿745−(タクシー)−800高千穂河原〜958高千穂峰〜小屋1020〜1130高千穂河原−(タクシー)−霧島神宮の宿−鹿児島−開聞町(泊) |
3時ごろ雨と雷の音で目がさめた。まだ真っ暗だったが、雨が音をたててトタン屋根を叩いていた。とても山へ登れるような状況ではないので、また布団の中へ潜り込んだ。
雨は5時になっても6時になっても止まなかった。もうダメかと諦めかけていたが、7時ごろになってやっと止んだ。急いで必要なものだけをアタックザックに詰め込んで、7時45分に宿を出た。隣がタクシー会社だったので、すぐに出発することが出来た。
高千穂河原へ8時ジャストに到着。駐車場には登山者の車が10台ほど止めてあった。靴を履いたり、ザックを背負ったりしている人達を見るだけで気合いが入ってきた。
ここは登山口というよりも観光地かリゾート地といった感じで、気持ち良い広場だった。大きな鳥居がありビジターセンターやトイレなどもあった。
ビジターセンターの前の大きな鳥居をくぐり広い砂利道を登って行くと、霧島神宮古宮跡へ出た。案内板に「昔はここに霧島神宮があったが火山で焼けてしまい現在の地へ移った」と記してあった。
ここを右へ曲がって樹林帯の中の石畳の遊歩道を登って行く。雨は止んでいるが濃い霧で視界は100メートルぐらいしかない。
周りの木々も雨上がりで生き生きしている。朝の大気がすがすがしいと思ったが、すぐに汗が流れてきた。ここは南国で温度が高い。
石段の遊歩道から登山道へ入って行くと、赤茶けたガレ場の急登になった。見るからに噴火を物語るこぶし大ほどの噴石である。その噴石の急登を休み休み登って行った。視界は悪くなる一方で50メートルぐらいだろうか。そして、ついに心配していた雨が降ってきた。霧雨程度だったが急いで雨具を着込む。
ここは直登の連続だった。背丈が低い灌木帯の中に登山道だけが真っ直ぐ延びている。しかも噴石のガレ場。見るものもなく、ただ足元だけを見ながら登って行った。
途中にミヤマキリシマが咲いていた。すでに5分咲きだったが、株が小さく背丈も低いのが残念だった。
(ガレた急登、上部はガスって見えない) |
(ミヤマキリシマが慰めてくれた) |
やがて斜面がなだらかになり、御鉢に着いたことを知った。右手が御鉢の火口のはずだが何も見えない。道幅は3、4メートルしかなく、風でバランスを崩さないように注意しながら歩いて行くと、左手に下る標識があった。その標識にしたがって下って行くと広い鞍部へ出た。そこに「昔、ここに霧島神宮上宮があったが噴火のため消失した」と書いた案内板があった。
ここから高千穂峰への一気の登りになった。灌木もなくなって、膝よりも低い雑草が生えている程度だった。登山道はこれといったものはなく、ガレ場を歩きやすい所を探しながら登って行く。ここを登った人のホームページに、「真ん中を歩くより両側の草付きの方が歩きやすい」と書いてあったのを思い出し、なるべく草付きの方を選んで登って行った。
今日の天気予報は雨のち曇りとのことで、時間が経つほど回復しそうである。急いでガツガツ登るよりもゆっくり行った方がいい。何度も休憩しながらゆっくりと登って行った。
上から下ってきた人が、「山頂の小屋がやってましたよ」と教えてくれた。小屋は経営難で休業中と聞いていたのでホッとした。小屋で軽い食事ぐらい出来るかも知れない。
風雨の山頂へ9時58分到着。山頂にはロープが張られ、石積みで一段と高くなった所に鳥居が立ち、その奥に天の逆鉾(あまのさちほこ)が立っていた。
思わず「ヤッター」とガッツポーズをしてしまった。やっと憧れの高千穂峰に立つことができた。晴れていれば申し分ないが、雨の山頂でも立ったことに変わりはない。
雨の山頂で写真を1枚撮ってから急いで小屋へ入って行った。小屋には三代目というご主人が一人ひまそうにストーブにあたっていた。食べ物や飲みものは一切なかった。この天気ではボッカもできず仕方がないと思った。
ご主人は、「土、日など私が休みの時は営業する」と言った。ご主人と一緒に記念写真を撮ってもらいながら、「必ずもう一度来よう」と思った。
10時20分、小屋発。
雨の中を下り、11時半に高千穂河原へ着いた。ここで昼食にしようと思ったが、12時に約束していたタクシーがすでに待っていたのでそのまま霧島神宮の宿へ行った。
宿の温泉で汗を流し、昼食を摂ってから次の目標である開聞岳へと向かった。
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