上高地から涸沢へ
上高地から見る穂高は美しく神々しい。日本の山でこれほどまでに神々しい山は他に知らない。
私はいつも河童橋まで来ると、無言で穂高と対峙する。ただ黙って穂高を眺めているだけで、心が洗われるような気がする。 そして、はるばるやって来た思いが、次第に満たされて行くのを覚えて来るのだ。
しばらく穂高を眺めてから、ゆっくりとザックの紐を解き、湯を沸かし始める。やがてゆらゆらと立ち昇る湯煙。その湯煙の上に聳え立つ穂高。
その穂高の頂きを眺めながらゆっくりと朝食を摂ってからコーヒーを飲む。
私はいつもこうして夜行列車の疲れを癒してから穂高へ向かうのである。
私が初めて上高地へ行った時は快晴で、穂高がクッキリと見えた。それゆえに、あんな急峻な岩場を登るなんて、 とても人間業とは思えなかった。
しかし、あの穂高をぐるっと回り込んで、裏側にある涸沢(からさわ)という所から登れば簡単に山頂 へ立てることを後になって知った。
さらに、上高地から直接穂高のテッペンへ登る道があることも後で知った。それは穂高山荘の主人、今田重太郎さんが、 シカが登り下りしているのを見て、シカが歩けるなら人間だって歩けるだろうと思い、道を切り開いたというエピソードが ある『重太郎新道』である。
涸沢は、上高地から梓川沿いに遊歩道を3時間ほど歩き、横尾からさらに左に回り込んで山道を3時間ほど歩くと辿り着く。そこはアルピニストにとって限りなき憧れの地であろう。
涸沢は、昔、氷河が削り取ってできたといわれるカールになっており、そのカールを取り巻くように北側から 北穂高、涸沢岳、奥穂高、前穂高と、3000メートルの山々が扇を広げたように並び立つ。
涸沢は穂高の前線基地で、2軒の山小屋とキャンプ場があり、シーズン中は登山者でごった返す。山小屋の混雑はもちろん、キャン プ場も足の踏み場がないほどだ。
山小屋は手前にある涸沢ヒュッテの方が規模も大きく夏は遭難救助隊が常駐し、診療所も開設される。食事やビールはもちろん、ド リップ・コーヒーやワインまでもある。
私は、初めて行った時はその涸沢ヒュッテへ泊まったが、その後はそこから数百メートル登った所にある涸沢小屋を利用するように なった。それは展望がいいからである。
涸沢ヒュッテからは前穂高北尾根が重なってしまうが、涸沢小屋からはノコギリの歯のように並び立って見える(写真左)。
涸沢小屋は北穂高の真下にあるため北穂の山頂こそ見えないが、奥穂高の胸部岩壁から前穂高へ続く吊り尾根や、ズラリと並んだ北尾根 の針葉峰が目の前に広がって見える。
私はいつもこのテラスに立つと、我が故郷の駅に降り立った時のような郷愁を覚えるのである。
このテラスでゆっくりと湯を沸かし、熱いコーヒーを飲みながら、穂高の山々を眺めていると、まるで我が身があの黒い岩壁や白い雪渓の中にとけ込んでいくような、そんな歓びを覚えてくるのである。
私にとって、涸沢は第二の故郷のようなものであり、何物にも代え難い歓びと安らぎを与えてくれる場所なのである。
涸沢から穂高へ
穂高は、高所恐怖症でない限り誰でも登れます。私は山へ一度も登ったことがない素人を何人も連れて行きました。
全くの初心者には北穂の往復、そして次の日に奥穂の往復がお勧めです。その逆でも問題ありませんが、北穂はクサリ場が少ないですが、奥穂は穂高山荘から一気の梯子場になります。
そのため、私は一日目に北穂へ登って槍を眺め、岩場に慣らしてから奥穂を往復するようにしていました。
奥穂から前穂、そして上高地へ下る重太郎新道を下るのも、特に問題はありませんが、とにかく膝がガクガクするような岩場の下りです。下りが苦手な方は涸沢から横尾へ下った方が無難です。
また、北穂から奥穂への縦走は「中級」です。初めて穂高へ行く方には絶対お勧め出来ません(レベルは槍穂縦走程度)。
さらに西穂から奥穂への縦走は、「超上級」です。よほどの経験者かクライマー以外は敬遠した方が無難です。
涸沢の魅力