3.爺ケ岳〜鹿島槍ケ岳〜五竜岳・縦走

1978年7月21日

新宿−(夜行)−信濃大町−扇沢〜種池山荘〜爺ケ岳〜冷池山荘(泊)

 鹿島槍ケ岳は、「アルプスの女王」といわれる双耳峰の優雅な山である。
 この山は、二つの頂が競い合うように並び立っていることから、地元の人達は「背比べ岳」と呼び、その二つの頂きを結ぶ優雅な曲線が、いつもアルピニストの心を捉えている。

 私は針ノ木雪渓からこの鹿島槍を見た時、「何と美しい山だろう」と思った。そして、五竜岳の山頂から間近に見る度に、何としてもあの頂きに立ちたいと思った。

 その鹿島槍を「何が何でも登ってやろう」と思った。五竜岳はすでに登っているので、今回は爺ケ岳から鹿島槍、五竜岳、唐松岳と縦走して八方尾根を下ることにした。

 昨夜、テルさんとヤブさんの3人で新宿発の夜行列車に乗り、今朝、信濃大町駅から「立山・黒部アルペンルート」へ向かうハイカーと一緒にバスに乗って扇沢へやって来た。
 扇沢からは、ハイカーとは反対に、今登って来たバス道を下って行く。すぐ左手に爺ケ岳新道(最近は柏原新道と呼ばれている)の登山口があった。

 この道は、樹林帯の急登で、蒸せる中をあえぎあえぎ登る姿を想像していたが、さほど苦しい登りではなかった。今日は濃い霧に覆われているせいか、わずかに汗ばむ程度だった。

 足元にはピンク色のかわいい花がいっぱい咲いていた。ヤブさんから花の名前を聞かれたが、私もテルさんも分からなかった。ヤブさんは「ラッパに似ているから、きっとラッパ草ね…」と独り言を言っていたが、あとで調べたらイワカガミだった。

 そのイワカガミや白いゴゼンタチバナの花が登山道にまで咲いていた。山靴で踏みつけないように気遣いながら登って行った。

 霧が一層濃くなり、視界が20メートルほどになった。霧が樹木にからみ付くように流れ、実に幻想的だった。ふと、この道がいつまでもいつまでも続いてほしいとさえ思った。

 樹林帯を抜け出すと、急に周りが明るくなり、高山植物が咲いた高台の奧に、赤い屋根の種池山荘が見えた。ドーム型の建物に三角屋根の玄関がいかにも牧歌的で、こんな小屋へ泊まってみたいと思った。しかし、今日は冷池小屋まで行かねばならない。
 チングルマやハクサンイチゲなどが咲いたお花畑の脇で、ゆっくりと湯を沸かしお昼の準備にとりかかる。いつの間にか霧も少し薄らいだようだ。

 爺ケ岳は、雄大で、一面ハイマツに覆われた山だった。そのハイマツの中に縦走路が長々と続いていた。北アルプスには珍しい緑の山で、南アルプスの山を思わせた。
 時々、霧の裂け目から剣岳が見えたが、黒部側から立ち昇る濃いガスのため山頂は見えない。


(爺ケ岳はハイマツに覆われた山だった)

 南峰の頂きに立っても何も見えなかった。しかし、5分もすると、霧の合間から眼下に安曇野が見えた。そして、中岳や北峰も少しずつ顔を出した。

 南峰の山頂で記念写真を撮り、念のため地図を広げて見ると、最高峰はこの南峰ではなく中岳になっていた。ガイドブックには南峰が最高峰と書いてあったのだが……。どっちが本当の最高峰か分からないので、この際中岳のピークも踏んで行くことにした。


(南峰からの中岳、巻き道もある)

 中岳を目指して南峰を下って行くと、中岳のピークに大勢の登山者の姿が見えた。やはり中岳が最高峰のようだ。
 その中岳のピークに立った時も視界は利かなかった。しかも、霧の中に冷たいものが混じってきた。先を急ぐことにして、一番低い北峰のピークは巻いて行くことにした。

 やっと眼下に小屋が見えて来た。
 冷池(つめたいけ)山荘、14時着。
 夕食までの間、すっかり寝込んでしまった。久しぶりの山旅と昨日の夜行列車がこたえたようだ。

(写真の下に小屋が見える)


7月22日
冷池山荘615〜鹿島槍ケ岳〜キレット小屋〜五竜岳〜1500五竜小屋

 朝4時ごろ起こされた。天気は予想していた通り、霧が一面を覆っていた。
 朝食前に小屋の周りを散歩した。小屋の名前の由来である冷池は小屋のすぐ隣にあった。昔は冷たい水が湧いていたというが、今はドロ沼のようでその面影は全くなかった。せめて周りにお花が咲いていたのが救いだった。

 朝食が済み、他のパーティーがほとんどいなくなってから、食堂に張り紙がしてあった小屋自慢の「カシマンジャロ・コーヒー」を注文すると、「朝は忙しいのでやらないんですよ」と断わられてしまったが、それをムリにお願いして、キリマンジャロならぬカシマンジャロ・コーヒーを飲んでから出発した。

 小屋発6時15分。
 いよいよ憧れの鹿島槍である。今まで何度も計画しながら実現出来なかった鹿島槍ケ岳である。その鹿島槍は霧に煙って見えないが、この濃い霧の中から、二つの頂きと、それを結ぶ優雅な吊り尾根が姿を見せてくれるだろうか。天気予報は『晴れのち曇りか霧でしょう』と報じているのだが……。

 布引岳を過ぎた頃から霧は一層濃くなった。でも一瞬、黒部側が見えることがあった。しかしそれも長続きはせず、すぐに白い霧に包まれてしまった。
 目の前にあるはずの鹿島槍の山容を思い浮かべるだけで心がうずく。「山頂へ着く頃にはきっと晴れるに違いない」と信じて、一歩一歩登って行った。

 そして、ついに山頂へ立った。長年の憧れだった鹿島槍ケ岳の山頂である。この山頂はギラギラした太陽の下で、思い切りバンザイでもしてみたかった。ゆっくりとコーヒーでも飲みながら、くつろぐ山頂でありたかった。だが、どうだろう。我々が山頂へ着くと同時に雨が落ちてきた。

 ここから五竜岳までは約6時間。アルプスへ初めて来たヤブさんにとって、はたして雨の中のキレット越えが良い思い出になるのだろうか。それよりも冷池へ引き返し、明日改めてアタックした方がいいような気もするのだが………。しばし思案にくれた。

晴れた日の写真はこちら→
詳しくは4.遠見尾根〜五竜〜鹿島槍〜赤岩尾根をご覧下さい。

 しかし、霧の流れを見ていると、雨が本降りになるとは思えなかった。テルさんも「行こう」と言うので予定通り五竜岳を目指して行くことにした。
 雨の山頂で記念写真を一枚撮ってから、すぐにキレットへ向かって行った。

 登山道は北峰の山頂を巻いてグングン下って行。ここは思ったより難しいコースではなかった。

(写真左は晴れた日のもの。正面のピークが山頂、つまり南峰から下っている人達)

 9時を少し回った頃、キレット小屋へ着いた。腹が減ったので早お昼にしようとラーメンを注文したところ、「ここは水がないので宿泊者にしか食事は出さないんですよ。パンフレットにも書いてあるはずだがなあ……」と、あっけなく断られてしまった。

 実に不覚であった。冷池で弁当を頼む予定でいたが料金が高かったので、途中のキレット小屋でラーメンでも食べようということで弁当を頼まなかったのだ。このキレット小屋で食事を作ってくれないとなると、あとは非常食のビスケットしかない。

 再度小屋の人にお願いしたところ、「ラーメンなら何とか作ってあげよう」と言ってくれた。ここは雨水を利用しているが、今年は日照り続きで一滴もなく、ヘリコプターで水を上げているという。
 たとえ夏であっも、雨に打たれた身体に暖かいラーメンは有り難かった。

 ここで1時間ほど休憩したが、雨はいぜんとして止まなかった。再び雨の中を五竜に向かって出発した。歩き出してから30分ほど経った時、雨は止んだ。そして、西の空に剣岳が時々顔を出した。

 しばらくすると西の空に待望の青空が見えて来た。太陽も顔を出した。「さあ、急ごう」と3人のピッチが早くなった。


(晴れた一瞬にハイポーズ)

(少しずつ視界が利いて来た)

(こんな所や・・・)

(こんな所を越えると・・・)

(こんなモノがいた)

 五竜岳の山頂へ着いた時、空には薄日が差していた。霧の合間から遠慮がちに顔を出す太陽。だが、目の前にあるはずの鹿島槍は見えない。

 ここで鹿島槍が姿を見せるまで待つことにした。山頂で汗で濡れたシャツを脱いで、日向ぼっこをしながらケルンを積んだ。テルさんはいつものようにザックを枕に居眠りをしている。

 この五竜岳は、縦走路から20メートルほど離れた所に三角点があり、縦走路にはロープが張られ『危険』と書いたものがぶら下がっていた。そのため立ち入り禁止区域と思う人が多いようだ。

 私達が山頂でブラブラしている時、縦走路でモジモジしている3人連れのパーティーがいた。私が大きな声で、「ここが山頂ですよ〜」と手を振ると、そのロープをまたいでやって来た。30歳はゆうに越えている女性3人のパーティーだった。その中の1人が「なんで山頂の手前にロープなんか張るんですかね……」と不満そうに言った。

 私は黒部の谷底を指さしながら、「天気の悪い日に、ここを下ってしまう人がいるからですよ」と言うと、やっと納得したように頷いた。
 上空には青空が広がってきたが、低く流れるガスがいっこうに消えない。1時間ほど待ったが結局諦めて五竜の小屋へ下った。小屋着3時。

 夕食後、外でティータイムにした。さっきまで五竜岳にまつわり付いていたガスが、山頂の一部を除いて大分消えた。それに、西の空に晴れ間が広がってきた。

 熱いコーヒーを飲みながら、夕暮れを眺めていると、小屋の中からカメラを持った人達が飛び出して来た。西の空がオレンジ色からバラ色に変わった。


7月23日
五竜小屋〜唐松山荘〜(八方尾根)〜白馬駅

 朝4時半に起きて、小屋の庭先で湯を沸かしながら空が明るくなるのを待った。昨日、夕暮れを眺めた場所である。今回初めてアルプスへ来たヤブさんに、3,000メートルからの雲海とモルゲンロートの輝きを見せてやりたいと思った。

 カメラを持った人達がウロウロしている。五竜岳へ登っている人も大勢いた。しかし、東側の空は、乳白色に包まれたまま明るくならない。これではご来光など見えるはずがなかった。

 もう天気なんてどうでも良かった。唐松山荘を目指して歩きながら、ガスの切れ目から青空が見えても、もう何の感動もない。いっそのこと大雨でも降ってくれた方がサッパリすると思った。憧れの鹿島槍はついに姿を見せず、日の出さえも見えない。高山植物が咲き乱れる登山道を歩いていても、私の足取りは重かった。  (昭和53年)


(晴れた日の五竜山荘近くから見た五竜岳)

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