霞沢岳 (かすみざわだけ)

(2,646m、長野)  150座

K2から見た霞沢岳

上高地〜徳本峠〜霞沢岳往復(1泊2日)

2006年11月3日(金・祝)

自宅610〜845松本IC〜946沢渡〜上高地1045〜1122明神1150〜1405徳本峠小屋(泊)

 11月の3連休は霞沢岳へ行きたいと思っていたが、4日前に越後の御神楽(みかぐら)岳へ行って右足の古傷(筋)を痛めてしまい、ギリギリまで様子を見ていたが、昨日から痛みが消えたので「絶対に無理をしない」という条件で行くことにした。早速、徳本(とくごう)峠小屋へ予約の電話を入れた。

 今回めざす霞沢岳は、北アルプスでも最も賑わう上高地にありながら、その名は余り知られていない。
 上高地へ行った人のほとんどが、穂高と焼岳を見て歓声を上げても、右側の森林地帯の上部を見上げる人は少ない。もっとも、そう言う私も近年まではその一人であったのだか・・・。

 それゆえに、この山は穂高の展望に優れながら訪れる人も少なく、「不遇の山」と言われている。
 今回は、その「不遇の山」へ登ろうというのである。

 朝6時10分に家を出た。相模湖ICから中央高速に乗って松本へ向かって行った。空には青空が広がっているが、鳳凰三山も甲斐駒もモヤって見えない。八ケ岳だけが薄くボンヤリと霞んで見えた。今日は上高地から穂高が見えないかも知れないと思った。

 上高地へ着くと、澄んだ空に穂高がクッキリと見えた。空はまさにピーカンである。そのピーカンを遮る岩稜が手に取るように見えた。
 冠雪こそしていなかったが、沢筋に最近降ったらしい痕跡が見えた。この時期はいつ雪が降ってもおかしくない。

(写真左は上高地からの穂高。クリックで拡大)

 穂高の写真を何枚も撮った。右手にめざす霞沢岳の稜線が見えたが、逆光で写真は撮れない。午後にならないと無理のようだ。

 河童橋10時45分発。
 明神へ向かって遊歩道を歩いて行くと、前にクマ除け鈴をぶらさげた人が歩いていた。せっかくの静寂が破られる。鈴はクマがいない所では騒音でしかない。外すかティシュペーパーを1枚挟めば静かになるんだがなァ・・、と思いながら追い越して行った。

 最近は山小屋の中でさえ鈴を付けている人がいる。鈴を登山装備の必需品かアクセサリーだと思っているのだろうか。

 明神へ11時22分着。ここで弁当を広げる。テーブルもイスも濡れていた。昨日、雨が降ったのか霜が解けて濡れているのか分からない。
 この季節でも観光客やハイカーが多いのに驚く。やはり3連休のせいだろう。

 明神から2、3分で徳本(とくごう)峠との分岐がある。ここから右へ曲がって行く。やっと静かになった。
 この道は、もう30数年も前のGWに登ったことがあった。一面雪に覆われ、この辺で40〜50センチ、上部で1メートルぐらいの積雪だったような気がする。

 30数年ぶりに歩く道は、初めて歩く道と変わらない。
 しばらくは車が通れるほどの遊歩道を歩いて行くが、やがて登山道になった。登山道がびっしょりと濡れていた。やはり昨日、雨が降ったようだ。

 背後に見える明神岳から前穂、奥穂へと続く岩稜が見事だった。何枚も写真を撮った。奥穂のロバの耳の左にジャンダルムが見える。昨年あのテッペンに立った時はガスって何も見えなかったが、今日はジャンもご機嫌のようだ。
 荘厳で神々しい穂高を見ると言葉を失う。ただ黙って手を合わせたくなって来る。

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右から天狗岩、間ノ岳、西穂高、ピラミッドピーク

手前の岩峰群は明神岳、一番右のピークが前穂高

 下って来る人が何人もいた。徳本峠まで往復して来たという。やはり展望がいいので人気があるようだ。
 最初の沢でポリタンに水を満タンに入れた。
 背後に表銀座の稜線が見え、右端に常念岳がわずかに顔を出した。

 峠と霞沢岳との分岐へ14時ジャスト着。ここから5分で小屋へ着いた。14時5分着。

(左の写真が徳本峠のボロ、いや歴史ある小屋が今宵の宿。この平屋建ての天井裏を2階と3階に分けて使っているため、2階に人が寝ていると這いつくばらないと出入り出来ない。私は3回も梁に頭をぶっつけた。その後、小屋は建て替えられたそうです)

 小屋で受付を済ませ、早速缶ビールを2本を買って、ツマミとカメラを持って穂高が見える展望台へ行った。小屋から1分ほどの所に展望台があった。

 穂高が見える特等席に座り込んで、穂高を眺めながら飲むビールは最高だった。ここから見る穂高はデカイ。

 目の前に穂高がドカーンと聳え立ち、上高地から見る穂高よりもはるかに迫力があった。明神の岩峰の奥に前穂高が槍のように屹立し、北尾根の岩峰が4峰、5峰、6峰と並び立って見える。

 奥穂の左手にはロバの耳、ジャンダルム、そしてコブ尾根ノ頭から天狗のコルへの急斜面。まるで滑り台のようだ。さらにその左手に天狗岩、間ノ岳、西穂と続く。まさに穂高のオールキャストである。それらの岩峰群を見ていると、まるでヨーロッパアルプスを見ているようだ。

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穂高全景

西穂ズーム

明神・前穂・奥穂ズーム

 日本の山を世界に知らしめたウエストンが、島々宿から登って来てこの峠から初めて穂高を見た時、感激のあまりに思わず婦人を抱きしめたと言われている。私もその時のウエストンさんのように胸を弾ませながら穂高を眺めていた。

 しばらくすると、霞沢岳から下山者が来た。色々と状況を聞かせてもらった。その中に、明日のために途中まで行って来たという、諏訪から来た「諏訪さん」がいた。
 逆に小屋から登って来た、つくば市から来たという「筑波さん」。一緒に穂高を見ながら山談義となった。

 二人が小屋へ引き上げた後も、私はしばらく穂高を眺めていた。
 あまりにも寒いので小屋へ引き上げると、諏訪さんと筑波さん、さらに若い女性2人で山談義に花が咲いていた。私もその中へ入れてもらう。
 筑波さんはやたらと高山植物に詳しい。花の山や見頃について色々と教えてもらった。

 その後、遅れて着いた東京△クラブという団体の会長さんから、色々と参考になる話を聞かせてもらった。この会長さんは、ある学界の権威だという。メンバーは会長と呼ばずに「先生」と読んでいた。

 そこまでは会長さん、いや先生に感謝するが、この後がいけない。
 夕食後に小屋の人から寝床の割り振りがあったが、この団体さんは寝床を間違えた上に、5人で8人の場所を占領し、一番早く小屋へ着いた諏訪さん、そして私と筑波さんの寝床がなくなってしまったのだ。

 すでにオバさん2人は寝ている(狸寝入りしていたと本人が翌朝言っていた)ので、私と筑波さんは何とか隙間に入れてもらって寝たが、諏訪さんは一階に布団を敷いてもらって寝たそうだ。山へ来たら山のルールぐらいは守ってほしいものだ。

 私はいつも山での「出会い」を大切にしてきたつもりだが、この団体さんだけは決して愉快な出会いではなかった。

 私は床に入ってもなかなか寝付けなかった。10時ごろ外へ出てみると満天の星だった。しばらく星と真ん丸いお月さんを眺めていた。