九重山(くじゅうさん)    70座目

(1,791m、 大分県)


風雨の中、やっと立った中岳山頂。


くじゅう登山口〜スガモリ峠〜久住山〜中岳往復

1999年3月18日(木)

羽田−大分−別府−湯布院−くじゅう登山口(泊)

 九重山は「防ガツル賛歌」にも歌われているように、ミヤマキリシマが有名なので、どうせ行くなら花が満開になる6月上旬ごろがいいのだが、それまで待ちきれなかった。
 実は昨年の秋に体調を崩してしまい、9月以降どこへも行けなかったので、早く山へ行きたくてうずいていた。3月になれば、九州の山なら雪も降らないだろうし、天気も安定するだろうと思って2ケ月も前から航空券や宿の予約をしておいた。

 羽田から大分へ向かう飛行機から、真っ白に雪をかぶった南アルプスが見えた。もう3月中旬だというのに、南アルプスや遠くに見える中央アルプスはまだ真冬の装いだった。
 2日前に九重山の法華院温泉に電話で確認した所、残雪は全くないというのでアイゼンもピッケルも持って来なかったが、本当に大丈夫だろうかと不安になった。

 大分空港からバスで別府へ向っている途中、雨が降ってきた。大分県の天気予報は、今日、明日とも曇りのち雨と報じている。

 別府から湯布院温泉へ向かっている途中に由布岳の登山口があった。上部はガスって見えなかったが、急いで車窓から写真を撮った。しかし、あれが本当に由布岳だろうかという疑問が湧いた。あまりにもイメージが違い過ぎたからだ。(これは由布岳の手前にある飯盛ガ城という山だった)

 この峠から眼下に湯布院温泉が見えた。湯布院温泉は、「由布院村」と「湯の平村」が合併して「湯布院町」になったという。町名はあくまでも湯布院と書くが、いたる所に由布院という文字が見える。ユフ岳は由布岳と書く。

 バスは湯布院バスセンターで時間調整のため、30分以上も待たされた。

(写真は湯布院駅前)

 乗客のほとんどが降りてしまい、くじゅう登山口である長者原まで行ったのは、私と旅行者らしい男性一人だけだった。やはり季節はずれに山へ行く人は少ないようだ。

 くじゅう山は、山域をさす場合は「九重山」と書き、主峰である「くじゅう山」は「久住山」と書く。したがって、この登山口は、その両方の入り口であるため、あえて「くじゅう登山口」と書いてあった。

 明日は暗いうちから歩き出すので、登山口を確認してから、国民宿舎コスモス荘へ向かった。


3月19日(金)

くじゅう登山口615〜スガモリ峠〜1003久住山1015〜1100中岳〜スガモリ峠〜1410くじゅう登山口−湯布院温泉(泊)

 夜中に非常ベルが鳴って飛び起きた。廊下へ出てみると管理人らしい人が見回りをしていて、「異常はないようです。雨が吹き込むと鳴ることがあるんですよ」と言われ、誤報だと分かって安心したが、叩きつけるような雨が心配だった。朝までに止んでくれればいいのだが……、と祈るような思いだった。
 その後も誤報のベルで3回も起こされた。

 朝方になって雨はやや小降りになったが、止む気配はなかった。予定ではスガモリ峠から久住山と中岳、白口岳を登って、鉾立峠から法華院温泉へ下り、雨ガ池を回って来るつもりでいたが、スガモリから久住山と中岳を登って引き返してくることにした。
 6時15分に宿を出発。

 登山口で登山届を書いが、今日はまだ一人も記入していなかった。こんな天気では山へ登る人も少ないだろうと思った。

(写真は前日撮ったもの)

 登山口からスガモリ峠を目指して舗装された林道を歩いて行くと、5分ほどで左手に雨ガ池越コースを見送った。

 30分ほど歩くと砂防ダムの工事現場があった。そこを回り込んで上部へ出ると、左正面に岩混じりの尾根が見えてきた。いかにもアルペン的で、やっと山へやって来たという実感が湧いてきた。
 この尾根がスガモリ峠の登り口だった。しかし、岩場はすぐに終わってしまい、あとは涸れた沢沿いのドロンコの道になった。

 道は沢を行くものと、尾根を行くものとがあったので、途中から尾根道を行くことにした。
 ここは、尾根と言っても山全体がススキのような枯れ草に覆われたボッテリした尾根だった。所々に、ドウダンツツジのような樹木が生えており、それが白い霧の中に黒く盛っこりと見えるのでクマが出たかとビクついた。

 道は昨日の大雨でグジャグジャだった。足元が滑るので木や枯れ草につかまりながら、一歩一歩慎重に登って行った。
 風向きが変わるとイオウの匂いが鼻をついた。前方に硫黄山があるはずだった。一目でいいから硫黄山の姿を見たかったが、視界は悪くなる一方で、30メートルほどしか利かなかった。

 ドロンコの道を40分も歩くと、再び林道へ出た。やっと泥から解放されてホッとした。
 しばらく林道を歩くと左手に「スガモリ峠」の標識があった。ここからは石ころがゴロゴロした急登になった。そして強烈なイオウの匂いが鼻を突いた。

 ゴロゴロした石には黄色のペンキが塗ってあり、道を間違う心配はなかったが、ペンキの塗り過ぎではないかと思った。
 登るにしたがって、右手前方から聞こえていた噴煙の音が、右手後方から聞こえるようになり、それがお尻の方から聞こえるようになった時、スガモリ峠へ着いた。

 私が持っているガイドブックには、『スガモリ峠には売店兼避難小屋があり、宿泊もできる』と書いてあったが、そこにはボロ小屋どころか、柱一本も残っていなかった。残された石垣だけが、かつてここに小屋があったことを物語っていた。

 私は強い風雨から身を守るため、その石垣の陰で一服した。視界はますます悪くなるばかりだった。

 この峠から一旦下った所が北千里ガ浜で、久住分かれと法華院温泉との分岐点になっていた。北千里ガ浜は、山岳地帯には珍しい砂浜のような所だった。こういう所はガスが出るといやらしいが、所々にケルンが高く積んであったので、道に迷う心配はなかった。

 しかし、水をたっぷり含んだ砂は、歩くたびに靴が潜ってしまうので、少しでも靴が潜らない所を選びながら歩いて行った。

 この砂地から少し登った所が「久住分かれ」だった。ここには立派な標識があり、左手が久住山であることが分かったが、もし標識がなかったら、右手の牧ノ戸方面へ行ってしまうところだった。

 ここまで来れば、牧ノ戸方面から登って来る人もいるだろうと思っていたが、人影は全くない。こんな日に山を登っているのはバカなヤツだと我ながら思った。

 

 久住山へ向かって登りながら、中岳との分岐を確認しておこうと左手に注意していると、絶対に見落とすことがないような大きな標識が立っていたので安心した。
 しかし、ここからもどこをどう歩いたのか分からなかった。ただこの道を真っ直ぐ登り詰めれば久住山の山頂のはずだった。その久住山の山頂へ10時3分到着。

 久住山と書かれた標識を写真に収め、一等三角点を踏んだ。とにかく風が強く、視界は10メートルほどしか利かなかった。今、自分が登って来た道さえも分からなくなりそうなので、登って来た道へストックを置いて目印にしておいた。過去に下山ルートを間違えた苦い経験があるからだ。
 寒い山頂に長居は無用。10時15分発。  

 中岳との分岐まで下り、今度は中岳を目指して行った。

 しばらく行くと、左右が高くなった峠のような所へ出たが、標識がないのでどっちへ行くのか分からず、しばらくその場に立ちすくんでいると、ガスの切れ間から正面に池が見えた。あった、あった、池があったゾ! と思わず声を上げた。池は5メートルほどしか離れていなかった。水面が完全に霧に溶け込んでしまって見えなかったのだ。

 とにかく目標だった御池があってホッとした。池を左手に見ながら進んで行くと、「池の小屋」があるはずだった。そこで一服してから中岳へ向かうつもりでいたが、小屋が見つからないまま、中岳の登りになった。

 中岳もどこをどう歩いたのか分からなかった。ただ濃いガスの中をモクモクと登って行った。九重連峰の最高峰である中岳(1791メートル)の山頂へ11時ジャストに到着。

 山頂に立っても何も見るものはなかった。ただ九重山の最高峰へ立ったというだけで満足するしかなかった。

(写真左は晴れている時の中岳から久住山方面。写真は大分県の甲斐さん提供)

 中岳から下って来た時、池の近くにボロボロの避難小屋があった。登る時は気付かなかったが、これが「池の小屋」だろうと思った。

 屋根はボロボロで、土間は水浸しである。奧の方には残雪もあった。とても休憩する気にはなれなかったが、風だけは除けられるので、中へ入って立ったまま一服した。

 ここから少し下った所の分岐から左手の道を行ってしまい、5、6分も行ってから、「おかしい」と思って引き返した。分岐まで戻って今度は右手の道を行くと、すぐに御池に辿り着いた。

 スガモリ峠を下っている時、下から登って来る登山者に会った。今日初めて会った人である。この人は千葉県から来たという40代の単独行だった。彼も日本百名山病にかかった患者の一人だった。彼はこれから久住山を登って竹田へ下り、明日は祖母岳を登るという。それにしてもこんな時間から登るとは驚いた。彼は私以上の重傷患者のようだ。いずれにしても百名山病患者は、雨にも負けず、風にも負けず頑張っているのである。

 くじゅう登山口へ14時10分着。ドロだらけになった靴を洗い、雨具を脱いでからお店でビールを飲んだ。実に美味いビールだった。私は、もしかしたらこのうまいビールが飲みたいために山を登っているのではないか、とさえ思った。
 この後、バスで湯布院温泉の宿へ向かった。

 翌日も朝から小雨が降っていたが、予約していたタクシーで由布岳登山口まで行った。由布岳を登っている途中で雪になり、マタエでは吹雪かれてしまい、結局、頂上手前で退却した。    (平成11年)