(前岳がだいぶ近づいて来た) |
(熊打場) |
本名御神楽岳は、この熊打場からの尾根と前岳のスラブが合流した奥にある。合流する尾根の最後の登りはクサリ場になっていた。 クサリ場の紅葉がいい。 |
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クサリ場を越え、しばらくすると避難小屋があった(9時30分着)。 せっかくなので中へ入ってみた。当初はここへ一泊することも考えていたので関心があった。こじんまりしたいい小屋だった。 |
小屋から急坂を一気に登り、高台へ立っと、正面右手にどっしりとした山が見えた。山頂には標識らしいものが見える。 心は逸るが足が付いて行かない。空には青空が広がり、すぐに天気が崩れる心配はないが、とにかく早くあそこへ立って御神楽岳が見たい。 |
その本名御神楽岳へ10時2分着。 | |
左手にホンモノの御神楽岳があった。 御神楽岳は津川の方から見た時とはかなりイメージが違うが、あの山頂へ立てば、水晶尾根の豪快なスラブが見えるだろう。 |
早く行きたいと思い、休憩していても落ち着かない。誰もいない山頂で一服していると、「ヤッホー」と先行の2人がエールを送って来た。よく見るとヤセ尾根を登り切る直前のところに2人の姿が見えた。私も「ヤッホー」とエールを返して手を振った。
少し下ってからヤセ尾根を登って行く。ここはヤブこぎとまではいかないが、雑木が張り出して歩きにくい。右手は雑木が生えているものの、すぐ近くから絶壁になっている。滑ってもすぐ転落、死亡ということはないが、薄気味悪い。木の枝につかまりながら一歩一歩慎重に進んで行った。
そして最初のピークへ立った時、正面にこの世のものかと思うほど、急峻で豪快なスラブが見えた。槍や穂高の岩場とは全く異なった、まるで地獄の山のような感じだった。これが御神楽岳で最も特徴ある水晶尾根の湯沢ノ頭だった(写真左)。
山頂まであと20mというところで、先行していた2人組が下って来た。前を歩いていた人が「ここはキツイですねぇ・・」と声を掛けてきた。私も確かにキツイと思った。私は予定していた時間よりもすでに30分も遅れている。
御神楽岳の山頂へ11時7分、ついに到着。ヤッター!!!
山頂には標識と方位盤、三角点があった。缶ビールを飲みながら方位盤で山座同定をしたが分からなかった。いやモヤって見えなかったのだ。
本来なら、北に飯豊山、二王子、五頭山などが見え、東に安達太良山や磐梯山、南に男体山、会津駒、会津朝日、尾瀬の燧などが見えるはずだが、ほとんど見えなかった。(見えても分からなかっただろうが)
しかし、眼下にある御神楽のシンボルともいえる水晶尾根と湯沢の頭を見ただけで、もう充分だった。これほど豪快で不気味な山、いや岩壁を見たことがない。穂高の滝谷も谷川の一の倉沢も遠くから見たが、いずれも黒々と光っていた。ここは白っぽくガレて見える。それゆえに一層不気味に見えるのだろう。
ここは「下越の谷川岳」と称されるが、それもうなづけると思った。これを見ただけで登って来た甲斐があった。
さて、ぼちぼち下ることにしよう。この広い山中に私一人しかいないと思うと落ち着かない。急いで下ることにしよう。
11時50分山頂発。
帰りは水晶尾根を左後方に見ることになる。ちょうどスラブに陽が差して来たので写真を撮りながら最後のピークまで行った。ここで水晶尾根とはおさらばして、ヤセ尾根を慎重に下った。
本名御神楽へ12時24分着。振り返れば今下って来たばかりの御神楽が日差しを浴びて眩しい。
避難小屋12時40分通過。熊打場12時53分通過。
杉山ケ崎へ着く手前で、ストックにぶら下げていた鈴2個を落としてしまったことに気が付いた。1個を予備にとっておけば良かったと思ったがもう遅い。せめてホイッスルがあるのが救いだった。ピッピッーと、うるさいほど吹きながら下った。どうせ誰もいないから迷惑にはならない。
右手後方に見える前岳が、登って来る時は上部にガスがかかっていたが、今はクッキリと見える。しかし潅木が多すぎて、なかなか写真が撮れない。(写真左)
左手の斜面も紅葉が見事だった。癒し系の紅葉を楽しみながら下って行った。
途中で数年前に痛めた右足の筋が痛み出した。スピードがガクンと落ちた。歯を食いしばって痛みに堪えながら下った。
小さな沢まで来て、水をガブガブ飲んだ。やっぱり沢水はうまい。それにここはいくらキツイとか、急登だとか言っても距離が短いのがいい。
八丁洗板の標識へ14時23分着。そのまま進んで行った。考えてみれば杉山ケ崎から下りで1時間かかっている。そこを休みなしで登ったのが今回のスタミナ切れの原因だと思った。
駐車場へ15時16分着。
帰りも只見から小出周りで帰って来た。山の紅葉が燃えるようで本当に見事だった。本名の宿の女将さんの話では、今年の紅葉は4、5日遅れているそうだ。それが幸いし、諦めていた紅葉もスラブも見ることが出来て本当にラッキーだった。