(1,617m、岐阜県・福井県) 168座
2009年6月13日(土)
自宅710−相模湖IC−(中央・名神)−1100恵那峡SA1140−1240大垣IC−R258−R21−R157−根尾村(泊) |
この山は日本百名山の著者である深田久弥氏が、「日本百名山」として目をつけていたという奥美濃の盟主である。
この山は、『養老2年、加賀白山を開いた泰澄上人が加賀白山の山頂から見渡した時この山が目にとまり、 白山権現の分祀を思いつき、開山して祠を祀ったと伝えられている』という。
山名は単に「白山」と呼ばれていたが、後に加賀の白山と区別するため、麓の地名である能郷(根尾村・能郷)を被せるようになったという。どおりでこの辺を「両白山地」という訳だ。
この山は岐阜県では最後まで雪が残るというので、どうせなら残雪がたっぷりある”白き山”の時に行きたいと思っていたが、天気やバイトの都合でこの時期になってしまい、もう“白き山”ではないかも知れない。
今日は山麓の根尾村泊まりなので急ぐこともないが、高速道路が土日祝祭日は1,000円ということで、どれほど渋滞するか分からないので7時10分に家を出た。大垣ICまでは東名でも中央でもほとんど時間は変わらないが、少しでも渋滞が少ない方ということで中央高速を選択した。
それが大正解だったようで順調に流れる。このまま行っては早すぎてしまうので恵那峡SAでゆっくりと昼食を摂った。
小牧JCT近くなって、やっと薄日が差して来た。
大垣ICからR258、R21を通ってR157へ入り、本巣市・根尾村を目指して行った。途中にあった電光掲示板に「只今の気温31°」というのに驚いた。この辺はフェーン現象でこんなに気温が上がってしまうのだろうか。
樽見駅前へ13時50分着。時間が早いので登山口の駐車場まで下見に行くことにした。まずは能郷のY字路を左折、標識が出ているが、真っ直ぐ行くと温見峠へ行ってしまう。
すぐに大きな鳥居が建った神社が現れる。能郷白山神社で能・狂言の舞台が目を引いた。
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能郷谷林道は手前のゲートは開いていた。ゲートからさらに進んで行くとダートでデコボコ道の急坂になり、とても四駆でなければ登れないような所の手前に車が2台止まっていた。ここが駐車場らしい。車は和歌山ナンバーとなにわナンバーだった。
車から降りて偵察に急坂を登って行くと、40〜50m先で道が分岐し、右手は大きな石があって車は入れない。左は少し下った所にゲートが見え、そこから登り坂の舗装された林道が延びていた。さて、明日はどっちを行けばいいのだろうか? 宿の主人に確認しなくてはいけない。
デコボコの急斜面の手前が駐車場 |
デコボコ道を登ると分岐している(登山口は右) (左手にも駐車可) |
2009年6月14日(日)
樽見駅近くの宿445−510能郷谷駐車場〜温見峠をめざすが通行止めで引き返す〜555能郷谷駐車場607〜登山道探し〜駐車場上のY字路635〜650登山口700〜729【@標高900m地点】743〜754林道〜820【A標高1160m地点】830〜前山〜1033【D1450m地点】1040〜1104山頂〜1115祠(昼食)1140〜1352登山口1405〜1415能郷谷駐車場 |
朝4時45分に宿を出た。どんよりとした空が気になる。能郷へ向かっているとポツポツと雨が落ちてきた。「まったく、ツイてないなあ〜」とボヤいていると、その雨は本降りになってしまい、駐車場へ着いた時は土砂降りで一歩も外へ出られなかった。
すぐに車が1台入って来た。車の窓から若者が顔を出し、「ここは温見峠の登山口ですか?」と訊いてきた。「ここは能郷谷の駐車場で、温見峠へはR157へ戻って左折する」と伝えると、彼はすぐに引き返して行った。
私は車の中で雨が止むのを待ったが、一向に止む気配はなかった。さりとてこんな大雨の中を雨具を着て登る気もしない。このまま帰ろうかと思ったが、温見峠からなら最短距離で登れることを思いついた。2時間程度で山頂へ立てるなら雨具を着てでも登ろうと思い、彼の後を追うように能郷へ引き返す。
再びR157へ出て左折して100mも進むと彼の車が止まっていた。何とそこから先は通行止めになっていた。彼としばし話し込む。雨はいつの間にか止んでいた。
もう一度能郷谷へ行こうという私の誘いに、大阪から来たという彼は、「もうメゲました。このまま帰ります」という。私もすっかり戦闘意識を失ってしまいこのまま帰りたいぐらいだが、後日、出直して来るのも面倒だ。気を取り直して再び能郷谷へ向かって行った。
駐車場には1台も車はなかった。こんな天気では出かけて来る人もいないのだろう。
身支度を整え、ここは熊がいるというので熊除け鈴をぶら下げ、ホイッスルを首からぶら下げて6時7分に出発した。もう雨の心配もないだろう。
急なデコボコ道を登り、宿の主人に聞いた通りY字路を左へ進んで行く。ゲートを抜け、舗装された坂道を登って行った。林道は沢からどんどん離れて行くのでおかしいと思ったが、宿の主人の言葉を信じて登って行った。しかし、林道は砂防堤で行き止まりになっていた。昨日、宿の主人が云ったことは間違えていたのだろうか。地元の人がウソを教える訳はないだろうから私の聞き違いだろうか。いずれにしても引き返すしかなかった。
トボトボと引き返し、やっと駐車場が見える所まで来ると、私が止めた車の脇に黒のワゴン車が止まり2人の姿が見えた。
やっとY字路まで戻って来た。30分もアルバイトをしてしまい、このまま帰りたいぐらいだったが、もう一度気を取り直して今度は右側のダートを登って行った。30〜40m程登ると舗装になり、やっと正規の登山道へ出たという安堵感があった。
それにしても今日は暑い。雨上がりで湿度が高くムンムンしている。もう汗だくだった。 |
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左手に砂防堤が現れるとすぐに右カーブとなり、その左手に登山口があった。やっと登山口へ着いて安堵した。ここで一服しながら水分を補給。 | |
登山口から20mほど行くと徒渉点があった。さっきの大雨で増水が心配だったが、全く問題なく靴を濡らすこともなかった。ここからいよいよ急登の始まり。道端に大きなユリの蕾があった。ササユリだろうか? |
登山口の看板には、『ヤブは刈ってあり道幅も広く道に迷うようなことはない・・・』と書いてあったが、徒渉点付近はヤブがあり、雨上がりのヤブでもう全身びっしょりだった。しかし、急な登りになると道幅は広くなりヤブもなくなった。
7時15分、やっと右手から薄日が差してきた。
ここは3合目までは急登が続くというが、驚くほどの急登ではなかった。どこにでもあるような登りで、ジグが切ってあるのでそれほど苦しい登りではないはずだが、今日は体調が悪いのだろうか。足がぜんぜん進まない。暑さもあってもうグッタリだ。
そもそも今日は朝から大雨に降られ、温見峠へ行こうと思えば通行止めで、再び登ろうと思えば違う林道を登ってしまい、トリプルパンチで気力もモチベーションも上がらないが、昨夜の寝不足も影響しているかもしれない。昨夜は作家の宇野千代が執筆したという「薄墨桜の宿」へ泊ったが、そこは釣り宿で襖一枚を隔てて太公望の宴会が11時過ぎまで続き、とても寝るどころではなかった。それが今になって応えてきたのかも知れない。
少し平らになった所に「@標高900m」の表示があった。そこから20〜30mほど行ったところで休憩。水分を補給する。もう200mlぐらい汗をかいてしまったような気がする。一服していると若夫婦が登って来た。私の車の隣へ止めたワゴン者の二人だった。
急登の始まり |
道端に咲いていたギンリュウソウ |
標識 |
ここからは稜線歩きのようになり、10分ほどで林道へ出た。「ここまで車で来られれば良いんだがなあ・・・」と、ついグチが出た。林道を20mほど歩いてまた登山道を登って行く。タニウツギの花がいっぱい咲いていた。
この辺は雨が降った気配はなかった。今朝の雨は局地的だったようだ。
「A標高1160m地点」へ8時20分着。20〜30mほど登ったピークで休憩。風が爽やかで心地よい。水分を摂って体温を下げなくてはいけない。どうも今日は体調が悪いだけではなさそうだ。余りにも暑いので脱水症か熱中症にでもなってしまったのかも知れない。
ここからは10mほど下り、また登りになった。道端にはアザミが大きな蕾をつけていた。近くでカッコウが鳴いていた。今年初めて聴くカッコウに少々励まされた。
この辺から前山が見えると聞いていたが、ガスのせいか見えない。これじゃあ、能郷白山も見えないかも知れない。
今日は本当に体調が変だ。時々、立ち止まっては死にかかった金魚みたいにパクパクする。
「B標高1330m地点」が見当たらず適当なところで休憩する。10分ほど休んでまたトボトボと歩き出す。ここは虫が多く、時々、全身に防虫スプレーをかけていく。
タニウツギ |
アザミ |
サラサドウダンと思う |
蝶 |
マイズルソウ |
サラサドウダン |
タニウツギやマイズルソウなどの写真を撮りながら小さなピークに立つと、正面に前山が見えた。驚くほどの山ではないが、とにかくここまで来たか・・・、という安ど感があった。