鋸岳 (のこぎりだけ)

(2,685m、山梨・長野)  137座

横岳峠と三角点ピークの途中から見た鋸岳。拡大写真は→こちら


釜無川林道ゲート〜鋸岳往復(2泊3日)

 Nさんとテントを担いで釜無川コースから鋸岳を登って来た。
 このコースは1泊2日で登る人が多いようだが、健脚は日帰りもしている。我々は初めから2日分の食料と酒を担いで行った。
 その2泊という時間的、精神的余裕が、実は緊張感を欠いたのかも知れない。1日目には釜無川を遡って林道終点へ行くつもりが、南沢の林道終点まで行ってしまった。何とも恥ずかしい限りである。

 2日目は、横岳峠に向かう途中、「富士川水源」の標識から道に迷い、廃墟となった伐採小屋付近でウロウロしてしまった。

2005年9月17日(土)

橋本600−相模湖IC−740双葉SA750−小淵沢IC−830釜無川林道ゲート840〜(途中散歩?)〜1430避難小屋(泊)

 朝5時40分に家を出た。近くのコンビニで弁当を買い、予備食のつもりで菓子パンを2ケ買って行く。
 6時に橋本駅前でNさんを乗せ、相模湖ICへ向かった。

 車中でNさんとテントをどこに張るかを相談した。当初の計画では横岳峠に張る予定だったが、2泊するなら何も重い荷物を担いで横岳峠まで登ることはない。結局、避難小屋へ張ろうということになった。

 中央高速からは久しぶりに南アルプスが見えた。鳳凰三山や甲斐駒、右手前方には八ケ岳が澄んだ空に聳えていた。

 小淵沢ICで降り、R20から武智温泉を目指して行く。目指す鋸岳が見えて来た。
 武智温泉を過ぎると林道のような細い道になった。時々、採石場のダンプが通る。

 小淵沢ICから15分か20分でゲートへ着いた。駐車していた車は6台。周りは砂埃で真っ白だった。駐車している車のフロントも埃が積もっていた。これでは帰りが大変だろうと思った。

(写真左:正面がゲート)

 準備を済ませて、8時40分に出発。
 ゲートを潜って、長い長い林道歩きが始まった。道は砂埃で靴がすぐに真っ白になってしまった。今日は天気が良いので、一層埃っぽく感じる。

 15分も歩くと工事現場があった。砂防工事ではなく崖崩れの補修をしているようだった。現場監督らしい人に頭を下げてそこを通らせてもらった。

 林道は、全体にだらだらした登りになっている。舗装がしてあったり、砂利道になったりを繰り返す。暑い日差しをもろに受け、時々、日陰があるとホッとした。

 最初の分岐があった。右側へ登って行く道と左へ下って行く道。ここは当然、釜無川を遡るのだから左の道を行く。ここは正解だった。

 途中に、人間が入れるほどの太い配水管が置いてあった。「あれなら雨宿りが出来るなあ・・」などと話し合い、 今日はこのまま行くと、テント場へ早く着き過ぎてしまい、ビールが足りなくなってしまうなあ・・、などと つまらなぬ心配をしながら歩いて行った。それがいけなかったのかも知れない。

 すぐに分岐が現れた。このまま真っ直ぐ行く道と、右手後ろから来た道がここで合流して右上に登っている道があった。左正面には立派な橋が見えた。
 真っ直ぐ行く道には車のタイヤの跡がいっぱいあったが、右側の道には見当たらなかった。ここは砂防ダム工事でダンプが通ると聞いていたので、タイヤの跡に釣られるように真っ直ぐ進んで行った。それが大失態となった。

 道は釜無川にかかった橋を渡り、どんどん沢から離れ、急斜面を登るようになった。
(中略)、ここからは恥ずかしいので結果だけを記すことにする。

 我々は、釜無川の林道終点だと思って休憩していると、何とそこは「南沢」の林道の終点だった。例えバカとアホの2人連れといえども、その落胆は計り知れぬものがあった。ガックリと力が抜けた。
 ただ、せめてもの救いは、今日は横岳峠ではなく避難小屋まで行けばいいということだった。時間は余るほどあった。

 ここで昼食を摂り、気を取り直して歩き始める。
 釜無川との分岐まで戻ってヤレヤレ。疲れがドーと出た。
 ここからはすぐに釜無川本谷第三砂防堰が現れ、次々と砂防堰が現れて来た。

 第五砂防堰の手前まで来た時、単独の青年が下って来た。彼に、
「横岳峠へ行く道が分かりにくいと聞いたが、大丈夫ですか?」
 と聞くと、
「私が昨日ここを登って来る時、下って来た人から、横岳峠へ行く道が迷いやすいからと教えられ、地図までもらったので大丈夫でした」。
 と言い、さらに、
「その人は、昨日、ピンクのリボンを付けて来た、と言ってましたからピンクのリボンを目印にすれば大丈夫だと思います」
 と言った。

 実はこの「ピンクのリボンを付けて来た」という一言が、我々を惑わすことになった。

 第六砂防堰は、砂防というより石か岩防という感じで、赤い鉄骨が等間隔に建てられていた。大きな石や岩を堰き止めるためなのだろう。いずれにしても変わった堰だった。

 その堰を過ぎると林道終点になった。ロープを伝って堰の上に登ると、さらに林道が伸びていた。
10分か15分も歩くとログハウス風の小屋が見えて来た。

(左の写真:手前中央に小屋が見えて来た)

 真新しい小屋で、ここが地図やガイドブックに書いてある飯場跡なのかも知れない。いずれにしろ、立派な小屋で、ベランダはウッドデッキのようになっている。そして、そこに「避難用にご使用下さい」と書いてあった。テントを張るには絶好の場所だった。

(避難小屋といっても登山者用の小屋ではありません。多分、伐採用の小屋だと思われます。小屋の中やベランダの二階は鍵がかかって入れません)

 我々がテントを張っていると、後から若い夫婦がやって来た。一度広げたテントをずらして、彼らのためにスペースを空けてやった。
 テントを張れば、あとは当然ビール・タイムである。ビールを開けて「カンパ〜イ!」

 夕方になって、さらに夫婦2組がやって来た。オバさんが来るより先に、「ここへテントを張らせて下さい。少しつめてくれますか!」と言って来た。もう1張り張ったらテントの出入口が塞がれてしまう。周りにはいくらでも張る場所があるというのに・・・。本当にオバさんはずうずうしい。
 すぐに旦那が「こっちにしよう」と諭すようにして、床下(高床になっている)へテントを張っていた。
(ここの床下は、多少の風を覚悟ならビバークも出来そうです。下は木材をスノコ状に敷いてあります)。

 Nさんと、沢の音を聞きながら酒を飲み、楽しいキャンプとなった。