大峰山(おおみねさん)    98座目

(1,915m、奈良)


狼平から弥山小屋へ向かう途中から見えた八経ケ岳。


天川川合〜八経ケ岳往復

2003年5月1日(木)

新横浜820−(新幹線)−京都−(近鉄)−大和八木−橿原神宮−下市口−(バス)−天川川合(泊)

 当初の予定では、新宿発の夜行バスで出掛け、天川川合から行者還(がえり)トンネルの登山口までタクシーで行く予定だったが、10日ほど前になって予約していた弥山小屋から、「行者還トンネルへ行く道路が崖崩れで通れなくなってしまったが、どうされますか」、という連絡を受けた。

 その時は、「川合から歩きますよ」と気楽に答えたものの、行者還からなら3時間のコースであるが、川合から登るとなると6時間以上はかかるため、川合へ1泊することにした。

 そんな訳で今日は天川川合へ行くだけである。朝、新横浜8時20分発の新幹線に乗って京都へ向かった。天気は快晴。車窓から富士山も見えた。
 京都駅で早めの昼食を摂ってから、近鉄で八木へ向かう。八木から橿原神宮へ出て、さらに吉野線に乗り換える。吉野口駅を過ぎると、次第に山間部へ入って行く。車窓から新緑がまぶしかった。

 下市口駅前でパンを買ってバスを待つ。暇そうなタクシーの運転手がどこまで行くのかとさかんに聞く。
 バスは市街を抜けると、山をうねりながら登って行く。すると山の上に民家がポツンポツンと現れてきた。どうしてこんな山の上に人が住んでいるのだろうか、と不思議に思いながらも、きっと修験者が住み着いたのだろうと思った。

 天川川合は山間の小さな町だった。宿に荷物を置いて登山口を確認しに行ったが、入口だけ確認して戻って来た。

 宿へ戻ってからオバちゃんに、弥山へ登る登山道について尋ねると、正面に見える鉄塔が建った山を登って奥へ進んで行く、と教えてくれた。正面に見える山は、針葉樹林の急登だが、鉄塔まで30分か40分ぐらいだろうと思った。

(正面手前の山を登って行く)


2003年5月2日(金)

天川川合(宿)555〜630鉄塔〜903栃尾辻920〜1140狼平1222〜1332弥山小屋1342〜1415八経ケ岳1440〜弥山小屋(泊)

 朝5時55分に宿を出発。すっかり明るくなった空は、今日も青空が広がっていた。ただ山間の町はまだ陽が差さない。
 吊橋を渡り、民家の後ろから山道を登って行く。杉林の中はまだ薄暗い。
 金網で土留め用に作った階段が急登で、一気に絞られた。

 20分ほど登ると支尾根へ出た。そこで呼吸を整えていると左手の山上から、眩しいばかりのお天道様が顔を出した。嬉しい。5月の連休にこんな好天に恵まれたのは久しぶりのような気がする。

 ここからは、薄日が差し込む明るい杉林になった。道も金網の階段ではなく普通の登山道になり登りやすくなった。

 そしてガレた急登を過ぎると、すぐに鉄塔が2つ並んだ見晴らしのいい所へ出た。6時30分着。
 そこで正面(東側)に見えたアルペン的で水墨画のような山容に釘付けになった(写真左)。鋸歯状のあの山が山上ケ岳だろうか。写真を撮ってから地図を広げて見ると、どうも山上ケ岳ではなく稲村ケ岳のようだった。

 今日は実に静かだ。前にも後ろにも人陰はない。昨日泊まった宿も私一人だけだったので、川合へ泊った客が後からゾロゾロ登って来るとは思えない。それとも、これからマイカー組がドーと押し寄せて来るのだろうか。


 7時58分、宿を出てから2時間ほどたった時、林道へ出た。こんな所まで車が入るのかと思うとガッカリした。その林道を4、50mほど歩いた所に工事用と思われる軽トラが1台止まっていた。しかし人陰はない。マイカーが無くてホッとした。ここまでマイカーで登って来られると、汗水流して登って来た者がアホみたいだから…。

 左手に再び登山道が現れたのでここで一服することにした。

(林道から見た稲村ケ岳。下りに撮った写真)

 途中で珍しい鳥を見た。ハトより一回り小さく、胸全体が緑色をしている。まるで南国にいる鳥のように美しかった。その鳥は、「ヒョー」と変わった鳴き方をした。

 笹が多くなり、スギやヒノキも背丈が低くなって来た。ピークを登り切ると下りになったので、もうすぐ栃尾辻かと思ったが、そこを下るとまた林道があった。こんどは林道を歩かずに済んだが、こうして途中に林道があると気が抜けてしまう。

 ピークを2、3越えると、左手から沢の音が聞こえて来た。せせらぎを聞くだけで冷たい沢水がうまそうに感じる。
 ここから、なだらかな尾根道を行くと栃尾辻の避難小屋があった。9時3分着。
 小屋は古ぼけた小さな掘っ建て小屋で、とても中へ入る気はしなかった。

 外で一服していると、上から下って来る人がいた。今日、初めて人に会った。50代の人で、私の隣へ座り込んだ。
 空には紺碧の空が広がっていた。今までスギやヒノキの針葉樹林帯の中を、もくもくと歩いていたので気づかなかった。
 大阪から車で来たという彼から、昨夜の弥山小屋の宿泊者が30人位だったことや、缶ビールが600円であることなどを聞いた。たとえ600円でも缶ビールがあればいい。

 避難小屋、9時20分発。
 この避難小屋からは落葉樹林になり、日当たりも風通しも良くなって来た。
 しばらく行くとブナ林になった。ブナはやっと新芽が伸びたばかりで新緑には少し早すぎた。
 太いブナ林の急斜面を登り、さらに東側に回り込んで登って行くと、今度はヒノキと雑木になった。

 正面にひときわ高く、ピラミダルな山容をした頂仙岳が立ち塞がるように見えてきた。ひとつ手前のピークで一服。あれを越えるのかと思うとウンザリした。

 空には、いつの間にか白い綿雲が所々に浮かんでいた。
 私が一服していると、お父さんと中学生ぐらいの女の子が通り過ぎて行った。どうも地元の人らしい。その後から60代前半のオジさんが一人通り過ぎて行った。

 頂仙岳は、山頂へ登らず途中から右へ巻いて行くようだが、それにしてもシンドそう。ここで気合を入れ直して歩いて行く。
 5分も歩くとさっきのオジさんが休んでいた。このオジさんは今日中に往復するという。見るからに健脚とは思えない。本当に日帰り出来るのだろうかと心配しながらも、ここは距離は長いがピークはほとんど巻いているので、あのオジさんでも何とかなるかも知れないと思った。

 左手から沢の音が聞こえて来た。つまり狼平が近いことを意味する。
 左手の沢音ばかりを気にして下って行くと、突然、目の前に小さな沢があった。とにかく荷物を置いて沢水をゴクゴク飲んだ。そして、そこから1、2分下ると眼下に狼平の避難小屋が見えた。

(写真右は狼平)

 そこは、パッと開けた高原のような所で、渓谷もあり、バーベーキューでもやりたくなるような所だった。
 吊橋を渡り、真新しいログ風の小屋へ入って行くと先客が2人いた。あまり大きくはないが、こんなきれいな小屋なら泊まってみたいと思った。
 小屋着、11時40分。

 私は外で昼食にすることにした。日差しが強く少々暑かったが、やはりお天道様の下がいい。
 さっそくテルモスのお湯で味噌汁を作ってオニギリで昼食。食後のコーヒーを飲んでいると4、5人が登って来た。ここは清流があり、景色もいいので昼食にする人が多いようだ。

「今日中に往復する」と言っていたオジさんも、小屋で食事をしてから荷物を置いて空身同然で登って行った。私もぼちぼち出かけるとしよう。12時22分発。

 ここからは、厚手のシャツを脱いでザックにくくり付けて行く。木製の階段を一歩一歩登って行く。立ち枯れが目立つ林の中の急登である。
 30分ほど登った時、帽子を忘れて来たことに気づく。しかし、もう引き返す気にはなれない。明日、拾って帰ろう。

 途中で下りの青年2人に会った。彼らに、「弥山(みせん)はどれかねぇ‥」と尋ねると、「これが弥山ですよ」と言って今登っている山の左上を指差し、さらに、「あれが八経ケ岳です」と右側を指さした。私は思わず、「あれが八経ケ岳! つまらん山だねぇ‥」と言ってしまった。
 近畿地方で一番高いという八経ケ岳は、もう少しカッコいい山かと思ったが、何の変哲もない森林に覆われた山だった。

 一般的に大峰山とは山上ケ岳をいう。いまだに女人禁制の山である。しかし「山と渓谷社」が、日本百名山のガイドブックにその連峰の最高峰である八経ケ岳を記したため、今や百名山病にかかった重症患者は、あの「何の変哲もない山」を目指しているのである。

 そこから5、6分も歩くと視界がパッと開け、そこに鳥居があった。そして、その奥に弥山小屋が隠れるように建っていた。弥山小屋13時32分着。

 小屋は新築してまだ間がないような立派な小屋だった。さっそく宿泊手続きを済ませ、缶ビールを買い、アタックザックにカメラと一緒に詰め込んで八経ケ岳へと向かった。13時42分発。