大峰山−2/2


(小屋前から正面に見える八経ケ岳)

 小屋から立ち枯れが目立つ林の中を下って行くと、突然、シカが現れてビックリした。昨日、宿のオバちゃんが、「ここにはクマもシシもいる」と言っていたが、せめてクマやイノシシでなくて良かったと思った。

 八経ケ岳の山頂(写真右)には先客が2人いた。14時15分着。彼らにシャッターを押してもらった。

 大普賢岳や山上ケ岳は、少しガスがかかってしまいボンヤリとしか見えなかったが、アルペン的で、さすがに山伏たちの道場にふさわしい山だと思った。そして、私も登ってみたいと思った。

 二人連れは日本百名山のガイドブックを広げ、「明日は大台ケ原へ行くんですが、ここから見えますかねぇ‥」、と私に聞く。
「多分、あっちの方向だろうねぇ‥」と言って東側を指差したが、もう完全にガスに隠れていた。

 大峰山はこの八経ケ岳よりも稲村ケ岳や山上ケ岳、大普賢岳の方がはるかに魅力的だった。どうせ登るならそれらの山に登りたかったが、日本百名山もこれで98座になったことで満足した。

 二人連れも、後から登って来たご夫婦も下ってしまった山頂で、一人缶ビールを飲みながら視界が良くなるのを待った。

 この山頂から南へ下ると釈迦ケ岳というのがあり、その登山口の一つに十津川村というのがある。西村京太郎の刑事物で「十津川警部」が出て来るが、「十津川警部」とはこの村の名前を付けたのだろうか、などと勝手なことを考えていた。

 山上ケ岳方面はいっこうに良くならないので引き返すことにした。14時40分発。
 小屋の前まで戻り、そのまま弥山へ行ってみた。弥山の山頂には、かなり由来のありそうな古ぼけた神社があった(写真右)。

 今日の宿泊者は、200人も泊まれそうな大きな小屋に30人ぐらいだった。


2003年5月3日(土)

弥山小屋620〜654狼平〜843栃尾辻〜1111天川川合登山口−下市口−京都−新横浜

 朝4時に横浜から来たという男女4人組が前鬼(ぜんき)へ下るといって出かけて行った。私は4時半になるのを待って、布団から抜け出して外へ出た。どこかご来光が見える場所はないかと小屋の周りをウロウロした。この辺は樹林が多く視界が悪いが、やっと東の空が見える所を探しあてた。

 一旦、小屋へ戻ってカメラを持って日の出を待った。オレンジ色に染まった空に朝日が昇る。久しぶりに完璧なご来光を見ることが出来た。
 それに昨日は良く見えなかった大普賢岳や山上ケ岳などもクッキリと見えた。あの山は、いつの日か必ず縦走しようと思った。

 小屋の朝食は6時からなので、出掛ける準備を済ませて待った。しかし、部屋にはまだ寝ている人がいるので落ち着かず、食堂は鍵がかかって入れない。寒さに震えながら廊下で待った。

 6時20分、朝食を済ませて小屋を出発。
 昨日、帽子がないことに気づいた場所から、帽子を探しながら下った。

 狼平へ6時54分着。やはり下りは楽でいい。昨日、昼食を摂った所にも帽子はなかった。避難小屋の前で3人が朝食を摂っていた。私は挨拶をして通り過ぎた。
 小さな沢の所まで来て帽子を探したが、そこにもなかった。仕方がない。帽子は諦めよう。ザックを置いて沢水を飲んで一服。

 頂仙岳を左に巻いてブナ林を下って来ると、道端に枯れ枝を立て、その枝に帽子がかぶせてあった。まぎれもなく私の帽子だった。ありがとう。感謝!感謝!。ここは昨日、頂仙岳を前に休憩した場所だった。こんな所に忘れたとは夢にも思わなかった。

 下りは早い。アッという間に栃尾辻へ着いた。8時43分着。ここへ来るまでに7、8人とすれ違った。今日から3連休なので人出が多く、今日の弥山小屋の予約者は200人位だという。

 ここからも登って来る人が多かった。ざっと7、80人はいただろうか。
 登山口へ11時11分着。
 吊橋を渡って4、5軒先の旅館のようなところで、「お風呂だけ入れます」という看板が目に入り玄関をくぐる。まだお風呂は沸いていないという主人に、シャワーだけ使わせてもらい、近くの食堂で食事をしてから12時38分のバスで帰路についた。