大 山 (おおやま)

(1,252m、神奈川県)

相模原市郊外から見た大山

2012年2月28日(火)

大山BT〜(男坂)〜阿夫利神社下社〜(本坂)〜大山〜見晴台〜大山寺〜大山BT

713伊勢原−808大山バス停〜(こま参道)〜追分〜(男坂)〜911阿夫利神社下社925〜(本坂)〜1008かごや道分岐〜1028富士見台〜1052ヤビツ峠分岐〜1108山頂(昼食)1145〜1240見晴台1250〜1315下社〜(女坂)〜1329大山寺1332〜1403大山バス停

 今月は石老山、高尾山に続いて大山である。
 大山は我が家からも見える山で、朝な夕なに眺めている、言わば「おらが山」のようなものである。初詣に行ったり、清掃登山ではもう10年以上も登っているが、今まで一度もレポートしていなかったのは不覚であった。
 そこで今回は、初めて登る方のためにも、しっかりとレポートしようと思う。

 まず大山は、「丹沢大山国定公園」に属し、丹沢山塊の東端にある独立峰である。この山は東京都心からも良く見え、昔は江戸湾を航行する船が、奥多摩の大岳山と共に目印にしたというほど際立っており、ピラミッド型の美しい山容を見れば誰でも一度は登りたくなるに違いない。

 大山は、またの名を雨降山「あふりやま」という。相模湾から吹き寄せる風によって雲や霧が生じ、雨を降らすことからこの名が起こったといわれている。
 そのため、大山は雨乞いに霊験あらたかな山とされ、古来より山嶽神道の根源地とされてきた。

 江戸初期には、春日局が家光を世継ぎにと駿府の徳川家康に直訴した時、この大山寺にこもって祈願してから駿府へ向かったという。さらに大阪夏の陣の戦勝を謝するため家康の代わりに代参したり、家光が将軍になった後も家光の子授け祈願に参詣したり再三参詣しているという。

 三代将軍家光が18万両の巨費を献じて大山寺の増改築を行い、その後「大山不動参り」が江戸大衆に広まったといわれている。

 大山といえば「大山詣り」や「大山街道」などが思い浮かぶ。我が家の近くにも「大山道」の石柱があるが、国道246の別称が「大山街道」であることを知っている人は意外と少ない。

 そんな歴史を持つ山が近くにあるとは嬉しいではないか。ぜひ一度は登ってほしいと思う。

 清掃登山では、ヤビツ峠から大山、下社しもしゃのコースを歩いているが、今日は表参道を歩くので、小田急線の伊勢原駅で降りた。

 伊勢原駅前には大きな鳥居が立っている。いかにも門前町という感じがする。

(写真左:伊勢原駅からの大山)
(写真手前:伊勢原駅前の鳥居)

 ここからバスで揺られること約30分、大山ケーブルのバス停へ着いた。8時8分着。
 近くの自販機で缶コーヒーを買って一服。出発前に水分とニコチンを補給して行く。

 ここからは両側にお店が並んだ石段を登って行く。ここは大山名物のコマを売る店や食堂などが並び、「こま参道」と言われているそうだ。

 今日はまだ朝が早いので閉まっている店も多い。

 ケーブルカーとの分岐まで登り、右にケーブルカー駅を見送ってそのまま真っ直ぐ階段を登って行く。
 すると2分ほどで、階段の途中に男坂と女坂の分岐が現れ、「右:阿夫利あふり神社、左:不動大明王」と書かれている。私は右手の男坂を登って行った。
 ここからは石段が急になった。気合を入れないと足が上がらない。

 やっと三町目の石柱があった。丁目ではなく町目である。ここからも急な石段が続く。しかし、所々に踊り場があるので助かる。ケーブルカーが出来るまでは、参拝者はこの男坂か女坂を登ったのだろう。江戸時代の参拝者もここを登ったと思うだけでロマンがあった。
 自然石を組み合わせた急な階段は、どこかの城跡でも登っているような気がする。
 さらに登って行くと近年造った鉄板の階段も現れた。

 石段はまだまだ続く。実はこのような急な石段が山頂まで続くのである。

 やっと尾根へ出た。そこは15町目だった。そして広く開けた所に東屋やテーブルなどがあった。
 そこから4、50mで女坂と合流し、さらに4、5分でケ−ブルカーの道と合流。綺麗な石段を登って阿夫利神社下社へ9時11分に到着。
 まずはお賽銭を入れて参拝する。ここは下社であって本社(上社)は山頂にある。


(女坂との分岐:左が女坂)

(ケーブルカー駅との分岐)

(大山阿夫利神社)

 山頂には山の神・水の神、産業・海運の神、さらに摂社せっしゃ(縁が深い神)などが祀られているというが、「ウイキペディア」によれば、
『これらはすべて明治になってから神仏分離の際に祀られるようになったものであり、江戸期以前の神仏習合時代には、本社には本来の祭神である石尊せきそん大権現(山頂で霊石が祀られていたことからこう呼ばれた)が祀られていた』
 と書いてある。

 聞くところによれば、その神仏分離まではこの場所に大山寺があり、春日局や江戸の庶民がお参りしていたのは、大山寺の不動明王と山頂の石尊大権現であって、今の神様とは違うという。
 せめて、帰りに春日局が祈ったという大山寺の不動明王をお参りして行こう。

 ここには本殿の下に名水がある。せっかくなので巡拝道を潜って神泉を頂いていく。

 この巡拝道を出た右側に、「摂社 浅間社」がある。大山は富士山と縁が深いが、その縁を聞いて驚くなかれ。大山と富士山は父娘の関係で、大山が父で富士山が娘だという。

(写真右が摂社・浅間社と案内板)

「富士山本宮浅間大社」のHPにも、
『大山の本社に祀ってある大山祗大神(おおやまつみのかみ)の御息女を祀っている』と書いてある。

 さらに、ウイキペデアには、
『富士講による富士山への参詣者も大山道と同じ道筋を通ったことから、一部の道には「ふじ大山道」という名称も見られた。
 富士山への参詣者も必ず大山にも参詣するのが通例となっていたという』と書いてある。
 たとえ日本一の富士山とはいえ、娘だけにお参りするのは片手落ち、ということなのだろう。

 私は昔、「富士山と立山(雄山)、穂高岳が三角関係にある」、という話を聞いたことがあった。立山と穂高は男の神様、富士山は女の神様を祀っており、立山と穂高からは富士山が見えるが、男同士の立山と穂高は見えないという。
 そんな三角関係をお父さんの大山が知ったらどうなんだろう。「こら!立山と穂高! うちの娘に手を出すな!」と言ったのだろうか。

 ここは紅葉の時期は大勢の人で賑わうが、今日は参拝者もなく寂しい限りだ。
 ここから山頂へ登る登拝門は片開きになっている。これは古くから大山全体がご神体で、夏の山開き大祭(7月27日〜8月17日)期間以外は固く閉ざされていたことが、今も継承されているからだという。

 その片開きの登拝門の手前に「1丁目」の石柱がある。山頂が28丁目である。


(紅葉の時期は綺麗だ。Aさん撮影)

(片開きの登拝門)

(1丁目の石柱)