石老山 (せきろうざん)

(694m、神奈川県)


石老山は巨大な奇岩や怪石がゴロゴロしている。


2012年2月10日(金)
相模湖病院前P〜顕鏡寺〜石老山〜大明神展望台〜相模湖病院前P

自宅−(R413-R412)−830登山口855〜913顕鏡寺〜953融合平見晴台1015〜1030石老山1045〜1123大明神山(昼食)1151〜1157大明神展望台1210〜1226林道〜1332駐車場

 この山は相模湖の南東にあり、我が家から相模湖インターへ行く時、いつも大きな登山口の標識が目に留まり、あの山は「いしろう山」と読むのだろうか、「いしおい山」だろうかと気になっていた。正しくは「せきろうざん」と読むことを最近になって知った。

 相模湖観光協会のHPによれば、
『石老山は第3紀地層の礫岩が全山に分布して、巨大な奇岩、怪石に富んでおり〜関東百名山にも選ばれている。
 山の中腹には顕鏡寺けんきょうじという古義真言宗の寺があり〜、この寺は平安朝の初期、高家の宮人が恋のかくれやであったものを、のちに宮人は発心して寺を建立したと伝えられている』 と書いてあった。

 そんなロマンチックな伝説のある山が、同じ市内(相模湖町は相模原市と合併)にあるなら登ってみようか、という気になった。
 S先輩に「トレーニングのつもりで出掛けませんか」と声を掛け、一緒に行くことになった。

 先輩と登山口の相模湖病院の駐車場で9時待ち合わせ。渋滞を心配して早めに家を出たが、心配したほどの渋滞もなく30分も早く着いてしまった。先輩もすぐに到着した。

 駐車場は、「病院用」と「登山者・参拝者用」に分かれており、「病院用」は10台以上も止まっていたが、「登山者用」はまだ1台しか止まっていなかった。
 駐車場から20mほど戻った所が表参道の入り口で、「石老山」と書かれた大きな石碑があった。
 車を止める時は、病院の駐車場の一角を使用させてもらっているようで肩身が狭かったが、何のことはない。昔からあった表参道の隣に病院を建てただけなのだ。
 8時55分出発。
 病院の前の広い道を進み、2、3分ほどで左の森林地帯へ入って行く。苔むした、いかにも歴史を感じるような石段を登って行く。
 すぐに大きな岩が現れた。案内板に「滝不動」と書いてあった。滝?、良く見ると右手に壊れた石仏があり、その奥に岩の隙間から滴のようなモノが落ちていた。

 案内板には、『岩屋の前の大石の上に石像があり、悪魔を降伏させるような顔相である。この石像に岩上から滝がふりかかるので、これを滝不動という。昔は水量も多く参詣人がこの滝の水を浴び身を清め祈願したといわれている。今は石像は壊れ、顔相だけになっている』と書かれていた。

 その滝不動を左から巻くように石段を数段登ると、城壁のようなデカイ岩が横たわっていた。まさに一枚岩の壁で、案内板にも「屏風岩」と書いてあった。高さ約4.5m、横幅約7mだという。
 その屏風岩のすぐ後ろ側に、今度は岩の上に石仏が立っていた。「仁王岩」と書いてあり、『〜この場所は昔、仁王門があった場所ともいわれ、仁王岩の名がついたと思われる』と書いてあった。
 さらに巨岩が続く。二階建ての家ほどもある巨岩が現れ、さらに一回り大きな岩も現れた。

 もう顕鏡寺の赤い屋根が見える。
 今度は「駒立岩」という巨岩が現れた。案内板には、
『〜山中最も有名な巨岩で、伝説も秘めている。
 石老山顕鏡寺建立の始まりで、京都、高家の宮人みやびと三條殿の若君武庫郎むこをと八條殿の姫君が、今から1千年の昔、名馬にまたがり住居とする岩窟がんくつを探す時、この岩で休憩したといわれ、岩には馬の蹄や寝た跡がある。

 岩の大きさは、高さ11m、横幅17mである』
 と書いてあった。

 とにかく、岩がデカイくて驚く。
 それにしても、なぜこんな巨岩があるのだろうか。日本百名山の著者、深田久弥氏は、瑞牆みずがき山を『森林の中に岩がニョキニョキ生えているようだ』と言ったが、ここは巨岩がゴロゴロしている。 溶岩がそのまま固まったようだが、噴火の跡など全くなく本当に不思議だ。

 実は相模湖観光協会のHPに、この山は「第3紀地層」と書いてあったのを思い出し、家へ帰ってからネットで「第3紀地層」を調べてみると、何と6,430万年前から180万年前だという。道理で噴火の跡など無かった訳だ。

 その後も「文殊岩」などがあった。

 顕鏡寺の石段を登ると、大きな杉の木があった。樹齢400年で、巨大な根が大蛇が寝そべっているように見えることから、「蛇木杉」というそうだ。

 顕鏡寺の前には石仏などが並んでいた。ここで手水舎の冷たい水を飲んで行く。
 すぐに岩窟が現れた。この岩窟は『道志法師、源海法師が住居とし、これを道志岩窟という』と書いてあった。
 さらに、『岩の大きさは、高さ約7m、横幅約12m、岩窟の中の奥行約5m、横幅約5m、高さ約2m』だという。

 今でこそ周りにブロックが積んであるが、当時はなっかっただろう。こんな所で修行した僧侶は凄いと思った。
 この岩窟の脇にある赤い鳥居を潜って行く。鳥居には「飯綱」と書いてあった。長野県の飯綱山と何か関係があるのだろうか。
 鳥居から1、2分も登ると蓮華岩が現れた。高さ約3.5m、横幅8mだという。
 蓮華岩からやや登って右側奥に、直立した天狗の鼻のような「大天狗岩」があると書いてあったが、どう見ても天狗の鼻には見えなかった。
 さらに5分も登ると、鏡岩という巨岩が横たわっていた。「平面が鏡のようであり、朝日を反射し光を放つようであり、鏡岩と名付けたといわれる」と書いてあり、「岩の大きさは高さ約23.5m、横幅約18m」もあるという。
 近くには「小天狗岩」というのもあるそうだが、分からなかった。
 そこから5分ほど歩くと、目の前に巨岩が立ちはだかってきた。大きな岩が並んでおり、手前の岩が吉野岩(別名:弁慶の力試岩)だという。岩の中央に拳の跡が2つあるという。
 吉野岩の淵を進んで行くと、絶壁の下に赤い神社が建っていた。案内板によれば、飯綱権現神社だという。これで顕鏡寺の鳥居にあった「飯綱」の意味が納得できた。
 この神社を覆いかぶさるように突出している岩が擁護ようご岩で、石老山で最も大きい岩だという。
 そこから1分ほど歩くと少し開けた所に、石が2つ重なっていた。何の変哲もない普通の石だが、これは「ためし岩」で、昔、腕のたつ武士が刀でこの岩を試し切りしたと伝えられているという。ちょっと信じがたいが、あくまでも伝説である。