先客の男性も大日岳まで行くというので、一緒に行くことにした。(8時35分発)
山頂直下の深仙宿分岐まで戻り、そこから深仙宿をめざしてぐんぐん下って行く。こんなに下ってもったいないと思った。帰りの登り返しが思いやられる。
周りの木はシロヤシオだろうか。いずれにしてもまだ芽が固い。
しばらくすると、大学生らしい7、8人のパーティーが登って来た。
(大日岳が見えて来た) |
(眼下に小屋も・・) |
大日岳がやっと正面に見えて来た。そして眼下に小屋の屋根が見えた。それにしてもこんなに下らされるとは思わなかった。深仙宿へ9時3分着。 |
(釈迦ケ岳の大きな岩) |
手前にあった小屋が避難小屋で奥がトイレかと思ったが、手前はお堂で奥が避難小屋だった。お堂の前には奥駈道を歩いているという5、6人が休んでいた。
避難小屋の前から釈迦ケ岳を見ると、大きな岩が凄かった。この岩にはすべて名前が付いているらしいが、私が持っている地図には載っていなかった。 いよいよここから大日岳へ向かって登って行く。 2、3のピークを直下で巻きながらアップダウンを繰り返し、いよいよ大日岳本峰の登りになった。 |
ここで釈迦から一緒に来た相棒が先に登って行った。しばらくすると彼が立ち止って、「こっちは行けないよ〜!」という。右手にも赤いリボンがあったので右手の道を進んで行った。
すると凄い登りになった。所々にリボンがあるものの、岩と木の根がミックスした急登である。しかも最近歩かれたような感じはしない。どうみても廃道のようだ。それに、大日岳は鎖があると聞いていたが、その鎖もない。必死で登って行った。 |
我々は鎖場を登らず、巻き道を進んで反対側から登ってしまったらしい。しばらくすると足元から一気に落ちている鎖場を攀じ登って来る一人の青年がいた。3人で写真を撮りあった。
ここから見る釈迦ケ岳が立派だ。古田ノ森から見た独特の山容とは違い、見るからにピラミダルな山容をしている。ここまで来た甲斐があった。
(山頂の大日如来像) |
(大日山頂から見た釈迦ケ岳) |
下りは鎖場を下ることにした。私が最初に降りた。上から見下ろすと垂直のように見える。しかし、鎖がしっかりしているので安心感があった。
(鎖場を見下ろす) |
(下から見上げる) |
深仙宿の避難小屋へ戻って一服。しかし、釈迦から一緒に来た相棒が降りて来ない。でも鎖場は間違いなく下ったので心配はないだろう。
深仙宿から分岐まで登り返しを覚悟していたが、お堂のすぐ脇から巻き道があるはずなので注意して探すと、赤いリボンがあり、しっかりした踏み跡があった。これで山頂直下まで登り返さなくて済む。「あ〜良かった!」
その巻き道は釈迦ケ岳をトラバースする道だが、水平歩道ではなく、わずかな登りになっている。思ったよりシンドイが、山頂直下の分岐まで登り返すよりはいい。
後ろから人が付いて来た。釈迦から一緒だった人かと思ったが、別のオジさんだった。
途中に朽ちかけた丸太の橋があり、綺麗な水がチョロチョロと流れていた。
やっとキャンプ場がある尾根へ出た。ここには分岐の標識はない。ここからは今朝登って来た道を下って行く。すぐに千丈平へ着いた。
ここからは登って来る人に続々と会った。こんなに人気があるとは思わなかった。もっとも最短距離で釈迦ケ岳へ立てるのでハイキングにはもって来いなのだろう。
途中で、今朝は釈迦も大日も逆光だったので下りに撮ろうと思っていたのを思い出し、写真を撮りまくった。光線の具合もちょうどいい。
古田ノ森のピークで一服していると、深仙宿から私の後ろを歩いていたオジさんが到着した。オジさんもザックを置いて一休み。この御仁は釈迦を登って、わざわざ深仙宿まで水を汲みに行ったという。深仙宿には岩から滴れる「香精水」という水があり、通称「釈迦水」と呼ばれているという。私はその水場には全く気付かなかった。
ここから見る釈迦ケ岳は木の一本一本まで見えた。大日岳もすばらしい。良く見れば深仙宿の小屋まで見えた。
(古田ノ森からの釈迦ケ岳) |
(古田ノ森からの大日岳) |
ここから少し下った所から振り向くと、釈迦ケ岳と大日岳が並び立って見え、ツーショットが撮れた。
ここからは一気に駈け下りた。駐車場へ12時23分着。
駐車場には路肩へ止めてある車を含め、20台以上もあった。ここで民宿で作ってもらった弁当を食べてから、帰路に就いた。(帰りは法隆寺ICへ出た)
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