塩見岳(しおみだけ)    36座目

(3,047m、 静岡県・長野県)


北荒川岳と北股岳の間から見た塩見岳


北岳・間ノ岳から続
広河原〜右股〜北岳〜間ノ岳〜塩見岳縦走

1995年8月1日(火)

熊ノ平小屋〜塩見岳〜三伏峠小屋(泊)

 朝食は5時からの予定だったが、4時半を過ぎても主人が起きてこなかった。私は4時頃起きてしまったので、外で湯を沸かしてモーニングコーヒーを飲んでから、いつでも出かけられるように準備を済ませておいた。早立ちの人は朝食を頼んでおきながら、主人が起きてこないので、朝食を摂らずに出かけた人もいた。

 5時近くなってご婦人が主人を起こしに行った。あわてて起き出したご主人。片手で目玉焼きを作り、もう片方でキャンセルの人に千円札を返却している。半分以上の人がキャンセルして出かけて行った。

 私は一番のりで朝食を済ませ、それから出発した。10分か20分も歩くと、朝食をキャンセルした人達が、休憩しながらパンやお菓子などを食べていた。結局、朝食を抜いて出発した人も、朝食を済ませて来た人もほとんど一緒になった。

 登山道は稜線を通らずに山腹を巻いていた。森林地帯の中を歩いて行くと途中で稜線へ飛び出した。遠くに塩見岳が見えた。しかし、塩見まではまだまだ遠い。

 ここから再び稜線を巻いていく。森林地帯をモクモクと歩く。この辺には新蛇抜山があるはずだが、どこを歩いているのか分からなかった。

 ハイマツの斜面を登ると北荒川岳へ出た。ここは塩見岳の展望台だった。足元から切れ落ちた南荒川谷の大崩壊を隔てて、塩見岳のバットレスが目の前に迫って見えた。思わずバンザイしてしまった。

 ここに「北荒川岳」と書いた小さい標識が立っていた。それをバックに写真を撮り合った。

 ここからも稜線上は通れなかった。道が崩れて無くなっていた。一旦左の斜面を下ってから、稜線沿いに作られた新しい道を進んで行った。ここもダケカンバなどが生えていたが、所々に高山植物なども咲いていた。

 途中に水場があるはずだったが、今年は涸れていたのか、それとも気付かずに通り過ぎてしまったのか、水場らしいものはなかった。

 いよいよ塩見岳の登りになった。まずは塩見の衛兵のような左手のピーク(北俣分岐)を目指して登って行く。稜線が長々とつながって見える。かなりの急登だ。それに、ここは足場が悪い。急登でありながらガレているため足場が全くない。時々、両手を付いて登った。それでも重い荷物を背負っているので、足がズレ落ちそうだった。幸い、ここ2、3日雨が降っていないので何とか登れたが、雨の日の登りはしんどいだろうと思った。

 もし、ここを下りにとったら大変なことになる。雨の後だったら命がけの下りになるだろう。私は絶対に下りたくないと思った。最初はここを下る計画だったが、山岳部から『逆コースの方がいい』とアドバイスされて変更したのが今になってよかったと思った。

 何とか無事にピークにたどり着いた。ここは北俣岳分岐となっているが、北俣岳よりも高い。ここまで来れば、もう塩見岳は登ったようなものだ。このピークからは目の前にドーンと塩見岳があった。まさに鉄兜のような独特な山容の塩見岳である。ここからは何もさえぎるものはなかった。

(写真の左側のピークが東峰・最高峰→拡大できます)

 ここから一旦下って登り返した所が、塩見岳の最高峰である東峰である。その東峰のデベソの直下まで行くと岩場になっていた。その岩場をよじ登ると8畳間ほどの広さがある山頂だった。

 近くにいた50代の人に、カメラのシャッターを押してくれるよう頼んだところ、「他の人に頼んでくれ」と断られてしまった。職人風の怖い感じの人だった。山へ来てシャッターを押すのを断られたのは初めてだった。近くにいた若いパーティーにお願いした。

 ここからは荒川三山が正面に見えた。悪沢岳はさすがに立派な山だが前岳と中岳は一塊りにしか見えず、二つの山にしか見えなかった。

 ここから振り返る展望もすばらしかった。今日歩いて来た稜線が、足元から長々とつながって見えた。もっとも稜線の大半は巻いて来てしまったが、稜線の奧に農鳥岳、間ノ岳、北岳まで見えた。北岳は間ノ岳に隠れていたが、尖った山頂だけが顔を出していた。



 ここで展望を楽しみながらお昼にした。熱いラーメンがうまかった。

 塩見岳は若い頃から一度は登ってみたいと思っていた。しかし、一度は諦めた山でもあった。日本百名山を目指していなかったら、きっと来ることはなかっただろう。日本百名山を目指していて良かったと思った。

 この東峰から一旦岩場を下り、少し登り返した所が西峰である。三角点はこの西峰にあるが標高は東峰より低い。ここでは一服しただけだった。遠くに三伏峠の小屋が小さく見えた。

 ここからは岩場の急な下りになった。登った時のガレ場からは想像もつかなかった。岩場を下り切ったコルから天狗岩に登り返し、ガラガラの道を下るとハイマツのゆるやかな尾根になった。そこに塩見小屋があった。

 小屋は小さく建物も古かった。昨日、熊ノ平小屋へ泊まった中年のオバさん達20人が、今日はこの小屋へ泊まる予定だと言っていたのを思い出した。もともと定員が40人の小屋へ、あのオバさん達が来たら寝る所がなくなってしまう。

 私はここへ泊まる予定だったが、急遽予定を変更して三伏峠小屋まで行くことにした。今下って来た塩見岳が槍ケ岳のように岩峰を天に突き上げていた(写真左)。さっきまでの鉄兜のような山容とは全く異なった山容だった。信じられない塩見の変貌ぶりに驚いた。その岩峰を写真に収め、すぐに三伏峠へ向かった。

 三伏峠の小屋はすいていた。ここは建物は古いが大きかった。ビールを買って玄関で飲んだ。
 外で焼き肉をしている人がいた。昨日から追いつ追われつ歩いて来た人で、茨城から来たという40代の単独行の男性だった。

「肉をどうやって持って来たのかね……」
 と、ビールを飲みながら聞くと、
「味噌付けにして持ってきたんですよ……」
 と言った。今度私もやってみようと思った。

 彼は、明日は荒川岳へ向かうと言った。
 私は、「荒川ですか……」と唸りながら、来年こそ荒川岳と赤石岳をやろうと思った。

 翌日は塩川へ下り、伊那大島駅近くの村営施設で温泉に入ってから帰って来た。
        (平成7年)

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