高尾山 (たかおさん)

(599m、東京都)



高尾山から見た富士山


2012年2月19日(日)
表参道(1号線)〜高尾山〜稲荷山コース


コース図(登山口にあった案内板)

自宅−855高尾山薬王院P〜登山口(清滝駅)907〜944山上駅〜946高尾山駅〜1003薬師王院〜1010飯綱権現堂〜1025高尾山1105〜1143東屋〜1218登山口

 今回は高尾山へ行くことにした。
 私が高尾山へ行くと言ったら、山仲間から「気でも狂ったか!」と言われそうだ。というのは、毎週のように高尾山へ登っている仲間もいるが、私はまだ4回しか登っていない。それももう20年も前の話。

 酒の席などで高尾山の話になると、つい引いてしまう私が、急に高尾山へ行く気になったのは、前回、石老山せきろうざんへ行って、「近郊の山にも新しい発見がある」ことを知ったこともあるが、今や登山者数世界一という高尾山を、今までレポートしていなかったことに気付いたからだ。

 高尾山は八王子市にあり都心からも近く、年間登山者数は260万人を超えるという。そんな「有名な山」をレポートしていなかったことを反省し、「レポハイク」に行くことにしたのである。

 高尾山は我が家からも近い。R16−R47−R20で高尾山を目指して行く。
 京王線の高尾山口駅前を通り、高尾山入口南の信号を左折したところにあった「高尾山薬王院祈祷殿駐車場」へ車を止める。250台も止められる駐車場には、まだ30台位しか止まっていなかった。
 手早く準備を済ませ、「受付」で駐車料金500円を払って行く。

 道路を横断し、そのまま小さな橋を渡り、民家の前を通って行く。幸い家族連れが先行していたので付いて行った。

 1、2分で、両側にお店が並んだ参道へ出た。そして、すぐにケーブルカー駅前へ出た(写真左)。こんな寒い時期でも大勢のハイカーがいた。

 さて、ここからのコースであるが、高尾山へ登るコースが沢山あって迷ってしまうほどだ。一番早く、楽に山頂へ立ちたければケーブルカーかリフトに乗るのがいいが、私は表参道(1号線)を行くことにした。9時7分発。
 表参道の入り口の右側に「不動院」があり、左手に「高尾山飯綱権現遥拝所」の石碑が立った小さなお堂があった。ほとんどの人は通り過ぎてしまうが、私は山岳信仰の神様である飯綱大権現様にお参りして行く。

 杉の巨木が茂った中の石畳を歩いて行く。周りは2、3日前に降った雪が薄らと残っていた。

 もう下って来る人がいた。朝一のケーブルカーで登ったのだろうか。ここは金剛山のように駆け下る人は一人もいなかった。そもそも金剛山のようなジョギングスタイルの人もおらず、「皆んな立派な山屋だな!」と思っていると、何と高校生らしい2人がジョギングスタイルで駆け下りて来た。

 いつものカメさんペースで歩いていると、一気に山ガールに追い抜かれる。ハイカーは登るペースが速い。

 少し急になった道を登りながら、この道は見覚えがあるような気がした。

 20分も歩くと、しっとりと汗をかいた。コンクリートの道ではあるが、それでも山でかく汗は気分がいい。今日は風もなく最高の登山日和である。

 4人連れの外国人が私を追い越し、すぐに立ち止まって休憩し、また凄いスピードで登って行く。私の前後をウロウロし、私のペースが乱れそうだ。
 ここは、ミシュラン三ツ星ということもあって、今や富士山と共に国際的な山なのだろう。

 リフトの山上駅へ9時44分着。ここから山頂まで2Kmの標識があった。

 そこから2分ほどで展望台が建ったケーブルカーの駅(高尾駅)へ着いた。ここまでケーブルカーで来れば、約6分で来てしまう。

 駅前の開けた所から新宿副都心の高層ビル群がうっすらと霞んで見えた。

 歩を進めて行くと、左手前方に、樹木の間からひときわ高い山が見えた。これなら山頂からの展望が期待できそうだ。

「南無飯綱大権現」と刻まれた大きな石碑の所で、男坂と女坂に分岐する。私は飯綱大権現にお参りしたかったので左の男坂の石段を登って行った。
 しかし飯綱大権現はなく、すぐに女坂と合流。

 参道に「杉苗奉納者御芳名」というのがあり、歌手の北島三郎さんの名があった。私は「杉は花粉症になるので、どうせならブナでも植えてくれるといいんだがなあ・・・」と思った。

 このすぐ上に薬師王院の山門?があった。

 ここを過ぎると、道が分岐し、正面に本堂のような立派な神社が見え、右手の石段の上には朱色の山門が見えた。一瞬、躊躇したが、「本堂経由・高尾山方面」の表示に従って石段を登って行った。

 石段を登り、「開運厄除」と書かれた綺麗な仁王門を潜ると、いかにも歴史を感じるお堂があった。これが薬王院大本堂のようだった。


(薬師王院の山門)

(仁王門)

(薬師王院大本堂)

 この本堂の左から、さらに石段が続く。それを登った所に朱塗りの神社があった。これが山岳信仰の飯綱大権現を奉った「飯綱権現堂」だった。(写真左)

 飯綱大権現について、「高尾山薬王院のHP」によれば、
『高尾山は、江戸時代から信仰の霊山として、また都民、近県の行楽地として広く知られ(略)、標高600メートルの山中には山岳信仰の飯縄大権現を奉る薬王院の諸堂が点在し自然林のなかに深遠な山容を形成しています(略)』
 と書いてあり、さらに、

飯縄大権現は、その信仰の起こりとしては、信州善光寺の北にそびえる飯綱山、戸隠山一帯に淵源を発する。(略)
 飯綱山は、戸隠山と共に我が国修験道の始祖、えん行者神変大菩薩ぎょうじゃじんぺんだいぼさつによって山岳修験道場の基礎が開かれた。(略)

 戦国期、飯縄大権現は戦国武将の守護神として崇敬され、上杉謙信や武田信玄の兜表にも奉られ、また北条家の手厚い保護も受け江戸期に入ると徳川家(特に紀州家)との仏縁により隆盛をむかえます』
 と書いてあった。
 そういえば、飯綱山へ登った時に「武田信玄や上杉謙信が熱心な飯縄信仰の信徒だった」と書いてあったのを思い出す。

 私は山岳信仰に興味がある訳ではないが、自分が登ったことがある飯綱山や戸隠山とのかかわりを知って、何か親しみのような、親近感を覚える。

 飯綱大権現様に安全登山を祈願して、右手から回り込んで急な階段を登って行くと、小さな朱色の「不動堂」があった。これが奥ノ院のようだった。(写真右)