高妻山−2/2

 14時20分、八方睨を出発。
 すっかり遅くなってしまい、今日の予定が大幅に狂ってしまった。予定では、この時間には一不動小屋へ着いているはずだった。

 ここからは、特に危険な所もクサリ場もなかった。右手の下にある奧社の屋根を見ながら、絶壁の縁を歩くことになるが、左手は比較的なだらかな雑木林なので、安心して歩くことが出来た。

(右の写真はこれから行く一不動小屋方面。右側(東側)は絶壁になっているが、縦走路は左側のなだらかな斜面にある)

 ここには戸隠山というピークがあった。何の標識もなく、太い杉が数本生えているだけの平凡なピークだった。

 途中から日没の時間が気になった。一不動の小屋は水場が遠いと聞いているので、もし宿泊者が誰もいなく暗くなってしまうと水場が分からないからだ。「せめて明るいうちに小屋へ着かなければ」というあせりが生じてきた。

 稜線にはナナカマドの実が真っ赤に色づき、紅葉もわずかに始まっていた。足元にはオヤマリンドウがいっぱい咲いていた。秋の気配を感じながらも、ゆっくりと愛でている余裕はなかった。

 あせっている割には足はなかなか前へ進まない。三角点がある九頭龍山(1883m)へ15時半ごろにやっと着いた。
 ここから一旦下ると、きつい登りになった。樹林の中のピークを二つ越えて下りになった時、沢の音が聞こえてきた。小屋はもう近い、と思った。

 この下りから見た高妻山が見事だった。八方睨では山頂に雲がかかっていたが、その雲もとれスッキリした山容が見えた。山頂は富士山よりも尖峰で、しかも二つのピークから成っており、ちょうど北岳を間ノ岳方面から見たような感じだった。

 私は、「これだけ立派な高妻山を見れば、明日は雨が降ってもいい」とさえ思った。天気が崩れるような気配はなかったが、それほど満足だった。

 一不動の避難小屋へ16時半ごろに着いた。小屋はブロック造りの小さな小屋で、50代半ばの男性一人がいるだけだった。避難小屋などは混雑するのも困るが、誰もいないのもまた寂しい。せめて先客が一人いてくれて助かった。

 さっそく荷物を置いて、水を汲みに行った。ここから戸隠牧場へ下る道を10分ほど下った所に冷たい湧き水が流れていた。

 夕食の準備をしながら、私が蟻ノ戸渡でビビった話しをすると、先客は、「私は長野県警のホームページを見ていたので、覚悟して来た」と言った。そして、そのホームページをプリントしたものを見せてくれた。それには這って歩いたり、尾根をまたいでいる絵が描かれていた。(図はこちら

 私は戸隠についてもっと調査すべきだったと反省した。ハイキングコース程度のつもりで来てしまい、あまりにも勉強不足だったことを恥じた。

 この小屋は床が悪く、決して快適とは言えなかった。彼とは床の端と端に寝たが、寝返りを打つたびに床が振動する。それに入り口のドアは開けるたびに金属音がした。
戸隠山だけをご覧の方は200名山へ戻る


 9月12日(土)
一不動避難小屋600〜650五地蔵山〜905高妻山930〜1330戸隠牧場−奥社入口

 朝4時に目が覚めた。私の予定では4時に起きて5時には出発しようと思っていたが、先客が「6時頃に出発する」と言っていたので、4時半になるのを待って起き出した。外はまだ真っ暗で、周りの山は黒い怪獣が横たわっているように見えた。

 結局、6時に先客と一緒に高妻山へ向かうことにした。大きな荷物は小屋へ置いて、サブザックだけで出かける。

 戸隠は、昨日歩いて来た奧社からこの一不動までを「戸隠の表山」といい、ここから高妻山までを「戸隠の御裏山」と言うらしい。御裏山だけを登る人は、戸隠牧場から真っ直ぐここへ登って来る人が多い。

 200メートルほど登ると、左手の樹木の間から北アルプスの白馬三山が見えて来た。右手は相変わらず絶壁になっている。
 高妻山が目の前に迫って来た。しかし、黒姫山と妙高山は尾根の陰になって見えない。

 この御裏山は、一不動を振り出しに、二釈迦、三文殊というように、ピークに祠が奉ってあった。戸隠神社が一番栄えたのは平安朝の末から鎌倉中頃で、当時は比叡山よりも栄えていたという。その頃の山伏や修験者が、白装束で祠に向かってお祈りしている姿が目に浮かんで来るようだった。

 小さなピークを上下して五地蔵山(写真左)へ6時50分着。
 今日は荷物が軽いので楽だった。連れになった避難小屋の先客は、丹沢で鍛えているというので健脚かと思ったが、ペースは私と変わらなかった。そして、休憩するたびに仰向けになって目をつぶっていた。どうも今日は体調が悪いらしい。

 五地蔵から2、30メートルほど行った所に展望台があった。そこから黒姫と妙高が見えた。

(写真右は妙高山)

 さらに六弥勒、七観音のピークを越えていく。山頂まではあと八、九を越さなくてはならない。高低はさほどではないが、まだまだ遠い。

 北アルプスが朝の光を浴びてクッキリと見えた。白馬三山から不帰、唐松、五竜、鹿島槍が手に取るように見えた。鹿島槍は二峰からなっているが、ここからは一峰が陰になって槍ケ岳のように見えた。


高妻山が大分近づいて来た。

高妻山の最後の登り

 高妻山の取っ付きからは、まさに一気の登りになった。ワンピッチで行けるかと思ったが無理だった。何度か立ち止まって呼吸を整え、やっとピークに立った。畳一枚ほどもある大きな石が何枚か重なった所に、「十、阿弥陀如来」が奉ってあった。
「やった〜! 山頂だ〜!」と、連れと荷物を置いて喜びあった。そして、連れはすぐに石の上に仰向けになってしまった。私は祠にお参りをして、一服しながら休んでいた。

 しばらくすると、単独のオジさんが登って来て、『山頂はここですか?』と聞かれ、「山頂だと思って休んでいるんですが・・・?」と答え、周りをよく見渡すと奧にもう一つのピークが見えた。あわてて地図を広げて見ると、奧のピークに三角点があるようだった。どうも奧のピークが山頂で、ここは山頂ではないらしい。

 オジさんはそのまま奧のピークを目指して進んで行った。連れは寝そべったまま起きる気配がないので、一言断って、一人で山頂へ移動した。そう言えば深田久弥さんも、かつてここを山頂と間違えたという話を思い出した。山頂着9時5分。

 山頂には「高妻山」と書いた標識が立っていた。やはりここが正しい山頂だった。さっきの人は、弁当を広げていた。このオジさんは5時に戸隠牧場を出て来たという。かなり健脚者だと思ったが、その後、戸隠牧場から来たという人が続々と登って来た。

 ここからの展望は抜群だった。北に妙高、東に黒姫、飯綱、その奧に浅間、上信越の山々。南に八ケ岳、西に北アルプスと360度の展望だった。特に北アルプスの白馬から爺ケ岳までの後立山連峰が見事だった。

 私は、長年待ちこがれた高妻山を登ることができて大満足だった。
 後日、私が山頂から鹿島槍ケ岳を眺めている時、同時刻に友人のKさんが鹿島槍の山頂から戸隠方面を眺めていたと知って驚いた。


山頂からの北アルプス

山頂からの妙高山

 9時30分下山。
 下りは一人で往路をたどって一不動の避難小屋へ戻った。炎天下の下りは実にしんどかった。森林の中は救われるが、直接日差し浴びると汗が吹き出してきた。

 小屋へ戻ってコーヒーを沸かして飲んでから、戸隠牧場へ下った。ここは沢沿いの道なので、いつでも喉を潤すことが出来て本当に助かった。戸隠牧場着、13時30分。

 駐車場の隣にあったお店で戸隠ソバを食べ、バスで奧社へ戻り、善光寺へ寄ってから帰って来た。
        (平成10年)