武川岳 (たけかわだけ)

(1,052m 埼玉県)


大持山と鳥首峠の分岐から見た武川岳


2014年4月24日(木)
一の鳥居〜妻坂峠〜武川岳〜妻坂峠〜大持山〜小持山〜シラジクボ〜一の鳥居



自宅450−(R16・R299)-648一の鳥居700〜755妻坂峠805〜841武川岳855〜921妻坂峠(大持山へ)

 久しぶりの山行で胸がワクワクする。
 今日は奥武蔵の武甲山の南東にある武川岳と大持山、小持山である。アカヤシオが咲くにはまだ早いだろうが、そんなことはかまっていられない。とにかく山へ行きたくてうずいていた。

 朝4時50分に家を出てR16、R299を飛ばして行った。一の鳥居へカーナビの到着予定時間より30分以上も早く着いた。車はまだ6台しか止まっておらず、余裕で駐車することが出来た。

 準備を済ませ7時ジャストに出発。ほとんどの人が武甲山へ向かうが、私は反対に鳥居を潜って妻坂峠をめざして行く。

 林道を2、3分も歩くと分岐があった。左が妻坂峠であるが、林道のように広い道で驚いた。

 その分岐にあった「熊さんにお願い」というのが面白い。我々は熊さんの生息地へ入って行く訳だ。
 林道のような広い道を登って行く。妻坂峠は昔は秩父と江戸を結ぶ重要な交易路の一つだったというから、ここを商人や旅人達が大勢行き交ったのだろう。

 右手の沢の対岸に雪渓があって驚いた。今年は記録的な大雪だったが、その雪がまだ消えない。

 ついに雪渓へ出た。雪渓を直登するのかと思ったが右へトラバース。そして始まったばかりの淡い新緑の中を登って行く。

 支尾根へ出ると、右手にミツバツツジが咲いていた。ちょっと寄り道をして写真を撮った。

 また雪渓が現れた。そこも雪渓を登らず巻いて行く。

 道端にはネコノメソウやヒトリシズカなどが咲いていた。


(ネコノメソウ)

(コガネネコノメソウ)

(ヒトリシズカ)

 そして、ついに憧れの妻坂峠へ着いた。お地蔵様と一本のミツバツツジが迎えてくれた。


 妻坂峠とは、何といい響きだろうか。ここは、戦国武将畠山重忠が秩父から鎌倉へ向かう時、愛妻と別れを惜しんだという峠である。
 峠といえば上高地の徳本とくごう峠は、日本に近代登山をもたらし、日本の山々を全世界に紹介したあのウェストンが、徳本峠まで来て初めて穂高連峰を眺めた時、感激のあまりに思わず婦人を抱きしめたと言われる。峠には初めて見る景観に感激したり、また人の出会いや悲しい別れなど人生ドラマがあるようだ。

 ここにはベンチもなく、周りに沢山咲いていたハシリドコロの写真を撮り、水分を補給しただけで武川岳へ向かって行った。

 ここから武川岳へは急登だとは聞いていたが、まさにその通りだった。一歩一歩気合を入れて登って行く。時々、カタクリが咲いていないかとキョロキョロする。葉は沢山あるが花がない。もう終わってしまったのだろうか。

 急坂を登り切った所に、そのカタクリがあった。「あったぞ〜!」と一人で吠えた。

 杉林のピークを登り切った所にもカタクリが咲いていた。いやいやよく見ればカタクリだらけではないか。もう日差しを受けて開いているものもある。
  
 8時41分、武川岳へ着いた。妻坂峠から36分。この間、アキレス腱を伸ばしっぱなしだった。

 山頂は広く、ベンチもあった。展望は樹木が多くイマイチだった。日差しを浴びながらベンチで休憩。誰もいない山頂は静かだ。
 ここから伊豆ケ岳が見たいと思い、元気プラーザの方へ少し行ってみたが、樹木が多く諦めた。


武川岳からの武甲山

山頂付近からの大持山(左)と小持山(右)

 さて、ぼちぼち下ろう。下りは大持山、小持山の写真が撮りたい。
 しかし、余りにも樹木が多過ぎて絵にならない。

 下りは真っ逆さまに下るような急斜面を慎重に下った。

 再び妻坂峠へ立った。ここにはお地蔵様がポツンと立っている。このお地蔵様について、名栗観光協会のHPには次のように書いてあった。

 『(略)昔、妻坂峠は秩父への近道で人通りも多かったのです。しかし山の中ですから、山犬とか狼がでて、通る人をかみ殺したりしました。せっかく登りついた人たちが、かみ殺されますので、たいへん無残なことで憐れなことでありました。

 山中の一兵衛という人は、この殺された人たちの霊を慰さめ供養したいと思い、地蔵様をつくることにしました。(略)』

 ちなみに、この地蔵さんは延享四年(1747年)建立というから驚く。

 さて、次は大持山である。先を急ごう。大持山、小持山へ続く