上河内岳の山頂からは北側の展望がすばらしかった。目の前に聖と奥聖の稜線が空を区切るように横たわり、その右奥には赤石岳、少し雲に隠れてしまったが悪沢岳と、超一流の山々が並び立つ。
一方、南側は茶臼岳や希望峰、イザルガ岳、光岳(白い雲がかかっている)まで見える。いずれにしても北側の千両役者に比べると、南側の山は格が落ちることは否めない。どうして深田久弥さんはイザルガ岳と一塊のように見える光岳を百名山に選んだのだろうか。
再び分岐へ戻り、茶臼岳をめざして7時47分に出発。
私の前を歩いている4人組の話し声がうるさい。甲高い女性の声が鼓膜まで響いてくる。山を歩きながら一体何を話しているいるのだろうか。静かな山旅をしたい私にとっては騒音でしかないが、昨夜、水割りや梅酒をご馳走になったので我慢するしかないか・・・。
30分ほど歩くと草原へ出た。そこは「亀甲状土(きっこうじょうど)」と呼ばれている所だが、どこが亀甲状土なのか分からなかった。
ガスが流れ出した。ちょっと心配になったが茶臼岳の山頂へ着いた時は、またガスが切れ出した。茶臼山頂へ9時10分着。
山頂で一服しながらのんびりしていると、上河内岳が見えるようになって来た。
二重山稜 |
正面が茶臼岳 |
茶臼岳山頂 |
茶臼岳、9時30分発。
下り出して10分もすると快晴になった。真夏の太陽に肌があぶられる。急いで日焼け止めクリームを塗った。
希望峰という良い名前の山頂へ10時12分着。正面にひときわ高い山が横たわっており、あれを越えて行くのかと思うとウンザリしたが、それは仁田岳だった。ここが仁田岳との分岐になっており光岳へ行くにはこの仁田岳へは登らず、ここから下って行く。たしかに標識が立っていたが、うっかりすると見過ごしてしまいそうな平凡なピークだった。
木陰で若い女性2人が弁当を広げていた。私は右手の道を10分も下った所で昼食にした。
11時ジャストに出発。ここからは小さなアップダウンを何回も繰り返しながら下って行く。カンバとハイマツの森林浴を楽しみながら歩いて行った。
森林地帯に入っても、昨日登った便ケ島からのあの薄暗い原生林に比べると、この辺は木漏れ日があるので明るく、地面を覆っているのもコケではなくシダのようだ。それに、さわやかな風が心地よい。
やっと易老岳への最後の登りになった。シラビソやコメツガの樹林帯を登り切った所に例の4人組が休んでいた。そこに易老岳の三角点があった(写真左)。12時10分着。
一服しながら、「やっと易老岳まで来たか」と実感する。今朝、小屋を出てからすでに7時間40分である。本当に長い長い道のりである。光岳まではまだ2時間50分もかかる。しかし、ここまで来ればあとは這ってでも行けるだろう。
4人組の出発を見送って、12時25分に出発する。
ここからは下りである。易老渡から登って来た人達は、せっかく易老岳まで登って来てこんなに下らされるとガッカリするだろうなあ、と思った。
手前の山を右側から巻いて尾根へ出ると正面にイザルガ岳が見えた。あんなに登るのかと思うとウンザリする。
さらにアップダウンを繰り返しながら全体には下って行く。三吉平はどこだか分からなかった。
小さな池を過ぎると今度は登りになった。(池があった所が三吉平らしい)。いよいよ最後の登りである。次第に涸れ沢を登って行くようになると道が悪くなった。ほとんど人手が入っていないというか、手付かずのままというべきか。いつの間にかガスに覆われた。視界が悪くなると本当にこの道でいいのだろうかと不安になったが、道は1本しかないので間違うことはなかった。
先に出発した4人組の一人が遅れて私と一緒になった。二人で励ましあいながら登って行った。
この辺に水場があるはずなので注意していたが見つからず、諦めかけた時、大勢が休んでいる所があった。そこが静高平(しずこうだいら)の水場だった(写真左)。
冷たい水をゴクゴク飲んだ。最高にうまかった。私と一緒に登って来た人は「500ミリリットル位飲んじゃった」と満足そうに言った。
ここで今夜の自炊用の水も汲んでいく。
ここからは、わずかの登りで広く平らなお花畑へ出た。木道になっており、途中にイザルの分岐があった。しかし、視界が閉ざされている今は行っても仕方がない。
「小屋まで3分」という標識のところで小雨が降って来た。急いで傘をさして小屋へ駆け込んだ。
玄関を潜ると、例の4人組が「これから光へ行く」と言うので、私も雨具とカメラ、水筒を持って一緒に出かけることにした。いつの間にか雨は止んだようだ。
光岳の山頂まで10分位で着いた(写真右)。15時40分着。何の変哲もない平凡な山頂だった。しかし、これが私にとっては99番目の山となり感無量だった。ロングコースでシンドイ山だったが、ついに日本百名山も99座まで来た、という満足感でいっぱいだった。
小屋は17時30分から自炊組のために食堂を開放してくれた。便ケ島の聖光小屋で一緒だった人達と酒を飲み、食事をしながら歓談している時、ものすごい雷雨になった。
夜中は満天の星だったそうだ。
(この小屋は食事に制限があるので注意が必要です。50歳以上で3人以下のパーティー、しかも15時までに到着することが条件です。私は15時までに到着する自信がなかったので自炊の準備をして行きました。ただ翌日の朝食や弁当はOKです)
2003年8月6日(水)
光小屋535〜イザルガ岳〜823易老岳835〜1020面平〜1132易老渡 |
朝4時起床。外はガスが流れ、視界は利かない。昨日、光岳を登って正解だった。
小屋で朝食を摂り、主人に無理にお願いしてコーヒー(400円)を入れてもらい、のんびりとコーヒーを飲んでいると、次第にガスが切れ始め青空が広がって来た。
5時35分、小屋を出発。
イザルガ岳分岐にザックをデポし、カメラと水筒だけを持ってイザルガ岳へ向かった。光岳がハイマツが生える日本最南端の地といわれるが、ここはハイマツが生い茂った山だった。昨日までの森林地帯がうそのようだった。
山頂には先客が5、6人いたが逆光で顔は見えない。近づいて行くと、「あら、いらっしゃーい!」と声をかけられた。例の4人組だった。
ここからは朝日に輝く光岳が見えた。
再び縦走路へ戻り、易老岳へ8時23分着。8時35分下山。
ここからは急坂の下りっぱなしかと思ったが、岩や木の根につかまってのアップダウンがあって驚いた。
途中に標識と三角点があり、「いやし岳」と書いてあった。今、流行りの「いやし系」の名前を見て、思わず笑みがこぼれる。こんな三角点があることを、もっと大勢の人に教えてあげたいと思った。
ここからはシラビソの原生林で、アップダウンも木の根につかまることもなく下りやすくなった。1時間ほどで4人組に追いついた。ここで4人にスティックのアイスコーヒーをご馳走してやった。4人は「おいしい、おいしい」といって飲んでくれた。やっと水割りと梅酒のお礼が出来た。
ここからは4人組より先に下った。面平へ10時20分着。ここで一服しながら、私はこんな所は絶対に登りたくないと思った。
沢の音がだんだん近づいて来た。面平から1時間はかかるまいと思っていたが、斜面は一層急になり、足の平が痛くなってしまいペースダウン。易老渡の駐車場へ着いたのは11時32分だった。
今回の山旅で思ったことが2つあった。
1つは、なぜ深田久弥さんが光岳を日本百名山に選んだか、ということである。実際に歩いて見てほんの少しだけ分かったような気がした。
それは、海外の山へ登ったことがある登山家が口を揃えて言うことは、「日本の山の魅力は森林の美しさと峡谷の美しさにある」という。光岳は確かに南アルプスを代表するほど山深く、屋久島とは比較できないまでも本土では数少ない森林とコケに覆われた自然が残されている。
しかし、それだけで選んだとは思えない。山深さや森林の美しさなら他の山でも良かったような気がする。
そこで思うことは、深田さんは「ハイマツが生える日本最南端の山」ということに最後までこだわったのではなかろうか、ということだった。
2つめはコースであるが、易老渡から登らずに便ケ島から登って正解だった、と思った。易老渡からの登りは、やはり「チョー急登」だった。私は下っただけなので比較はできないが、もし、易老渡から登った場合は易老岳へ辿り着くだけでメロメロになってしまったような気がした。
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