光 岳(てかりだけ)    99座目

(2,591m、静岡・長野)


上河内岳の登りから見た朝の光岳(中央のボッテリしたピーク)。


便ケ島〜聖平〜上河内岳〜茶臼岳〜光岳〜イザイルケ岳縦走

2003年8月3日(日)

相模原740−相模湖IC−飯田IC−易老渡〜1400便ケ島・聖光小屋(泊)

 この山は「光岳」と書いて「テカリ岳」と読む。南アルプスの南部にある2500メートル峰で、日本百名山をめざしている人が100番目に登るケースが多いという。

 それは何を意味しているのだろうか。それはきっと、「費用と労力を費やす割には魅力が少ない」ということではないだろうか。同じ費用と日数を費やすなら他の山へ行ってしまい、結局は「最後まで残ってしまった山」ということではないだろうか。 そう言う私も99番目の山である。100番目は焼岳に決めているので、実質的には最後の山ともいえる。

 この山を登る場合、登山口の易老渡(いろうど)で車中泊、光小屋泊の2泊3日で登る人が多いようだが、私はこだわりがあって3泊4日で便(たより)ケ島から聖平(ひじりだいら)へ出て、光岳まで縦走することにした。

 そのこだわりとは、もう7年も前になるが、荒川岳から聖岳まで縦走した時、聖岳の下りから上河内(かみこうち)岳や光岳を眺め、そのまま光岳まで縦走したいと思った。しかし日程がなくて下山したが、その時の無念さを晴らすためにも、どうしても聖平をスタート地点にしたかったのである。
         *

 今日は便ケ島に今年からオープンしたという聖光(せいこう)小屋へ行くだけなので、ゆっくりと朝7時40分に車で家を出た。
 相模湖インターから中央高速に乗る。今年の梅雨明けは遅く、やっと昨日明けたばかりである。梅雨明け1日目ならもっとスカッと晴れても良さそうだが、甲斐駒も八ヶ岳もぼんやりとしか見えなかった。

 飯田インターで降りて、三遠南信自動車道の矢筈トンネルを潜って152号線へ出て南下して行く。
 上町を過ぎると上島トンネルの手前に、易老渡(いろうど)方面の大きな標識があった。そこを右折して登って行く。本当にこの道でいいのだろうかと不安になった頃、発電所があってホッとした。

 易老渡の駐車場(写真左)は40台も置けそうなスペースに20台ほどが止めてあった。まずは駐車が出来てひと安心。

 ここからザックを担いで便ケ島へ向かって歩き出す。2、3分も歩くと、後ろから来た車が声をかけてくれ、乗せてくれた。

 便ケ島の聖光小屋へ14時ごろ着いた。
 (写真右は便ケ島の広い駐車場と聖光小屋)

 今日の宿泊客は11人(予約制)というが、まだ誰も到着していない。私は、相模原の相武台に住んでいたというご主人から、やっと「山小屋経営」という長年の夢が叶ったという話を聞きながらビールを飲み、明日への英気を養った。

 この小屋の名前は聖岳と光岳の麓にあるため「聖光」と書いて「セイコウ」と読む。

 小屋のご主人曰く、最初「聖光(せいこう)小屋」で申請したところ、「セイコウ」という呼びは認めてもらえず、「ひじり・てかり」と読むなら許可するとのことで、しばらくは「ひじりてかり小屋」という呼び名で営業していたという。

 その後、遭難が発生した時、警察の無線連絡に対して「ヒジリテカリ小屋です」というと、「ヒジリ小屋ですか? テカリ小屋ですか?」と警察も混乱したという。そんなことがあって、最初に申請した「せいこう小屋」という呼び名が認められたという。

 私は「聖光小屋よりも、便ケ島という美しい地名を生かした方がよかったのでは」と思ったが、主人には言えなかった。



2003年8月4日(月)
聖光小屋520〜600西沢渡〜1245聖平小屋(泊)

 朝食を摂らずに出かける人が多かったが、私は小屋で朝食を済ませてから5時20分に出発。
 今日は聖岳との分岐まで登りぱなしの6時間20分である。気合を入れて歩き出す。急登を5分ほど登るとトンネルがあって驚いた。登山道にトンネルがあるなんて珍しい。そのトンネルを出ると正面に朝焼けに染まった稜線が見えた。あの高い山は聖岳だろうか、それとも上河内岳だろうか。

 そこからは峡谷を右下に見下ろしながら、なだらかな林道のような道を進んで行く。かつては営林署の軌道が敷かれていたらしい。

 6時ジャストに西沢渡へ着いた。ここには有名な「籠渡し?」がある。正しい呼び名は知らないが、要は沢にロープが張ってあり籠がぶら下がっている。それに乗って自分でロープを引っ張って前へ進んで行くのである。

 ある人のホームページに、「これは荷物用だから人間は乗ってはいけない」と書いてあったが、昨日、小屋の主人に確認したところ、「一週間前にロープが切れて張り替えたばかりだから乗っても大丈夫。登山者が沢へ落っこっちゃってねえ‥‥」と言った。まあ、張替えたばかりのロープなら切れることもあるまい、と早速チャレンジする。

 荷物を乗せて自分も乗り込む。すると自然に前へ進んで行った。「面白い」と思わず童心に返る。しかし、途中でストップしてしまったので自分でロープを引っ張った。(これに乗らなくても沢は渡れます)

 ここからは完全な山道となった。7、8分ほど急登を登ると平らな所へ出た。そこに小屋があってビックリした。完全な廃墟だった。
 この小屋の後ろ側から地獄の急登が始まる。薄暗い森林地帯の急登であるが、足元ばかり見てはいられない。時々周りをキョロキョロする。ここにはクマがいると小屋のご主人から聞かされて来たからだ。

 6時50分、支尾根へ出ると朝日を浴びた。しかし、また薄暗い森林地帯へ入って行く。
 汗が噴出してくる。今までは、ここはヒルが多いと聞いていたので長袖シャツを着ていたが、もうヒルなどかまってはいられない。長袖シャツを脱いで下着代わりにしていたTシャツ一枚になった。

 薄暗くコケが生えた森林地帯の急登を一歩一歩登って行く。昨日、ここを下って来た御仁が、「ここはコケが多く、屋久島よりいいぐらいだよ」と言っていたが、あの御仁は本当に屋久島へ行ったことがあるのだろうか。コケが多いことは確かだが、屋久島には及ぶまい。

「コケ平」という標識を過ぎると、少しなだらかになった。いずれにしても一帯は太いシラビソの原生林である。

 もう、かなり足がふらついている。どうせ今日は聖岳に登るわけでもなく、今日中に聖平小屋へ着けばいいのである。1時に着こうが3時に着こうが何んの問題もない。途中、陽が当たっている所で昼食にした。食後はコーヒーを飲んでくつろぐ。ここで昼寝でもしたい気分だった。

 ランチタイムを済ませ、あと1時間ぐらいだろうと再び気合を入れて歩き出すと、5、6分ほどで森林限界を超えたらしくパッと視界が開け、左手の斜面にはお花畑、右手には上河内岳がさっそうと見えた。その右に茶臼岳が見え、遠くにボッテリした光岳まで見えた。

(写真は左から上河内岳、茶臼岳、希望峰と続き、右奥の高い山の左側がイザルガ岳、右側の丸っこい方が光岳。拡大写真は→こちら)

 そこから20メートルほど先に標識が見えた。聖岳との分岐だった。どうせならここで昼食にすればよかったと思った。

 分岐点に立つと、数年前にここに立った時の感動が蘇って来た。やっとあの時のスタートラインに立つことが出来た。

 12時45分ごろ聖平小屋へ着いた。玄関には「受付は13時から、従業員食事中」と書いてあった。まずは缶ビールを買って一気に飲み干した。

 夜の9時ごろ大雨が降って心配した。しかし、夜中に起きた時は満天の星だった。
(このまま下へ続く)


(便ケ島〜聖平小屋)からの続き

上河内岳(かみこうちだけ)

(2,803m、静岡)  116座

(南岳から見た上河内岳。右の肩が縦走路)

2003年8月5日(火)

聖平小屋430〜718上河内岳〜910茶臼岳930〜1012希望峰〜1210易老岳1225〜1540光岳〜光小屋(泊)

 朝3時に起こされた。早立ちの人達がガサガサ始まったからだ。
 私は小屋(聖平)の朝食を済ませ、4時30分に出発。いよいよ上河内岳と99番目の光岳である。

 外はまだ薄暗い。分岐点に立つと上河内岳がシルエットに見えた。目指す光岳も遠くにどっしりと見えた。

 小屋を出て20分弱で上河内岳の手前にある森林に覆われた山を登り切った。すると東の空がオレンジ色に染まっているのが見えた。5時7分、山陰から朝日が昇り、背後の聖岳に陽光が走る。

 6時25分、見晴らしのいい尾根へ出て一服。どっしりとした聖岳が陽光を浴びて輝き出した。その左手にある兎岳も光っていた。

 ハイマツと岩と砂礫の道になった。やっとアルプスらしくなって来た。そこを登り切ると支尾根へ出た。正面は絶壁になっており、これから目指す上河内岳から茶臼岳、希望峰と並び立ち、遠くにイザルガ岳と光岳も見えた。振り向けば聖岳と荒川岳がクッキリと見えた。そこから左へカーブを切って登って行く。


(頭上に上河内岳)

(南岳の登りから見た聖岳)

(マツムシソウ)

(上河内岳はもうすぐ)
 途中にお花畑があり、マツムシソウが咲いていたので嬉しかった。マツムシソウを見たのは白山以来である。

 トリカブトも咲いていた。今まで見たトリカブトはまだツボミだったが、ここは南斜面のため咲き出したのだろう。ハクサンフウロやキンバイなども所々に咲いていた。

 上河内岳との分岐へ7時1分着。小屋からここまで2時間半のコースなのでまずは順調なところである。ここで一服した後、カメラと水筒だけを持って左手にドカーンと聳える上河内岳を登って行った。

 7時18分山頂着。続いて便ケ島の聖光小屋で一緒だった、横浜から来たという4人組が登って来た。
 ここからの展望はバツグンだった。