1.メロメロになった遠見尾根    1976年 5月


 私が今までに登った山の中で一番苦しく、しんどかったのがこの遠見尾根である。山はどこを登っても苦しいが、この遠見尾根は自分の体力の限界を越えて、メロメロになってしまい、もう足が一歩も動かなかった。雪道をよろよろと歩きながら、バッタリと倒れるのではないかと思った。

 遠見尾根はもともと急登ではあるが、最近はスキー場から「テレキャビン」というしゃれた名前の4人乗り用カプセル型リフトが出来て、地蔵ノ頭までわずか10数分で行けるようになった。これを利用すればきつい登りが省略されて、一気に1,700メートルの稜線歩きが出来るはずだった。

 リフトの終点から五竜の小屋までは約5時間なので、東京から夜行列車で行っても午後1時か2時頃には五竜の小屋へ着けるはずだった。

 5月の連休にテルさんと、「遠見から五竜岳へ登って、残雪の鹿島槍を見て来よう」と、気楽に出かけて行った。
 大糸線の神城で降りて、「五竜・遠見スキー場」を目指して行った。そして、テレキャビンの乗り場まで来た時、我々は思わず天を仰いでしまった。何と目の前に「点検のため運休」と書かれたものがぶらさがっているではないか!
「ウソー……」
「……………」
「ウ…ム……」
「……………」
 二人はただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
「どうする…」
「どうするたって、どうしょうもねえなあ……」
 東京からはるばる夜行列車でやって来ながら、テレキャビンが動いていないからといって、このまま引き返す訳にもいかない。だからといって歩いて登る気もしない。テレキャビンが動いていないと知っていれば、もっと早く来て夜明け前には歩き出さなくてはいけなかった。今から歩くには時間が遅すぎる。

 しばらくタバコをふかしながら思案していたが、やっと心の整理をして、「仕方がないから歩こう」と、雪のないスキー場のゲレンデを登って行くことにした。
 地図ではリフト沿いに道があるようになっているが、リフトが出来てからは歩く人もいないらしく道らしいモノは見当たらなかった。とにかくゲレンデを真っ直ぐ登り詰めればリフトの終点へ出るだろうと、ゲレンデの真ん中を登っていった。

 しかし、急勾配のゲレンデは思ったよりも苦しい。ここは芝生のような草がぎっしりと根を這り、靴が滑ってしまうのだ。それに、キックステップで地面を蹴飛ばしながら登ろうとしても靴がはじかれてしまう。そのため、四っんばいになって草につかまりながら登って行った。

 やっとゲレンデを登りきると、今度はヤブ漕ぎになった。「きっと、ヤブの向こうに別のゲレンデがあるだろう。とにかく上をめざして行こう」と、ヤブの中を進んで行った。モウモウと茂ったヤブを必死で漕いでいるうちに、肝心なロープウェイのケーブルを見失ってしまった。

 必死でヤブを漕ぎ、やっとそこから抜け出すと、今度はもっと急な斜面が現れた。大きな樹木はなく、背丈ほどの潅木がわずかにあるだけで、あとは地面がそのままむき出しになっていた。「とにかく上を目指そう」と登り出したが、地面が滑って登りにくい。ツルツル滑る所を必死で登って行った。

 歩き出してから2時間以上も過ぎた頃、ブルドーザーの音が聞こえて来た。その音をたよりに登り詰めていくと、そこにリフトの駅があった。ホッとした二人は、そこへ座り込んでしまった。
 リフトで来ればわずか10数分の所を、2時間以上もかかってしまった。でも、これでやっとコースへたどり着くことが出来たのでまずは安心。ここからは稜線歩きなので鼻歌でも歌いながら歩けばいい、と気楽に歩き出した。

 しばらく行くと残雪になった。残雪は思っていたよりもはるかに多かった。踏み跡がしっかりついた雪道を進んで行くと、突然道が崩れて無くなっている所があった。雪解けと共に道まで崩れてしまったらしい。

 道がないので迂回しようとすると、足が膝上まで潜ってしまう。雪庇を踏み抜かないように注意しながら一歩ずつ歩いて行った。


(最初は鹿島槍の北峰しか見えない)

(やがて双耳峰に)

(この辺までは生きていた?)

 大遠見付近の吹き溜まりでは、道がバラバラと何本もついていた。どれが登山道なのか分からず、とにかく進んで行くと途中で行き止まりなってしまう。春先にここでキャンプをした連中が、勝手気ままに歩き回った跡なのだが、これが実に始末が悪い。我々は登山道を探しながら、行ったり来たり何度も繰り返した。

 西遠見あたりでは、もうクタクタだった。日没もせまっていた。腹もへった。「どうせ小屋へ1時か2時には着けるだろう」と思っていたので、軽い昼食と予備食にビスケットしか持ってこなかった。テレキャビンの運休で思わぬアルバイトをさせられてしまい、昼食の時に予備食まで全部食べてしまい、残っているのは水だけだった。

 西遠見と白岳のコルへ出た時に日没になった。夕焼けに染まった空をさえぎるように、五竜岳の稜線が横たわっていた。黒い怪獣のように横たわった中に、ポツンと目玉のように五竜山荘の灯が見えた。小屋の灯を見てホッとしたが、まだあんなに遠いのかとガッカリした。

(写真右は翌日白岳の下りで撮ったもの。本当は下っているのに登っているように撮った。「やらせ」ではなく、「撮らせ」である)

 コルからは、雪がたっぷり詰まった白岳の斜面を斜めに横切って登って行く。その斜面の下にあるシラタケ沢は、もう暗い闇に包まれていた。道は雪明かりでボンヤリと見えた。

 もう私はメロメロだった。トレースがついた雪道を10歩あるいては立ち止まり、また10歩あるいては立ち止まって肩で大きく息をついた。

 私が道ばたに座り込んでしまうと、前を歩いていたテルさんが、「大丈夫かい」と心配そうに声をかけて来る。私はもう、言葉を返す元気もなかった。
「早く行かないと、増々暗くなっちゃうぜ……」
 と、淋しそうに言う相棒の声を聞いて、またトボトボと歩き出した。
 アイゼンは着けたり外したりするのが面倒なので外したままザックの中へ入れてしまった。

 日没が過ぎて、雪もかなり締まって来た。アイゼンを着けていない私は、もし、ここで足を滑らせたら、もう滑落停止の体勢がとれないと思った。私は足を滑らせるよりも、むしろ倒れるほうが心配だった。山で本当にバテると、歩きながら前へバッタリと倒れるという話しを聞いたことがあった。私もこの雪道を歩きながらバッタリ倒れるかも知れないと思った。もし、本当に倒れたら、真っ暗になったあの谷底まで一気に滑り落ちてしまうかも知れないと思った。

 そこで今まで右手で持っていたピッケルを、両手で胸の前で持った。こうすれば足を滑らせて転んでも、バッタリ倒れても、自分の体重でピッケルの先が雪面に刺さり、滑落を防げるだろうと思った。

 すでに真っ暗になったシラタケ沢の谷底が、まるで地獄のように見えて不気味だった。暗闇が少しずつ斜面を這い上がって来た。まもなくこの雪道も真っ暗になってしまうだろう。「頑張らなくてはいけない」と、何度も自分に言い聞かせているのだが、足はいっこうに前へ進まない。片足を前へ出したまま尻もちを着くように、ベッタリとその場へ座り込んでしまった。

 数歩前を歩いていた相棒が、また心配そうに戻って来て、「大丈夫かい?」
 と声をかけてくる。もう何回も聞いた言葉だった。私は肩で大きく息をつきながら、
「もう、精魂疲れ果てたよ……」 と言った。
「そんなこと言うなよ……」
 と相棒が淋しそうな声で言った。
 私はハッとした。言ってはいけない言葉だった。山男として絶対に言ってはいけない言葉だった。うかつに言ってしまった自分を恥じた。
「すまん、すまん」と相棒に詫びながら、立ち上がろうとしたが力が入らず、よろめいてしまった。
「頼む、あと5分まってくれ」
 と相棒に哀願し、そこへもう一度座り込んでしまった。相棒も隣へ来て座り込んだ。

「よし、行こう」、と自分に気合いを入れて立ち上がったのは、それから10分以上もたってからだった。
 人間は本当に苦境にたたされると、あまり欲が出ないものである。私はグウグウなる腹の音を聞きながら、「小屋まで行けば温かい味噌汁が飲める」と思った。しかし、自分の足で歩いて行かなければ、その望みも叶わない。早く行きたいとあせるのだが、足が思うように動かない。時間がどんどん過ぎていった。周りはすでに真っ暗だった。

 私は足を引きずるようにして、やっと小屋がある高台へ辿り着いた。そして倒れるように寝ころんでしまった。もう一歩も動けなかった。
 テルさんが小屋の宿泊手続きを済ませて戻って来た。
「今日の宿泊者は俺達二人だけでねぇ……、学生のアルバイトらしい二人の管理人に歓迎されちゃったよ」
 と、言って私の隣へ来て座り込んだ。
 二人はそのまましばらく座り込んでいた。相棒は夜空を見上げながらタバコをふかしていた。五竜岳が怪獣のように見えた。

 汗が冷たく感じるようになった頃、相棒が、
「早く中へ入ろうよ。こんな所にいたら風邪ひくよ」
 と心配そうに言った。
 だが私は動けなかった。相棒に私の荷物を持って先に小屋へ入ってもらった。
 私は寝そべったまま天を仰いでいた。
 満天の星が美しかった。

 翌日、五竜岳へ登ったが、生憎ガスがかかってしまい鹿島槍ケ岳は見えなかった。 (昭和51年 5月)


(小屋前から五竜岳へ続く稜線)

(これから五竜岳を往復です)

(タムシバ)

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