1979年4月30日
上高地・明神520〜徳沢〜横尾(朝食)740〜1430肩ノ小屋 |
5時20分、上高地の明神を出発する。
どんよりした白い雲。曇っているのか朝霧で白く見えるのか分からない。とにかく青い空が見えて来ることを期待しながら歩き始める。
それにしても寒い。4月の朝の寒気に震えてしまう。両手をポケットに突っ込んだまま、梓川左岸の小径を急ぐ。
徳沢を素通りして我々は横尾で朝食にした。小屋の前のベンチに座ってお湯を沸かしていると、突然アラレが降ってきた。
「おお、アラレだ!アラレが降ってきたぞ!」
と言うと、
「いや、これはヒョウだ、アラレじゃあねぇ・・・」
と相棒のテルさんが言う。
「ああヒョウか! まあアラレでもヒョウでもかまわねぇが、まいったなぁ……」
二人して空を見上げる。
白い粒がサラサラと降る中で、宿で作ってくれたおにぎりをむさぼる。
7時40分、横尾発。
いつも穂高へ行く時に渡る横尾橋を左手に見送って、梓川沿いに進んで行く。いよいよ槍ケ岳への道だ。この道はもう10年も前の夏に、表銀座を縦走した時に下って以来だ。
ヒョウが降る中を槍ケ岳へと向かって進んで行く。時々、降り注ぐヒョウが襟首に入って冷たい。
一の俣までは残雪もまばら。日陰に積もった残雪に、山靴で大きな穴ポコを明けて行く。
ヒョウはいつの間にか止んだ。一の俣へ着く頃は、雲の流れの中に時々薄日が見えるようになって来た。一の俣の小屋の庭先でひと休み。ザックからテルモスを取り出して、熱いコーヒーを飲んでいると、わずかな雲の合間から、真っ白く雪を被った常念岳らしい山が見えて来た。
「おお、常念だ!」二人して思わず目を見張る。
しかし、あまり喜んではいられない。雲は西から東へと急いで流れて行く。その雲の流れを見ていると、明日は雨かも知れない。今日は殺生(せっしょう)小屋までの予定だが、明日は雨かも知れないから、思いきって今日中に肩の小屋まで入ってしまおう!
槍沢ロッジを過ぎると、残雪がが然多くなった。「今年は雪が少ない」と言われているが、ここは一面雪の谷間。見渡す限り雪の世界。やっと春山へやって来たという実感が湧いて来た。それに、待望の春の日差しも差し込むようになって来た。
正面に「表銀座」と呼ばれる西岳の稜線が見える。相棒と交互に、真っ白く雪を抱いた稜線をバックに写真を撮った。
槍沢の登りは、大曲がりを過ぎると一段と傾斜がきつくなった。道は左へ左へと曲がりながら登って行く。かなりきつい登りだ。まるで天まで続いているかと思うような急登。その雪の斜面を一歩一歩登って行く。とにかく3時間半歩かない限り、殺生小屋へは着かないと知りながら、時々、時計を覗く。まだまだ先は長い。
この急な斜面の頂点に、かすかに青空が見える。この斜面を登りきれば、あの黒々とした槍ケ岳の尖峰が見えるだろうか。
目の前の高台まで早く行きたいと思うが、今日はいつになくコンディションが悪い。時々、立ち止まっては肩で大きく息をつく。
「おい、もうバテているのか!」
と、前を歩いている相棒が振り向いてバカにする。
「なあにバテてなんかいるもんか。ただちょっと休んだだけサ」
と言って、また遅いテンポで歩き出す。しかし、またすぐに相棒から離されてしまう。
すると今度は私の方を向いて、犬でも呼ぶように「ピーピー」と口笛を吹いている。私も「ピーピー」とやってから、「犬コロじゃあねぇぞ!コノヤロウ」とやっつける。そして、
「オイ、荷物を少し持ってやろうかぐらい言ったらどうだ!」
今回、上高地の宿へ荷物をほとんど置いてきてしまい、空身同然の相棒が、ラジュースやコッヘル、食料など、2人の共用物を全部背負っている私に、
「今日は荷物がねぇから楽でいいや!」
と、うそぶく。まったく、えらいヤッと相棒になったもんだ。
さっきから、この急斜面を登りきればきっと展望が開けるだろうと期待していたが、いざ登ってみると、その先にまた同じような斜面が続いていた。ガックリと力が抜けた。しかし、数10メートルも登ると右手に殺生小屋とさらにその上部に肩の小屋が見えた。しかし、肝心な槍ケ岳はガスに煙って見えない。
「オイ、メシにしょうぜ、メシに!」
小屋が見えたとたんに安堵と疲労を覚え、小屋まで行こうという相棒を制して、急な雪の斜面をけちらして座り込む。そして、湯を沸かすためにコッフェルの中へ周りの雪をすくって放り込んだ。
お湯を沸かしながら今登って来た斜面を見下ろしていた。すぐ足元から続く急斜面。まるで天から滑り降りる「滑り台」のように、長々と続く一本道。よくもこんなに登ったものだと感心した。
2人で熱いラーメンをすすっていると、突然、ガスの切れ間から槍の穂先が見えた。あわててカメラを取り出したが、すぐにガスに隠れてしまい、シャッターを2回切るのが精一杯。
食事が済めば当然ティータイム。再びお湯を沸かしていると、今までの天気がウソのように急に風が吹き 出して来た。寒くて寒くてたまらない。雨や雪が降って来た訳ではないが、さっき降ったヒョウが風に飛ばされて来るのだ。ヒョウが降って来たのと変らない。せっかく雪が解けて水になったのをテルモスに詰め込んで歩き出す。とにかく、じっとしているのが耐えられない。
視界はあまり利かないが、殺生小屋がぼんやりと見えた。
ゆっくり、ゆっくり登る。それでも30分ほどで小屋の前へ出た。小屋の玄関の方へ向かおうとした相棒に、
「オイ、今日は肩の小屋まで行こう!、明日の天気がどうなるかわからんから、上の小屋まで行ってしまおう!」
と言うと、
「どうせ天気が悪いなら、上でもここでも変わらんだろう!」
と言う相棒。
確かにこんな天気ではどこへ泊まっても同じだが、とかくこんな天気の場合は、夕方になって雲の切れ間から一瞬、展望が利くことがある。
「上にいればサァ、一瞬の晴れ間に槍ケ岳が見えるかも知れねぇが、ここじゃあ何も見えやしねえ……。一瞬の晴れ間に期侍して上まで行こう……、時間はたっぷり有るしなぁ……」
どうせここから1時間のコースである。わずかな期待をこめて歩き出す。
しかし、ガスがアッという間に一面を覆ってしまう。白いガスと白い雪。あとは何も見えない。ただ真っ直ぐに付けられた踏み後を頼りに登って行った。
この登りは実に苦しい。槍ケ岳の、いや槍沢の最後の詰め。10メートル歩いては立ち止まり、また10メートル歩いては立ち止まる。何度も何度も立ち止まり、肩で大きく息をつく。
斜面は一層きつくなった。数歩前を歩いていた相棒が、あまりにも急なので、
「おかしいんじやねえか……」
と言って立ち止まった。
「いや大丈夫だ、絶対大丈夫だ。このまま踏み後を頼りに行け、途中で表銀座からのルートとぶつかるはずだ」と言って再び歩き出した。
だが、しばらくしてまた立ち止まる。左手の方から人の声が聞こえて来るのだ。あの声は我々と同じように登っている人達なのか、それとも、すでに小屋へ到着した人達なのか。もし小屋にいる人達だとすれば、小屋はすぐ左手にあるということになるのだが……。
雪山ではガスに巻かれるとまったく方向がわからなくなる。白い雪と白いガスで、目印となる物が何もないからだ。せめて今は踏み後があるので心強いが、冬山で吹雪かれると踏み後などはわすか数分で消えてしまう。そのため小屋の数10メートル手前まで来ていながら遭難したという例もある。
人の声に惑わされてはいけない。
「とにかく真っ直ぐ行け、真っ直ぐ!」
と、相棒に声をかけて再び登り始める。
しばらく登ると、ガスの中にボンヤリと黒い岩場が見えて来た。近づいて行くと、その岩場にザイル・パーティーがいた。槍ケ岳から下って来た人達だろうと思って立ち止まっていると、ガスの裂け目から突然小屋が見えた。
「オイ、小屋が見えたぞ、小屋が!」
小屋は左手数10メートルほどの所にあった。ついに「肩の小屋」ヘ到着。小屋着14時30分。
小屋は雪にすっぽりと埋もれていた。雪の斜面と屋根の庇が同じ高さなので、良く見ないと雪の斜面にしか見えない。雪が屋根の庇まであるということは、この稜線上でさえまだ5、6メートルも積もっていることになる。
雪を切り崩して作った階段を下りて玄関をくぐって行った。
この小屋は、アルプスの中でも最大級の小屋だ。おそらく800人位は収容できるのだろうが、今日の宿泊者はせいぜい50人位だろうか。小屋が大きいためガランとした感じである。
タ食までの間、ストーブが入っている「談話室」で時間をつぶす。相棒のテルさんは、いつものように居眠りコース。ストーブにあたりながら、すっかり濡れてしまった靴下を乾かした。
16時ごろになって「槍が見えるぞ−」と騒がしくなった。私も乾かしたばかりの靴下をはいてカメラを持って外へ出た。槍ケ岳が見事に見えた。急いでシャッターを何回も押した。近くの人が仲聞に「オイ、今から登ろうぜ!」と、興奮して怒鳴っていた。それを聞いて思わず「今から登るんですか」と聞くと、「ええ、今からなら晩メシまでには帰って来られるでしょう」と言って、小屋の中ヘ入って行った。
「よし私も登ろう」と、部屋へ戻ってアイゼンとピッケル、カメラを持って外へ飛び出した。しかし、今見えた槍はもう見えない。すっかり白い霧に覆われてしまった。これじゃあ登っても仕方がない。ここで再び槍が姿を現すまで待って写真でも撮ろう。
5分もすると再び姿を出した。さかんにシャッターを押した。槍ケ岳はここから見ると、あまりにも近すぎて不格好だ。あの鋭く尖った槍のイメージは全くない。ずんぐりむっくりで高度感がない。
常念岳や大天井岳が絵に描いたように見事に見えた。槍沢もはるか下の谷底まで見下ろせた。その槍沢を覗き込むと、谷底の方から登って来る人達がいた。白い雪の斜面に、点々とアリのように見えた。そのアリを数えると全部で13匹いた。
この天気は気休めでしかなかった。わずか4、5分で再び白いガスに覆われ、一層濃くなるばかりだった。
*
タ食後は玄関の板の間に座り込んでティータイム。今日のコーヒーは、いつものインスタント・コーヒーではない。知り合いの喫茶店の店長に挽いてもらったコロンビア。湯をそそぐと一面にコーヒーの香りが漂う。周りの人の視線が少々気になった。
このコーヒーは、あの3,000メートルの槍ケ岳の頂上で飲もうと、わざわざ持って来たのである。それが玄関の板の間で飲むハメになろうとは……。
夜になってだいぶ風が出て来たようだ。明朝は5時前に起きて、朝メシ前に槍を往復して来よう。(午後7時)
昨夜は、風の音で何度も目がさめた。朝方になって鋭い寒気ですっかり目が覚めてしまった。外はヒユウ・ヒユウと風が唸っていた。ここは3,000メートルの稜線上なので一層強いのだろう。
4時になるのを待って、フトンから飛び起きた。窓越しに外を眺めようとしたが、ガラスが白く凍って見えない。ただ風の音だけがやたらと強い。
玄関にはまだ誰もいなかった。外の天気が気になって、土間へ降りて玄関の戸を開けてみたが戸が開かない。力一杯引っ張ってみたがそれでもダメだった。良く見れば戸のすきまに10センチほどの雪が積もっていた。雪だ。雪が積もっている。小屋の中まで雪が入り込んでいる。外は一体どれほど積もったのだろうか。
どうしても戸が開かないので、仕方なくタバコをふかしていると、
「天気はどうですか」と、3人連れが声をかけて来た。
今度は2人で戸を開けてみた。しかし、それでも開かない。そこで受付の所にあったスコップを持って来てこじ開けたが、急いで締めた。なんと雪が胸の高さよりも高く積もっていた。
今度は静かに少しずつ開けてみる。しかし強い風と雪が吹き込んで来るのであわてて閉めた。
今も雪が降っているのか、それとも昨夜降った雪が強風で吹き飛ばされているのか分からない。いずれにしても人が歩けるような状態ではない。
いつの間にか玄関の板の間には、7、8人が集まっていた。
「困りましたねえ……」
と、その中の一人が声をかけて来た。昨夜、談話室で一緒だった人だ。
「この天気じゃねぇ……」と言ってから、昨夜は「明日は北穂まで行く」と言っていたのを思い出し、
「北穂まで行くんですか」
と聞くと、
「これじゃあ行けないでしょう……、この雪と風じゃ……」
と不安そうな顔をして言う。
「この風じゃあ、吹き飛ばされちゃうねぇ……、それに雪もまだフックしていないし……」
今も降っているのかどうか分からないが、昨夜降ったことは確かである。その降ったばかりの新雪と、昨日までの古い雪が完全に密着しないと表層雪崩が起きやすく、岩場はアイゼンがきかない。
我々も少々の天気なら、朝メシ前に槍を往復して来ようと思っていたが、こんな天気では仕方がない。メシでも食ってから考えよう。
再び部屋へ戻って、フトンの中へ潜り込んだ。
*
6時を少し回った頃、朝メシで起こされた。
朝食が済んでも誰一人として出かける者はいない。みんな行動をためらっているのだろう。諦めの早い人は、もう停滞と決め込んで、フトンの中へ潜り込んでいる。
我々は談話室にストーブをつけてもらい、テルさんと2人で陣取った。しかし温かくないストーブだ。火力が弱いため指先だけはなんとか温かく感じるものの、背中の方がゾクゾクする。
ストーブにあたっていても別にやる事もない。2人ともただ黙ってストーブの炎を見つめている。
「これからどうする?」
どちらからともなく言い出した。
しかし、この天気で槍をアタックするのは自殺行為に近い。それに昨夜「槍へ行く」と言っていた連中も、誰一人として出かける者はいなかった。
3,180メートルの槍ケ岳のうち、ここはすでに3,000メートルである。あと100メートルちょっとで頂上だと言うのに……。このまま下るのも悔しい。
昨夜、槍を登って来た人が、「夏なら40分かかるが、雪道だから20分で登った」と言っていた。あと20分で頂上……。しかし、この強風と雪。しかも天気予報は、今日、明日とも荒れ模様と報じている。しばし思案にくれた。
「オイ、下ろう、いさぎよく引き返そう!」
登山は「登るよりも、引き返す方が勇気がいる」と言われるが、山は決して逃げない。天気の良い時にまた来ればいい。下るも勇気、男の子。
下山と決めて、さっそく荷造りを始める。
アイゼンはつけずに、ピッケルを片手に小屋を出発する。しかし、小屋を出るにも一苦労だ。玄関から雪の階段を登るのだが、その階段が新雪で1メートルも積もってしまったのだ。玄関から四つん這いになり、這いつくばって、やっと外に出た。
外はゴウゴウとうなる風。そして雪。立っているだけでも苦痛なほどの吹雪だ。春の嵐だ。ピッケルにしがみ付くようにして歩き出した。
小屋を出るとすぐに槍ケ岳山頂と槍沢、東鎌尾根、西鎌尾根との分岐点がある。その分岐点まで来ると、我々よりも先に小屋を出発した7、8人のパーティーが立ち止まっていた。
なぜこんな寒い中で立ち止まっているのか分からなかったが、槍沢を見下ろして納得した。道が無いのだ。昨日登って来た道は、一夜の雪ですっかり消えてしまい、ただ一面雪の斜面。どこをどう下ればいいのか分からない。誰かが先頭に立って、この急斜面をラッセルしなくてはならない。
前のパーティーがいっこうに下る気配がないので、
「オイ、行こうぜ!」
と相棒に声をかけ、パーティーの先頭に立ってラッセルをしながら下り始める。とにかく、この斜面を谷へ谷へと下ればいい。
しかし、だんだん雪が深くなってくる。分岐点近くは新雪も少なかったが、下るにしたがって多くなり、膝まて潜るようになって来た。それに、このアルプス独特のサラサラした雪は、まるで砂の中を歩くようなもの。足がのめり込んで前へつんのめる。足を一歩踏み出す度に、ザックが頭上に覆いかぶさってくる。首の骨が折れるのではないかと心配した。(当時のザックはウェストベルトなどはなかった)。
四つん這いになり、這いつくばることしきり。相棒とハアハアしながら雪だるまのようになってもがく。しばらく下ると、左手にボンヤリと殺生小屋が見えて来た。
前にいた相棒が、
「ここを真っ直ぐ下ちゃおう」と、谷の方を指さす。
「だめだ、左へ行け、小屋へ向かって行け!」と言うと、
「なんで小屋なんかへ行くんだ。このまま下った方が近いだろう!」と言う相棒。
たしかに、小屋へ寄る必要は何もないのだが、我々がラッセルしたこの道を、後から何人通るか分からない。特に今日のように視界が利かない時は、道だけが頼りになるのだ。
たとえ小屋へ寄る必要がなくても、小屋から小屋へと道を付けて行くのがラッセルする者の務めだろう。そう思って、今まで槍沢を一直線に下って来たが、小屋の方へ向って、左に大きくカーブを切った。(当時は殺生小屋の前が登山道だった)
殺生小屋から下は道が付いていた。今朝この小屋から下った人がいるのだろう。ラッセルこそしなくて済むが、歩きにくいことに変わりはない。
いつの間にか雪から雨に変わった。ヤッケはもう水をたっぷり含んでしまい、ボロ靴の中はもうグジャグジャだった。
雨が一層ひどくなったので傘を出した。ピッケルをザックにくくり付けて傘をさして下っていると、今度は雨がヒョウに変わった。
もうヤケクソだった。「雨でも氷でも降ってこい!コノヤロウ!」。夢にまで見た残雪の槍ケ岳には立てず、雨に降られ、雪に降られ、氷に降られる。今度は何が降って来るんだ! 槍でも何でも降ってこい!
槍沢ロッジまで靴で滑りながら下ったので2時間で着いた。
横尾から「山のひだや」へ1日早く下山して来たことを電話で連絡すると、ご主人がわざわざお風呂を沸かしておいてくれた。(下へ続く)
(上からの続き)
朝8時に起こされた。空はどんよりとした雲が覆っていたが、朝食を摂っている頃から少しずつ雲が切れ、窓から明神岳が見えるようになって来た。
昨日は季節はずれの吹雪で槍を断念して下山したこともあって、雲が切れて行く空を見ると腹が立った。
今日は予備日だったので何の予定もない。
ご主人が、「明神のひょうたん池か徳本(とくごう)峠へ行って来るといい」と勧めてくれるが、あまり気乗りはしない。さりとて宿でゴロゴロしているのも惜しい。
しばらくしてから、相棒に「オイ、徳本峠へ行こうか?」と声をかけると、相棒は黙って頷いた。
「よし!それじゃあ、昼メシ前に徳本を往復して来るか!」と、自分に気合を入れた。
カメラとテルモスだけをテルさんのアタックザックに入れ、私はピッケルを片手に空身で出発。
明神から徳沢へ向かう遊歩道の途中に、徳本峠への分岐がある。遊歩道を右に折れて森林の中を歩いて行く。
この道も遊歩道と同じように広い道だが、1kmほど行くと道幅がぐ〜んと狭くなり、やっと登山道らしくなって来た。残雪もチラホラと現れ、やがて一面の雪になった。
昨夜一晩かかって乾かした靴下も、いつの間にか水を含んでしまい、足に冷たいものを感じるようになって来た。
それにしても荷物がないということは本当に楽でいい。ピッケルを片手に、前の人を次から次へと追い越しながら、急斜面の雪道を登って行った。
時々、後ろを振り向いては明神岳を眺める。明神岳が五峰から主峰までズラリと並び立っている。そして、その左手から、西穂高の稜線がノコギリの歯のように見えて来た。
さらに登るたびに明神岳の陰から、奥穂高や前穂高が顔を出す。
ここは森林地帯の雪の道。昨日の雨で、すっかり雪が腐ってしまい歩きにくい。斜面も一層きつくなって来た。その急な斜面を30分ほど登ると、道は大きく左へトラバース。そこに「小屋まであと3分」と書かれた案内板があった。
この辺は風通しが良いせいか、雪の表面が完全に凍結している。その上昨日の雨で表面がツルツル滑って歩きにくい。私はピッケルを持って来たが、ピッケルもアイゼンも持って来なかった相棒はかなり苦戦している。
森林を抜けだすと、そこにみすぼらしい小屋があった。「徳本峠小屋」だ。
ここが、かの有名な徳本峠である。日本に近代登山をもたらし、日本の山々を全世界に紹介したあのウェストンが、、この峠まで来て、初めて穂高連峰を眺めた時、感激のあまりに思わず婦人を抱きしめたと言われる徳本峠である。
ここから数分登った所に展望台があった。まさに明神岳と穂高を眺める絶好の展望台だった。
ここから見ると、明神岳が一段と鋭く見える。明神岳がこんなに魅力的な岳だとは知らなかった。明神というと、どうせクライマーしか登れないと決めつけ、あまり興味も持たなかったが、ここから見る明神は何とすばらしいことか。
それに西穂高がいい。西穂高の独標のピークから、奥穂までの岩稜が一望できる。まるでノコギリの歯のようにズラリと並び立った岩峰に、白い残雪が一層その魅力を強調する。やはり一度は登ってみたい山だ。西穂は今まで何回も計画していながら、ついに登りそこねてしまった山である。相棒と、「必ず西穂をやろう」と誓い合った。
徳本峠はその昔、まだ上高地へ車が入らなかった時代は、島々から上高地へ入る唯一の道だった。当時は登山者で賑わったのだろうが、今では通る人も少ない。せいぜい山岳部の連中がバスの入らない季節に通るか、訓練のためにあえてバスに乗らずに通るぐらいだろう。
この峠にある小屋も、今も現役で営業しているが、すぐ近くにある槍や穂高などの近代的な山小屋とは違い、小さな平屋建てで、コケが生えた屋根に風で飛ばされないように石が幾つも乗せてあり、小屋そのものが長い歴史を物語っている。一見廃墟かと思ったほどだが、小屋からはのどかに煙が立ち上り、時々登山者が出入りしている光景は、いかにも風情があった。
下りはツルツルになった急斜面を必死で下る。しかし、すぐに斜面がゆるみ、今度は靴で滑りながら下って行った。
相棒と、「今日の昼メシは豪華にやろう」ということになり、早速、『ひだや』へ着くなり、ジーパンにサンダル履きという格好で、河童橋へ向かった。
今までのボロ靴からサンダルに履き替えると、まるで足が浮いているように軽く感じる。遊歩道をサッサと歩く。河童橋まで3kmの道をわずか20分。
帝国ホテルのレストランへ入り、この店で一番高い「上高地ステーキ」を注文。値段は3000円也。思い切って奮発する。
何しろこの上高地へは、もう何十回も来ていながら、帝国ホテルでお食事などとシャレたことはない。いつも横目で睨みながら素通り。一度ぐらいはこんな所で食事をするのもいいだろう。
このレストランの『アルペンローゼ』という名前が気に入った。アルペンローゼとは、ヨーロッパ・アルプスの三大名花の一つである。白いエーデルワイス、青いエンチャンゲンチアナ、そして赤いアルペンローゼである。私はまだ見たことはないが、映画などに出て来るチロルの娘さんが、通行人にお花を売っているのがアルペンローゼらしい。花の好きなヨーロッパ人をうならせた花だから、きっと美しい花なんだろう。
宿へ15時に戻る。
主人の宝物、ホルンをロビーへ持ち出して吹いてみる。ヨーデルなどを唄う時、屋外で使うあの長いラッパのような楽器である。音がなかなか出ない。やっと出たのがビリビリビリ・・・。まるでオナラだ。
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近年の徳本峠、徳本峠小屋については、→霞沢岳で詳しく述べています。
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