現在気多大社で櫻井姓を名乗る唯一の神職、櫻井基生権禰宜のお宅に残されている文書の一部で大宮司家から保存を依頼されたそうだ)
明治維新に新政府による神職世襲廃止になるまで唯一続いた大宮司家神職の櫻井基辰氏が残された文書で、「天明時代に訳あって断絶した権大宮司家の配米の管理をしていた」と朱書きされている記録である。
第40代権権惣行事櫻井伊豆守基直様のお墓
櫻井サンマイの入り口近くに今回案内をして下さった櫻井正範氏の御曽祖父が眠る。
櫻井社家の一つで大床職を代々継ぐ。大宮司断絶時代には再興に尽力された。
 権大宮司ご先祖墓を訪ねて (2) 能登羽咋・一宮気多大社 2006/11/4〜6
 気多大社櫻井サンマイと言われる大宮司家墓地入り口
 明治期の大宮司家墓石群(櫻井基生氏が整備された)
明治以前の大宮司家・権大宮司家の墓所
古来、神道では死は「忌み嫌う事」であり、墓地へ行く道や門も別にある。大宮司・権大宮司一族の葬られた一角は櫻井サンマイと呼ばれ笹藪に囲まれていた。亡き骸は土葬し土饅頭の上に小さな自然石を載せるだけの簡素な墓であって墓前祭なども執り行われなっかたそうだ。それ以外の社家は少し離れた別の区域に埋葬されている。
残念ながら当家初代監物以降5代甚兵衛の墓を確認する事は出来なっかたが、現、気多大社権祢宜櫻井基生氏が証明してくれた。基生氏は明治期途絶えた左大別当職の血縁で戦後御祖父様の代になり気多大社に勤められた家柄で、権権惣行事伊豆家とも姻戚関係で結ばれいる。お二人の風貌も良く似ていらっしゃる。何と言っても基生氏は背格好も顔立ちも春雄伯父様そっくりで驚いてしまった。