代 |
名 |
備 考 |
死亡又は
隠居の年号 |
同 西暦 |
初代 |
監 物 |
能登国 |
能登国羽咋郡位一宮村に居住・気多神社(大正4年11月10日国弊大社となる)の大宮司として代々同神社奉仕神職の首班であった。4代の大監物は従五位下の高位にいた。5代甚兵衛は大監物の三男で父の跡目を相続したが病弱なため、羽咋郡大念寺新村に引退して大宮司の職をその子甚太夫に譲る。 |
天正 5年 |
1557 |
2代 |
監物丞 |
慶長 4年 |
1599 |
3代 |
監物丞 |
寛永16年 |
1639 |
4代 |
大監物 |
正徳 3年 |
1713 |
5代 |
甚兵衛 |
正徳 5年 |
1715 |
6代 |
甚太夫 |
金沢 |
馬術に長けていたので前田家に仕えるようになり、9代甚太郎に至るまで代々加賀藩士として乗馬役を務めるようになった |
天明 8年 |
1788 |
7代 |
弘次郎 |
甚太夫の養嗣子で高橋宅右衛門の二男 |
寛政 5年 |
1793 |
8代 |
甚太夫 |
弘次郎の長男、勤務精励につき知行百石を賜る。妻は熊野兵右衛門の娘 |
嘉永 6年 |
1853 |
9代 |
甚太郎 |
甚太夫の長男、先代の跡目を継ぐが48歳で病没(享年48歳) |
文久 3年 |
1863 |
10代 |
先之丞 |
甚太郎と先妻(福田姓・1850没)との二男(長子喜三郎夭折)品行不正、家宝什器売払い放蕩し、放禄。明治30年金沢にて没、享年53歳 |
明治元年隠居 |
1868 |
11代 |
房 記 |
東京 |
甚太郎・八百の長子。嘉永5年(1852)8月25日金沢馬場一蕃丁で誕生異母兄放禄即日新たに俸禄40俵を賜る。享年76歳 |
昭和 3年 |
1928 |
(分家初代) |
弟 |
省三・安政元年(1854)8月28日生 享年90歳 |
昭和19年 |
1944 |
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弟 |
竹吉(夭折) |
安政 4年 |
1856 |
(分家初代) |
弟 |
錠二 |
昭和14年 |
1939 |
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弟 |
大次郎(夭折) |
文久 2年 |
1862 |
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妹 |
梅子(夭折) |
文久 3年 |
1863 |
12代 |
俊 記 |
房記の長男 |
昭和45年 |
1970 |
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