JA1BZM局(EX JA8BO)のQSLカード
2016年1月2日 50MHz SSB
60年ぶりのQSOです
JA8BO局のQSLカード
1954年1月17日 7087.5KC A3, RX:RF1-IF1
7-tube super, TX:16W to 807, Ant: 30m LW

Ham Radio JA1LZ Homepage   

アマチュア無線の夜明け
無線の研究 1926

 私の家の本棚にずーっと前からあった古びた
黒表紙の本、「無線の研究」とあります。これは
「無線之研究」という雑誌の1925年9月号
(第4巻第3号)から翌1926年6月号
(第5巻第6号)までの合本です。
 父が若い時買ったものでしょうか、うら表紙に
1927.4.20 H.Kimura のサインがありました。
発行所は東京市麹町区の無線之研究社、
伊藤永止氏が主幹です。各号50頁位で内容は
丁度1925年に東京、大阪、名古屋でラジオ放送が
始まったので、受信機の製作、放送の受信などの
記事が主で、広告には海外の受信機、部品に
ついてのものが目をひきます。
 1926年にはぼつぼつ短波に関する記事、
海外のアマチュア局の受信レポートが出てきます。
当時日本ではまだ個人の電波発射は許可されて
なく受信のみでした。
 このような時代に先駆して短波の研究に努力
された先輩諸氏に頭がさがります。
ここではこれ等のOMが書かれた記事をご紹介します。

短波長無線の話    神戸市  笠原 功一
 我親愛なる読者諸君は、このごろ急に短波無線が
云々されだしたのにお気がつかれているだろう。
貧弱ながら私の経験をとりまぜて此事につき申し
あげよう。
 短波長とはつまり一般の物に比して波長が短い
から出来た名で、何米以下と限定されたものでない。
どなただったか某雑誌に100mを限界にする様に
話されていたが先良い分け方と思う。まあ2桁を
短波長、1桁以下を超短波長と云えばよいだろう。
所で未だ私は1桁の波長には手がとどかないので
お話出来ないが、2桁の方について少し述べる。
 一般に2桁の短波を80m帯、40m帯、20m帯と
分けている。勿論大凡の分け方だが、今もし37mの
発信機を所持する時には其人の受信機は40m
前後から30m程迄受けられるものを要する。37mの
放送には80m帯や20m帯の受信は来ないのである。
 さて世界の文明国中、日本以外の国は皆常識的な
限界をつけて、いわゆるアマチューアを養っている。
アマチュアを訳せば素人となる。しかし本職以上で
ある。只職業ならざる所に身上がある。
 米国ではこのごろ80m帯で電話をやることを許したとか聞いたが、とも角一般に電信全盛時代である。だから昨年来東京J1PPの電話は全世界のアマチュアに非常なショックを与えたのだった。私は其当時何時も太平洋を越えてオーストラリヤと北米、南米のアマチュア達がJ1PPのうわさ話を盛んにやっているのをきいた。 

 今凡そ42mから30mくらい迄の電波をとらえ得る(再生式低周波増幅1段附)受信機を
組立て聴くとしよう。2段増幅はほとんど不必要である。
 アメリカの40m帯の局は42mからあるのだが、42m附近は少ないのか聞こえないのか兎に角
甚だ少ない。40mという波長は数がキッチリしているせいか、或時私は3つの局が同時に丁度
40mで混信し合っているのを聞いたことがある。此内の一つは我国最古の短波送信所J1AA
岩槻局であった。同局は目下も春洋丸相手の定期試験送信に、又或時はアマチュアのお仲間
入りをして、遠く日本の名をとどろかせている。波長は40m丁度であるが私共の所では近いせい
か可成ブロードにきこえる。この辺の波長から次第に下げていくとハワイの局が先強く耳に入る
だろう。次で北米合衆国のシグナルが聞こえる。私共が夕方から夜にかけて聞き得るものには、
南米諸国、オーストラリア、ニュージランド及近くはフィリッピン、印度支那等々中々
沢山ある。ダイアルをだんだん廻して33mくらいに来ると急に信号の数が減ってくる。即我々は
今40mバンドを一順探したわけである。受信機のバリコンにもよるが大凡1mの波長変更は
ダイアルの5度から10度位である。だから40mの下には39.5mの送信が行われ得るわけである。
僅か7m位の範囲に十数の局が活動しているのがこれでお解かりと思う。
 短波長のシグナルは怪物である。ほとんど信ぜられない程の電力で思切った遠方に達する。
私の知っている範囲でも単に201Aバルブ1個で3000kmの送信に成功したもの、5Wで6000km
と云ったようなのがザラにある。J1PP 1基の送信は18000kmのアルゼンチンでR8と応答して
いる。所が其応答がR6で日本できこえている。其時彼の送信機は50Wの球を用いていた。
何と云う素晴らしい「談話」であろう。しかしてアルゼンチン以上に遠い地点は地球上には
ない。即完全に地球をカバーした様に見える。世界中どこでも同時にきこえたか?これが問題で
ある。大阪放送局の放送が京都できこえない。否ききにくい。そんなケチな問題ではない。
ハワイできこえたか、ドイツではどうであったか、と云う程度である。現におひざ元の当地で
さえ或時は大変聞こえにくくなったのだった。この問題を解決するためには全世界の
アマチュアは協力して事に当たるだろう。只日本だけは例外!何と淋しい事だろう。否私は
国辱だとさえ考えている。アメリカの素人無線雑誌QSTにはJ1AAJ1PPの写真が出たーー
しかも日本の素人なる標題は遂に今以って出現しない。我国のアマチュアは眠れるか? 
否眠らされているのか? 私は短波長以上の奇怪事だと思う。         (1926年5月号)

短波長に就きてのことども          ツエー・モル生

 やっと我国でも雑誌に短波長に関する記事がボツボツ現れる様になり、所謂ラジオ屋さんの
店頭には長大なエクステンションハンドルの付いた、グラウンデッドステイターのハイロス
コンデンサーがショウウインドウに堂々と姿を現しているのを見受ける様になった今日、
実際に短波長の研究をやっていられる方や、これからやって見ようと思われる方の何かの
参考にもなろうかと、気付いたことや頭に浮かんでいる事を雑然とならべ立てて見ましょう。
 実際ショートウェーブと云う奴は不思議なもので、実に其のマイルズ/ワットのレコードには
途方もないのが有ります。最近のQSTを見ますと、米国の8GZはUV199を用い75VのB電池と
5mAのプレートカーレントで、a5BGO、A6N及びa2CGとQSOしたとの記事が出ています。
勿論アンテナシステムも良く、最初はハイパワーで連絡を取ってからやった事とは云え、
驚異に値するレコードであろうと思います。又欧州方面とオーストレリア及びニウジーランド
との通信は非常に状態が良いらしく、一昨年の秋10月19日にニウジーランドのZ4AAと
ロンドンのG2SZとが90分間交信して以来、この殆どアンティボードに近い二地間には確実な
交信が常に保たれ、ローパワーレコードも随分多く、或いは2W或いは5W等の少ない
インプットで交信した例は相当ある様です。又手近な所ではウルグアイのモンテビデオの
JCPが5Wバルブ2個を用いて我がJ1PPと交信した事です。勿論バルブもオーバーロードして
使用し、アンテナも良いのですから非常なローパワーとは云えませんけれど注目すべき
価値は充分あります。以上述べた様な例を知る時は如何にも我が国のアマチュア無電界の
貧弱さを感じるではありませんか、然し国産の201Aとフォードコイルの電源でどうして
フィリッピンまで達しないと云えましょう。少しオーバーロードしたら米国まで聞こえない
事はない事を断言出来ない事はないのです。(???)
 要するに我々の頭一つです。決して我国のアマチュアがいつまでも外国の彼等を羨んで
いる可き時ではないでしょう。ショートウエーブが遠くまで行く話は此の位にして
アマチュアの国際通信がどんなものであるかと云う事を述べましょう。

 現今ごく少数のものを除いてはアマチュア通信は電信ばかりです。電話が盛んでないのは
第一に通達距離が著しく小さい事、第二に混信妨害が多い事、第三に技術的に困難でディス
トーションやフェーディングがひどい事等です。ですからショートウエーブでは電話は殆ど
入りません。従って短波をやって見ようと思われる方は必ずモールスが出来なければ実に
つまらないものです。然し我国には符号も全然読めず、何局が何局と通信している事さえ
分からないで堂々と雑誌に記事を書くような偉い人が何人もいるのには驚きますね。
  米国のKDKAでは電話の放送をやっていますが、我国では一寸受信出来ないでしょう。
放送と云う字が出たので気が付きましたが我国で新聞は申すまでもなく、無線雑誌さえ
放送と云う字をやたらに使います。実際はこの語は字に書いてある通り一般に聞かす目的で、
電話なり電信なりを送信するのを云うので、アマチュア通信の如き個人間のものは決して
放送というべきものではありません。
 たとえ其の通信が他人に洩れてもそれは聞く方の勝手で、主観的には決して放送ではない
のです。英国等ではアマチュアの放送は絶対に許されません。アマチュアの送信は実験として
行うべきものです。此の意味よりして放送波長でこっそり電話なんかをやるのは重大な罪で
あると云えます。
 次に題目を元にもどしてアマチュア間の通信の実際について御話ししましょう。先ずCQに
返答したり、されたりして新しい局と通信したとします。(CQとは前月号笠原氏の記事参照)
お互いに挨拶をしたり、小電力で良く聞こえてFB(適訳がありませんがステキとでも訳しま
しょうか)だとか云い又、名や住所等を問います。そして電波の音調だとか、聞こえる大きさ
とかフェーディングの有無等を尋ねたりします。それから後はトラフィックと云い、電報の
送受を許されている国ではそのリレーをしたり、又は電力を増減して感度の試験をしたり、
或いはラッグチュウイングと称し色んな事をダベったりします。是が何れも顔を見たことも
ない者同志が、何千里と離れた所に在って仲良く話し合うのですから実に愉快なものです。
国際的に云えばこれ程各国人間の理解を深くし、友情関係を増すものはないでしょう。
戦争等は起こらなくてすむ様になるとも云えます。
 この様にして通信して其の終わりに又特別の挨拶があるのです。それはCUL 73と打つので、
又お目にかかります御機嫌ようと云う意味なのです。そして初めて通信した局は必ずQSLカード
と云うものを御互いに郵便で送る習慣になっています。それには先方の信号の受信結果だとか
自方の送受装置の説明等が書いてあり、又大きな字で自分の局のコールレターが赤とか緑とか
奇麗な色で印刷してあります。そして其れを受け取った局ではそれを機械の置いてある部屋の
壁に張るのです。其のカードの多い事がアマチュアに取っては一種の可愛い自慢なのです。
 良く外国雑誌に出てる写真で壁だけでは張りきれず、天井にまで張りつけてあるのが見受け
ますが、それ程までになるのは中々大変です。この様な昔から送受信をしている人をオールド
タイマーと云います。又アマチュア間でオールドマンを略してOMと云う語を盛んに用います。
 ひどい奴になると一つの話しの切れ目ごとにOMを打ちます。これは親しみを以って先方に
呼びかける語で、ネー君という様な意味です。決して某誌に出ていた様な先生などと云う様な
冷たい意味ではないのです。然し我国の無線界には自称先生があまりに沢山居るのは一寸
皮肉ですね。まだ自称天才の方が可愛い所がありますよ。悪辣でないだけ。
 余談はさて置きこの様にして御互いに仲良く通信し合っているアマチュアの送信装置はどんな
ものかと云いますと、中には米国の9ZTのドンワーレス氏の様に水冷式1キロなんて云う猛烈な
特殊階級がありますが、大多数は50W乃至10W程度のものです。然し可成りバルブはオーバー
ロードして使って居るのが多い様です。そしてそのセットは大抵はその置いてある部屋(シャック
と云います)のテーブルの上に部分品を置き並べて配線し、何時でも配線を変えたり部分品を
取り変えたり出来る様にして、そのテーブルの下にトランスやレクチファイアー及び
フィルター等を置いたのが多い様です。然し極端を云えば大規模な方では数KWのモーター
ジェネレターを有し立派な大理石の配電板が有り、また丁度写真で見る放送局の送信機の様に
立派なパネル式の枠の中に250Wや500Wのバルブを備えた局も少なくありません。
そして其れが多くはアマチュアの自製なのですから金が有るのだと云え大分オサえられます。
然し小電力の方を云えば普通の放送受信用1球式セットと同じ位の大きさ、及び構造の機械で
電池で働かし201A位なバルブを使用し、それで優秀な成績を上げている局が多数ある事は
初めに述べた通りです。
 翻って我国のアマチュア界を見ますのに、たとえ送信が公許されないにしろ余りに貧弱すぎ
ますね。受信方面だけでも、もっともっと盛んになる可きだと思います。出鱈目雑誌の空景気
だけでは、どうにもこうにも当局だってアマチュアに送信の許可を与え様もないではありま
せんか。
 お互いにもっと真摯な態度で研究し実験して、科学的には白人国に劣っている我国を何とか
して彼等以上に偉大なものにしたいではありませんか。然しいや所長だとか理事だとか自称
大先生や井戸の中の小僧連が集まって、頭に不相応なクリスタルコントロールだの、
短波長は其の日の新聞を調べてからでないと聞こえぬだとか、途方もない焼直しやら出鱈目
ばかりの記事満載の雑誌が平気で白昼出現し、おまけにそれらの先生方が短波専門の
本や雑誌を御出しになろうとか云う恐ろしいこの日本では一寸当分無理な話ですかね。
 まあモールスを覚えて(アルファベットのみで結構です)受信機を一つ作り聴いて
御覧なさい。何も其の日の新聞を見なくてもフィリッピンのアマチュアや、頭にNやKの付く
米国の海軍や商業局は耳を聾せんばかりに入ってきます。少し丁寧に同調すれば頭に
Uの付く米国のアマチュア、HUの付くハワイのアマチュア、又はA、オーストラリア等が具合の
良い日には一晩に五つや六つは必ず、多い時に十以上も聞こえます。しかもそれは市街地の
真中で小さなアンテナでです。
 まあ試みに短波受信をやって見る事です。国家の為なんて大きな考えはなくても、少なくとも
単なる放送聴取より大いに科学的の意味が深いものと思います。
 最後に一言注意しますが、セットが出来てもとんでもない波長帯を聞いては何も聞こえま
せん。現在一番良く聞こえるのは所謂40mバンドです。波長計の無い方にとって此のバンドを
探しあてる良い目安としては、必ずやってるとは限りませんが、今の所岩槻のJ1AAが
丁度40mです。そして米国のポリナスの6XIが丁度このバンドの最下の30m附近にやって
います。この局は非常に強勢で勿論弱くキャパシティカップルが有るでしょうが、夕方等
アンテナも何もなしただコイルのみでレシーバーから数尺離れても聞こえる事さえ有り、
殆ど毎日やっていますから丁度良い目当になります。それから上の方では42.3mの所では
ハワイのカフクのKIOが常にやって居ます。
 これはそう大きくありませんがやはり良い目当てになります。受信機のダイアルの目盛りが
この両局の間にあれば先ずたしかです。欧州のアマチュア局の波長は43m以上ですが一寸
聴こえません。
 40mバンドだけを受けるのには3枚乃至5枚のバリアブルコンデンサーが適当です。ダブル
スペースの必要は全然ありません。又コイルも普通のローロス形と称しているローレンツ
タイプで結構です。そしてタップ等は出さず、波長帯の変化は巻数の異なるコイル取り換える
のです。 裸線のコイルをクリップで巻数を変えるの等は好ましくありません。しかし大して
注意して作らなくともフィリッピンやUの付く局は容易に沢山入るものです。       
[短波長用国名符号(追加)]
AU アラスカ  FC 在在支那仏人局   FI 仏領インドシナ  SS シンガポール
PI フィリッピン諸島
                                      (文中の米国の9ZTは後のW6AM Don C. Wallace氏)       (1926年6月号)
                                     

起て、無線アマチュア    四谷  KY生
 私は昨日の日曜を利用して東京市主催の無線展に行って見ました。其中で最も目に付き
羨しく思ったものは岩槻局と外国アマチュアとの通信です。あれを見て私の血は踊りました。
外国の青年と自由に一隣にして通信出来る、然も我々の手で簡単に通信出来るのだと
思ったからです。然しそれは簡単でも六ケ敷い規則があって、我々の自由を束縛している
当局を思う時実に其時代錯誤を笑うと共に憤慨せざるを得ない。
 諸君よ起ちましょう共に力を合して一つの通信局を作り世界のアマチュアと交信しま
しょう、国際的に友情を保ち上に相互の向上の為めに、無線に依りて通信し友人を世界に
求めましょう。
 私達が愛読している無線の研究は吾等のために大いなる援助と指導とを計っているのと
斯界第一の売高を示していると本屋が言っているのに何となく力強く感じます。
 親切な記者諸君一層我等の為めに自由を呼んで下さい。若しも許されなければ学術研究に
国境なしで盛に実験をやり出す決心をしています。新しい発信機のサーキットや作り方を盛に
載せてください。此雑誌を見ている諸君はこの私の考えと同じであると思います。短波長を
開放させるは雑誌記者の責任であります。是非其の為に運動してください。  
                                                                                 (1925年12月号 読者通信欄)

 第2次大戦後アマチュア無線が再開されましたが、それより僅か30年前にいろいろな
制約や困難のなかで先人達がパイオニア精神を発揮して短波の研究に挑戦した事が
今日の隆盛につながったと感じます。
 1926年(大正15年)6月、日本アマチュア無線連盟が設立されたが、このあたり
わが国の短波事情は・・・
*1925年4月逓信省岩槻無線局(J1AA)、80m CWでU6RW(アメリカ)と交信、日本と
   外国と   最初の短波通信
*1925年12月 逓信官吏練習所(J1PP)、35m(8.6MHz) A3でサイゴン、ブラジル、
   北米と交信成功                      (CQ出版社 アマチュア無線の歴史より)
 またその頃東京のJ1TS仙波氏、関西のJ3WW 谷川氏、その他赤字の局のシグナルが
広くワッチされていたのも興味深いですね。
 私は小学4年から中学1年まで当時の岩槻町に住んで居りましたラジオ少年ですが、
J1AA局が何処に在ったのか興味がわきます。
 この時代0-V-1程度の受信機で内外のアマチュア局の微弱なシグナルをワッチ出来た
のも驚きです。この時期は太陽活動の具合で伝播状態が良かったのでしょうか。
 JA1KKB笠原氏よりお父上のJ3AA OTのアルバムからHistorical photo series として
作成されたQSLカードを頂きましたのでご紹介いたしました。
                 

 アマチュア無線は1902年ごろ米国において開始された。我が国では大正ごろから研究が
始められ、昭和2年9月に私設電信電話実験局が初めて免許された。当初はその数も少なく、
また大都市周辺においてのみ行われたが、逐次全国に拡大していった。当時は周波数、
電力、運用等について相当制限を受けていたが、その水準は世界的のものであった。
 しかし、第2次世界大戦のぼっ発により、送受信は全面的に禁止されたが、戦後対日平和
条約の締結を契機に、昭和27年7月、30局に対して予備免許が与えられ、再開された。以後
急激に増加して、昭和49年には米国を抜いて、世界1位となり、現在では約34万局となって
いる。                                        (記念切手シート説明文より)


JARL創立90周年を迎えるにあたり、もう少し内容を充実したいと今回VTトランス
ミッターと米国のアマチュア無線局1926年開局の2AGWの写真を追加しました。
ところがこの局について今回調べてみると後年のW2AGWで私がおおよそ50年前の
1963年にQSOしていることが判りました。父が昔買ったこの雑誌が珍しい縁を教えて
くれました。Hi
JARL創立90周年記念祝賀会で配布された資料「アマチュア無線のあゆみ」によれば
、この雑誌「無線の研究」は昭和2年(1927年)JARLの最初の機関紙となったようです。 
また、今年のQSOパーティで60年ぶりにJA1BZM/JA8BO福島OMと50メガ帯で
お会いして、QSLカードと福島さんが10数年をかけて完成したご著書を頂きました。 
非常に貴重な内容ですのでここにその一部を紹介させて頂きました。     (JA1LZ 木村記)

読者の頁(1926年4月号)

短波長受信記録
@Calls Heard, Feb. 1926 40M Band, Koichi Kasahara, 880 Tennoji cho, Osaka, Japan
U 6akx, 6bpg, 6cgw, 6dag, 6hm, 6ji, 6od
A 2ar, 2cg, 2ds, 2tm, 2yi, 3ad, 3ap, 3bi, 3ef, 3kb, 3wm, 4an, 4rb, 5ay, 5hr., 6ag
Z Iax, Ifn, Ifq, Iio, 2ac, 2ae, 4ac, 4ai, 4as
pi Iau, Icw, IdI, Ihr, 3aa
Hu 6aff, 6buc, 6clj, 6dbi, 6def, fxi
Bz Iib
R bai
M Iaa
Fe 8zw
ACalls Heard (Feb. 14......Mar. 9) 40m Band   原宿 宮崎 清俊
受信空中線 H13m, L15m, 受信機 0-V-1 (Capacity Peedb)
(A) 3KB, 3HS, 3QQ, 3HL, 2BK
(HV) 6VF, WCY
(J) JOAK(7one) 京城逓信局(7one) JHBB J1AA J3WW J1TS JSH JKK JOC
(PI) 3AA 1AV
(V) 2KV 6JS 6XI 6TT 6BON 6CT 6IIM 6BIL 6DAH 6ZR 6LA
U.S. Nacal NKF NPV KET CEVT
J3WW、 J1TS君  貴局の送信機の詳細 お知らせください。
3/3  7:15pm  JOC   落合   R9
3/4  6:50pm  J1AA  岩槻   R9
3/5  7:00pm  6VF  ハワイ  R5
3/5  7:55pm  KET        R4
3/5  8:00pm  ANF        R6
3/5  8:15pm  6XI  ポリナス R5
3/7  6:25pm  WCY ハワイ  R5
3/7  7:00pm  3HL  オーストラリア R4
3/7  8:20pm  6BIL  米国   R4
3/7  9:15pm  2BK  オーストラリア R4
B神戸  山口 慶吉
 受信機 ハートレートサーキット 低周波1段 受信空中線 高さ 40尺 斜全長 50尺
 共に僕が聞いた日本の局名中ことに強く入ったものです。 QRAのわからぬこと多し。
 J3AA R9 未知の電信のみ、J3AZ R9、 J8AA R9、 JOC 落合 R9、 J1TS R7、
 J1AA 岩槻 R8、 J3WW R9、 J3QQ R?、 J1RP 東京 R9 電話電信、J1KK R9
 

JARL 日本アマチュア無線連盟設立の頃
この状況については、福島 雄一(JA8BO/JA1BZM)著「にっぽん無線通信史」(朱鳥社
発行)
の第2章大正編 短波とアマチュア無線の項中に書かれているのでご紹介いたします。

さて、先駆者達の当時の状況を眺めてみよう。まず関西では、梶井謙一(大阪市此花区・
当時のコールJAZZ)と笠原功一(神戸市・当時のコールJFMT)ーこれらのコールは勿論
自分でつけたもの一が、両者の自宅間20kmを波長300m(これは中波)で、送受信に成功
していた。大正14年の秋ごろのことである。梶井は、住友電線に勤める若い技術者、
一方の笠原は関西学院高等部の学生で、2人は同年の春、「ラジオ好きの少年がいる」
との話を会社で聞いた梶井が、笠原を訪問する形で知り合うことになった。最初は相互
通信でなく、笠原側から送信したものを梶井が受け、その報告を翌日に電話で行うという
形だったが、やがて相互通信と短波帯への移行も済ませ、2人は翌年の春、北海道・
落石局との交信を行った。(落石は業務用であるが、この開拓期にはプロ・アマ間の
交信も内外でおこなわれた)
一方、このころ関東でも同好者が相互間で交信を始めていたが、その周波数は40m
付近、これに対し、当時の関西側は38m付近と異なっていたので、互いにその存在に
気付くことがなかった。大正15年の春、東京の仙波(1TS・当時東京帝国大学の学生)
が、たまたま少し短い波長を聴いたところ、関西の3WW(神戸の谷川譲)の信号を
キャッチして、ここに関東・関西の交信が実現したのであった。その日付は、3月5日と
されている。
ここに東西の交流が始まり、同時に交信の対象もフィリッピンあたりから、北米、オースト
ラリア、ニュージーランド、さらに南米、南アフリカと順調に進んでいった。そして4月に
上京した関西側の草間貫吉、梶井謙一、笠原功一の3名は、関東側の仙波猛、磯英治、
宮崎清俊と会談、日本におけるアマチュア無線団体の結成を計ることにし、早速準備に
とりかかる。名称をどうするかなど、若干の検討点は出たものの、作業は順調に運び、
設立宣言文が6月12日の夜、各メンバーの送信機から、世界に向けて打電された。
その内容は、次のような英文である。
 We have the honor of informing that We amateurs in Japan have organized today
 the Japanese Amateur Radio League. QST to all stations.

(QSTは「通告」の意のアマチュア用語)
この電文は、受信した局から更に転送されて、世界中に伝えられていった。当初のメンバ
ーは37名、東京・大阪地区が大半を占め、他地域では名古屋ほかが2名のみであった。
これが、今日世界一の局数に達した我が国のアマチュア無線と、その中で活動を続けて
いる日本アマチュア無線連盟(略称JARL、昭和34年に社団法人化)の出発点となった
のである。しかし、ここに新たな、かつ重大な問題が生じてきた。それは、先のメンバー
達も気付いていたのであるが、日本にはまだアマチュア局を対象にした規定はなく、
逆に言えばこれらの局は、すでに無免許での運用だったからである。
また、ラジオ放送開始の項では放送聴取は許可制で東京では許可番号第1号には
皇族の伏見宮家、聴取料は月額2円その後減額されて1円になった。
当時の受信機は鉱石式が最も多く10円程度、真空管式は東京電気のUV199を2本使用
したものが約90円、電池を加えると120円、当時の大卒の初任給50〜60円に比べて
かなり高価であった。外国品では5〜6球式で4〜500円、8球スーパーでは約1000円
などの記載も見られる。

Rev. 2024. 1. 17


JA1LZ開局の頃

アマチュア無線50年を記念して発行された
50円切手
発行日 昭和52年9月24日、意匠は昭和初期の
ホーン型スピーカーと電鍵を描き電波を配す
原画作成者 山野内 孝夫、発行枚数 30,000,000枚

JA1FG 梶井謙一氏のQSLカード 
QSO: 7Mc A3,  26th May 1957,  RS ?
戦前のコールサインも記入されている。
JAZZ(1924)、J3AZ(1926)はJARL設立
時頃使用していた。
J3CC(1928)は私設無線実験局として
正式に免許されたコール。
梶井OMは戦後社団法人となったJARLの
初代会長として1959年から1968年まで
アマチュア無線の発展に寄与されました。

JA1KKB局のQSLカード
写真はJ3WW 谷川 譲氏のシャック

JA1KKB局のQSLカード
写真はj3AA 笠原功一氏の日本素人無線連盟の盟員証
貴下を壱ヶ年間本連盟員トシテ認ム
本証ハ本年度ヨリノ新盟員トシテ発行ス
大正15年8月27日発行  第1号
日本素人無線連盟  幹事 草間 貫吉

この連盟証が発行された大正15年は西暦では
1926年です。またこの盟員証はかなり大きくB5サイズ
位です。幹事の草間氏のコールはj3CB、後のJA3HAM
.

米国のアマチュア局 2AGW (右の写真)
  5ワット40メーターで全合衆国に聞える。
送信機は天井裏にとりつけられ、コンデンサー
はアンテナリードにぶらさがっている。
 然し受信機は下にある。   (1926年5月号)


2AGWとARRLのキーワードで検索すると・・・・
Howard W. Wolfe was first licensed in Brooklyn, NY as 2AGW in 1926
His first DX QSO....
と出てきました。どうも後のW2AGWで有名なDXerの様です。
*One of the founders of the New Jersey DX Association *Atop the DXCC Honor Roll for many years* "Last Man Standing" at the South West Ohio DX Association's DX Dinner in Dayton every year

驚いたことに調べてみるとW2AGW局とは1963年3月25日に14MHz CWでQSOしている
ことが分かりました。

    VT. トランスミッター
 この送信機は電話でもICWの
電信でも何でも送信できる。
5ワット球を用い、プレート
回路に300ボルト掛け、
ICWで200哩聞えた。
 電話ではアンテナ電流は
0・4アンペアで18哩聞えた。
 コイルは16番線を55回巻き、
一方から5回宛(S2)他方から
3回宛(S1)タップを10個作る。
 3回毎のタップがプレート
回路のタップである。
               (1925年10月号)

この受信機は30mから70m位迄を
とることが出来る様に設計した。
材料
1. VC  9枚物  0.0002MFD
2. VC  11〃   0.00025MFD
3. コイル BS#16 15尺で直径
4吋で16T アンテナコイルは2T
4. チョークコイル
     ハネカム100回巻
5. レオスタット 20 ohm
6. グリットリーク 2-9 meg
7. グリットコンデンサー
  0.00015-0.00025MFD
使用
これに用いるアンテナはどんな
ものでもかまいません。とにかく
オスシレートしさえすれば入ります。
この前の平磯の試験の時などは
アンテナを外してもガン
ガンラッパがなりました。
何時聞いて見ても五つ以上
十位の大小の電信が入ります。   

短波長受信機を作るには      坂本  新

JI1HAC局のQSLカード
T0 JA1LZA  2019年5月26日 430MHz  FM
RS 57  Rig IC9IID  50W  Ant 20X2
写真は検見川無線送信所  JR総武線新検見川
駅から徒歩10分、
1926年逓信省が外国との
通信を主な目的に開局した。
1930年10月27日ロンドン海軍軍縮条約を
各国が調印したのを祝い、浜口首相が行った
平和演説のラジオ放送を米英両国に送信した。
鮮明な音声は国内初の国際放送になった。
コールサインは
J1AA検見川送信所の名は、国内第1号無線として世界に知られた。
まえさき ひろし氏(東京都)のウェブにJ1AA局と我が国が最初の海外アマチュア局との
交信の記述があります。それに依るとこの検見川送信所と同時に建設中の岩槻受信所に
逓信省通信局長の許可を受けて急遽短波受信機を作り、逓信省実験室にあった
中波送信機を借りて短波用に改造し、建設現場に仮設された通信局工務課の無線局で
行われたQSOであると書かれております。岩槻受信所は1926年3月31日に完成して
4月1日東京無線電信局として開所した。J1AAとしての短波通信実験はその後7月1日の
営業開始まで行われたようである。                                                  (JA1LZ記)

JA1KKB局のQSLカード
写真はJ3AA 笠原功一氏のシャック

(JARL NEWS 2016年春号より)

JARL100周年へ JARL NEWS 春号にあと2年後に迎える100周年に向けて
いろいろ活動を開始することが記載されております。この中に第1回JARL
全国大会の記念写真がありました。大変貴重なのでJARLより提供頂いて
このページに追加いたしました。
昭和6(1931)年4月2日、 第1回JARL全国大会が名古屋市中村公園の中の
記念館で開かれた、出席者は35名、前列中央(右から5番目)はアンテナで
有名な八木秀次博士                             (JARL NEWS 2023年春号より)

W1AW/KL7 ARRL Centennial Station -June 18-24, 2014 Alaska Week 1- KL7RA, Organizer - 31,944 QSOs

ARRL 創立100周年記念QSL
ARRLはJARLに先駆け12年早く
1914年に設立された。2014年は
丁度100周年にあたるので全米50州
から2週間ずつW1AW局の記念運用が
行われたようである。
これは2014年6月23日アラスカ州での
18MHz帯SSBのQSOに対して送られて
きたW1AW/KL7のカードです。
JARL100周年は2026年になりますが
・・・
W1YL局のQSLカード
最近7MHz帯の空中状態はよくないが、
久しぶりにワッチするとW1YLのCQが
聞こえたので呼ぶと応答がありました。
どうもホームのフロリダからリモートで
ネバダ州バージニア市からのオンエヤ。
当局のシグナルはRST579、フロリダでは
午前5時、早起きですね。
Since 1946、ARRL 70年のメンバー、
1926年生まれの超OTさんでした。