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多文化共生教育資料
Eくん ありがとう
3年  (父がフィリピン国籍)
 ぼくは、最初、○○にある○○保育園に通っていました。そして、お父さんの都合で、フィリピンに行くことになりました。ぼくは、フィリピンの学校に通いました。フィリピンは、とても気楽なところです。その時は、もうフィリピンの言葉でしか言えませんでした。日本語はもう言えませんでした。
 ぼくは、その時、友だちができていました。友だちは、ぼくと同じで、お父さんがフィリピン人です。だから、言葉も通じました。なんで友だちになったかというと、お父さんが、友だちのお父さんと仲よしだからです。それで、友だちとは よく遊びました。
 ぼくは、フィリピンに三年いました。それで、日本に帰ることになりました。ぼくは、ひこうきにのっている時は、友だちがこいしくて、泣きそうになりました。
 それで、日本につきました。最初は家にいました。それで、一週間後、保育園に通いました。ぼくは、ひとりぼっちで遊んでいました。ぼくが一人ぼっちで遊んでいると、Eくんが、「あそぼ」ってさそってくれました。ぼくはうれしかったです。Eくんがさそってくれてなかったら、ぼくは、一人ぼっちでした。
 それで、Eくんがいなかったら日本語もわかりませんでした。ぼくは、Eくんにかんしゃしています。