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多文化共生教育資料
あきらめないお母さん
5年  (ブラジル)
 私は、○○○○と言います。小学校5年生です。    
 今日は、私のお母さんのことを話します。      
 お母さんは、ブラジル人で、15年前に日本に来ました。
 以前は、フィリピンでとった国際免許で運転していました。でも、日本の法律が変わって、フィリピンに3か月たいざいしたというしょうめい書がないと運転してはいけないことになりました。それで、お母さんは、運転できなくなりました。
 それで、お母さんは、会社へ自転車で行くようになりました。      
 去年までは、弟が保育園へ行っていたので、お母さんは、自分のにもつと弟のにもつを持って、弟を自転車に乗せて出かけていました。
 私の小さいときは、弟と私を自転車に乗せてかよっていました。でも、お母さんがつらいから、私はおりて自分のにもつをもってかよう日もありました。
 帰りは、お母さんは、坂の下のスーパーで買い物をして、たくさんのにもつを持って坂をのぼっていました。
 小学生になってから、お母さんがたくさんのにもつを持ってくることがわかって、私はにもつを運ぶのを手伝うようになりました。
 しばらくすると、仕事の場所がかわって、自転車で行けなくなりました。むかえのバスは、坂を下りてしばらく行ったところにある国道まで行かないと乗れません。弟を保育園までつれていって、国道まで大急ぎで走って行きました。むかえのバスがくる時間は、保育園が始まる時間から、あまりゆとりがないからです。そのとき、お母さんは、車があったらなあと強く思いました。
 お母さんは、今年の3月に、免許をとるために、ぎふ県へ行くことにしました。帰りがおそくなって、おばあちゃんちにとまることもありました。お母さんが1週間いないこともあったので、さびしかったです。お母さんのおいしいごはんが食べたいなあと思いました。お母さんと弟はおばあちゃんちに行って、お兄ちゃんは友達の家へとまって、家族がばらばらになっていました。お母さんに早く帰ってほしいなあと思いました。
  お母さんがなぜぎふ県へ行ったかというと、そのときは、三重県では、日本語のしけんしかなかったからです。英語のしけんをうけるために、ぎふ県へ行くことにしました。だけど、ポルトガル語ではないので、お母さんは、とても苦労しました。3ヶ月かかって、学科試験がごうかくになりました。
 じつぎしけんは、三重県でうけることにしました。だけど、7回うけてもうかりません。けいさつの人が日本語でせつめいしてくれるけど、よくわからないからです。
 お母さんは、それでもあきらめずに、またうけにいこうと思っています。 お母さんは、たなばたの日に、免許のしけんをうけにいきました。クラスのみんなが、たんざくに、「○○○のお母さんが運転免許をとれるように」 と書いてくれました。それから、私の方に手をのばして、パワーをくれました。私は、最高の友達だと思いました。
 もしも、ポルトガル語のしけんがあったら、お母さんは、もうとっくに免許がとれています。私のお母さんのほかにも、めんきょで苦労している人は、たくさんいます。ポルトガル語のしけんがあるといいなあと思います。
 お母さんは、あきらめない人なので、私も、いろんなことをあきらめたくないです。