妙高やしなのに乗りにいく


行程 大阪13:47→15:33米原16:00→16:40大垣16:48→16:57美濃赤坂17:11→17:19大垣17:26→18:08美濃神海18:4119:24大垣

大垣20:25→4:40東京4:49→4:56上野7:53(志賀1号・妙高3号)11:48長野14:15(しなの10号)20:07大阪

昭和55年8月28日

12:30分頃家を出る、I田くんを呼んで桃谷へ、13:20分頃大阪駅に到着した。大阪駅でグリーン車の乗車位置に立って待った。10月の改正で、東海道線、山陽線のグリーン車が廃止されるので、無料で開放されていた。

当日の778Mの編成
クハ111492-モハ112167-モハ113167-サロ1131017-クハ111447-モハ1122014-モハ1132014-クハ1112109-クハ111366-モハ1127-モハ1137-クハ111144米原→
無料開放されているグリーン車 サロ113-1017

13:47分発778M米原行に乗り米原へ向かう、グリーン車はちゃんと連結されていた。上記のサロ113−1017です。リクライニングシートのよい方なのでゆったりとくつろげた。米原に定刻通り15:33分に到着しました。次に乗る554M大垣行まで27分あったので、天ぷらそば(220円)を食べて電車が来るのを待った。

554M編成
←米原クモニ83025-クモニ83813-クハ11343-モハ112112-モハ113112-モハ11256-モハ11356-クハ11173大垣→当時の編成は長いですね、荷物電車除いて6両。現在の2両とはえらい違いです。

554Mは定刻16:00に発車した、後ろに荷物電車を連結しているので釣りかけの音が聞こえて来ました。左側には伊吹山がよく見えてました。大垣到着前に大垣電車区を観察、153系、155系、167系などが見えた。そしてこの554Mは次に乗る、227M美濃赤坂行にそのまま運用される。(荷物電車は切り離し)
8分後227Mは美濃赤坂に向かって発車した。発車してしばらくは東海道本線上をしばらく走り、支線に分かれてすぐに荒尾駅に到着した。待合室のある無人駅だった。美濃赤坂に到着して、車掌から乗車券を買った。
 
美濃赤坂駅 1980/8/28

美濃赤坂駅構内は貨車がたくさんとまっていました。駅舎は木造の古ぼけたものでした。2004年8月5日に訪れた時の写真 このときに訪れたときも駅舎は変わってませんでした。
556M豊橋行に乗り、再び大垣で降りて941D美濃神海行まで時間があったので、EH10の写真を撮った。
 
941D・940Dの当日編成←美濃神海キハ481537-キハ26196大垣→
17:26分941Dは発車して東海道本線としばらく併走する。(しばらくの間3線ですね)鉄橋を渡り東大垣に着く、列車は順調に走っていたが、美江寺の少し手前で非常ブレーキがかかった、運転士が外へ出て線路脇を通って車掌のいてる方に行って、何かしゃべっていた。そして酔っぱらいの客が何でこんなところでとまるのやと運転士に問いかけたら、置き石だと告げて運転席に戻って行った。少し遅れたが、美濃神海に無事に到着した。
       
キハ48 1538車内 1980/8/28 キハ48 1538                          折り返し940D キハ26 196 1980/8/28 美濃神海

それでも、折り返し940Dの発車まで30分あったので、駅前の雑貨店で缶コーヒーを買い車内で飲んだ。そして写真を撮ってフイルム1本終わったので抜いたらカメラが故障した。思いがけないことが起きたものだ。940Dで大垣へ戻り、近くのカメラ屋に行ったがすぐには直らないそうです。上野駅の撮影はI田くんのカメラを借りることになった。大垣駅で普通列車グリーン券を買い344M東京行に乗ることにした。
344M編成←大垣クハ165206-モハ152133-モハ153133-サロ1636-サロ1134-モハ152103-モハ153103-サハ1532-サハ153215-モハ152132-モハ153132-クハ165171東京→

大垣駅のホームで、ハンバーガーを食べた。しばらくして比叡4号と併走しながら、344Mが大垣駅へ入線してきた。165、153系混成編成です。グリーン車で座っているとしばらくして検札に来た車掌は、開襟シャツの安っぽい格好をした乗客専務だった。切符を渡したら、学生証を出せといわれたが持っていなかった。なんかうんちくを並べられたがその場で済んだ、当時を思い返すとほんまに態度が悪い車掌やったな、まさに国鉄クオリティ。今でも鮮明に覚えている、東京車掌区のカレチ。
そして、グリーン車なのにやかましいなと思った。線路のフラットが出ていないのか?ゴゴゴゴゴゴゴこんな音がずっと鳴っていた。名古屋に着いて車内が空いていたので椅子の向きを変えたらさっきのカレチがまた文句を言うて来た。本当に鬱陶しい車掌でした。高い料金払ってるのに文句言われてなんか腹が立った。車内は相変わらず、ゴゴゴゴゴゴゴ〜とうるさく眠られなかった。


早朝の4:40分定刻通りに東京に到着しました。

昭和55年8月29日

東京駅から京浜東北線で、上野へ行く。寝不足でしんどかったが上野駅で写真を撮る。(当時は東北新幹線が開通しておらず特急天国でした)

上野口の急行のサボは、方向版の真ん中に愛称が記されているタイプが多かったです。ゆうづる 北陸 あけぼの そよかぜ とき ひばり などを撮影しました。

急行草津 急行ばんだい 急行まつしま 急行出羽 急行いいで


一通り上野駅で写真を撮って、1031M志賀1号・妙高3号 湯田中・妙高高原行に乗りました。
妙高3号 志賀1号編成
←上野クモハ16917-モハ16817-サロ1691-サロ16919-クハ16925-クモハ16920-モハ16820-クハ16922-クモハ16914-モハ16814クハ1697長野→
I田くんが急行券とトンカツ弁当を買ってきてくれた。電車はゆっくりと上野駅を発車しました。車内は少々立ち席もいた。満席状態です。赤羽駅に着いて、どっと客がまた乗ってきた。クロスシートに4人窮屈だったが、トンカツ弁当を食べました。車内では東京弁が飛び交い変な感じがしました。そして碓氷峠を電車は機関車の助けを借りて峠の急勾配を登っていった。キリが濃かったので空の上を飛んでるような感じがしました。軽井沢に到着ほとんどの乗客は降りて行きました。テニスをやりに行く人が多い用に見受けられました。そして隣の席の住人はこもろで降りて行きました。クロスシート4人の窮屈感がやっとなくなった。窓を開けた気持ちがとてもよかった。戸倉に着き湯田中行の志賀1号とはここでお別れだ。志賀1号が先発して妙高はその後の発車した。車内はがら空きになりました、ここらの田舎に来るとレールは短尺レールみたいで、いいリズム出して妙高3号は走行していました。11:53分に長野駅に到着しました。長野駅で長野←→篠ノ井復路専用乗車券を買い、駅のスタンプを押しに行った。そして、歩いて善光寺に行きました。帰りはしんどいのでバスに乗って、長野駅に戻った。バス代110円でした。長野駅の切符売り場で自由席特急券を買い、ホームに入った。しばらくしてしなの10号大阪行が入線してきました。
しなの10号編成←大阪クハ3812-モハ38022-モハ38122-サロ3813-モハ3804-モハ3814-モハ38023-モハ38123クハ38111長野→
しなの10号のドアが開き、いっぺんに客がどっと乗り込んで、あっという間に満席になりました。隣にどっかの兄ちゃんが座ってきた。長野を定刻に出発してしばらくすると検札があった。長野から松本まで寝た。松本に到着するとホームには、ものすごい人の行列が出来ていました。車内は通勤電車並みの混み方になりました。松本を発車してまた検札があったが、立ち席の人間のみに行われていた。あの満員のなかでの検札だから車掌さん大変やなと思った。電車はカーブ区間振り子をきかせて、軽快に走っていたが、寝てしまったのでほとんど風景を覚えていないです。名古屋に到着する前満員のなか車内販売が来ました。お好み弁当800円を買いました。名古屋に到着して、ようやく車内は空きました。名古屋を発車後、先ほど買ったお好み弁当を食べました。岐阜に到着して、その次は京都までとまらない。(昔は停車駅少なかった)岐阜から京都までまた寝ました。京都に到着したら車内はガラガラになった。京都を発車して快速と併走でもするかなと思ったが、高槻であっという間に快速を抜かした。東淀川通過中に大阪到着の案内放送が入る(新大阪通過やったんやな)大阪駅に定刻通り20:07分に到着しました。環状線に乗って家に帰りました。家に帰ったのは、20:50分頃でした。

2006年4月16日UP        加古川線とその支線を見る