レイアウト探訪記 迷!?ルポライターとJR近畿オーナーがめぐる、
JR近畿京都線の探訪記
『迷!?ルポライター、JR近畿に現る…』
  桜前線が近畿地方を通りぬけ、いよいよ五月晴れの行楽シーズン到来かと思わせる陽光が、朝のラッシュアワーの過ぎた向日水駅1番ホームに降り注いでいます。その1番線に到着した103系カナリア色の普通電車から、ひとりの紳士が降りたちました。紳士といってもヨレヨレのスーツに、ボサボサに伸びたくせ毛のヘアスタイル。その紳士が、ふらふらと改札口方向へ歩いてくると、切符や定期券を取り出す素振りもなく、駅員のいる非自動の改札口に差し掛かりました。
「ヨッ!ご苦労さん!」
紳士は改札係の若い駅員に声をかけ、外に出ようとします。
(なんや?このオッサン、頭おかしいんとちゃうか?)
回りの乗客は、うさんくさそうに見ています。当然、改札係が引き止めると思いきや、なんと敬礼。そして大きな声で挨拶しました。
「おはようございます!」
「ああ、おはようさん」
紳士も軽く右手を挙げて答え、通り過ぎます。駅員とのトラブルを一瞬期待したかのような人たちが、唖然として見ている中をふらふらと行き過ぎ、今度は関係者以外立入禁止の扉をあけて、悠然と入っていきます。そして、その紳士は最も奥まった部屋のドアの中に消えました。すると中で仕事をしている職員たちがいっせいに振り向き、次々に挨拶の声をかけます。
「あっ、おはようございますっ」
「おはようごさいます! オーナー」
そう、この冴えない紳士こそが、JRグループの中でも異彩を放つ経営で話題の「JR近畿」のオーナーなのでした。
「みんな、おはようさん」
あくびをかみ殺しながら自席につくと、オーナー秘書の奇多野が、オーナー席にインスタントコーヒーを運んできました。
「ああ、すまんなあ。しかし国交省の役人連中の接待ほど、面白ないし疲れるもんないで。昨日も家帰る前に日付けが変わっとったわ」
「でもオーナー、機嫌よく帰っていただかないと、いろいろな許認可に差しさわりがでますから」
「わかっとるがな。まあ、それもあって国鉄時代に総裁秘書をやっとったおまはんを、引っ張り込んだんやからな」
「いやあ、私は一度定年になってますから、そんなにお役にはたちませんよ」
苦笑いの奇多野に対して、本当に苦いコーヒーに顔をしかめながら、オーナーは言いました。
「なんせおまはんは、国鉄時代には相当苦労しとるさかいな。乗客が人質にとられて身代金持って走り回ったこともあったしなあ…」
「あはは、そんな昔話はもういいでしょう。あっ、それより…」
奇多野は自分のデスクから一枚のメモを持ってきました。
「今朝一番に、東京の雑誌社から電話がありまして、要点は明日の午後から当社とオーナーに取材をしたいという申入れでした。オーナーはマスコミの取材を受けるのは宣伝のひとつと、いつもおっしゃってましたので、OKしておきましたが」
「そうか。で、なんちゅう雑誌や?」
「ええっと、ちょっと電話が聞き取りにくかったのですが、週刊;ヒロマとか言ってました。それで取材に来られるのは、特派記者のウラガミシンスケ;さんとおっしゃるルポライターだそうです」
コーヒーを飲み干そうとしていたオーナーは、一瞬カップを取り落としそうになり、椅子を後ろにけり倒すようにして飛び上がりました。
「なっ、なんやて! 週刊;広場;の;浦上伸介;ゆうたら、かの有名な、列車をつこたトリックやアリバイ崩しの名手やないか!」
オーナーのあわてぶりに室内の職員も全員手を止めて、何が起きたのだろうとふたりを見ています。
「おいっ、なんぞうちの路線内で殺人があったとか死体がみつかったとか、そんな事件起きてへんか?」
「そんなことがあったら、とっくに警察沙汰になってますよ。殺人どころか、事故もなにも起きていません」
奇多野は極めて冷静に答え、その後につぶやくように言いました。
「いやあ、広場じゃなくて、;ヒロマ;と言ったと思いますけど…」
「週刊誌の名前なんかどうでもええわ! &quot;ウラガミ&quot;てな名前の記者、そない何人もおらんやろ」<BR>
オーナーは外出の用意をしながら、奇多野に指示をします。
「事件やのうても、なんかのトリックにうちの列車が使われたかも知れへんで。ここ最近怪しい乗客や不審な行動するもんがおらなんだか、全乗務員に聞いてみてくれへんか」
「はあ、一応あたっては見ますが無駄なような…。 で、オーナーはどこへおでかけですか?」
気ぜわしくドアを開けようとするオーナーの背中に、奇多野が問いかけました。
「ワシは鉄道警察隊に直接聞きに言ってくる。帰るまでに今言うた件、頼むで」
そう言うと、先ほど入ってきたときとは全く逆の勢いで、飛び出していきました。
(行動力があるのはすごいけれど、ちょっとおっちょこちょいのオーナーだからなあ)
そう思いつつも、実直な秘書の奇多野は、あちこちに問い合わせの電話を入れ始めているのでした。

 「はあ、そうですか。特に起きていない、と…。ええ、はい、どうもお手数をおかけしまして。はい、ありがとうございました」
奇多野が関わりのありそうなセクションにひと通り電話をかけ終えたとき、オーナーが首をかしげながら戻ってきました。
「どうでした? なにか事件のネタでも、ありましたか?」
自席についたオーナーは、冷めきってしまったコーヒーをひと口すすりました。
「いや、何も起こっとらんようや。おまはんの方はどやった?」
「こちらも各部門の責任者に直接問い合わせましたが、事故・事件・トラブルの類は一切ないようですよ」
「そうか。しかし、それやったら、あのウラガミ氏がなんの取材にくるんやろか? ”夜の事件レポート”ちゅう、事件小説風タッチの企画で、未解決の事件の同時進行密着ルポがウリモノの記事を担当しとるはずやがな」
「やっばり週刊広場じゃなくて、ヒロマじゃないでしょうかね。電話の声も、どちらかといえばのんびりしてましたし…」
デスクの脇に積み上げられた雑誌の中から、オーナーは週刊広場を引っ張りだし、パラパラとめくっています。
「ほんでも週刊ヒロマてな雑誌、見たことないしなあ。おい、誰ぞ売店のオバチャンにゆうて、その雑誌届けてもろてんか」
オーナーの声に職員のひとりが電話をかけ始めました。それを眺めながらオーナーは奇多野に話しかけます。
「あっ、そやそや。鉄警隊で聞いたんやけど、何年か前に別嬪のスリ姉妹を追いかけて東京から出張してきた警部がおったやろ?」
「はあ、確か枝怒川さんといいましたね。部下の尾是さんといつもコンビを組んでいらっしゃった方ですよね」
「そうや。その枝怒川警部らやけどな。鉄警隊やめて独立したらしいで」
週刊広場をデスクの上に投げ出して、オーナーは続けます。
「なんや、”居留守”たらいう元上司のやってる調査事務所に行ったとか…」
「それもいうなら、イルスじゃなくて、伊豆津元警視でしょう」
そのコンビの顔を思い出そうとしていた奇多野は、ふと他から聞いた噂のほうを先に思い出しました。
「そういうば、追いかけてたハコ師姉妹も足を洗って、その事務所でいっしょに働いてるという話ですよ」
「ふうーん、いろいろあるもんやな。しかしおまはん、さすがに情報通やなあ」
ほめ言葉に気をよくした奇多野は、持ちネタを披露するのはここぞとばかりにしゃべり続けます。
「いやあ、ちょっと昔の同僚から話を聞いたまででして。しかもコンビと姉妹とで結婚するとか、したとかという話も小耳にはさんでおりますが、どうなることやら…」
しかし、関西人特有のイラチな性格を持ちあわせるオーナーは、話の続きをさえぎるように言いました。
「ま、どうでもええわ、そんなこと。それよりウラガミ氏は明日の何時に来る予定や?」
その問いに奇多野は、実直な性格にたち戻り、自席のメモを確認しながら答えます。
「ええっと、昼過ぎに着くJRバスで来られる予定です。私がバス乗り場まで迎えに行くつもりでおります」
「えっ?バスで東京から来るんかいな。変わった記者サンやな」
怪訝な表情を浮かべてオーナーは言いました。
「はあ、なんでも取材前に先入観を持ちたくないからと、おっしゃってました。それと取材費に限りがあるとか」
「ちょっと変わったヒトみたいやなあ。よし、明日はバス停までワシが直接迎えに行くわ。ウラガミさんの取材スタイルと服装は有名やさかい、すぐわかるやろ」
そこへ売店から週刊ヒロマが届き、オーナーは仕事も投げ出して、熱心に読み始めました。

  翌朝、昨日とはうって変わってパリッとした身なりで、しかも朝早くに出社したオーナーは、猛烈な勢いで、デスクの上に溜まっている決裁書類を処理し始めました。
(いつも、あれぐらいのスピードで処理してくれたら…)
と、秘書の奇多野があきれ顔で見守るなか、オーナーは気がついたことをすばやくメモし、担当者に質問し、指示を出していきますが、デスクの上の書類がなくなる頃には、すでに時計の針は、昼の12時を30分以上まわっていました。
「おおっ、えらいこっちゃ。昼メシ食ってる時間がのうなったがな。奇多やん、わしはウラガミはんを出迎えて、いっしょにお昼を食べるわ」
デスクをきれいに片付け、オーナーは出かける準備をしながら言いました。
「昼が済んだら直接ウラガミはんを案内するさかい、すまんが急用があったら携帯に電話入れてんか」
「わかりました。特にないとは思いますが、電源はちゃんと入れておいてくださいよ。いつも入れ忘れてて、肝心な時に連絡がつかないんですから」
奇多野の声を背に、部屋を出たオーナーは、向日水駅南口に向かい、出口を左に折れて、JRバスの乗り場に歩いていきました。ちょうどその後ろから、オーナーを追い越すようにバスがやってきて、専用の停留所に入っていきます。
(ああ、あれやな。確かウラガミ氏の服装は、こげ茶のブルゾンにショルダーバッグやったはず…)
オーナーはバスを降りてくる乗客の中から、その服装を探しましたが、最後の乗客が降りた後も見つけられません。
(おかしいなあ。このバス以外に、この時間帯に着くのは、ないはずやがな)
あたりを見回していると、最後に降りてきた、好青年を絵に描いたようなブレザースーツの長身の男性が、近づいてきました。
「あの〜、失礼ですが、JR近畿のオーナーさんじゃありませんか? 私、週刊ヒロマのウラガミと申しますが…」
自分の思い描いていたタイプと全然違った人物が現れたことに、一瞬オーナーは唖然として、返す言葉が出てきません。
「えっ、あっ、いや? あんたが、ウラガミはん?」
「ええ、初めてお目にかかります。こういう者です」
ウラガミ氏が差し出した名刺には、こう記されています。
「週刊広間・特派記者、裏紙芯助…。な〜んや、あの浦上はんとは違うんかいなあ。しかし、浦上伸介というよりも、浅見光彦みたいなタイプでんなあ」
「いやあ、やっぱり間違われましたか。ホントよくあるんですよ。アチラは事件モノが担当ですけど、私は企画モノが主でして」
「そやろなあ。ウチではなんぼ調べても事件は起きてへんし…。で、今回は何の取材でっか?」
やっと自分のペースを取り戻したオーナーが、言いました。
「あっ、そやそや、裏紙はん、昼ご飯まだでっしゃろ? どうです? 一緒に食事しながら、そのへんの話、聞かせてもらいましょか」
「そうですね。こんなところで立ち話も変ですからね。それにバスに乗り詰めで、お腹も減ってますので」
オーナーは裏紙を促して歩き始めます。
「ここの入口の横にある蕎麦屋でよろしいでっか? うまい蕎麦と安い定食でよかったら、ご馳走しまっせ」
裏紙の希望も聞かずに勝手に決めたオーナーは、入り口のドアをあけ、つかつかと一番奥のテーブルに向かいます。
(やれやれ、ちょっとやりにくそうな人だなあ。これからの取材が思いやられるぞ)
裏紙がそう思っているとは露知らず、オーナーは蕎麦屋の店員に、大声で注文を告げています。
「いつものそば定食、ふたつ! このお客さん、腹が減ってるさかい、せきまえで頼むわ!」


 オーナーの向かいに腰を下ろした裏紙は、バッグの中から取材用のノートをゴソゴソと取り出しながら、言いました。
「さっそくなんですが、今回の取材の趣旨を、ご説明させていただきましょうか」
「えらい気ぜわしい人やなあ。そんなら、定食が出てくるまでに、さわりだけでも聞いときまひょか」
オーナーは自分の性格を棚に上げて、そう答えました。
「どの雑誌も同じなんですが、私どもの雑誌にも人気の定番企画に、”旅”の特集があります」
裏紙は、週刊広間の最新号のそのページを開いて、オーナーの前に置き、話を続けます。
「でも今回私が担当する企画モノは、観光地や名所旧跡を紹介するのではなくて、旅行を陰で支える鉄道などの運輸部門や旅館などの宿泊施設の方でして、いわば旅行の縁の下の力持ち的存在に、スポットをあてようというものなんです」
「ほう、それでその鉄道部門にJR近畿が選ばれたわけでっか?」
「そうなんですよ。JR近畿さんはJR西日本を分社したときにオーナーが就任されてから、いろいろ変わった経営手腕を振るわれていて、他の鉄道にないユニークな点が多いですからね」
「やっぱりそのへんでっか。いつもマスコミさんの取材いうたら、そこばっかりやねんけどなあ…」
オーナーはまたいつものパターンかと、やや気を落としかけましたが、裏紙はそれを見抜いたかのように話し始めます。
「いやいや、通りいっぺんの紹介記事じゃないんです。今回はオーナーと実際に現場を回って、インタビュー形式でまとめてみようかと思っています」
「…ということは、ワシの言うたことが、そのまま文章になりまんのか?」
「ええ、そりゃ100%そのままというわけにはいきませんけど、なるべく生の声を読者に伝えたいと考えています」
オーナーはがぜん気乗りしてきた表情で、身を乗り出さんばかりに言いました。
「よっしゃ! 変わっとってオモロそうな話やから、キッチリ協力させてもらいますわ」
「ありがとうございます。それにオーナー自身のプロフィール的なことも載せますので、よろしくお願いします」
裏紙がそう言って頭をさげたところへ、注文の定食ふたつが運ばれてきました。
「おう、来た来た。そや!裏紙はん、食べ終ったらさっそくこの駅から、いっしょに列車に乗ってみまへんか?」
オーナーは割り箸を割って裏紙に渡しました。
「ええ、まさに望むところです。私もそのつもりでした」
「そうと決まれば話は早い。まあ、腹が減っては戦さはできんといいまっさかい、とりあえず腹ごしらえでんな」
オーナーは蕎麦を一口すすってから、思い出したように言いました。
「あ、裏紙はんは関東のお方やから、関西のダシは口に合わんのとちゃいまっか? 勝手に頼んでしもたけど…」
「ハハハ、どうぞご心配なく。取材で全国を回ってますから、どこの味でも舌は順応しますので」
「いや〜、そうやったな。旅行のプロみたいな人に、いらん心配して損したわ。ワッハッハッハッ!」
すっかり打ち解けた裏紙とオーナーは、雑談を交わしながら、定食をたいらげていきました。そして食べ終わったあと、オーナーは爪楊枝を使いながら、つかつかとレジの方へ歩いていきます。
「すまんけど、細かいのがないんで、あとで奇多やんのとこへ取りに行っといて。領収書忘れんようにな」
レジのおばさんはニッコリして、オーナーに言い返します。
「わかってますって。オーナーがお客さん連れて行くはずやと、さっき奇多野さんから電話がありましたよってに…」
「なんや、メシ食う店まですっかり読まれとるがな。ホンマ奇多やんにはかなわんわ」
そんなオーナーの後ろで裏紙は、笑いをかみ殺しながら、やりとりを聞いていました。


第二章を読む列車名サボ・イラスト「つづく」