レイアウト探訪記 迷!?ルポライターとJR近畿オーナーがめぐる、
JR近畿京都線の探訪記
『豪華?展望車でめぐる京都線新線』
 昼食を終えたオーナーと裏紙は、向日水駅の改札口に戻りました。
「おっ、ちょうどええわ。裏紙はん、どうせ乗るんやったら、前のよう見える展望車の最前列がよろしいやろ?」
オーナーは腕時計をにらみながら、裏紙に問いかけました。
「そりゃ、そのほうがいいですけど、そんなにうまく展望車の最前列に座れるんですか? いくらオーナーといえども…」
「まあ、まかしときなはれ。さあ、あんまり時間がないし、さっそくホームに上がりまひょか」
オーナーはいつものように改札口の係員に手を上げます。
「ご苦労はん。後ろの人は取材に来られた記者さんや。一緒に乗るから頼むわ」
そう声をかけて、通り過ぎようとします。若い改札係は敬礼で向かえ、裏紙は恐縮したように会釈を返して入りました。
オーナーはそんなやりとりを気にもとめず、つかつかと3・4番線のホームへの階段を上がっていきました。
続いてホームに上がった裏紙は、乗客が全くいないのを不審に思いながらも、カメラをバッグから取り出し、撮影の準備をします。
「時間がないとおっしゃってましたが、乗客がひとりも見当たりませんよ。」
ホームの端で左右の上下線をめまぐるしく発着する列車へ、満足そうな視線を送っていたオーナーの背中に、裏紙は言いました。
「いらん心配せんでもよろしいで。なんせ乗るのは回送列車ですさかい」
一瞬呆気にとられ、ようやく合点がいき一本とられたかのような表情の裏紙は、苦笑しながらホームの写真を撮影し始めました。
「しかしオーナー。この駅は、国鉄・JR西日本の時代は、普通電車しか停まらない小さい駅だったんですよね?」
ひとしきりシャッターを切った裏紙は、オーナーに話しかけます。
「たしか大きな操車場の端っこにあったはずで、しかも高架じゃなかったですし…」
「そう、その操車場ですわ。国鉄時代から、推理小説で列車を隠すというトリックに使われるぐらいのバカでかいのがあって、いつもは半分ぐらいしか使っとらん。もったいない話やったわ」
昔を思い出すかのように、オーナーは操車場のあったほうに顔を向け、話し始めました。
「操車場を分散・移転して、跡に高架の駅を作ったんですわ。ほんで快速・新快速はもちろん、急行や一部の特急まで停めるゆうたら、残りの土地があっというまに売れてしもて…。そこへスーパーなんかが進出してきたもんやから、急に街になってしもたんですわ」
「なるほど。それでこのホームだけが上下線兼用の長距離列車のために、異様に長いんですな。それに、駅の正面口の前はビルも立ち並んでにぎやかですし、道路も整備されてますものねえ。」
「ついでにウチの本社機能も、ここへ集めてしもてね。まあ、駅前にあったら大阪駅でもここでも、便利さは一緒ですしな」
ふと、離れた線路に国鉄色気動車の列車がすべりこんで来るのが見えました。裏紙は、思い出したように話題を変えます。
「7・8番線は、今だ非電化の旧線が入ってきてるんですよね。」
「”今だ非電化”やのうて、わざとそうしとるんですわ。まあ、旧線は明日行くことにして、その時に…」
オーナーの言葉をさえぎるように、回送列車到着のアナウンスが流れ、やがてやってきたのは、パノラマ車を先頭にしたピカピカの381系の6連でした。

 目の前にピタリと停止した、スーパーくろしおカラーの381系に近寄り、オーナーは運転席を覗き込んで、運転士にひと声かけました。
「ご苦労さん。調子はどないや? なんか古なってきたよって、あちこちにガタがきてたらしいが…」
「ああ、これはオーナー。心配で見にこられたんですか?」
運転士はニコニコして答えました。
「まだまだ大丈夫ですよ。なんせウチの整備スタッフの連中は、動かんようになったカマでさえ動かしてしまうぐらい、優秀ですからねえ」
「そやろな。ほんなら、ちょっと今日は後ろに乗せてもらうで。取材の記者さんと一緒やから…」
オーナーは裏紙を促して、パノラマ車の最前列に陣取りました。
「コイツはちょっと調子が悪なってなあ。全検と定修を前倒しでやって、今日上がってきたとこなんや。ほんで試運転ちゅう訳ですわ」
裏紙は、オーナーが一本の列車の調子まで把握しているのに、目を丸くしています。
 やがて前方の信号が青に変わり、運転士の指呼とともに、381系が出発しました。
「それで、オーナー。この回送列車はどこまで行くんですか?」
裏紙はふと行き先に不安を覚え、尋ねました。
「うん、京都線をちょっと慣らし運転して、暇崎の運転所行きや。まあ、沿線の雰囲気でも掴んどいてんか」
そう言っている間に、市街地を左方向にカープして対抗線とならんだ381系は、少しずつ加速をしていきます。そして左手下から、1本の線路が寄り添うように上がってくるのが見えました。
「オーナー、左側に上がってくる線は何の線ですか?」
「ああ、そいつは向日水の駅をアンダーパスしとる線や。もともとこの辺は複々線やさかいな」
「ということは、向日水駅を停まらない列車は、外側の線で駅をアンダーパスするわけですか? これはまた、すごいアイデアですね」
ちようどその外側線をEF200に曳かれたコンテナ列車が上がってきて、まだスピードの上がりきっていない381系を追い抜いていきます。
「なるほど。安全対策上からもいい方法ですなあ」
追い抜いていった貨物列車を写真に収めて、裏紙は話しかけました。
「まあ、それもあるけど、用地の節約という意味でワシが考え出したんですわ」
裏紙はまたまた目を丸くして、感心しきっています。
 そして小さなプレートガーダー橋を渡ると、完全に複々線となり、対抗の外側線にEF57牽引の44系特急つばめと思える茶色の列車が近づいてきました。
「ええっ? JR近畿ではあんな古いヤツも現役で走ってるんですか?」
裏紙は度肝を抜かれた状態で、写真を撮るのも忘れて見入っています。
「裏紙はんの世代ではびっくりするやろけど、JR近畿では日常の光景でんがな。ウチは古い車両でもキチンと走る状態で保存して、ああしてイベント列車的に走らせとるさかいね」
その間にも回送列車は築堤の上を進み、今度は右にカーブを切っていきます。

 周りの景色が、都会のビルや住宅からだんだんと丘や山に変わってきました。前方にカメラを向けていた裏紙は、ファインダーの右上隅に公団住宅のような団地を見つけました。
「ほう、この辺りにはまだあんな古い公団住宅が残っているんですね」
懐かしいものを見たというような口ぶりに、オーナーはすかさず言い返します。
「古うて、すんまへんな。あれでもウチの社宅ですがな。昔の公団住宅を買い取ったんですわ」
余計なことを言ってしまったと、後悔の表情がもろに顔に出た裏紙に、オーナーは続けて話しました。
「外見は古いけど、中は全面リフォームしてまっせ。以前の二戸分を一戸にして倍の間取りになってるし、耐震補強もきっちりしとります」
改めて社宅を見上げた裏紙は、三階のバルコニーから、線路を双眼鏡で眺めている女性に気づきました。
「場所は決して便利とはいえんけど、ああして旦那が仕事しとる列車や線路が見えますやろ。あれは子供の教育にもよろしいでえ。子供は父親の働く姿を見て育つのが一番やと思てますんや」
「はあ、そういうことですか。それであそこから見ている人がいるんですね」
  裏紙が視線を落とすと、並行してやや小高い築堤の上に延びる旧線上を、D51が牽引する黒い二軸貨車の列車がやってきました。
「いや〜、またまたびっくりですね。しかしJR貨物は今どきあんな貨物列車は走らせていないし、イベント列車かなんかですか?」
ニコニコしながらその貨車たちを見送ったオーナーは、裏紙に答えます。
「いやいや、ウチは貨物の輸送も手がけてますんや。JR貨物が扱わんような小口の荷物を運んでますわ」
「えっ、それじゃあ、さっきのD51とワムの列車は、現役ということになるじゃないですか」
「アハハ、さすがに現役はしんどいでっせ。ただイベント運用の試運転をするのに、空の客車引っ張らせてももったいないですからな。ディーゼル機関車を休ませて、仕事も兼ねさせて走らせとります」
  この日何度目かの感心をして、裏紙はメモをとり始めました。やがて、右上の旧線がトンネルへ消えていくと、それを飲み込んだ山が右手に立ちはだかるように迫り、線路は山を避けるように左へカーブしていきます。左手は、丘とその茂みが視線をさえぎって、辺りはまるで山間部に入ったかの様相を呈してきました。するとオーナーは、左手の丘を指差して言いました。
「こうして大きなカーブがでけて、バックが緑なもんで、その辺の雑木林や茂みに撮り鉄が入り込んでくるんですわ」
「そうですねえ。ここはなかなかいい撮影ポイントになりますね。カーブをうまく使ったら列車の全景も入りそうですし…」
「昔はワシもSLを追っかけて、山の中に入り込んだもんや。撮り鉄の気持ちはよう分かるし、ウチの車輌たちを狙って来てくれるんやったら嬉しいわけやけどなあ」
オーナーは、一瞬、若かった頃を懐かしむ目になりました。
「まあ、マナーさえ守ってくれたら、ワシとしては歓迎なんやけど、最近の連中のなかには、無茶しよるヤツもいてますからなあ」
後方に目を移して、オーナーは続けます。
「いっそあの辺にお立ち台をこしらえて、係員を配置して、誰でも安全に撮影できるようにするつもりですわ」
ふたりの乗った381系は、カーブを曲がりきり、前方の視界に駅が入ってきたところで、減速を始めました。

 上下線に両渡りのダブルクロスが並び、駅の手前には信号所のような建物が見えて、長岡昨日駅が近づいてきます。
「ちょっと揺れまっさかいに、気ぃつけてや」
ダブルクロスは外側線への転位を示しており、オーナーの言葉通り左右に振られる感覚で、381系が外側線に出ました。そして駅の構内に入っていきます。ふと進行方向左手下の視界が広まったのに目をやった裏紙は、そこに拡がる風景に一瞬息を呑みました。
「ええっ? オーナー! 下にある駅はなんですか? まるで3〜40年ぐらいタイムスリップしたような光景じゃないですか!」
興奮して左の窓にかじりついた裏紙の背中越しに、オーナーは言います。
「あれは旧線の駅ですわ。まあ、明日あそこで詳しゅうにお話しますけどな、過去の建物などを保存しとるんです」
旧線の駅には、木造の駅舎や機関庫とともに、キハ10系ディーゼルカーやC11の牽く混合列車が停まっています。
「いやはや、この風景はオールドファンならずとも、マニアが押しかけるでしょうねえ」
オーナーも裏紙のすぐ脇に来て、眼下の西大爺駅の情景を眺めています。
「いろいろと人集め、まあ鉄道の場合は乗客集めですけど…、工夫はしてますよって」
381系は、最後尾がダブルクロスを渡り終え、加速を始めました。
「裏紙はん、また明日、その辺の話はすることにして、また本線のほうを見てもらえまっか?」
その言葉に裏紙は、名残惜しそうに座席に戻ります。すると長岡昨日駅を通過したその先に、トンネルの入口が見えてきました。
「ありゃ? 京都線にトンネルなんかありましたっけ? それも複線用ポータルがふたつも並んでるトンネルが…」
「これはですな、新線建設のときにやむなく掘った、転脳山のトンネルですわ」
オーナーは、目の前に迫ってくる山を見上げて言います。
「ここらあたりは昔から、川と山に挟まれた隘路でっしゃろ。もう鉄道の線路を引く土地がのうて、しゃあなしですがな」
トンネルに入って景色が見えなくなったところで、オーナーはふと思い出したことがありました。
「そうそう、裏紙はんは、今夜の宿はどないしますんや?」
「はあ、実は予約も何も、していないんですよ。まあ、向日水駅近くのビジネスホテルぐらいかなと考えてますが…」
「ほう、よっしゃ、ほんならウチでやってるペンションがありまっさかい、そこでどないです? ワシも一緒に泊まりますよって、料金はいりまへん。サービスしときまっせ」
裏紙は、料金がいらないというひとことで、すっかりその気になってしまいました。
「いや〜、それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきましょうか。で、場所はどこにあるんですか?」
オーナーは頭の上を指差して言います。
「ちょうどこの真上あたりや。転脳山の中腹ですわ。もともとはワシの別荘やったんですけどな。あんまり使わんのでもったいないから、会社で買い上げてペンションにしとりますんや」
「へえ〜、オーナーの元別荘ですか。しかしさすがに浪速の商人ですね。空いてるものなら何でも利用するんですねえ」
こんなやりとりが続くうちに、前方が少しずつ明るくなり、トンネルの出口が見えてきました。

 トンネルから飛び出た381系が、わずかに右に顔を振ったところで、澱川鉄橋が目前に迫ってきます。
「おや? 上りと下りとでは橋の形態が違うんですね。それに右奥の単線も…。ひょっとしてあれは旧線じゃないですか?」
裏紙がきょろきょろと左右を見回すうちに、緑色のデッキガーダーに差し掛かりました。
「今走ってる橋が前からあったやつで、対向のグレーのトラスが複々線化のときに架けた橋ですな。それとお察しのとおり、旧線が併走しとりまして、あっちは赤のデッキガーダーとトラスの組み合わせになっとります」
いろいろな形状と色の鉄橋が並ぶなか、おりしも対向のトラス鉄橋を115系福知山線色4連が渡っていきました。その姿をカメラに収めた裏紙は、何気なく反対方向を見ると、眼下の河川敷にゴルフ場を見つけました。今まさにグリーン上でのプレー中で、列車が鉄橋を通過する音が邪魔だろうなと想像しながら眺めていると、同様に横でパットの様子を見物しているオーナーが言いました。
「あれはね、ウチが経営しとるショートコースなんですわ。ワシも時々気晴らしに回ってますんや」
「えっ? ゴルフ場も経営してるんですか。そういえば、昔から澱川には河川敷のゴルフ場がたくさんありますよね」
オーナーは、ゴルフクラブの素振りを真似て体をクルリと回した後、話を続けます。
「京都〜大阪間のゴルファーのコース筆おろしは、ここの河川敷がほとんどやと思いまっせ。商売仇の私鉄サンは、古くから駅直結のゴルフ場をやってましてな。昔はパブリックコースでありながら、男子プロのトーナメントもやってはりましたな」
 ゴルフをやらない裏紙は、そんなものかと聞き流しながら前方を見ていると、ゴルフコースの上の堤防から線路と並行している歩道橋に、カメラを構えた人影を見つけました。
「ほう、今日もいてますな。あそこはこのデッキガーダーを走る列車の撮影スポットになっとるんですわ。イベント列車のときなんか鈴なりになりますんやで。なんせ足回りまできれいに撮れまっさかいな」
同じく撮り鉄とおぼしき人影を見つけたオーナーが裏紙に言いました。
「このデッキガーダーも古いもんで、保守に金がかかりますんやけど、ああしてファンが撮影に来ますやろ。それを考えたら簡単にはトラスやコンクリートに架け替えできまへんな」
381系の運転士も撮られているのに気がついたのか、軽くフォンを鳴らしました。
「ただ、あんまり多過ぎて、堤防の上まであふれてしもてねえ。ちょっと危ななってきよりまして…。ほんでもってウチで歩道橋を買い取ってちゃんとしたお立ち台を作ろかと、検討中ですわ」
 そんな会話の続くなか、381系は鉄橋を渡り終えると、郊外の風景から一変した市街地に入って行き、左にカーブしながら、土手を上っていく内側線と別れて下に降りていきます。
「さあ、向日水駅に戻ってきましたで。今度は駅の下の通過線を通りますよって…」
(ええっ? なんで出発した駅に戻ってきたの?)
そう思って狐につままれたような顔をしている裏紙を乗せた回送列車は、カーブを曲がりきると、まるで地下線に突入するかのようなコンクリートのポータルに進入していきます。

 向日水駅下の暗がりの中に飛び込んだ381系は、速度を落とし始めました。裏紙がようやく暗さに目が慣れた頃、前方に分岐が見え、その開通方向に従って、本線から側線に身をくねらすように入っていきます。すぐに右側に対向の線路が現れ、上下線に挟まれて3線が併走になったところで、トンネルから外へと出ました。
「駅の下の人目につかないところで、まるで手品をやってるみたいでしたね」
裏紙は、オーナーを見て言いました。
「よう考えてまっしゃろ。土地は有効利用せんと、あきまへんさかいな」
左手の本線が上り勾配で離れていき、進行する線はやや下りとなって左にカーブ。続いて右側に沿っていた対向線も離れていきます。そしてそのまま高架下を徐行するようなスピードで進んで行くと、カーブの先に踏切が見えてきました。
「さあ、ぼちぼち暇崎運転所の入口ですわ。裏紙はん、カメラを用意しとったほうがよろしいで」
裏紙にそう声をかけたオーナーは、運転所に入線していく381系の運転席の真後ろから左右を見渡しています。それにつられてふと左手を見た裏紙は、思わず目をみはって言いました。
「な、なんと! すべて引退したはずのDD13がいるじゃないですか! おおっ! その奥にはEF30も!」
車庫の手前にはステンレスの車体を輝かせたEF30が待機中で、さらに手前ではDD13が給油の真っ最中です。
「まだ、びっくりするのは早いでっせ。右手も見てみなはれ」
オーナーに言われるままに、首を右に振った裏紙は腰を抜かさんばかりに驚き、カメラのことなど完全に忘れてしまいました。そこには茶色や青大将など、4タイプのEF58がずらりと並んでいます。
「言うときますけど、全部現役でっせ。ウチの技術陣がよそで廃車になりそうなやつを引き取ってきて、ちゃんと走るようにしよったんですわ」
「いや〜、これはすごい。博物館以上じゃないですか。しかも古い車輌ばかりじゃなく、新鋭機もたくさんいますし…」
前方右手には、EF210やEH500といった機関車が、出庫準備をしているのが見えます。そして左手奥には、321系や683系など、さまざまな電車が留置線で体を休めていました。381系がさらにスピードを落とし、今日の寝ぐらとなる線に入ると、右側には20系ブルートレインや真っ赤な車体の50系などの客車群が、出番を待っています。再び前方に視線を戻した裏紙は、381系の到着を待っているかのように、点検台の先端にひとりの職員が立っているのに気がつきました。
「おっ、やっばりおったな」
オーナーは微笑んで、車止めの直前で停止するのを待ちかねたように、ドアを自分であけて降りようとします。裏紙もあたふたと後に続きます。点検台に降り立ったのと同時に、運転士と列車の調子について言葉を交わしている職員がオーナーに気づき、はっとした表情で敬礼をしました。
「こっ、これは失礼致しました。まさかオーナーがお越しになるとは、思ってもおりませんでしたもので…」
「ははは、ウシやん、相変わらず硬いな。気にせんでもええで。今日は記者さんと同行なんや」
オーナーは、職員に親しげに語りかけ、そして裏紙を振りかえって言いました。
「紹介しときまっさ。ここの所長の牛部下はんや。この人は、変わった経歴の持ち主でな。これでも元警視庁の刑事さんなんやで」
「へえ〜、なんでそんな方が、ここにいらっしゃるんですか?」
裏紙はもっともらしい質問を返します。するとそれをさえぎるように、牛部下が言いました。
「まあまあ、オーナー。ここではなんですから。お茶ぐらいしかありませんけれど、事務所の方へお越しください。」
「おう、そやな。ほな、ちょっと休んでいこかいな」
オーナーと裏紙は、牛部下の後について点検台の上を歩き始めました。

 すぐにオーナーは牛部下と肩を並べて、話しかけます。
「相変わらず忙しそうやけど、別に事故も問題もなさそうやな」
「いやあ、忙しいのは結構なんですが、最近やたらと車輌の数が増えてきたんで、ちょっと手狭になっとります」
後ろをついていく裏紙が辺りを見渡す間にも、入れ替わり立ち替わり次々と電車が発着し、入れ替え作業に従事するDE10も、右へ左へ行ったり来たりと飛び回っています。
「ウチの技術屋サン連中は蒸気機関車をどんどん復活させとるし、新型の電車も入ってくるしで、大変ですよ」
「そうか。まあ半分はワシの道楽が入っとるんでなあ。すまんけど、大目にみたってや」
3人は点検台の先端を降りると、右に曲がって線路を横切って行きます。先頭の牛部下は、律儀に線路1本ごとに左右の安全を指呼確認しています。
「おや? オーナー、一番端にプラットホームが見えますけど、あれは何です?」
乗客の姿もちらほらと見えるホームにカメラを向けて、シャッターを切りながら、裏紙が聞きました。
「何です?って、見たとおり駅でんがな。暇崎ちゅう駅で、ちゃんと客扱いもしてまっせ」
「あれはですね。元はここの従業員用の乗降場だったんですけど、周辺の住人の方々から駅を作ってほしいという要望がでましてね。」
牛部下が振り返って、説明を始めました。
「スペース的に4連しか停められないのですけど、住人の皆さんからは好評なんですよ。ただし、入れ替えや回送の合間を縫うように走らせてますので、こちらは結構気を使ってますがね」
線路を横断し終えた一行は、事務所棟の2階奥の所長室へと入りました。牛部下は、すぐにインターホンでお茶を持ってくるように言いつけます。
「で、牛部下さんは、なぜ警視庁からここへ来られたんです?」
オーナーと並んでソファーに腰を落ち着けた裏紙は、さきほどの質問を再び切り出しました。
「ウシやんはな。警視庁時代に鉄道に纏わる事件を多く担当したんや。なかでも走ってる列車が消えたとか、真ん中の1輌だけがなくなってしもたとか、ミストリーまがいの事件をぎょうさん手がけてな」
オーナーは出されたお茶をすすりながら、言います。
「こんな狭い運転所では、それこそマジックのように列車を出し入れしたり、入れ替えたり、編成を組み替えたりせなあかんのでなあ。まあ、はまり役かと思て引き抜いたという訳ですな」
「またその話ですか。確かに変わった事件は扱いましたけど、犯罪と配車・操車は関係ないですよ」
牛部下は照れたような表情で、窓の外を見やりました。その窓のすぐ下では、クモヤに挟まれたマヤ検が、まるでこっそり隠されるかのように、静かに車庫に入っていきました。

 オーナーと牛部下の昔話にひと通り付き合わされた裏紙が、ディーゼルエンジンの音が近づいてくるのを聞いて、窓から運転所の入口を見渡してみると、ブルドッグ顔のキハ81系6連が排気臭をふりまきながら、入場してくるところでした。カメラを鷲づかみにして廊下に飛び出した裏紙は、シャッターを切りまくっています。
「裏紙さんは、結構古い型の車両に興味があるんですねえ」
その後から続いて出てきた牛部下は、そう声をかけました。
「いやあ、あれは博物館でしか見たことがないもんで、びっくりしましたよ」
「ウシやん。そろそろ仕事の邪魔になるさかい、行くとするわ」
イラチのオーナーは、もうすでに出発の用意をして、廊下に出てきました。
「あっ、そうそう、オーナー。古いモノ好きの裏紙さんにちょうどいい電車が、もう少ししたら暇崎の駅に来ますよ」
「おう、そやそや。例の下回りを大幅改造したヤツやな。ちょうどええわ、裏紙はん。それ乗っていきましょ」
事務所棟から出た一行は、牛部下の先導でホームの方向へ歩き出しました。そして一般の改札口と反対側にある職員専用の入口のカギを開け、牛部下はふたりをホームへと上がらせました。
「それでは私は職場に戻りますので。どうぞおふたかたともお気をつけて」
牛部下はキリッとした敬礼をして、事務所棟のほうに引き返していきます。すると、後姿の先に見える信号所の影から、オレンジ色の古臭いタイプの電車が現れ、こちらに向かって入ってくるのが見えました。
「おっ、来た来た。あれですわ、乗りましょちゅうたのは」
オーナーはニコニコしながら、その電車を見つめています。近づくに従って、裏紙も型式が分かってきました。
「こりゃまた、72系の国電じゃないですか」
そう言って、またも裏紙はシャッターを切り始めました。そんな裏紙を横目で見ながら、オーナーは言いました。
「国電とは、また古い言い方をご存知でんなあ。まあ、わしから言うたら片町線の電車ですけどな」
「しかしオーナー。これの下回りを大改造したっておっしゃってますけど、ぜんぜんそうは見えませんね」
裏紙は、ホームに入ってくる72系の台車のあたりを見ながら言いました。
「コイツは、こう見えてもモーターとか台車を新しく作りましたんやで。まあ、ウチの技術陣の努力の結晶でんな」
目の前に停車した72系は、乗客の乗り降りが始まっています。
「古い車輌を運用してたら、乗客の皆さんからは乗り心地が悪い言うて、クレームがきよりますからな。外見は古いままで、中身は全くのさらっぴん。乗り心地も新型電車同様ですわ」
運転士と車掌が入れ替わり、折り返しの発車の時刻となりました。
「ほな、乗りまひょか」
オーナーは裏紙を促して、72系の車中の人となりました。

 出発信号はすでに青に変わっており、それを指差確認した運転士は、ゆっくりとしたスピードでポイントを次々に通過していきます。裏紙は、もっとここにいたそうな雰囲気でいろんな車輌がひしめく留置線を眺めています。ようやく運転所出口に差し掛かった72系は、徐々に加速を始めました。出てすぐのところにある踏切には、左右に列車の通過待ちの車や人がずらりと並んでいるのが見えます。
「裏紙はん、この踏切、どない思います?」
オーナーは左右を見渡しながら言いました。
「いやはや、これはやっかいですね。頻繁に列車が出入りするし、入替えの時には外まで出てくる場合もありますから、開かずの踏切状態じゃないですか?」
「そう、その通りですわ。すぐ横には交差点もありまっさかい、苦情も結構来とります。しかし、いまさら線路は高架にはできんし、いっそのこと道路のほうを下に通してしまえと考えましてな。国や自治体はカネを出さんので、ウチで全部やることにしたんですわ」
右手を指差してオーナーは続けます。
「ほら、用地は確保してありますよって、後は工事の認可がでればGOですわ。そやけど、道路特定財源で仰山税金集めとるくせに、必要な道路の整備をやらんと、今すぐには不必要な道路ばっかり作るし、マッサージ機まで買うとる役人は、どうしようもおまへんな」
オーナーが愚痴っている間に、72系は本線のあいだに入り、向日水駅の下にもぐりこんで行きます。そこで二度身をくねらせて本線に合流し、駅の反対側に出ました。するとどこからか、鉄道唱歌のオルゴールのメロディが流れてきました。裏紙はさもありなんという顔で、オーナーに話しかけます。
「さすがに古い車輌ならではの演出ですね。車内放送も『♪汽笛一声、新橋を〜』で始まるんですか?」
オーナーはその問いに笑って返しました。
「今のはワシの携帯の着メロでんがな。メールが着きましたちゅうヤツですわ」
オーナーは携帯電話を取り出し、メールの内容を見ています。
「ありゃまあ、また奇多やんに先越されてしもたわ。『ペンションにお泊りでしょうから予約しておきました』とはなあ、参った参った」
裏紙もつられて笑っているうちに、澱川鉄橋に差し掛かった72系は、すぐ横の旧線を同じ方向に走っていたキハ65系のエーデルを追い抜きました。それをカメラに収めた裏紙が、前方に視線を戻すと、トンネルの入口上に新幹線が走っているのを発見し、唖然とした表情でオーナーに言いました。
「なっ、なんですか、あれは。来るときにはトンネルを出たところで見えませんでしたけれど、あんなところになぜ新幹線が?」
偶然目撃したのがめずらしくなった0系だったためか、余計に興奮した口調で続けます。
「まさか、あの新幹線もオーナーが線路を引いたんじゃないでしょうね?」
「そのまさかですわ。山陽新幹線の西の端で、車輌基地までのあいだを乗客を乗せて走ってるのをご存じでっしゃろ」
「ああ、博多の話ですね」
「それと同じで、新幹線基地の近くの住民から要望がありましてな。せっかく線路があるんやったら、もちょっと伸ばして駅をつくろか、と…。新幹線はウチのもんやないけど、費用を持つ言うたら話に乗ってきはりましたんでな」
オーナーは、まじまじと自分を見ている裏紙のほうを振り返って言いました。

 トンネルへ進入してすぐにスビードを落とし始め、出口の明るさが見え始めた頃には、徐行の速度になってきました。ポータルの先に、長岡昨日駅のホームが見え、そこに滑り込んだ4連の72系は、ピタリと有効長に合わせて停止します。
「さあ、降りまっせ。ここがペンションに一番近い駅でっさかい」
オーナーは開いたドアからひょいとホームに出ました。裏紙がそれに続くと、乗ってきた72系はすぐに発車していき、ちょうど対向線をブルーの201系更新車がやってきて、オレンジの72系との2ショットを撮影することができた裏紙は、満足そうに言いました。
「なかなか面白い組み合わせの写真がとれましたよ。これ、使えるかもしれません」
「さよか、ほんでもちゃんと紹介しといてもらわんと、なんか古い電車ばっかり再利用してるようにも見えまっせ」
階段を上がって改札口に向かうオーナーを、裏紙は小走りに追いかけていきます。
「アハハ、大丈夫ですよ。その辺は抜かりなく、きちんと書くつもりです。ところで、オーナー、ここからはどうやって行くんです?」
改札をいつものように手を挙げただけで通過したオーナーは、駅前に止まっている車をひととおり眺めて返事をします。
「キタやんのメールでは、迎えの車を寄越すことになっとったんやがな」
ふたりがその車を捜してきょろきょろしていると、1台の小型トラックが走ってきて目の前に止まりました。そのトラックからあわてて飛び出してきたのは、作業着姿の、妙にアゴが長い男でした。
「もっ、申し訳ありません。出る前にウチのやつとちょっと口喧嘩になりまして…」
「おう、シンちゃん、急ですまんな。で、部屋は空いとったんかいな?」
オーナーはその男にニコニコと微笑みかけながら、問いかけました。
「ええ。部屋は大丈夫なんですが、送迎用の車が急に故障しまして。お迎えに行くのに、これしかなかったもので」
「ははあ、そんでマユコはんに"車の管理もできないの?"と、怒られてた訳やな」
「そ、その通りです。本当に申し訳ないです」
ひたすら恐縮するばかりのするの男を、後ろに立って聞いている裏紙に紹介しようと、オーナーは振り返りました。
「裏紙はん、ペンションの管理人をしてもらってる雨流さんや。シンちゃん、こっちは東京からお越しの記者さんで裏紙はん」
シンちゃんと呼ばれた男は、ぎこちない手つきで名刺を差し出し、裏紙と交換します。
「あんたはホンマにそういうことの似合わん人やな。おふたりは同じシンさん同士で、しかも同業者みたいなもんでっせ」
裏紙はその言葉に、はたと思い当たりました。
「ひょっとしたら、行く先々で殺人事件に巻き込まれる、売れないトラベルライターのウリュウさんではないですか?」
「えっ、ええ。売れないは余計ですけど、そのウリュウです」
つい口を滑らした裏紙は、しまったと思いながらも、フォローを忘れません。
「たしか奥さんは某コンツェルンの令嬢で、美人で有名な方ですよね? でもなんでそのご夫婦が管理人をなされているんです?」
そのやりとりを聞きながら、オーナーは言いました。
「なんや、やっばり知ってはったんかいな。まあ、続きはトラックの中でしましょか。ほんなら、よっこらしょっと」
オーナーは早々とトラックの助手席に乗り込み、裏紙を手招きして言いました。
「はよ乗ってくださいよ。トラックがいややったら自腹でタクシーに乗ってもろてもよろしいけど…」
自腹という声に、あわててオーナーの横に乗り込んだ裏紙は、平気で運転席との間のせまいスペースに座っている大鉄道会社のオーナーを、改めて畏敬のまなざしで見ていました。
「狭いところに押し込んで申し訳ないです。次からはちゃんとワゴン車で来ますから」
まだ恐縮状態が続いているシンが運転席に座り、トラックは駅前にある丘を回りこむように走り出しました。

 丘の向こう側に出ると、駐車場やスーパーマーケットの並ぶお馴染みの駅前の風景が拡がっています。
「へえ〜、駅前が狭いと思ったら、こっちにいろいろあるんですね。」
裏紙は周囲を見渡して言い、そして、遠くに見える大規模な団地や住宅街を見つけました。
「最近はこの辺でも宅地開発が進みましてな。本線に駅を作ってくれちゅう、デベロッパーの要請で無理やりに作った駅ですんや。そやよって4輌編成しか停められんのやけど、利用客はどんどん増えとります」
シンは小型トラックを慎重に運転し、広い道路から枝分かれした上り坂に入りました。
「ちょっとカーブが続きますので、気をつけてください」
裏紙にそう言って、つづら折れの道をハンドルを右に左に切りながら、坂を登っていきます。
「さっきの続きですけど、雨流さんはどうしてここにいらっしゃるんですか?」
裏紙はシンに、再び尋ねました。
「シンちゃんはな、ウチがペンションを開くときに、鉄道ファンもぎょうさん泊まりにくるから鉄道に詳しい管理人を置きたかったんで、わざわざ夫婦ごとスカウトして来てもろたんですわ」
「いや〜、オーナーに声をかけてもらって助かりました。本業では食べていくのが精一杯で、嫁さんに対して肩身が狭かったですから」
シンは、またまた恐縮しながら言いました。
「でもまだトラベルライターの仕事もやってまっせ。ウチの広報誌にも書いてもろてますしな。あっ、そやそや、シンちゃん。トンネルを出たところでちょっと停めてんか」
「はいはい、あそこですね。今日は天気もまずまずですから、写真もきれいに撮れるでしょう」
あたりは完全に山の中で、やがて道路の先にトンネルの入口が見えてきました。そして短いトンネルを出たところでトラックが停まりました。
「裏紙はん、来てみなはれ。ペンションのウリモノのひとつですわ」
一緒に降りたオーナーが道路を歩いて登っていき、裏紙もあとに続きます。道路沿いに茂っている樹木が途切れたところにくると、オーナーは立ち止まり、左手を指しました。指された方向の眼下には、先ほどの駅と旧線の駅とがパノラマのように拡がっていました。
「なんと、これは! すごい眺めですね!」
思わず裏紙はカメラを向けて、たて続けにシャッターを切ります。
「なかなかのもんでっしゃろ。さしずめ新旧二駅俯瞰てな具合ですわ。今は順光やけど、早朝の朝日に照らされたこの景色もよろしいで」
旧線の駅にキハ120系と思われる単行が停まっており、ちょうどそのとき、対向の正面のトンネルからキハ58系の急行列車らしき4連が現れ駅を通過するという、列車交換のシーンが繰り広げられました。裏紙は、カメラを縦に横にしながら、撮影に余念がありません。
「さあ、そろそろ腹も減ってきたし、すぐそこやから行きますかな」
再びトラックに乗り込んでカーブを回りこむと、右上にテニスコートのフェンスが見え、駐車場が目に入りました。
「さあ、着きましたよ。上で嫁さんが待ってますからどうぞ。私は車を停めてきます」
オーナーは片手を上げてシンに答え、さっさと入口の階段を上がっていきました。


第三章を読む列車名サボ・イラスト「つづく」