荒崎海岸弁天島付近

絵 「渋沢丘陵より丹沢山地を望む」

  • 油彩画
  • サイズ 縦横:F10 横
  • 最終描画:2020年3月
  • ビューポイント:神奈川県秦野市
  • (渋沢丘陵 畑の展望台)



文 地形地質概要

1. 絵 「渋沢丘陵より丹沢山地を望む」

絵は渋沢丘陵の「畑の展望台」からの秦野市街と丹沢の眺めで、休耕畑に繁茂するエノコログサを近景として丹沢の山々を描いています、中央やや右に大きく見える丹沢のピークは二ノ塔と三ノ塔(左側1,204m)です。三ノ塔から左側奥に続く稜線で最も高いのが塔ノ岳(1,491m)です。眼下に広がる市街地は秦野盆地の中~西部で、小田急の渋沢駅付近およびその西側に当たります。

なお、渋沢丘陵は大磯丘陵の北西部の秦野盆地に面する領域を指します。大磯丘陵は他にも曽根丘陵や高麗丘陵のように全体の中の一部を別の丘陵名で呼ぶことがあります。

2. 地形概要

秦野(はだの)市は神奈川県の県央に位置し、東西約7km・南北約4kmの秦野盆地と呼ばれる凹地に発達した都市です。秦野盆地の北側は表丹沢の山々が聳え、南側は渋沢丘陵に限られています。渋沢丘陵からは、鍋割山(なべわりやま 1,272m)、塔ノ岳(1,490m)、大山(おおやま 1,252m)などの各ピークや支脈によって張り出した二ノ搭(1,144m)や三ノ塔(1,205m)どのが見渡せます。

丹沢山地を源とし、丹沢盆地を流れる河川には、西から順に四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)、水無川、葛葉川、金目川(かなめがわ)があります。これらの河川のうち、四十八瀬川以外の各河川は丹沢山地を下り、秦野盆地に入ると概ね南東方向に流れ、小田急秦野駅の周辺で順次金目川に合流し、秦野盆地を抜けて相模平野に流入し、花水川となって相模湾(平塚市)に注いでいます。秦野盆地の中央を流れる水無川の流路が示すように、秦野盆地は概略西北から南東に向かって傾斜しています。

渋沢丘陵はその麓に存在する渋沢断層や西側の国府津‐松田断層などの活動により高さを増した丘陵ですが、その活動は5万年以降に西側から始まり、渋沢丘陵と丹沢山地に挟まれた凹地に丹沢の侵食により生成された砂礫などが堆積して扇状地として秦野盆地が形成されました。このように地形を大きく変えた変動は相模湾トラフ沿いで歴史的に繰り返して発生している海溝型地震である関東地震と関連するとされています。1923年の大正関東地震(関東大震災)では渋沢断層などの活断層は動きませんでしたが、それでも大きな被害が発生しました。秦野市河原町の命徳寺裏山の鬼子母神堂跡地(児童公園)の震災殃死者供養塔には224名の犠牲者の名前が刻まれています。

3. 地質概要

丹沢や伊豆半島の衝突などを含めて地質的な出来事はプレート説によって説明されています。

かつて日本列島はアジア大陸の東縁で大陸の一部でしたが、約2,000万年前に大陸から分離し、約1,500万年前に日本海の拡大とフォッサマグマの形成が完了して日本列島の原型が生まれました。同じころ、伊豆・小笠原弧がフィリピン海プレートに乗って北上を開始しました。丹沢も伊豆半島もプレートに載って本州に衝突・付加した地塊であり、かつての火山島を起源としています。

丹沢山地の起源は約1,700万年前に南の海底で発生した火山活動が始まりです。約1,500万年前の地層からはオウムガイ類・造礁サンゴ類・石灰藻類・大型有孔虫類が発見されており、そのころは熱帯性のサンゴ礁を伴った大きな火山島であったようです。この火山島はフィリッピンプレートに載って北上し、約700万年前には日本列島に衝突を開始しました。約800万年前から370万年前には火山島と日本列島の間の海峡は陸起源の泥岩~礫岩が堆積するような環境になったと考えられています。丹沢山地に分布する、約1,700万年前の海成の火山砕屑岩や火山岩類から約370万年前の礫岩主体までの地層を丹沢層群と呼び、全体の層厚は10,000mに達します。

絵に描かれた丹沢の山並みの大部分は丹沢層群が分布しますが、この風景より左側(西側)の丹沢山地には花崗岩質岩体である丹沢複合深成岩体が分布し、これを中心として丹沢層群が同心円状に分布したドーム構造をなしています。丹沢複合岩体は丹沢が日本列島に衝突したことによって花崗岩質のマグマが形成され、丹沢層群中にマグマが急速に上昇・固結したことを示していると考えられ、その形成時期は約500万年前から約400万年前とされています。

さらに、約100万年前には伊豆半島が丹沢に衝突し、この圧力により丹沢は急激に隆起し、最近の数十万年の間にますます高く険しくなりました。

4. 秦野盆地の活断層

秦野盆地に存在している活断層の秦野断層と渋沢断層は同じ時期に活動したと考えられ、神奈川県地域活断層調査委員会の調査によると、「断層の長さに比べて平均変位速度が著しく大きく、起震断層の可能性がある。しかし、近くに存在する神縄・国府津-松田断層帯の影響を受けて活動する可能性もある。」とされています。また、神縄・国府津-松田断層帯は政府の機関である地震調査研究推進本部地震調査委員会によって再評価され、国府津‐松田断層帯は相模トラフのプレー境界からの分岐断層で、海溝型地震の発生に伴って活動する可能性がある断層とされています。

相模湾トラフ沿いで歴史的に繰り返して発生している海溝型地震を総称して関東地震と呼びますが、1923年の大正関東地震(関東大震災)では、国府津-松田断層や渋沢断層および秦野断層などは動きませんでした。歴史的に繰り返されてきた関東地震の発生のうち、何回かに1回の割合で渋沢断層などの活断層が一体となって活動してきたと考えられ、その結果として渋沢丘陵や秦野盆地が形成されました。

5. 付図及び参考資料

資料1

周辺図 矢印は絵の描画方向

資料2

周辺図(色別標高図)

表示範囲や縮尺などは左図と同様

秦野盆地は山地斜面から供給される土砂

や砂礫で埋積されています

参考資料

・藤岡換太郎・平田大二編著 2014 日本海拡大と伊豆弧の衝突―神奈川の大地の生い立ち 有隣堂

・石川正弘 谷健一郎 桑谷立 金丸龍夫 小林健太 2016 丹沢山地の地質:伊豆衝突帯のジオダイナミクス 地質学雑誌 第122巻 第7号

・門田真人・三澤良文 2005丹沢山地より産出する中新世八放サンゴ亜綱Heliopora(Pallas)アオサンゴ化石について 「海-自然と文化」東海大学紀要第3巻第3号

・地盤工学会 関東支部神奈川県グループ編 2010 大いなる神奈川の地盤 その生い立ちと街づくり 技報堂出版

・秦野市教育研究所 1994 改訂版 秦野盆地の地質

・神奈川県環境部地震対策課(1999)秦野断層・渋沢断層に関する調査成果報告書の刊行にあたって

・地震調査研究推進本部地震調査委員会(2015)塩沢断層帯・ 平山-松田北塩沢断層帯・国府津-松田断層帯(神縄・国府津-松田断層帯) の長期 評価( 第二版 )

・地理院地図(電子国土Web)