春の谷戸と丘陵

絵1 「春の谷戸と丘陵」

  • 油彩画
  • サイズなど:F8 横
  • 最終描画:2020年 6月
  • 所在地:神奈川県横浜市青葉区寺家町(じけちょう)
  • 寺家ふるさと村

絵は横浜市青葉区の寺家ふるさと村の春の風景を描いています。丘陵は春の芽吹きで薄緑色になり、その中の桜の白さが目立っています。

秋の谷戸と丘陵

絵2 「秋の谷戸と丘陵」

  • 油彩画
  • サイズなど:F8 横
  • 最終描画:2020年 6月
  • 所在地:神奈川県横浜市青葉区寺家町(じけちょう)
  • 寺家ふるさと村

谷戸は丘陵などの中に入り込んだ侵食谷であり、湧水等によって水分が豊富であることが多く、谷の奥まで稲作が行われていました。

寺家ふるさと村は田園景観の保全と地域の活性化を目的に「横浜ふるさと村」として指定された地区であり、市民が自然と農業に親しむ場として整備されています。

1. 地形概要

寺家ふるさと村は横浜市の北西端(横浜市青葉区寺家町)に位置し、東京都町田市や神奈川県川崎市に接しています。

谷戸は丘陵地や台地に侵入した馬蹄形の侵食谷を特徴とする地形であり、約2万年前の氷期以降に形成された新しい地形です。約2万年前の氷期には海退が起こり河川によって深い侵食谷が形成されたのに対し、約6,000年前をピークとする縄文海進時以降の間氷期(温暖期)には海水準が上昇することにより、沖積平野が形成されるなどの堆積が優勢となりました。丘陵に侵入した侵食谷も流水速度の減少により丘陵斜面から供給される土砂によって埋積されました。さらに水田の耕作によって谷戸と呼ばれる平坦な地形が管理され、ホタルやトンボなどが生息できるような環境が保全されるようになりました。

ふるさと村周辺の丘陵は多摩丘陵と呼ばれ、東京都八王子市の高尾山東麓から神奈川県横浜市まで、北西-南東方向に弓型に延びています。丘陵の北西端は関東山地(高尾山の東麓)に接し、北および北東側は多摩川の対岸の立川段丘や武蔵野台地と、西側は境川の対岸の相模原台地に挟まれ、東から南東側は下末吉台地あるいは東京湾に接し、南側は三浦丘陵に地形的に連続しています。

2. 地質概要

多摩丘陵は上総層群あるいはこれを覆う段丘堆積物が分布します。

上総層群は房総半島にも広く分布する地層であり、東京では台地の下に基盤として存在しています。この地層の堆積は約300万年前に海溝よりも陸側斜面の海盆で始まり、堆積の場となった海は次第に浅くなりやがて陸化します。寺家ふるさと村周辺には110万年程度前の浅い海で堆積したシルトやシルトと細砂の互層などが分布します。

約50万年前には未だ三浦半島は島として存在し、相模湾と東京湾はつながっていました。そのころ、関東山地などを発する相模川は東に流れ、多摩丘陵付近で扇状地を形成しながら多摩川に合流して東京湾に注いでいました。

30万年ごろになると多摩丘陵が隆起して三浦半島とつながり、相模川は隆起帯に阻まれるようにして多摩川と分断され、相模湾に注ぐようになりました。多摩丘陵を刻む谷の方向はかつての相模川の流れる方向や海が遠ざかっていく方向を示しているといわれています。

多摩丘陵は隆起に氷河性海水準の変動が加わり、海進と海退を繰り返しながら海が遠ざかっていったことでしょう。やや緩慢な隆起と侵食や堆積の結果、多摩丘陵は谷壁勾配が緩やかで頂部が丸みを帯び、無数の侵食谷(谷戸)が発達した典型的な丘陵になりました。陸化した当時の原平坦面はほとんど失われているとされています。

3. 付図及び参考資料

周辺図(地形図)

周辺図

矢印は絵(春の谷戸と丘陵)の描画方向

周辺図(色別標高図

周辺図(色別標高図)

位置や縮尺は左図の周辺図と同じ

参考資料

・地盤工学会 関東支部神奈川県グループ編 2010 大いなる神奈川の地盤 その生い立ちと街づくり 技報堂出版

・篠原謙太郎・小沢清・江藤哲人・田中裕一郎・川島眞一 2005 深層ボーリングによる下末吉台地および多摩丘陵上総層群の石灰質ナンノ化石年代層序および地下地質 神奈川県温泉地学研究所報告 第37巻 1-14

・伊藤久敏・谷口友規・篠原謙太郎・江藤哲人 2002 多摩丘陵上総層群中に含まれる前期更新世テラフのフィッション・トラック年代 第四紀研究41(5)

・森清和・島村雅英 2000 横浜市域における谷戸地形の特質と推移に関する一考察 日本造園学会 ランドスケープ研究 64巻5号

・高野繁昭 1994 多摩丘陵の下部更新統上総層群の層序 地質学雑誌 第100巻9号

・横浜市ホームページ 横浜ふるさと村

・地理院地図(電子国土Web)