北山崎の隆起海岸と断崖

絵1 「北山崎の隆起海岸と断崖」

  • 油彩画
  • サイズなど:F8 横
  • 最終描画:2020年 10月
  • 所在地:岩手県下閉伊郡(しもへいぐん)田野畑村(たのはたむら)

岩手県下閉伊郡(しもへいぐん)田野畑(たのはた)村の北山崎展望台より南方向を眺めた風景であり、波浪による侵食によって生じた断崖が遠くまで連続的に続いています。先端に岩塔のある岬は約3km先の矢越崎です。


断崖に挟まれた海岸の風景

絵2 「断崖に挟まれた海岸の風景」

  • 油彩画
  • サイズなど:同上
  • 最終描画:同上
  • 所在地:同上

断崖と断崖の間は深い谷が入っていることがあり、特に内陸側から河川が海に注ぐ箇所では、断崖が深く刻まれて砂浜が生じています。浜に続く河川沿いの平坦地には小規模ながら集落があることがあり、時には漁港が存在しています。

絵2は断崖に挟まれて隠れるように存在している浜辺の風景で、ごく小さな漁船用と思われる突堤の脇に立って沖を眺める人物が見えます。漁船の帰りを待っているのでしょうか。沖を行く船は北山崎を巡る観光船です。


1. 地形概要

岩手県の中央を南北に流れる北上川の東には早池峰山(はやちねさん:標高1,917m)を最高峰とする北上山地が南北に延びています。北上山地は比較的なだらかな山地で隆起準平原であると考えられています。

北上山地の東麓は太平洋に面する三陸海岸であり、宮古湾を境として、北側は隆起海岸で断崖が連続するのに対して南側は沈降地形のリアス式海岸です。なお、三陸海岸とは陸奥・陸中・陸前にまたがる海岸を指し、岩手県では南端の陸前高田市と大船渡市を除いた海岸が陸中海岸に相当します。

陸中海岸の北山崎展望台より南方を眺めると、絵1のように波浪による侵食を受けた高い断崖(海食崖)が望めます。その断崖の頂部は平坦で高さが揃っていますが、この平坦面は約50万年前の海進時に形成された海岸段丘であり、高さ約200mの断崖は後の隆起と波浪による侵食によって生まれました。また、断崖の途中には後の時代に形成されたと思われる小規模の平坦面が分布しているようです。

絵2の右側の海に突き出た岩山(岩礁)は高さ200mの平坦な段丘の延長部として存在していましたが、海水準の変動に応じた侵食を経ることによって現在のような高さと形状を呈していると思われます。

2. 地質概要

北上山地は古生層や中生層が分布する古い地質体で、南半部の南部北上帯と根田茂(ねだも)帯および北半部の北部北上帯に区分されています。南部北上帯は古生代シルル紀以前の基盤岩類(古いもので約5億年前)およびシルル紀(約4億4千年前~約4億1千年前)の浅海性堆積岩類より成る陸片、根田茂帯は古生代石炭紀の付加体であり、北部北上帯は中生代ジュラ紀の付加体です。

これらの地質体は形成場所や形成形態および形成環境が変化する長い地質時代を経ることによって形成されたものであり、これらが合体して現在の北上山地を形成しています。

北上山地および北山崎周辺の形成史の概略は次の通りです。

①南部北上帯(基盤岩類)と根田茂帯(石炭紀の付加体)が古生代から中生代にかけてアジア大陸東縁に移動

②その東側では海洋プレートの沈み込みに伴って北部北上帯となるジュラ紀の付加体が形成

③これらの基盤岩や付加体が中生代ジュラ紀末から白亜紀初めにかけて合体(→北山山地のもと)

④中生代前期白亜紀には所々火山岩類が噴出し、広範囲に花崗岩類が貫入

⑤日本海の拡大に伴いアジア大陸東縁からほぼ現在の位置に移動(→日本列島の原型)

(日本海の拡大は約2千万年前(新生代新第三紀中新世)~約1千5百万年前で、拡大が終了したころは東北日本弧の広い範囲が水没し、北上山地や阿武隈山地の一部だけが島として存在していた)

⑥北山崎周辺の景観の形成(氷河性海水準の変動および地盤の隆起と侵食)

基本的には約50万年前の海進時の平坦面を侵食した断崖ですが、断崖の途中にも同様にして異なる時期に形成された平坦面が認められる。


なお、④の花崗岩類はプレートの沈み込みに伴う部分溶融によって形成されたもので、その活動年代は1億2千万年前前後(中生代白亜紀前期)に集中しています。花崗岩類は地下深く(深さ数km~10km)でゆっくり冷えることによって形成される岩石であり、この岩石が現在の地表に広範囲に分布していることおよびこの花崗岩類を覆って浅い海に堆積した宮古層群が分布することを考えると、花崗岩の貫入後に地盤は著しく隆起し、隆起した結果激しい侵食が起こったようです。

北山崎から眺める海食崖に分布する④の火山岩(石英安山岩)は花崗岩類の貫入年代と同時かあるいはその直前に活動したと考えられており、花崗岩類よりもより海溝側の火成活動に伴う火山岩(形態としては貫入岩や噴出岩)と解釈されています。


絵の風景だけを基にして地形と地質を簡潔に示すと、

「北山崎から眺める風景は海岸段丘が形成された約50万年前の海進時の平坦面およびそれ以降の隆起と海岸侵食によって形成された断崖であり、断崖は約1億2千年前に噴出した火山岩(石英安山岩)が分布しています。」

3. 津波について

三陸海岸は津波の常襲地であり、明治以降でも明治の三陸地震津波、昭和の三陸沖地震とチリ津波、平成の東北地方太平洋沖地震の4回の津波に襲われました。

田野畑村周辺は隆起海岸で大きな河川もないため、奥まった湾も海岸沿いの低地もほとんどないような自然環境ですが、それでも小河川が海に注ぐ箇所では河川による侵食によって深い谷が海に向かって開いています。この断崖の切れ目には時として小規模ながら漁港があり、河川沿いの平坦地には集落が存在しています。

田野畑村でもこのような個所が津波の被害を受けてきました。田野畑村の明治以降の被害は次の通りです。

1896年(明治29年)三陸地震津波:流出家屋325、死者98

1933年(昭和8年)三陸沖地震:流出倒壊家屋131、死者83

2011年(平成23年)東北地方太平洋沖地震:住家被害281戸、死者23人、行方不明者16人

なお、1960年のチリ津波の際の被害はありませんでした。

4. 付図及び参考資料

周辺図(地形図)

周辺図

矢印は絵「北山崎の隆起海岸と断崖」の描画方向

周辺図(色別標高図

周辺図(色別標高図)

位置や縮尺は左図の周辺図と同じ

参考資料

・塚本すみ子 2018 光ルミネッセンス(OSL)年代測定法の最近の発展と日本の堆積物への更なる応用の可能性 第四紀研究 57(5) p.157-167

・永広昌之 2021 南部北上古陸の成立発展-南からやってきた日本列島の基礎-  日本技術士会東北本部応用理学部会 第2回研修会資料

・近藤玲介(研究代表者)2016 北日本における中期更新世以降に形成された海成段丘面の高分解能編年 科学研究費助成事業 2016年度研究成果報告書

・土谷信高・西岡芳晴・小岩修平・大槻奈緒子 2008 北上山地に分布する古第三紀アカダイト質流紋岩~高Mg安山岩と前期白亜紀アカダイト質塁帯深成岩体 地質学雑誌 No.114 補遺,159-179ページ

・杉本幹博 1979 北上外縁帯の地質 白亜紀(先宮古世)地殻変動の証を追って 地質ニュース 300号,16-27

・米倉伸之 1966 陸中北部沿岸地域の地形発達史 地理学評論 39巻5号p.311-323

・宇佐美龍夫 1996 新編日本被害地震総覧 東京大学出版会

・田野畑村 たのはたジオワールド>お宝リスト>自然災害(津波・津波石・遺構・大火)https://www.vill.tanohata.iwate.jp/geoworld/

・地理院地図(電子国土Web)