夏の古道(朝夷奈切通)

絵 「夏の古道(朝夷奈切通)」

  • 油彩画
  • サイズ 縦横:F12 縦
  • 最終描画:2017年3月
  • 朝夷奈切通の所在地:鎌倉市十二所(じゅうにそ)~横浜市金沢区朝比奈町(あさひなちょう)で、絵の位置は横浜市側



文 地形地質概要

1. 絵 「夏の古道(朝夷奈切通)」

絵は朝夷奈切通(あさいなきりどおし)の横浜市側にある小切通(こきりどおし)と呼ばれる切土の深い場所を描いています。切土区間は崖上にも植物が繁茂し、その薄暗さが古道のイメージを盛り上げています。馬の背に荷を載せた荷駄がすれ違うのはいいとしても馬車などはすれ違いができるでしょうか。この道には荷駄が似合いそうです。

2. 地形概要

鎌倉幕府の拠点都市であった鎌倉は1方を海に、3方を標高100~150m程度の丘陵に囲まれた天然の要害地です。この丘陵は三浦半島から延びる三浦丘陵と北に続く多摩丘陵の境界付近に位置し、地形的には連続しています。

鎌倉とその外を結ぶ交通と防衛の要所として、丘陵部を開削した重要な切通が7つ設けられており、これらを七切通あるいは七口と呼ばれています。七切通の一つである朝夷奈切通は鎌倉と現横浜市の金沢八景六浦(むつうら)港を結ぶ古道です。鎌倉の海にも和賀江港が築かれましたが、遠浅であることによる海難事後が頻繁しました。そこで、物流の拠点を天然の良港である六浦に移そうとして、朝夷奈切通が開削されました。

なお、朝夷奈切通は鎌倉の地勢と外部との連絡状況を示す貴重な史跡であるとして、昭和44年(1969)に国の史跡に指定されました。

3. 地質概要

三浦丘陵と多摩丘陵は地形的には連続していますが、丘陵と地質との関係は概略的には三浦丘陵に三浦層群および葉山層群、多摩丘陵に上総層群が分布します。

朝夷奈切通付近では、三浦層群(の池子層)とこれを被う上総層群(の浦郷層)が分布していますが、両者は房総半島で見られるような明瞭な不整合(黒滝不整合)ではなく、地層の傾きが似て境界が不明瞭な不整合とされています。三浦層群の池子層は本州弧の陸側斜面水深1,000~2,000mの海底斜面に堆積した火山噴出物より成り、一部は海底地すべりの産物であろうと考えられています。これを被う上総層群が堆積し始めるのは新第三紀と第四紀の境界(258万年前)に相当するような時期より少し前であり、その後、海は浅くなり更新世中期には陸化して現在の三浦丘陵や多摩丘陵および房総半島の安房丘陵や上総丘陵などを形成しました。

鎌倉を中心として切り出された鎌倉石という石材は三浦層群の池子層で、凝灰岩や凝灰質砂岩、シルト岩などです。現在は採掘することが禁止されていますが、鎌倉石は角が取れて丸くなるという軟らかい石の特徴が鎌倉の寺院を飾る石材としてはよく似合うそうです。

4. 付図及び参考資料

資料1

周辺図 矢印は絵の描画方向

赤○印は右の写真の碑の位置

資料2

朝夷奈切通 鎌倉市側

鎌倉市青年団による朝夷奈切通の解

説碑がある

資料3

鎌倉市周辺の色別標高図

丘陵に囲まれた鎌倉の中心部

赤○印は右上の写真の碑の位置で、

青○印は鎌倉駅

資料4

図は資料1より 青丸印は鎌倉の位

置、赤丸は朝夷奈切通の位置




参考資料

・地盤工学会 関東支部神奈川県グループ編 2010 大いなる神奈川の地盤 その生い立ちと街づくり 技報堂出版

・都道府県研究会 2017 地図で楽しむすごい神奈川 洋泉社

・資料1 藤岡換太郎・平田大二編著 2014 日本海拡大と伊豆弧の衝突―神奈川の大地の生い立ち 有隣堂

・地理院地図(電子国土Web)