被害の大きさは地盤だけによるものではありませんが、地盤によっては地震被害の規模を大きくします。住家を選ぶ時は地盤や地形にも注意し、崖下や沢の出口など土砂災害の起こりやすい場所は避けるのが賢明です。
地盤は厳密な意味で定義されているわけではありませんが、一般には、地表面を含めて人間の生活と関わりのある比較的浅い部分(深度数m~数10m程度)を指すものとされており、日常的にも地盤が良いとか悪いというように使われています。また、岩盤と対比して用いることもあります。
構造物の基礎としての地盤は、構造物支える必要があるため、構造物に応じた強度を持っている必要があります。そのため、構造物(ダム、橋梁、マンションなどのビル)は地盤の性質に応じた基礎が必要になります。一般の木造住宅は重量が小さいので、地盤の上(地表)に直接基礎(鉄筋布基礎、べた基礎)を置くだけで問題がない場合が多いですが、軟弱地盤、砂質地盤、異種地盤、盛土地盤などは注意が必要です。
都市部のように平坦あるいは緩やかな地形の場合は、最も新しい地質時代である新生代第四紀に形成された地層(洪積層、沖積層)がほとんどです。特に沖積層は最終氷期以後の過去約2万年前から現在までに形成された地層であり、新しい堆積物であるからこそ、問題となる特徴を持っています。新しい堆積物よりなる地盤を考えると、地盤によって地震動が増幅・変化すること、そして地震動によって不同沈下や液状化などの地盤が変状することがあり、地盤は地震被害と大きく関係することになります。
一方、山間部は新生代第三紀以前の地層が分布しており、地震被害を地盤として捉えるよりも斜面として捉えたほうが実際的であり、ここでは地盤としてではなく山地斜面として扱います。
軟弱地盤を指して地盤が悪いといわれますが、地盤と震害との関係は、建物の振動特性などと関わっており、単純ではありません。
図 1 木造と土蔵の被害率(関東大震災、1923)
大崎順彦 地震と建築 岩波新書 原典は斎田時太郎の報告書より
図 3.4.1は関東大地震の際の旧東京市内における木造二階建てと土蔵の被害分布を比較した図であり、木造は地盤の悪いといわれる下町で被害が大きい。一方、土蔵は地盤が良いといわれる山の手で被害が大きく、地盤の良否と被害との関係は逆転しています。図
3.4.1の木造と土蔵の被害の例は、震害は地盤だけでなく建物の種類によっても異なることを示しています。
大崎順彦著「地震と建築」(岩波新書)によれば、図 3.4.1の木造と土蔵の被害率を示し、地盤と震害の関係は地盤が悪いから被害が大きいといった単純なものではなく、地盤の特性と建築の特性との関係をいくつかの要因に分けて分析する必要があるとし、割合はっきりしている要因として、1)増幅作用、2)共振作用、3)被害の進行性、4)逸散減衰、5)不同沈下を挙げて、軟地盤(いわゆる悪い地盤)は増幅作用が大きい、柔構造(木造や鉄骨造)の共振が大きい、進行性破壊が発生しやすい、不同沈下が発生しやすいのに対し、硬地盤は剛構造(鉄筋コンクリート)の共振が大きい、逸散減衰が大きいことを指摘し、『それぞれの要因は地盤の硬軟に応じて時には不利に、時には有利に作用し、その総合的な影響は相当複雑である』と解説しています。
地盤と震害の関係は相当複雑であるといっても、戸建住宅のような木造建築に限れば軟弱地盤で代表されるような地盤で震害が大きく、軟弱地盤イコール悪い地盤ということができます。一方、鉄筋コンクリート造のマンションの場合、軟弱地盤で被害が集中している傾向は明瞭でないと理由で、基礎が適切であるなら軟弱地盤が必ずしも悪い地盤であるとはいえません。
地震に際し注意を要する地盤には、軟弱地盤、砂質地盤、異種地盤、盛土地盤などがあり、地形条件とも関係します。以下、それぞれの地盤および山地斜面について、地震被害の特徴などを示します。
図 2 沖積層の厚さと木造住宅の
被害率(関東大震災 1923年)
大崎順彦「地震と建築」 岩波新書より)
平野は最も新しい地質時代の堆積物である完新統(完新世の堆積物)で構成されており、多量の水分を含み、緩んだ状態で堆積しています。なかでもシルトや粘土分の多い沖積層からなる地盤を軟弱地盤と呼んでいます。完新統よりなる海岸平野や大河川周辺の平野は、シルトや粘土が含まれ割合が大きいので、軟弱地盤が広範囲に分布しています。
関東大地震(1923年)のときの木造住宅の倒壊は完新統である沖積層(粘土やシルトよりなる軟弱地盤)が厚く分布する下町に多かったように、沖積層の厚いほど倒壊率が大きいことが知られています。図 2 は関東大地震の際の木造建築の被害率(旧東京市内)と沖積層の厚さの関係を示しており、沖積層の厚さが40m近くなると急激に被害率が増加していることが分かります。
軟弱地盤が地震に弱いのは、地盤による地震動の増幅作用や共振作用によるものであり、これらは主に木造住宅に当てはまる現象です。図 3 によると、沖積層が厚ければ厚くなるほど大ききなるようにみえますが、実際には、被害率が極大となるような、すなわち共振しやすくなるような厚さがあるのではないかと考えられています。
なお、兵庫県南部地震では、岩盤と地盤では最大加速度値で2~3倍の違いがあったが、台地の硬質地盤と沖積低地などの軟弱地盤の間には明瞭な違いは認められないという調査結果もあります。
軟弱地盤として取り扱われる地盤は、後背湿地、三角州、小おぼれ谷、潟湖や湿原跡など、海岸平野や大河川沿いに厚く分布しています。現在の河川がゆったりと流れているような地域は海岸周辺だけでなく標高の高い盆地でも軟弱地盤が厚く分布しているのが普通です。昔は水はけの悪い軟弱地盤を避けた場所(自然堤防*など)に集落が存在してそこを街道が通っていましたが、現在の大都市の多くは軟弱地盤の厚い地域を含めて広範囲に広がっています。また、埋立地や干拓地による人口地盤上にも都市が拡大しています。
軟弱地盤が厚く、しかも木造住宅密集地域は地震による被害が大きくなると考えられ、道路や公園の拡張、木造住宅から共同住宅(マンション)への建替えなどの対策が必要であることから、自治体によっては補助金の制度が採用されています。
*自然堤防:洪水の度に粗粒堆積物が堆積した自然の高まりであり、過去の地震の経験では、沖積平野の中では地震に強い地盤になります。自然堤防は周辺に較べて標高が高く水はけが良いことから、古くから集落が発達してきた場所でもあります。
新潟地震(1964)では 液状化現象が地震災害として注目されました。液状化現象により、昭和大橋の落橋や川岸町の県営アパートが地震動で破壊を受けることなく傾いたり倒れたりしました。建物自体は破壊や変形を受けていないので、傾いたままあるいは倒れたままでドアに鍵をかけることができ、窓も滑らかに開閉できたそうです。
液状化現象は砂粒子が地震動によって浮遊状態になるために起こる現象であり、地下水で飽和状態になった粒の揃った細かい砂の層で発生します。水圧も上昇するので地下水とともに砂を噴出することがあります。砂地盤は通常時は良好な地盤であり建物の重量を支える支持力の高い地盤ですが、地震動によって液状化すると地盤の支持力が失われ、重いもの(構造物)は沈み、軽いもの(埋設物)は浮き上がることになります。関東大地震(1923)の時も、鎌倉時代の橋脚が浮上した例があり、史跡に指定されています。(神奈川県茅ヶ崎市:史跡相模川橋脚)
液状化現象の起こりやすい箇所としては、自然堤防縁辺部、旧河道、旧沼地、湿地、砂泥質の河原、砂丘、人口海浜、埋立地、盛土地などがありますが、液状化現象が発生するためには地下水位が高いことが1つの条件ですので、地形的に周辺より低く、水を多量に含んでいるような箇所はその可能性が高くなります。昔は地震に伴い液状化が発生しても、大型の構造物がないため目だった被害にはなりませんでしたが、都市化の進行により新しい被害として問題化しています。
兵庫県南部地震(1995)でもポートアイランドや六甲アイランド(埋立地)で大規模な液状化が発生しました。地盤がわずかに傾斜していると液状化によって側方流動と呼ばれるように地盤が流動し、岸壁、護岸およびビルの基礎杭が破壊されるような被害が発生しています。
液状化現象は新潟地震以後の地震でも砂質地盤で発生していることから、砂質地盤の地震に伴う一般的な現象であると理解されていましたが、遺跡の発掘によると礫を多く含む地層でも液状化した事例が珍しくない(寒川旭 考古遺跡にみる地震と液状化の歴史 岩波書店)ことや兵庫県南部地震では大小の礫の混じったマサ土の埋め立て地盤でも液状化したことが明らかになりました。地震動が激しければ、粒の揃った砂層ばかりか不揃いの砂礫層でも液状化するということです。
図 3 傾斜地の造成
坂本功「木造住宅を見直す」 岩波新書に着色
異種地盤の代表は切土と盛土です。宮城県沖地震では新興開発地に被害が集中したことが特徴でした。造成地では、ブルドーザのような重機で平坦あるいはひな壇状に整地していきますが、尾根地形部を削り(切土)、削り取った土砂で谷地形部を埋め(盛土)ます。
切土量と盛土量が過不足のないように造成計画をしますので、切土だけのところ、盛土だけのところ、切土と盛土が接しているところができることになります。図 3 の最も上側の赤い家のように、一つの敷地内に切土と盛土が接している付近に建物を建てると、盛土側が沈下して不同沈下が生じるので、傾いたり、崩れ落ちたりする原因のなることがあります。平坦部の先端は見晴らしがよい箇所ですが、盛土である場合は盛土が最も厚い箇所であり崩壊を起こしやすい場所でもあります。
宮城沖地震(1978)の際は、切土と盛土境界付近の盛土側に亀裂が生じたり沈下する現象が集中し、地盤が変状することによって多くの住宅に被害がでました。
水田として利用されることの多い低地は水はけが悪く軟弱であることから多かれ少なかれ盛土の上に住宅を建てることになります。盛土を含めた軟弱地盤では、常時でも盛土自体の自重だけで沈下することがあるので、盛土厚や建物の基礎形式など、その地盤に応じた検討が必要になることがあります。
地震の際は地震動が増幅されるため建物が大きく揺さぶられること、地盤の沈下が均等でないこと(不同沈下)によって建物に被害が生じることがあります。
湿地や沼を埋め立てた埋立地は人工地盤ともよばれる盛土地盤であり、旧河道と同じように被害が集中しています。旧河道は、川の流路が変わったため、以前川であったところが新しい堆積物で埋まっているところで、必ずしも人口の盛土地盤ではありませんが、新潟地震や兵庫県南部地震でも旧河道に沿って倒壊家屋が帯状に分布している事例があり、旧河道や旧沼地など地表下極浅い地盤の状態が被害に大きく関係します。
造成地では切土と盛土によって平坦あるいは雛壇状に造成するため、特別な場合を除いて必ず盛土となるところが出てきます。
造成地を①切土部、②切土と盛土の境界部付近、③盛土部の3つに別けると地震の被害は切土部で少なく、多くは切土と盛土の境界部付近で発生しています。
盛土だけの地盤は全体が沈下しても被害となりにくいのでしょうが、谷地形部は地形的あるいは地質的に水の集まりやすい箇所であるので、谷地形部を埋めた盛土には地下水がたまりやすく、地震時には盛土が滑動したり崩壊したりすることがあります。また、雛壇状の盛土の場合は、斜面側が弱く、崩壊すると斜面下の建物までが被害を受けることになります。
なお、砂丘の砂粒子はバラバラで互いに結合していないため、砂丘上の建物は文字どおり砂上の楼閣となり、地震にいかにも弱そうですが、必ずしも砂丘が地震に特別弱い地盤であるとはいえません。軟弱地盤と比較すると被害が少ないことが多いようです。地盤砂丘の厚さ、砂丘下位の地盤、地下水位などと関連すると思われます。
都市が発達している平坦~緩傾斜地は、最も新しい地質時代の新生代第四紀(258万年前から現在)に堆積形成された地層がほとんどであるのに対して、それ以前に形成された地層(全体の80%)は多くの場合山地を形成しています。
山と渓流は至る所に存在します。山斜面を背にし、渓流沿いの道路に面した人家は普通に見られる風景です。
山地斜面は急峻ですが、街道沿いの緩斜面に集落が散在しています。集落周辺あるいは渓流沿いの緩斜面には狭いながらも田畑として利用されていますが、大部分の広大な急斜面はもっぱら森林とて利用されているか、あるいは、山岳地帯や山塊としてほとんど自然のままになっています。しかし、都市周辺部への市街地の拡大によって山地斜面や渓流の傍にも住宅地が進出するようになり、今まで単なる自然現象であった土石流や斜面の崩壊が災害に結びやすくなっていると考えられています。
表 1 は国土交通省河川局が発表している「土石流危険渓流」と「急傾斜地崩壊危険箇所」です。
表 1 には人家が五戸以上で人家に被害を及ぼす可能性のある危険渓流として約9万渓流が拾い出されています。また、人家が五戸以上で崖崩れの可能性のある危険斜面は11万箇所に達しているのが現実です。
表 1 土石流危険渓流と急傾斜地崩壊危険箇所(平成十五年 国土交通省発表) | ||
土石流危険渓流等 | 渓流数 | 備考 |
土石流危険渓流Ⅰ | 89,518 | 人家5戸以上 |
土石流危険渓流Ⅱ | 73,390 | 人家1~4戸 |
土石流危険渓流Ⅲ | 20,955 | 新規の人家が立地する可能性のある箇所 |
合計 | 183,863 | |
急傾斜地崩壊危険箇所等 | 箇所数 | 備考 |
急傾斜地崩壊危険箇所Ⅰ | 113,557 | 人家5戸以上 |
急傾斜地崩壊危険箇所Ⅱ | 176,182 | 人家1~4戸 |
急傾斜地崩壊危険箇所Ⅲ | 40,417 | 新規の人家が立地する可能性のある箇所 |
合計 | 330,156 |
山地の斜面災害と言えば、梅雨、秋雨前線や台風に伴なう豪雨によって発生する山崩れや土石流がよく知られていますが、地震によっても斜面崩壊が起こります。過去の地震では1847年の善光寺地震のように、山地の崩壊、河川の閉塞、決壊による洪水の発生という災害パターンも起こっています。
規模の大きな地震では、多数の崩壊が広範囲に発生します。山の安定性が損なわれるので、下流ではその後何年にもわたって鉄砲水や土石流などの災害に悩まされることになります。
関東大地震では、
崩壊斜面の発生期から不安定期、回復期をへて安定期に至るのに40年程度を要した。
(井上公夫 1995)
といわれています。
図の大きさは、5km×5km
図 4 関東大地震による崖崩れ・山崩れ
土地分類調査 (秦野・山中湖)
自然災害履歴図(神奈川県)を編集
丹沢表尾根縦走路
鳥尾山より北西方向の行者岳、新大日ノ頭および塔ノ岳を望む。
丹沢山塊はプレートに乗って南の海から日本列島に近づき、そして衝突したと考えられています。その後、伊豆半島も衝突して丹沢山塊は隆起し、変形しました。隆起すればするほど侵食は激しくなり、その結果として現在の地形があります。関東大地震のような規模の大きな地震の際の崩壊も侵食の一つのパターンと考えることができます。撮影:1993/5
図 4 は、1923年の関東大地震の崩壊箇所の例であり、ピンク色で示されています。
この図は、丹沢山塊の南斜面の一部で、秦野市および足柄上郡松田町(両者とも神奈川県)側の斜面であり、丹沢表尾根(一般者向け縦走路)である行者岳、塔ノ岳、大倉尾根およびその西側の鍋割山を含んでいます。この図によると、崩壊箇所は無数ともいえるような数であり、関東大地震の凄まじさに驚かされます。
関東大地震では丹沢山塊での崩壊が顕著でしたが、根府川(現在の神奈川県小田原市)の山津波のような大惨事に至った崩壊もあります。それにも拘らず、都市部での被害が余りにも大きかったため、土砂災害は余り注目されませんでした。
山間部の急斜面だけでなく、都市周辺の崖下、崖上も崩壊しやすい箇所です。崖下では崖の高さの2~3倍に相当する距離まで、崖上では崖の高さと同程度が危険範囲となるので、そのような土地は住宅に適していません。
本文中記載外参考資料
岩崎好規 阪神地域の地震環境と兵庫県南部地震における強振動記録 土と基礎 Vol.43 No.3 1995
井上公夫 「関東大地震と土砂災害」 砂防と治水 28巻2号 1995
松田磐余 「地震被害と地質」 地質と調査 1986年2号
今村遼平 これだけは知っておきたい 安全な土地の選び方 鹿島出版会 1985
守屋喜久夫 「地震と地盤災害」 鹿島出版会 1984
大崎順彦 地震と建築 岩波新書 1983
応用地質学 応用地質学研究会 1981
新保寛 翠川三郎 「1923年関東地震における神奈川県での木造家屋の被害分布と表層地質の関係」 地域安全学会論文集 No,3,2001