作成:2005/2 更新:2015/3

関東大震災の跡と痕を訪ねて

番号 : 横須賀 YS-09

横須賀市田浦町 --- 轢死者溺死者追弔塔 ---

  • 所在地:横須賀市田浦町4丁目
  • 碑銘:轢死者溺死者追弔塔
  • 建立年月日:大正13年9月1日
  • 建立者:在郷軍人会 田浦町分会田浦班
  • 交通:京浜急行「田浦」徒歩約10分(行程km)
写真1 JR横須賀線の踏切際にある轢死者溺死者追弔塔

写真1

JR横須賀線の踏切際にある轢死者溺死者追弔塔

写真2 同上

写真2 同上

写真3 轢死者溺死者追弔塔

写真3 轢死者溺死者追弔塔


田浦町は三浦郡に属し、郡内では浦賀町に次ぐ被害が発生し、死者97名*1を出しました。

資料*2には被災列車について次のような記載があります。

震災直前横須賀駅を発した上り列車の前部が、田浦町第三号隧道*3に入った際、突如襲来した震災のため同隧道の出口が崩壊したので、列車は急いで後方に逆行したところ、後方線路はまた崖崩れの土砂で埋没して居たので之に乗り上げ、急激なる震動のため最後部室の乗客中死者3名を出したが、此の列車には、横須賀軍港から逗子御別邸に帰らせられる華頂宮博忠王殿下*4も御乗車あらせられたけれども、幸い何等異常もなかった。

(旧字体やかな送りを変更)

轢死者溺死者追弔塔は前ページの殃死者群霊宝塔と塔の形状・大きさ、建立年月日、建立者とも同じであって、2基がセットで建立されているようです。

轢死者溺死者追弔塔の轢死者・溺死者とはどのような人を対象にしているのでしょうか。踏切際に建っていることから、轢死者とは踏切事故による死者でしょうか。関東大震災の際に発生した上記の列車被災による死者は車輪にひかれて死ぬという意味の轢死者には当てはまらないと思われます。また、横須賀周辺では津波の発生はなかったとされており、溺死者も対象となる災害も不明です。

轢死者溺死者追弔塔 正面

轢死者溺死者追弔塔 正面




*1死者97名 諸井孝文,武村雅之 関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定 日本地震工学会論文集 第4巻 第4号 2004の付表より

*2資料 西坂勝人 神奈川県下の大震火災と警察 1926 より

*3田浦町第三号隧道 現在の横須賀市と逗子市との市境を成す沼間(ぬまま)トンネル

列車は横須賀発東京行きで、田浦駅(11時55分発)を発車して逗子に向かっていた。

*4殿下 水雷学校の生徒だった殿下は前の方の列車に乗っていたのでかすり傷ひとつ負わなかった。

海軍水雷学校と事故現場は非常汽笛が聞こえる距離にあり、列車が事故にあったことを察知するや、職員以下十数名が駆けつけた。そのおかげで、同列車の一般旅客負傷者はすぐに救助され、近くの海軍病院へと搬送されている。

(*3、*4は、内田宗治 関東大震災と鉄道 新潮社 平成24年 より)