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『ムルデカ17805』によせて…A 2002.08.15 thu
 山田純大・初主演映画『ムルデカ17805』。その内容を知った瞬間の私の感想は“よりにもよって…エライ映画に出たな…”でした。個人的にはとても興味のある題材で、ぜひ見なくては…と思ったのですが、何せ相当デリケートな題材です。ひとつ描き方を間違えると、国際問題になる可能性さえありますからね…。

 まあ、国際問題はともかく、“戦争美化”だとか何だとか言われるだろうことは容易に想像できました。少々、気分が暗くなりましたね。せっかくの初主演なのに…。映画そのものの出来とか・出演者の技量とか、本来評価されるべき部分とは全く別の点をとやかく言われるのかと思うと。

 案の定、言われましたね。“日本の恥ずべき侵略戦争を美化する”映画だと。判ってはいましたが、やはり“あちゃ〜!!”って感じですね。言わんとされることも、判らんでは無いのですが…でも、美化なんかしていないんだけどな。

 この手のご意見の方が一番批判されているのが、冒頭のシーン・島崎さんにインドネシアの老婦人が跪く部分です。あの部分については、私も映画館で仰け反り、“このシーンはマズイ!!”と心の中で叫んでいました。でも、あの伝説そのものはウソではないのですよ。私の手元にある本にも、表現こそ違え、あの伝説について書かれています。伝説の発信源は、戦国時代に彼の地に渡って交易をしていた日本人らしいのですが、それでも・そんな伝説があったことは事実のようです。

 でも、やっぱり・あれはマズイね…(実際、インドネシア大使館から若干クレームが付いて、少し修正されたらしいし…)。事実なんだから、入れても良いけれど・もう少し別の表現が無かったかなぁ、と思います。どうせ島崎さんも膝付くんなら、例えば・近づいてきた婦人がよろめたのを島崎さんが助けて、気が付いたら周囲にたくさん人がいたと。つまり、最初から島崎さんも婦人と同じ目線にいれば、かなり感じが変わると思うのですが?或いは思い切って、そんな伝説がある旨、山名さんが島崎さんに語って聞かせるくらいに留めておくとか…(どうしたって、言う人は言うんだろうケド)。

 しかしながら、“美化”している訳では無いはずです。実際、映画の中には、インドネシアの人に対して傍若無人に振舞う日本兵や、軍上層部がインドネシア国旗の掲揚を禁じる暴挙が出てきます。インドネシアの人と共に生きようとする島崎さんたちの邪魔をするのは、常に本来の同胞である日本軍なんです。主演俳優への贔屓目無しで、客観的に歴史を見据えて創られていると思うのですが…。

 第一、インドネシアに残って戦ったのは日本人であって日本軍じゃないのです。個人であって、日本と言う国家ではないのです(脱走兵なんだから!!)。確かに、あの地に多くの日本人がいたのは、日本という国がインドネシアを開放と言う大義名分でもって、侵略した結果ではあるのですが、日本自体は敗戦と共にインドネシアから手を引いたんです。残ったのは、軍が掲げた「アジア諸国の開放」を信じて戦っていた“個人”なんですよ(軍には大義名分でも、戦っていた人たちは・結構本気でそう思っておられたと・私は考えているのですが…)。

 だから、侵略戦争を美化している訳では無く、まして“美化”派の対極にある“日本がいかにアジア諸国の開放に尽力したか”と言う論法(冗談じゃあ無いっての!!)も成り立たないのです。映画のワンシーンにあったじゃないですか。終戦後、オランダ軍(連合軍か?)の命を受けて、抵抗するインドネシア軍を「日本軍」が攻撃していたと…。何度でも繰り返して言いますが、残って戦ったのは「日本人」であって、「日本軍」じゃ無いのです。そこのところ、間違えないで欲しいんですが…。

 まあ、私がいくらココで喚いてみても、そう簡単に人の意見(と言うより、政治思想の範疇かな?)は変えられませんし、変えようとも思いません。ただ、せめて純大ファンにだけは『ムルデカ17805』に描かれた人々のことを、真っ直ぐ見ていて欲しいと思うだけなのです。(って、結構・私も、自分の考えを押し付けてるのかな??)


                参考  山岡荘八・著「小説・太平洋戦争」  講談社文庫
                     文藝春秋編「完本・太平洋戦争」より 今村均・著「バンドン城下の誓い-ジャワ上陸作戦-」
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