最初に彼女の前に立ったのはケイナとフォルテだった。
「手紙には二人をサプレスから召喚するって書いてあったが……そんな事が出来るのかよ」
「二人とも本来はサプレスとロレイラルに属する存在だからね。召喚の対象になれるの……でも、魂のかけらって言ってもアメルは大天使。召喚するにはそれなりの実力が必要とされるし、そもそもネスなんて召喚されたっていう記述すらない融機人だもの。どれ位の力が必要なのかすら分からないわ。だから、すぐには実行できなかったし、皆の力が借りたいの」
 トリスの言葉に、ケイナは首を傾げた。
「私やフォルテは、召喚師じゃないから何の力にもなれないと思うんだけど……何をすればいいの?」
 トリスは頷き、答える。
「二人の事を、なるべく強く思ってて欲しいの。サプレスへ回廊を繋ぐ時に二人に繋がれやすいように、ね」
 そこでトリスは少し笑ってみせた。
「ネスはそんなの根拠のない思い込みにすぎないって言うかもしれないけど、でもきっと皆が強く思ってくれたら、二人もこっちに帰ってきやすいと思うの」

 ロッカとリューグとアグラバインは、両手に抱えきれないくらいの野菜を持ってきていた。
 その量の多さときたら尋常ではなく、三人がそれを降ろした時にちょっと地面が揺れたほどだ。
 あまりの物量の緑にトリスがすこし呆然となっていると、肩を鳴らしながらリューグが仏頂面で告げた。
「畑に残ってた野菜だ。 村は焼き払われたが、畑は無事だったからな」
「全部、アメルが育てていたものなんですよ」
「誓約の儀式を行う際は、召喚する対象と縁のある物があると成功しやすいのだろう? ……この森に案内した召喚師が言っていたよ」
「それが野菜っつーか芋なのが、まぁ、少しアレだけどな」
 リューグは肩をすくめ、ロッカは少し苦笑。
「アメルが育てていた花が、咲いていたからな。それも持ってきたよ」
 そう言って、アグラバインは野菜の山の一番上に置かれた、白い花を指し示した。
「まだ聖女などの騒ぎが起こる前に種を蒔いていたが、前に咲いた時はもう聖女に祭り上げられた後でな。見られずじまいで散ってしまった。今年こそは必ず見るんだとよくアメルは言っていたよ」
 そこで一息。アグラバインはトリスに一礼。
「アメルの祖父として頼む。……必ず、あの子を取り戻してくれ」
 その横で、ロッカがトリスに微笑みかけた。
「――後でアメルにこの野菜、全部料理してもらいましょうね」
 その言葉にトリスは明るく頷いた。
「……うん!」

 ミニスはといえば、あまり乗り気な表情をしていなかった。
 それを感じてか、隣のユエルは時々ちらりとミニスの方を見やっている。
 そんな二人の様子にいち早く気がついたのは、やっぱりミニスの隣にいたモーリンだった。
「どうしたんだいミニス」
 モーリンはミニスの頭をくしゃりと撫でる。
 勿論、ミニスの髪は乱れて、ミニスはモーリンを睨み上げた。
 そこですかさずモーリンは追撃にかかる。
「何ふてくされているのさ。心配事でもあるのかい?」
「そういうわけじゃないんだけど……」 
 もごもごと答えるミニスにモーリンは眉を上げた。
 日頃、どんな言いにくい事もはっきりと言うミニスにしては珍しい反応だ。
 彼女は暫くそうやって言い渋っていたが、ユエルとモーリンの視線を受けて諦めたように吐息した後、こう告げた。
「……くやしいのよ。同じ召喚師なのに、なんにもトリスの手助けが出来ないのが」
 そんなミニスの言葉に、首を傾げたのはユエルだ。
「でも、トリスは皆に力を貸してっていってるよ?」
 そうじゃない。とミニスは首を振る。
「ルウとギブソンさんはサプレスの召喚師だから、開くのが大変なサプレスの最下層への回廊を繋ぐ事を助ける事が出来て、ミモザさんは憑依召喚で皆を補助する事が出来る。エルジンとカイナはエルゴに働きかける事ができる。でも私は……ミモザさんのように高等な術が使える訳じゃないし、特別な力がある訳じゃなくて、トリスが二人を取り返すのに、ちっとも私の力を使ってあげられない。……それが、すごくくやしいの」
 そう言って、ミニスは拳を握り締めて、俯いた。
 その肩に、モーリンが手を載せる。
「ミニス」
「…………」
「ミニス」
「……何」
「トリスを助けてやれる手段は、何も力だけじゃないんだよ」
 それからモーリンは、殆どミニスとユエルにしか聞こえない程までに声を小さくした。
「トリスの力が強くなってるのは、召喚師じゃないけどあたいにだって分かるよ。でもね、強気なこと言ってるけど、あの子はもの凄く不安なんだ」
「!?」
「そうなの? でも、ユエルにはトリスはいつもとおんなじように見えるけどなぁ」
「ああ。顔や仕草からは、とてもそうは見えないだろうね。けど、今のあの子が発してる気は、見てて可哀想になってくるぐらいに張り詰めきっちまってる……あれじゃあ、いくら成功させる力があっても、気が負けて、失敗しちまうよ」
 モーリンの言葉に、l二人は息を呑む。
「……そんな」
「そんな事ってないよォ……トリスは、二人に会うために一生懸命に頑張ったのに……ねぇ、何とかしてあげられないの?!」
 必死なユエルの視線に、モーリンは頷く。
「残念だけどね。何とかしてやれる事はできない。けど……何かしてやることは出来るだろ?」
「あ……」
 小さく声を漏らしたユエルにモーリンは微笑し、彼女の頭を撫でた。
「力でなくても、何か言葉をかけてトリスの不安を和らげてやる事は出来るだろ? それも、トリスの助けになる筈さ」
 肩を軽く押され、ミニスは戸惑いながらもゆっくりと、ユエルは真っ直ぐにトリスの方へ向かって行った。
 勿論、モーリンも少し後ろから、二人について行く。

「一つだけ、教えて?」
 準備が進む中、ルウはトリスに問うた。
 何? と振り向くトリスに言う。
「サプレスの時は、リインバウムより遅く流れてる。向こうにとって半巡りなんて、一時間にも満たない時間の筈よ。なのに、なんでキミはそんなに急ぐの?」
 トリスは少し逡巡した後、ルウの方に向き直った。
「何言っても、怒らない?」
「怒らない」
「……呆れない?」
「呆れません」
「……結構、恥ずかしい事だから誰にも言わなかったんだけど……まぁ、今更よね」
 でも、誰にも言わないでね? と前置きして、トリスは告げた。
「あたしね、誕生日が分からないの」
「え? でも18歳だって……」
「うん。でも、ひょっとしたら16か7かもしれないんだけどね。19や20ではないと思うんだけど……ま、それはともかく。そういう訳で巡り明け毎に年を取るようにしてあるんだけど……」
 リインバウムに暦は存在するが、それが浸透しているのは聖王都周辺だけであり、辺境に暦の概念はなく、トリスの言ったような方法で年齢を加算している地域は多い。
「年が明けたら、あたしは19になるわけじゃない」
「そうなるわね」
 それがどうした、という表情のルウに、トリスははにかんで笑って見せた。
「でも、魔力が安定するまで次の巡りまで待ってても……ネス、は19のままじゃない」
「……そうね」
 段々トリスの言いたい事が分かってきたらしい。ルウは至極真面目に相槌を打っているが、その表情の端々には呆れがにじみ出ている。
「で、2巡り後まで待ってたらあたしは20で、でもネスは19で……ネスは兄弟子なのに、あたしの方が年上になっちゃうんだよ」
「…………」
 無言でルウは額に手を当てた。
「……つまる所、キミはネスティよりも年下でありたいと、そう言ってるワケね」
 小さくなりながらも、トリスはしっかりと頷く。
 それに対してルウは、ため息こそつかなかったものの、今にもそれを堪えているような表情で、
「……トリス」
「?」
「キミってつくづくバカなのね」
 言葉こそ呆れを表明するものであったものの
 不思議とそれを言った彼女の声音は優しかった。

「……参ったもんだ、こりゃ」
 レナードは参っていた。それも、もの凄く。
「何が参ったの?」
 目の前のトリスが、不思議そうに聞いてくる。
 隠す余地もないことだったから、彼は正直に告白した。
「……何を言えばいいのか、分からんのさ」
 頑張れ、などとは間違っても言えない。すでに彼女は頑張っているのだ。これ以上に何を頑張らせようというのか。
 かといって、無理をするなというのは、余りにも無責任だと彼は思う。
(やっぱ定番で幸運を祈るってトコかね)
 そう考えたのだが、そこでまた困ってしまった。
(祈るっつったって、誰に祈るんだよ……)
 この世界に神はいない。
 だから彼は参ってしまった。
「……ホント、参ったね」 
 そう言って彼は嘆息。
 そんな彼を、上目遣いにトリスは見た。
「あのね……レナードさん」
「おう」
「あたし……頑張るから」
「……ああ」
 情けなくなった。
 本来、声をかけるべき相手に逆に気を使われるなんてどうかしてる。
 しかし、そこで彼の頭にふとある台詞がよぎった。
 その台詞に、彼は笑いたくなる。
 確かに、ある意味この場には相応しいだろう。しかし、それで良いのだろうか?
(ま、この世界にもエスエフはあるんだから、アリか)
 強引に納得したら、笑みがこぼれた。
「――トリス!」
 もう向こうへ行こうとしていたトリスに声を懸ける。
 振り向いた彼女に、レナードは笑みを堪えて、精一杯荘厳な表情をしてみせた。
「May The Forth with You」
 言われた言葉は分からずとも、少なくとも意味は通じたらしい。
 トリスは笑って、いつかレナードが教えたように、親指を突き立てて見せた。

NEXT