抱き締めてあげたいのに、そのための腕はもうありません

叫びたくとも、そのための口はもうありません

ただ一人で遠くに行こうとしている彼に

あたしがしてあげられる事はなにもなくて

嘆くための目はもうないのに、涙は溢れ光と零れる。

それが誰も知らない彼の最後。



他の誰かのものになるとか、本当の所、どうでも良かったんだ。

ただ彼女が笑ってさえいてくれれば。

どこにいても いつになろうとも 誰が、傍にいようとも、関係ない。

何故なら――



「聖なる森」に着いた時、パッフェルは何も言わずに帰って行った。

僕としても、その方が良かった。

蒼の派閥の人間とはいえ、彼女とは一時でも仲間として過ごしていた。巻き込みたくはなかった。

いまや「聖なる森」と呼ばれている「禁忌の森」にはかつての面影はなく、ただ静かだった。

「……変わらないな」

僕が出ていった時と、全然変わらない風景。

細い道も、木も、時折風に混じる光の粒も。

そして――聖なる大樹も。

「来たよ……アメル……」

大樹である彼女が、もちろん僕に答える訳もなく、彼女はただ光の粒を降らせるのみ。

――奴の起きる気配がした。

口が勝手に動き、奴の声が、僕の口から漏れた。

「最後の場所は決まりましたか、ネスティさん?」

「――ああ、ここが一番条件にあっているのさ、メルギトス……お前を、完全に消滅させるにはな」

「貴方もしぶといですねえ。ニンゲンを憎んでいるのでしょう? ならばさっさと私に体を預けてしまわれれば良いのに」

「ああ、人間が僕達にして来た仕打ちを、僕は許す事はないだろう。しかし僕にはそれ以上に護りたい人がいる。
……それだけで、貴様を滅ぼすには十分な理由が僕にはあると言う事だ。メルギトス」

「ふふふ、滑稽ですねえ。貴方の守りたいという人は貴方の現状は何も知らず、他の人と共に歩んでいると言うのに」

メルギトスの言葉は無視し、懐から、アヴィスを取り出した。

それを持つ右手が、急速に、鋼によって黒く染まっていく。

構うものか。

アヴィスを逆手に握りこむ。

アメルが放つ光の粒が、いつの間にか増えていた。

僕は頷く。

逆手に持ったアヴィスを構えて――

「ここで……終わり、だ……!!」

一気にメルギトスの集中している所である、自分の首筋を突いた。

鈍い音がする。

他人事のように、感じた痛みは遠かった。

アヴィスが、ぞわり、と深呼吸するように、蠢動した。

僕はアヴィスから手を離す。

直後、猛烈な勢いでアヴィスは僕とメルギトスの血識を吸い上げ始めた。

受け取り手のない血識は、赤黒い風となって放出されていく。

その風を受け止めて、アメルはさらに光の粒を放つ。

人を堕落させる悪魔の黒い光と対を成す、天使の浄化の光を。

頭の奥で絶叫をあげるメルギトスに、僕は告げた。

「そんな、やられているようなフリは無駄だよ、メルギトス。お前の血識は僕の、ライルの血識よりも多い筈だ。

お前は僕が果てた跡に、この体をのっとるつもりなんだろう」

すると、絶叫がやんだ。

代わりに聞こえてきたのは低い忍び笑い。

「ふふふ……気がついていましたか。残念ですねえ? 最後の最後で明かして、あなたが絶望しきった表情で

死んでゆくのを見たかったのですが。どちらにせよ、あなたは無駄死に、という事になりますね?」

「そうだな。僕の死は避けられない。だから……こういう事も出来るのさ」

左手に持っていたサモナイト石を右手で握り締める。

ほとんど侵食されていない左手を、自分の胸に当てる。

「誓約の元に命じる……」「させませんよ!」

右手が全て鋼に覆われ、サモナイト石がはじかれた。

それが、奴のみせた隙。

「アクセス!」

召喚のために印を組むと見せかけた左手で、自分自身にアクセスする。

する事はただ一つ。

こうなる事が分かった時から、ひそかに組み立てていたあるプログラムの開放と作動。

わずかな時間でそれは終了する。

「何を……?」

訝しげなメルギトスの声。

その回答は、事務的な口調で僕の口から語られた。

「自爆プログラム、カウント開始」

「!!」

「30……29……28」

自爆というのは僕の魔力を暴走させる事。

いくら悪魔といえども、暴走した魔力をまともにあびて、無事でいられる訳がない。

例え、生き残れたとしても、アメルの光はお前を打ち消す。

もう、お前に逃げ道はないんだよ、メルギトス。

「27……26……25」

「くっ!!」

メルギトスが、僕から離れようと暴れだす。

僕は全力でそれを押さえ込んだ。

溢れようとする力が、押さえつける僕を傷つけ、体に無数の裂傷がつく。

――こうして、少しでも奴を消耗させるのも、考えの内だった。

「20……19……18」

だんだんと、目の前が暗くなってきた。

足に、力が入らない。

あ、と思った時には地面に倒れこんでいた。

薄暗い視界の中、天使の光が降り注ぐ。

いつの間にか、夜が明け始めていた。

――ああ、きれいだ。

「17……16……15……」

痛みはもはや感じなかった。

全ての感覚が、紗を掛けたように遠く、鈍く感じる。

「13……12……11……」

「何故ですっ?! それであなたは本当に幸せなのですか?!

 欲する者を自分の物にして、それでこその幸せではないのですかっ?!」

ああ

僕だって、ずっとそうだと思っていたさ。

だけど……

「……8……7」

「こういうのも……悪くは、ない、さ……」

僕は人間ではないから、きっと君を困らせるだけだと思った。だから告げなかった。

君が彼に惹かれていくのには寂しさを感じたけれど、もともと君は離れていく存在だったのだと自分に言い聞かせていた。

この方が、君のためなんだ、と。

でも

他の誰かのものになるとか、本当の所、どうでも良かったんだ。

ただ彼女が笑ってさえくれれば。

どこにいても いつになろうとも 誰が、傍にいようとも、関係ない。

何故なら――

「6……5……4」

「どうあろうとも、僕が君を愛している事に……変わりはないのだから……」

「3……2……1……ゼロ」



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