福祉文化会館 第三部


 

映画「ピンポン」に字幕が付いた記録

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映画「ピンポン」に字幕が付いた記録


その2

映画「ピンポン」字幕版への、もう一つの道を、
デフ・ユニオンのHPに、載った
宮下あけみさんの記事で知ることが出来ました。

平成14年11月28日(木)配信
【日本語字幕付き映画】 <PING PONG(ピンポン)>

から、紹介します。
*以下の文章は、宮下あけみさんの記事を、私がまとめたものです。
正確なところは、デフユニオンサイトにある元記事を是非ご覧ください。

公開前から、関東地区で、都内の聾学校の生徒、先生等が、
制作&配給会社のアスミック・エースに、この映画の「日本語字幕」を要望していました。

また、ボランティアによる日本語字幕制作、及び上映を既に行っていたところがあって、
聴覚障害者・要約筆記者の間で、話題になりました。

都内の聾学校から、アスミック・エースへ次のようなことを話しています。

聴者が、この映画を見て楽しむように、聴覚障害のある生徒もこの話題の映画を楽しみたい。
聴覚障害のある学生でも、聞こえる学校に通っている児童、生徒は沢山いる。
できれば、上映期間内に【日本語字幕】を付けていただき、
聴者と一緒に盛り上がって楽しみたい。
聴覚障害のある学生には、卓球をやっている生徒が多く、
毎年、聾学校同士の「卓球の全国大会」を行うほどである。
もし、会社として字幕を付ける事ができないのであれば、
ボランティアによる字幕付けと、その上映会を許可して欲しい。
上映期間内での「ボランティア字幕付き上映会」が許可されないのであれば、
一般公開終了後の「来年の全国卓球大会」に行っても良い。

対し、アスミック・エースから、次のような返事が来きます。

聴覚障害児者の間で、それほど卓球が盛んに行われているとは知らなかった。
是非、その、「聾学校の卓球全国大会」の話を聞きたい。
聴覚障害児者の卓球人口は、どれくらいいるのか?

このような交渉をする一方で、
ボランティアによる字幕作成、上映の
準備を進めます。
関東地区での「字幕制作のボランティア」を集め、
既にこの映画の「字幕付き上映会」を行った人たち方から、アドバイスを受けようとしていました。

そこへ、
アスミック・エースから、
会社としての「日本語字幕付け」を正式に決めたとの知らせが入ったのです。

無論、ボランティアによる字幕作成、及び上映は、取り止めです。

後日、あらためて、アスミックから、日本語字幕付き上映日の報告を受け、
11月末、この都内の聾学校から、「南関地区の聾学校」、「親の会」へ連絡が行きました。


その1

映画「ピンポン」公式HPの「What's News」に、
'02/11/27(Wed)付で、
「ピンポン」に日本語字幕がついて帰ってくる!!
と題したお知らせが載る。


2002年夏、拙街のシネマ・クレールでこの作品が上映されていた時、
その内の二回、岡山要約筆記クラブ作成の字幕が付きました。
そして、
この「字幕が付くこと」を、シネマクレールのHP内掲示板でもせっせとPRしていた私への、
名指しの書き込みがありました。


それによれば、映画の公式HP内掲示板で、字幕をつけて欲しい要望があった由。
その希望を叶えたく、有志でなんとかしたいので、
事の次第を教えて欲しいとの依頼です。


この辺りの公式HP内掲示板での書き込みが、もう読めないので、
私の手元に有る限り、
ここで紹介しておきます。



3575. NAME:yu-ma 投稿日:2002/09/02 19:52:13


それから耳が聞こえないので字幕を付けて欲しいっていってた方がいたんでけど、ここの掲示板を映画関係者の方が見てたらぜひ!実現してほしいな。DVD化の時に字幕付きを作るとか。実は私の友達でも耳の聞こえない子がいて、スポーツがすごい好きで、この映画もぜひ見せたいと思ってたんです。でも映画館で手話をやるわけにもいかないし…。少数の意見かもしれないけど、出来ればいいな、と思ってます。
長くなってごめんなさい


3580. NAME:ゼンジー 投稿日:2002/09/02 21:34:46


yu-maさんに賛成
3494(略)の字幕をつけてくださいっていうお願いがあったんですが、yu-maさんに私も賛成でDVDとかにででも入れれないですかね?
何とか・・関係者の方に頑張っていただく、ということで。お願いします。是非。


3583. NAME:ゆき 投稿日:2002/09/02 22:52:52


yu-maさんに賛成ー!!
私も yu-maさんに賛成で、字幕がつけばいいのになーって思います。そしたら耳の聞こえないひとでもたのしめるとおもうし。ピンポンみんながみれたらいいなっておもいました。


3592. NAME:くくれ 投稿日:2002/09/02 23:45:22


字幕の話、私も同感です!みんなのための映画なんだから、DVDだけじゃなくて映画自体も字幕でやるとこできたり、増えたりするといいのに!
だって映画館で見るのってやっぱりDVD見るのとは違って特別じゃないですか〜 とりあえずDVDは字幕つきにしてほしいですよね。絶対。


3595. NAME:まゆとたこ 投稿日:2002/09/03 01:37:32


ピンポンに字幕を!

はじめまして。○○さんの書き込みを拝見し、ピンポンに字幕をつけるために何か働きかけを出来ればと思っている者です。差し支えなければ是非以下のアドレスにご連絡下さい。
(アドレスは、略させていただきます。以下も、同様)


3658. NAME:ぴんぽんだま 投稿日:2002/09/04 22:43:00


☆字幕のこと☆
前にここで「耳がきこえないから『ピンポン』みたいけどみれない」って書いてた人がいましたよね。
その後何人か「字幕付いたらいいな」って意見があったけど私もそう思います。
友達にこのこと話したら「DVDに付くじゃん」って言われました。
でも映画を見た人…それも何度も見てる人でさえ「DVD化が待ち遠しい〜」って意見が多いのに「聞こえない人は先まで待てば見れるじゃん」みたいなの、なんだかおかしいなって思ったんです。
それに大きなスクリーンでキラキラ輝くぺコ達を見る!そして映画館に集まるみんなと一緒にそれを楽しむ!っていうのはDVDじゃ味わえない気持ちですよね。
あと、聞こえてても、字幕付いてれば「早口で聞き逃しちゃった〜」とか「後で言ってみたいセリフ」なんかもちゃんと目で確かめられるから、ボーっとしてる私なんかにはありがたいです。だから字幕がついた『ピンポン』できたらいいな。


3703. NAME:まゆとたこ 投稿日:2002/09/06 22:06:06


ピンポンの字幕を映画館で!
ピンポン4回観ました!やっぱり、映画は映画館で観るのが一番楽しい!
特にピンポンはCGを駆使しているから、迫力有る大画面で観たいって
こだわっちゃって。でも、同じ日本人なのに、映画館で観られない人達が
たくさんいらっしゃるんですよね。前にも何回かココの掲示板にカキコ
されてきたことですが、耳の不自由な方々って、字幕がないと台詞が
分からないから・・・。


ピンポンが大好きだから、字幕を付けて欲しい!!そのための力なら惜しみません!!


耳の不自由な方々にも映画館で観て貰いたい!そんな気持ちでいっぱいです。


ぴんぽんだまさん、ゆきさん、yu-maさん、ゼンジーさん、そして私の
気持ちに賛成してくれる方々、ピンポンから貰ったエネルギーで字幕を
付けるために何かしてみませんか???


是非こちらまでメールください!!


3706. NAME:momo 投稿日:2002/09/06 22:25:45


乗った!!!
まゆとたこさん その話し乗った!
私もスクリーンに「字幕」を付けてもらうこと!大賛成です!
それが実現できるのであれば、ぜひ、私にできることさせて下さい。より多くの人に「ピンポン」のすばらしさを知ってもらうために・・・。


3708. NAME:マコロ 投稿日:2002/09/06 23:34:12


字幕もあったらいいですよねー。映画館での迫力って、テレビとは全然違いますもんね〜。


3769. NAME:まゆとたこ 投稿日:2002/09/08 23:24:05


momoさんへ!
レスをどうもありがとうございます!私達と同じように、映画に字幕をと
考えてらっしゃる方がいると思うと、とても心強いです。まずは、字幕を
付けて欲しいという気持ちを、たくさんの方々に知って貰いたいと思っています。
その為に何か良い方法はないか探しているところです。


大好きなピンポンをもっと好きになりたい、そしてもっと多くの人と楽しみたい。それを実現する為に頑張っていこうと思っています。


今でもピンポンを楽しんでいる方々の間で一体感を感じますが、スクリーンに字幕が付いたら、それをもっと強く感じられると思います!


アイデアをお待ちしてます!


3804. NAME:じゅね 投稿日:2002/09/09 22:02:13


字幕実現!
すごいです!!
岡山の映画館で7日と8日に1回ずつ
ピンポンの字幕上演が実現されたそうです!!!
偶然その回の上演を見た友達が報告してくれました。
全国にこういう動きが広まるといいですね。
尚、友達の話ですと字幕が入っていても別に気にならなかったそうです。
最近はテレビでも字幕入っていることが多いですものね。


3887. NAME:ぴんぽんだま 投稿日:2002/09/12 21:30:27


3804のじゅねさんへ
遅レスですが・・・
字幕つきのピンポンが上映されたなんてすごいですね!!
それは岡山だけなのかなぁ。
どこの映画館でも観られたらいいのに。
お友達のお話では「字幕が入っていても気にならなかった」そうですが
それはそうですね。
外国の映画には字幕が入っていて、それをどうこう言う人は誰もいない。
字幕がなければ内容がわからないんだもの(笑)
でもそのことと、耳が聞こえない方に字幕が必要なこと、
その二つになんの違いもないってことには
皆なかなか気が付かないことだと思います。





シネマ・クレールの掲示板へ書き込んでくださった方との、
メールのやりとりが、始まり、
質問に答えたり、
拙街での字幕上映の様子をご紹介したりしました。


そして、
実際に活動をしている様子を知らせてくれる。


東京で要約筆記の方々と直接会って、
情報保障をしてもらいながら、話をした由。
協力する人もだんだん増え、
活動が実現に向けて一歩前進した手応えを感じたと述べていました。


要約筆記に関わる人たちと話をして、
映画館側の協力を得るためには、
やはり当事者(実際に字幕を必要とする観客層)の声が必要、と強く感じられたようです。
その声を集めるべく活動をせねばなりません。


東京での字幕付き上映の実現のために、実際に見た者の声として
私の思いを、更に他の人の意見も是非いただきたいとのことでした。


しばらくして、
うれしいメールが届く。


『ピンポン』に字幕がつくことになった旨、
配給会社の担当者から、連絡をいただいたのです。


彼等以外に、他からも、「字幕をつけて下さい」という声が上がっており、
やっと会社側からGO!サインが出たようです。
アスミック・エースが字幕を製作し、フィルムに焼き付けて
まず、東京で公開する予定です。


彼等が独自で字幕製作を進めていてはすまない、
との配慮で、早く連絡を下さったのでしょう。


彼等は、今回の活動で、
要約筆記やプロジェクター・・・etc、
言葉すら知らなかった世界に出会いました。
「なんでもやってみなければ分からない、
そしてやってみてよかったと本当に思っています。
たくさんの事を知り、たくさんの人と出会いました。」
というメールのくだりを読み、
ちょっと、ジーンときました。(^^ゞ


文字通り小躍りしたい衝動を覚える。
こういう事って、本当にあるんだなぁ〜!


もうジブリ等のアニメだけの特例ではない。
広く一般に、邦画に字幕がつけられるきっかけになれば幸いです。
配給会社は、メジャーなので、この動きは広く知られると思われます。


シネマ・クレールさんの見識で勧められ、
岡山要約筆記クラブが作成した字幕が投じた一石が、
ここまで波紋の広がる一つのきっかけになったわけで
仲立ちをしてくださった有志の方々に、
おめでとう、ありがとう、と申し上げます。

2002.12.18 記
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2002年度のperdon?アンケートを、読む


メールマガジン『Pardon?』第39号掲載の、
アンケート集計結果を読んでの感想です。
この結果は、
HP「Kohu's Pardon?」の「back number」で、
読む事が出来ます。

 

こふさん、
設問から、集計・分析・コメント・発信に至るまで、
ご苦労さまでした。
又、お答えになった方々には、いろんなメッセージを読ませていただき、
ありがとうございました。

 

補聴器は、幼少の頃から持っていたけれど、
きちんと着けるようになったのは小学校に入ってからです。
私が、2年生の時から通った小学校には、難聴学級があって、
先生の手元のマイクから、補聴器を通して聞こえる装置がありました。
又、部屋も、反響しにくい壁・天井や、二重窓が施してありました。
これは、本当に先生の声がよく聞こえます。
その影響が大きいですね。

中学・高校・大学と進学するにつれ、
だんだん聞こえにくくなっていきました。
でも、聞こえない事を補う術もだんだん身につけて対処しました。

子どもの頃は、箱型しかなく、
ポケットの大きさをよく気にしていました。(笑)

耳かけ式が出るようになったのは、大人になってから。
高校の時に、友人のメガネのフレームの先っぽに着いてあったのを見たこともあります。

耳穴式に至ったのは、結婚前後からで、
今は、耳かけと併用しています。
経済的な事情と外している時間が長いせいです。

一度、補聴器を長時間装着してひどい耳鳴りに襲われたことがあり、
お医者さんから、耳を休ませる事も大事だよ、と言われて、
以前に増して、意識的に外すようにしています。
その時に、一時であれ、全く聞こえなかった恐ろしさを今でも覚えています。
身障手帳の等級は、25年以上変わらずに6級です。
でも、この頃は、一日の疲れで、
夜には聴力も落ち、耳鳴りも大きくなってきている。

補聴器への不満は、私もあります。
自分の聞こえにあった音に出会えず、
いつも補聴器と妥協した聞こえの中にいる。
デジタル式は高価で、今だに手が出ませんが、
そうでなくとも、補聴器の音は、
だんだんに低音を聞きやすくする方向にきているよう、感じられます。
私は、高音の方がよく聞こえるので、こもった様な音には馴染めません。
市販のヘッドホーンにも、そういうのが増えているようです。

電池が急に切れる苦情を書かれた方がいましたが、
昔からある電池はだんだんに聞こえなくなるので準備ができたのに、
最近、で出した電池は、突然聞こえなくなりますね。
なんで、補聴器にそういう性質の電池を使うのでしょう?

要約や手話の講座では、次第に補聴器の体験を組み込むようになってきました。
私も、日頃使っていない箱型の補聴器を預けて、利用していただいていますが、
この反響が意外に大きい。
どなたも、事前のイメージと全然違って聞こえるようです。
多分、雑音やハウリングの音の大きさに驚くのでしょう。
いつも奥にやっている音が前にしゃしゃり出て、
澄まして聞き分けている人声がそれに邪魔されて聞こえにくいのを、
体験できているはず。

この経験をした人は、
「補聴器をつけていれば健聴者と同じように聞こえる」とは、
もう思わないでしょうね。

補聴器を長時間していると、耳穴がふさがれて、不快です。
補聴器を外して入る風の心地よさ、どう表現したらいいのか…。

それから、補聴器は基本的に耳元で音を再現しているので、
きつい音です。
遠くから聞こえるような、柔らかい音の再現なんて、ありません。

私はメガネもしているのですが、
本当、一緒にせんで!(笑)

強いて言えば、カメラで見る方に近いかな。
だれもあんな視覚でものを見たいとは思わないでしょう?


聞こえなくて、傷つく事。

読んでて、目頭が熱くなった所もありました。

石嶺聡子さんの歌に、
ファイト」って曲があるのですが、
聴覚障害者としての私のテーマソングみたいなもんです。
もっと若い時から、この曲が出来て、知って、歌っていたら、
自分の人生、変わっていたかも…と、思う。
(中島みゆきさんの「時代」もよく聞きましたが、
中島みゆきさんは、殆ど同世代なので、
ある意味で反発もしていました(笑))

読みながら、自分が周囲に恵まれている事を痛感しました。

これは、もうひとえに、理解につきますね。
私も、聞こえる左側に回って話し掛けられたことがあるし、
筆談してもらった事もあるし、
手振りや、ゆっくりした話し掛けで応対してもらった事もある。

この好意ある理解による助けにお返しすべく、
手話を習い、自分より聴力の低い仲間の耳代わりになろうと思うのですが、
日頃使わない所為もあって、なかなか身につかず、情けない思いをしています。

もう、中年から老年へさしかかっているので、
人それぞれと諦観の様相を濃くしていますが、
それでも、
聴覚障害の世界を理解してもらうにはどうしたらいいか?
と、考えていた時に、
インターネットの世界が出来、広がりました。
それで、ささやかながら、拙HPを持って、
いろんな人に楽しく理解してもらえたらと、願いました。

映画や本の話題で来てくれる人が、ついでに聴覚障害のことを理解してもらえたらいいな。
同じ聴覚障害の仲間と情報交換できたら、いいな。
この気持ちで、ちょぼちょぼ運営しております。(笑)

おかげで、今年度中には、アクセスが5000に達するんではなろうかと、
不遜な事を思ったり…。(笑)

こふさんが、書かれていた次の文章、ウンウンと頷く。
「店員さんや窓口の人など、全く面識のない人との対応が気持ちいいと、とても嬉しくなります」
これは、自分の世界が閉ざされていない感じを受ける所為でしょうか?
「自然でさりげない心遣い」の向うに、私たちの幸せがあるのだけれど、
それは、自然に出来たものではなく、
やはり、幾つもの悲しみが、深い思いが作ったのだと思う。

これからも、聴覚障害者の思いを、いろんな場で、繰り返し、伝えて、
聴覚障害者が暮らしやすい社会を作っていかねばならないんだな、
とあらためて思い直しました。

 

Fight

松本一起 作詞

 

崩れそうなときの私はいつでも
悪い日とあきらめて眠った
夢の中で泣けば終ると思って
だけど又目覚めてもその傷は居座ってる
きっと自分を苦しめることで
何か変わると誤解していたわ
逆らわないで
前向きを抱きしめ

 さぁ Fight Fight Fight くじけないで
 こんな時代には色々あるから
 さぁ Light Light Light 軽くなって
 肩のちから抜き歩こう
 Meybe

見放されたツキを恨んでいたけど
そんなもの幻だと分かった
降り続いた雨の後には青空
映画とか小説も哀しみがあってのこと
もっと自分を信じればいいわ
なにが起きても生きているシルシ
試されただけ
前向きを信じて
 
 さぁ Fight Fight Fight 胸を広げ
 いつも勇気から明日が生まれる
 さぁ Light Light Light 空を見上げ
 肩のちから抜き歩こう
 Meybe

 

小林 信吾 作曲・編曲
石嶺 聡子 歌
CD「passion」から


2002.7.3 記
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手話サークルでのお話

 

難聴者として日頃思っていること感じている事、
又、これまでの経験や、見聞をお話します。

まず、私の聴力ですが、
右が普通の生活では全く聞こえません。
聴力検査で、痛みを感じるくらい。
左が、健聴者の半分くらいしか、聞こえません。

で、左だけ補聴器をかけています。

 

その1
教室で先生の話を聞くこと

今も、岡山市内に固定制難聴学級があります。
この固定制というのは、
聴覚障害に対応した設備を備え、
教師・教材の体制が通常のクラスとは別に有り、
フルタイムで活用できるものです。

この難聴学級が岡大耳鼻科の故高原教授によって出来た時、
私は学区の小学校からその学校へ転校しました。

難聴学級に通えた事は、幸運でした。
教師がマイクを通して話すことを、補聴器で聞き取ります。
それから、生徒4,5人に対して教師が一人つきます。
さらに、教室の中周りは音が反響しないボードで囲われ、
窓は二重窓になって、外からの音を遮断しています。

これがどんなにありがたいかは、中学・高校・大学へと進学するにつれ、
どんどん明らかになりました。


一般の教室で補聴器をして聞くと、全ての音が大きくなって、耳に入ってきます。
教壇にいる先生の声より、隣の級友が立てる椅子の音や内緒話、
窓から流れる通りの、つまり街の雑音のほうが、よく聞こえるし、
反響もします。

先生の話を聞こうとするだけで、大変な努力が必要です。
あらゆる雑音の中から先生の声を聞き取り、
先生の口元を見ながら聞いた声を判別する。
時には、隣の教科書を覗いて自分の開いているページが間違っていないか、確認する。
先生が黒板に向かったら、一所懸命書き写す。
しかし、この集中力は、一つの教科の時限一杯も続きません。

途中で、疲れ、
窓の外をよそ見したり、
目は前を見ながら、頭の中は、別世界へ行ったりです。

みなさんは、そんなに力を入れなくても、
授業を受けられたのではないでしょうか?
小中学校では、殆ど受身で授業を受けていると思う。

難聴学級で
先生の口元にあるマイクを通して話を聞くと、
先生の言っている事は、よく聞こえますが、
気が抜けないですね。(笑)


先生と言えば、高校の時の先生がそれぞれスタイルが違っていて、
今となってはなつかしく思い出されますが、
あの頃は、ただもう必死でした。

生物の先生は、手持ちのノートを板書しながら授業をしていました。
言っている事は、書いたことにテニヲハをつけただけ。
内容的には助かりますが、退屈な事この上ない。

地理や歴史の先生は、授業の最初に教科書の項目を確認した後は、
教室の後方の上辺りを見ながら、立て板に水を流すが如く、
今風に言えばマシンガン風に話していきます。
周りのできる生徒は聞きながらせっせと書くのですが、
こちらは口を見て一所懸命聞いているうちに、聞きっぱなしで授業を終えてしまいます。
先生の口から目を離すと、途端に言っている事がわからなくなる。

数学の先生は、ある時は黒板に向かい話しながら数式を展開し、
ある時は、書き上げた図形を指差しながらこちらを向いて延々と話し続けます。
よって、こちらを向いた時の授業は分かり易く、あちらを向いた時の内容は殆ど分かりません。

物理の先生の時は、教室の横に座らなければなりません。
黒板に式を書いたら、後は生徒に問題を解かせながら
先生は後ろでヒントを出したり、説明をするのです。
両方を見るのに、失礼の無い様、窓際に席を取らないと悲惨です。

英語のある先生なんか、授業中は教室の中を歩き回るのですよ。
机の間を歩きながら、生徒の発音や解釈を注意していきます。
聞こえにくいこちらは、もう大変。
先生の方を見たり、答えている生徒の方を見たり、
手元の教科書を見たりできょろきょろしてしまいます。
先生から見たら落ち着かない生徒ですよね。

で、先生と目が合ったら、
勉強熱心か、聞きたい事がある様に勝手に思われて、
又また、頭を抱える羽目になります。
こちらは、分からなくて、見ているのに…。


大学に行くと、教室毎に聞こえが違います。

階段教室なんか、一番前に座ってもまだ教壇が、先生の声が遠い。

縦長い教室より、正方形に近い教室の方が聞こえやすかった。
同じ真ん前に座って、そうなんです。

ゼミは、教官の部屋で膝を交えるように聞くので、
人数によって聞こえが違います。
少ないとよく聞こえ、多いと聞こえにくいのです。

 

それからズーッと後、何年か前に、
子どもの授業参観に行って感じた事。

授業時間が少なくなった為か、
あらかじめ書き込んであるホワイトボードを次々とはりながら、
話すのは、分かり易くていい。
でも、ノートを取る時間が無さそうです。

 

その2
相手の顔が見えない場合・見える場合

これまでの話で、
相手の口元や顔が見える方が、
聞き取りやすい事はお分かりいただけたと思います。

でも、
見られている方としては、
この辺りの事情がわかっていないと、
困るでしょうね。

例えば、
男の私が、一所懸命聞こうとすると、
女性は、そんなに見つめないでよと思うかもしれない。
男性だと、俺、そっちのタイプじゃ無いけど…と。

世の中には、シャイな人っているじゃないですか?
目を合わさないでぼそぼそと話すんですよ。

以前勤めていた会社で直属の部下に二人いました。
よく気がついて、話すときは聞こえるほうの左側に回ってくれるのですが、
声は低い。
感情が激しくなると、声が大きくならずに、早口になる。
何度も効き返すと、照れながら、「否、もういいです」と引いてしまいます。


例えば、3,4人以上で人が話している中で、
幾つかの話題が飛び交っている時、
こちらに向けて話している事が、一番よく分かります。

だから、そういう場では、
正面にいる人が口を見せて話の内容を伝えたり、
隣の人がキーワードを書いたりしてフォローしてくれたら、
それは、ものすごく効果的です。


電話では、相手が見せません。
だから、口元も見えず、言っている事がよくわからない事が多い。

同音異義語も、ほとんど後になって気がつきます。

しばらく前に、家内が電話で、叔母からこう聞きました。
「バイクを貸して」。
でも、叔母の所にバイクがあるのに、何故そんなことを言うのかぜんぜん分かりませんでした。
二三日して分かりました。
「バイク置かして」って言っていたのです。
これも、直に会って、しぐさがあれば行き違いはしないと思います。


病院で呼ばれるときでもそう。
看護婦さんらが出てきて呼ぶと分かるのに、
天井のスピーカーからだと分からない場合があります。

そうそう、こういうこともありました。
これも病院でのこと。

検査室で、検査技師さんの前に座って待ち構えていると、
相手の技師さんが目を大きくしています。
こちらも、つられて大きくすると、笑って横を向きました。

笑い方に困っている感じがあったので、
その向いた同じ方向の横を見ると、
受付の人が一所懸命聞いているのです。
「お食事は済ませたのですか?」って。
検査の際には重要な事ですね。

左しか聞こえないので、右側から話し掛けられて、聞こえなかったのです。


皆さんは手話を習っているわけですが、
そこまで行かず、しぐさだけでも誤解はかなり減ります。

会社のパートさんで、気遣ってしぐさを交えながら話す人は、
ありがたい。
例えば、手のひらで机を指しながら、
ここで作業をしてもいいですか?って聞くんです。

ミスドのお店に行ったとき、
店員さんの言っていることが聞こえず弱ったら、
灰皿を持ち上げて見せてくれました。
これも、ありがたい。
インターネットの掲示板で紹介したらマニュアルかな?って返事がありました。
後日、同じ店の他の店員さんや、同じ町にある他のお店で
同じ事があったとき、
違って最後まで、言うだけで、
だんだん恐い顔になりましたから、
さっきの店員が機転を利かせてくれたのでした。


相手がすぐ近くにいて、見えないコミュニケーションを考えてみましょう

皆さんは、書きものをしている時に、相手を見ないで話すこと有るでしょう?
例えば、事務所で単調な仕事をしながら3,4人以上で話すとき、
その中に難聴者がいたらどうでしょう?
その難聴者だけ、話す相手の口を見たり、聞く方に集中して、
仕事の手を止めなければなりませんね。

私の会社の事務所は二階にあります。
殆どの社員は、退社時、階下から
事務所に残っている上司に声をかけて挨拶しますが、
私はその返事が殆ど聞こえませんから、二階へ上がり挨拶します。

階下からの挨拶には、上司も顔を上げずに、
書きものをしたり、コンピューターに入力しながら、返事を返します。

でも私が挨拶をすると、
必ず机やコンピューターのディスプレーから顔を上げて、片手を上げたりして挨拶を返してくれます。
こちらが聞こえにくいので、そうしてくれるのです。

 

 

その3
補聴器について

耳が遠いのなら、補聴器をかけるべきだと、よく言われます。
確かに正論ですが、
はっきりそういう人には、
補聴器の問題点を把握した上で言ってほしいと思う。

補聴器は万能ではなく、
その使用にあたって、いろいろ問題点は有ります。


まず、補聴器は基本的にマイクに入る音を全て耳元で増幅再現するものです。

私が以前勤めていた仕事場は、騒音の大きいところで、
健聴者は、耳栓をしているくらいです。

その職場で頑迷な上司がいて、
聞こえんのだから補聴器を外すなと言われました。

で、朝から深夜まで補聴器をつけていて、耳鳴りがしだし、
結局3,4日、耳鼻科医の診断により、休みを取り、耳鳴りがおさまりました。
耳鼻科の先生曰く、「耳を休ませなければダメだよ」。


補聴器をすると、音の大きいところでは、騒音性難聴を上乗せする事になります。
コンサート会場での大音響や、
ヘッドホーンの長時間使用で、
皆さんもなるものです。


家庭で、ズーッと補聴器をつけていると、
たいした音ではなくてもしっかり聞くハメになっています。
扉の開閉、テレビの音、家族の話し声、食器を置く音など、
皆さんは適応に聞き流しておられるでしょう。
ここぞと思ったら、耳を済ませて聞きますよね。

離れたところで起きる音は、柔らかくなるけれど、
それを増幅して、耳元で再現するのですから、
補聴器では、きつい音を聞いていることになります。

補聴器で聞きながら聞き流す事は出来ても、
耳に対しての柔らかモードにはなれません。


補聴器と同様に電話でも、全ての音が等しく大きくなって入ってきます。

聞きたい声だけを拾って周りの雑音を消すという事で、
電話で話をされるときに、
口元の送話口を手で覆って声だけを入れるように話してくださると、
大変分かりやすいです。


同様に、
離れたところから大きな声で言うよりも、
近くに来てゆったりと話してくれたほうがいいです。


難聴の場合、補聴器をかけているときと、かけていないときの落差は、
とても大きく、

会話をしている片方が中等度難聴の場合、健聴者がそれを忘れる事があります。

お互いがよく知っている話題で、
相手がどう言うか予測ができ、
相手の表情も見えるし、口元も見える。
周りも静かで、落ち着いて相手の言うことが聞ける時、
補聴器でキーワードだけでもはっきり聞こえていると、
話はとんとん進みます。

 

 

その4
いついかなるところでも、
聴覚障害者が居るかもしれないということ

 

3例ご紹介します。


まず、インターネットで最近知ったこと。

最近は、聴覚障害者のためでなく、テレビ画面に字幕がつくことが多くなりました。
バラエティ番組などで、ここが受けどころと強調しての字幕です。
それについて、作家の椎名誠さんが、
「くだらないので止めた方がいい」と、週刊誌で書いた。
これに対し、一人の聴覚障害者が、
その後すぐに講演会に行った時、直接、「難聴者もリアルタイムで笑える字幕、という風に思ってくれませんか」と言ったそうです。
その後、編集者から謝罪の手紙が届き、氏も他の雑誌かもしれませんが、訂正してたようです。


次に、私はその場に居なかったのですが、子どもから聞いた話です。

ある自動車教習所での事。
抽選会がありまして、当選番号を読み上げるのですが、
一二度言って、返事がないと先へ進めたそうです。
これなんか、今では聴覚障害者が大勢自動車の免許証を持っていることを、
すっぽかしてやっていると思います。

きちんと番号を大きく書いておくと、
全員に聞き間違いや聞き落としがなくて、皆の為にもなるでしょう。


本で紹介されていた場面です。

Oー157の事件のとき、
病院へ、殺到し、介護を待つ人々へ、
病院側の人が緊急対処を何度も繰り返し大声で怒鳴っていた。
これも、もし患者の中に聴覚障害者が居たら、聞こえません。
大きな紙とか黒板・ホワイトボードなどに書くと、
繰り返す必要はなく、誰もが冷静に受け入れたのではないでしょうか。
雰囲気も落ち着けていい。

 

いつでも聴覚障害者の存在を忘れずにいる事は、大変むずかし。
この私でさえ、忘れている時があるくらい(笑)
ここは、聴覚障害者が声を上げる方がいいかもしれません。
これも、難しいのですが、
健聴者がいつも聴覚障害者の存在を忘れないでいる事よりもやさしいと思う。
「すみません、聞こえないので、もう少しよろしくお願いします」
私も、そう声を上げるよう心がけます。
お互いが歩み寄って、お互いが過ごしやすい社会にしたいですね。

 

長時間清聴下さいましてありがとうございました。
今後の皆さんのご活躍に期待しています。
又、どこかでお会いしたら宜しく。

最後になりましたが、
これまで、インターネットのメールや掲示板等で知りえた事の中から、
私の経験よりも適した話題と判断し、紹介させていただいたものがあります。
その話題を提供していただいた方々に、お礼申し上げます。
ご迷惑の無い様、HNであっても紹介は略させていただいた事、ご了解ください。