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HP「内耳再生プロジェクト推進委員会」へのご招待 

 

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HP「内耳再生プロジェクト推進委員会」へのご招待


もう、四、五年前になりますが、耳の日の行事として、
岡大耳鼻科のF先生に、講演をしていただきました。
人工内耳や遺伝子治療に関する話の後、時間をオーバーして質疑応答がありました。

脳に電極を射す人工内耳よりも、
遺伝子医療に高い関心が寄せられ、研究の今後についての質問があったのです。

その返答の中で、
国から支給される研究費が、
どうしても生死に関わるガンなどの方へ、多く回されるので、
耳鼻科の研究には十分来ないと言われました。

難病はたくさんあるし、ガンはもとよりエイズなども早く治療法が確立して欲しいと思う。
でも、だからといって、耳の治療が後回しになっても仕方がないとは、割り切れません。


この話は、それっきりになっていましたが、
しばらく前に、こふさんのHP「Pardon?」の掲示板で、
内耳再生プロジェクト推進委員会の名を見ました。
そのHPを見ると、上記のところで止まった話が動き出すような内容です。

民間の資金で運用するファンドを立ち上げて、
この研究資金とするものです。

金融界でのファンドの流れが、このような形で、
聴覚障害者の世界に関わってくるなんて、とビックリさせられました。


私は聴神経がダメなので一生治らないと言われました。
でも、それが治る兆しが、見えてきている。

内耳の中は、耳の中の僻地でした。
そして、神経細胞の再生は以前ありえないこととされていました。
こういった閉塞状況が、学問の力で切り開かれ、
新しい地平線が見えてきています。


難聴を取り巻く状況は、医学面ばかりでなく、
社会的にも、推移しています。

現在、ストレスや騒音などのせいか、突発性難聴が急増しており、
仕事を辞めたり、辞めねばならないのかと悶々としている方たちに、
この治療を受けてさせてあげたい。

これから成長していく耳の聞こえない、耳の聞こえにくい子ども達のことを思うと、
彼等の、人生の選択肢を是非増やしてあげたい。

老人性難聴を始めとする中途難聴・失聴の方々には、
これまでと変わりなく、従来の暮らしを続けていただきたい。


この内耳再生ファンドは、現実味のある案です。
でも、夢に終る事も十分ありえる話でもあります。
これを夢に終らせない為には、多くの人の願いと声とを合わせる必要があり、
このHPは、そのための場です。

聴覚障害者も、身近に聴覚障害を持つ人がいる人も、
全く関係ない人も
是非署名をお願いします。
広い意味で、これは、ずべての人に関わっている問題と思います。

管理人のかがりさん、いろいろ手間だけど、今後とも、よろしく!m(__)m


HP「内耳再生プロジェクト推進委員会」のアドレスは、
http://star.endless.ne.jp/users/kagari/genomu/
です。
2001.12.2

 

2001年パソコン要約筆記講座でのお話

 

みなさん、こんにちは。

テキストの18pから22pまでに沿いながら、いろいろお話をしていきます。

 

第四章 聴覚障害者の福祉

1 障害の三つの概念

(1)

機能障害,これは、聴覚器官・聴神経の障害を指すのでしょう。

最近は、人工内耳や耳硬化症の手術等が、行なわれるようになりましたが、
うまくいくのは,未だごく一部のようです。

耳硬化症というのは、「あぶみ骨」が固着する病症で、伝音性難聴の原因のひとつです。

江時久さんの「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」によると、
あのベートーヴェンは、この病気だったようです。

今では手術が行なわれるようになっていますが、
インターネットでこの手術後を紹介している若い女性のHPを読むと、
すっきり聞こえるようにならないみたいです。

 

難聴には、感音性難聴や伝音性難聴,それにこの2つが合わさった混合性難聴があり、
補聴器などで音を大きくするだけでは,解決しない聞こえの複雑さがあります。

私の場合は、聴神経がうまく働かない難聴でして、
低い音があまり聞こえず,高い音の方が比較的よく聞こえる特徴があります。

私の女房は、反対に,低い音がよく聞こえ,高い音が聞こえません。
いままでいろいろ見聞きしてきた範囲では、
こちらのタイプの難聴が多いようです。

 

次に、(2)能力障害ですね、

これは、コミュニケーション能力の障害でしょうか?
よくわかりませんし、微妙な問題も含まれると思いますので、
聞き取りの問題点を,いくつかお話します。

聞き間違える時、自分の関心がある方に聞き間違える場合が多く、
冷や汗をかくことがあります。

これは,知っている語彙の数や偏りによることもあって、

健聴者の場合、努力しなくてもいろんな言葉が耳に入ってきますが、
難聴者の場合は、一所懸命聞いてやっと聞き取ります。
この差は大きく、知りうる語彙の差にもなっていると思います。
書き言葉でカバーするにも、努力を要するわけで、
そこのところ汲み取っていただけたら幸いです。

話し言葉の語彙が少ないというで、
次のようなこともあると気にとめてください。

聴覚を補う方法として、字を読むことがあります。
でも、あまり書かれないが、よく話される言葉には疎いですね。
最近の言葉では、雑誌ではよくフリーター等と書かれますが、
人によっては、フリーターなどとは言わず、
プー太郎と言います。
全く同じではないでしょうが、
こういうときは話の前後で判断するにしても、
時と場合によっては、ちょっとまいったなぁと,
感じることもあります。

 

皆さんは、物心ついた時から聞き取り能力だけでなく、
聞きながら,話の先を予測し,
尚且つ,そのことに対する判断もしていく能力もついてきています。
ですから、相手が話し終えるや否や直ぐに、言い返せます。
でも、難聴の場合、これがすごく難しい。

聞き取ることでまず精一杯になり、
聞いた後,咀嚼して、判断して、返事をするとなると、
健聴の皆さんのテンポとどうしてもずれてしまいますね。
このずれをもって、理解力が低い、判断力が弱いとみなされ、
本来のそれぞれの能力が不当に評価されることも起こります。

勿論、このコミュニケーション能力を高める機会が狭められているがために、
理解力や判断力がついていないというか、低いこともあります。

十年ぐらい前ですが、
知恵遅れとみなされていたけれど、
本当は耳が聞こえていないだけという学生の話を聞いたことがあります。

 

それから、(3)社会的不利 職業の制約

これについては、最近は新聞などで障害者の欠格条項が取り上げられ、
ご存知の方が多くなってきました。

職業については、医師や薬剤師などがよく例に挙がります。

アメリカでは、聴覚障害を持つお医者さんいますね。
去年でしたか、若い女性のお医者さんが来られましたし、
今放送されている海外テレビドラマ「ERD」でも、登場しています。

 

薬剤師では、薬剤師国家試験に合格していながら、
免許証の交付が受けられなかった早瀬(旧姓後藤)久美さんが有名です。

先月の欠格条項を見直す法改正に伴い、
三年後の今年、7月17日に厚生労働相から、免許状が
手渡される運びになりました。

薬品メーカーで、メールによる おくすり相談や
ホームページ、その他色々な事をやっていましたが、

今は来年3月までという期限付きながら、
日本薬剤師会で、仕事をしています。

薬剤師会が、早瀬さんの立場に対してサポート体制をとっている。

これにはいくつかの意義があると思います。
その中の一つを,申しますと、
現在9万人いる薬剤師会の会員の社会保障です。

現在中途失聴している人の数が急増しているというニュースがありました。
詳しい数は失念しましたが、年間で万人の単位でした。
当然、薬剤師・医師の中にも、耳が遠くなっている人、中途失聴した方が
いても不思議はないわけで、
そうなった場合、今のままでは、免許証剥奪になりかねないわけです。

ここで次の様に考えるのです。
薬剤師免許の資格要件というものは本当は何なのか?
耳が不自由だということが薬剤師としての資格要件として絶対な拒絶理由になるだろうか?
そうはならないと判断して、薬剤師会は早瀬さんをフォローしていると,私は受け取りました。

新聞社のサイトに、薬剤師会のコメントが載っていました。
読んでみますね。
「業務をできるかどうかは,本人が判断すること。
一律に門戸を閉ざすべきではない」
(asahi.comより)

 

医師についても同じことが言えますね。

こういった資格・免許証がない会社員でも、
途中で耳が聞こえなくなったがために、
デザイン関係の職を辞め、
警備会社で耳が聞こえないことを言わないで、
働いている人もいます。

 

職業の話をしましたが、
社会的身分ということでも、
以前は問題があったのです。

民法11条問題というのがありまして、
昭和54年に改正されました。
条文から「聾者、唖者、盲者」の三語を削除したのです。

本人の親族等から申立てがあった時に、
本人に対して、準禁治産者の宣告を家庭裁判所がする事が出来たのです。
保佐人、例えば家族の同意がないと
自分のお金・財産が自由に使えないということになります。

 

また、こういった明文化されていないことでも、
社会生活の不利があって、
例えば、借家を借りにくいのですね。
俳優の忍足亜希子さんもご本でそのことを書いていました。

 

1990年7月26日に成立した「障害をもつアメリカ人法」略して、
ADA(Americans with Disabilities Act)についてここで触れているので、
これから,私もこの法律について書かれた本から
引用をしながら,お話していきます。

「哀れみはいらない」という本の161pからです。
「障害者は史上初めて,障害者にとって一番の問題は差別だとアメリカに訴えた。
欲しいのは慈善ではなく,アクセスや機会の保障だと訴えたのである」

「ADAが社会に要求したのは,良識をもつことと、
職場や社会を障害者にとって生活しやすくするため創意工夫を凝らすことだった」
と記してあります。

 

 

2 障害者の定義

1 障害者とは

ADAの保護の対象に、エイズ患者やHIV抗体陽性者も含まれています。
エイズは慢性的な病気であるという理由からです。

「私たちは誰でも障害者になり得る。
突然の交通事故や階段からの転落、癌、病気などにより、いつその仲間入りをするかわからない。
実際、障害者といわれる人の中でも、先天性の障害をもつ人々は全体の15%にしかすぎない」13p

「障害者は人間より劣る」という感じ方が強くあります。
本当にそうなのか?

 

この本には、素晴らしい人が何人も登場しますが、
ここで、一人の障害者をご紹介します。
聴覚障害者ではないのですが、
誰でも障害者になりうるし、
障害者になっても、一人の人間として
行動する見事さを感じさせてくれる例として、

マリリン・ハミルトンは、1978年夏に、
ハンググライダーに乗ったまま墜落し、下肢マヒを持つようになりましたが、
理学療法士が用意した車椅子に我慢できず、
友人と協力して超軽い車椅子を作りました。
当時の車椅子は20kgはしたが、
彼らが作ったのは僅か9kで,その他の利点もあります。
ハンググライダーの事故から,12年後、彼女は車の事故に遭い、
手首と足を怪我しました。
その48時間後には、彼女の仕事のパートナーが
流線型の見事な軽量電動車椅子を完成させています。

 

彼女の叔父が最初に使った車椅子が40キロ、
それが今やスーツケース型の携帯用車椅子ができるに至っています。
ちなみに、この「夢キャリー」は、5.5kgです。

障害者へのみかたを新たにしていただけたら幸いです。

 

私の個人的な読書からも話を一つ。
去年から,今年にかけて、アメリカのミステリー本の世界で、
リンカーン・ライムという主人公が話題になり,人気もあります。
「ボーン・コレクター」「コフィンダンサー」等の作品に出ています。

四肢障害者、頭だけしか自由にならない障害者が主人公の、
本格派のサスペンスミステリー小説です。

邦訳の出ている中で最新作の「コフィンダンサー」では、
障害や障害者にどう接するかという問題について、
登場人物に話をさせている所がありました。

ラジカルな意見ですが、
ここのところが問題にされているのを未だ見たことが無いので、
おそらくアメリカではコンセンサスが得られているものでしょう。

ついでに申し添えますと,この著者、ジェフリー・ディーヴァーは、
「静寂の叫び」という作品で、
ろう学校のスクールバスが誘拐犯に襲われるというお話も、
書いています。

 

3 ノーマライゼーション、リハビリテーションの理念

1 ノーマライゼーションとは

あらゆる人の人権を尊重し、その自己決定権を確立していくものと言っていいと思います。

最近、ハンセン病患者の裁判がニュースになりました。
長きにわたる隔離は、医師が患者に良かれと判断して行なったのを、
ドキュメンタリー番組で確認しましたが、
戦後の学会で海外の識者との間に意見の食い違いがありまして、
今にして、それがノーマライゼーションの理念の有無によるものだと納得できます。

善意による差別は、無くさねばという事でしょう。

 

物理的障壁として、例えば車椅子を使う人にとっての、道での段差がありますね。

この障壁を取り除くことを、バリアフリーと言って、
皆さんご存知のことと思います。

最近では、この言葉にとって代わるように、
ユニバーサルデザインという言葉が使われるようになってきています。

歩道の縁石段差解消は、もともと車椅子使用者が移動しやすいように取り入れられたものですが、
結果として自転車利用者や乳母車を押す母親、そして、運送業者の台車などにも、
便利で、むしろそちらの方の方が大勢使っていますね。

障害のある者にとっても、ない者にとっても、使いやすいデザイン=
ユニバーサル・デザインという考え方は、建築家やデザイナーの間で、
どんどん取り入れられてきています。

最初からバリアを取り除いているものと考えてください。

ここには,障害者のためのものという意識よりも、
誰にでも優しいという意識、
誰もが障害者になりうるという意識が、
より浸透してきていると思います。

レバー式のドアノブや、風呂用の噴射式水流装置などといったものがあります。
これらは、最初、リウマチ患者のために考案されたそうです。
でも、そんな事、思いもしないで、使っている人のほうが多いかもしれませんね。

 

次に、
制度的な障壁にいきましょう。
昭和48年8月27日警察庁は運転免許課長名で
「いわゆるろうあ者に対する運転免許についての運用通達」を出しました。

運転免許裁判が、昭和42年12月28日付で起訴され、
道路交通法第88条運転免許の欠格条項が問われました。

この裁判は、耳が聞こえないものに対する制度的差別と正面から取り組んだ最初の裁判です。
私は、その十年後に免許証を修得しましたが、
この事を知ったのはずーっと後になって、
日本で最初の、ろうの弁護士松本晶行(まさゆき)さんのご本、
「ろうあ者 手話 手話通訳」によってです。

 

それから、
文化・情報面の障壁というのは、
公共の場での案内が直ぐに思い浮かびます。
役所・病院、駅のホームでのお知らせがそうです。

いまも市内の総合病院に通院しているのですが、
最初に耳が遠いのですがと言ったら、
診察券に耳のマークをペタッと貼ったきりです。
待合室では、スピーカーの案内と看護婦による呼び出しとが一緒に合ったり、
会計の前の受付では、口頭の呼び出ししかしてないので、
担当者の真ん前に座って聞き逃すまいとじーっと見ていたら、
睨み返されたりしました。

又,日本映画の鑑賞で、字幕が付くのは、
この障壁を取り除くためのものですね。
テレビドラマなどでも、最近は,以前に比べて大分つくようになってきています。

 

意識上の障壁としては、聴覚障害者の医師・弁護士・議員など
「相手が障害者だとわかると、その人がどんなに優秀であろうがなかろうがおかまいなく、
自動的にその能力を過小評価してしまう」傾向があります。

松本さんも、依頼者の、割合として、一割、二割の方から、
事務所所長に電話があり、
「どうも不安なので他の先生に代えて頂けないか」との事です。
松本さんを受け入れている所長さんは、
「事務所の方針として決めたことですし,
事務所として責任を持つのですからそのままお願いします」と、
どうしてもいやと言うなら事件そのものを断りかねなかったのだそうです。
無論,依頼者だけでなく、相手の弁護士や裁判所も、そうで、
一人前の弁護士と認めるようになったのは三年目あたりからと松本さんは書いておりました。

最近,長野県白馬村で議員さんが当選しましたが、
そこでもこの障壁を乗り越えるのに苦労されたのではないか、
いや今もそのために苦労されているのかもしれません。

 

2 聴覚障害者のリハビリテーション

(1) 聴能訓練  

訓練とは違いますが、補聴器のフィティングというのがあります。
利用者の聞こえに合う補聴器を選んだり,調整したりします。

それから、人工内耳の聞き取り訓練というのも聞いたことがあります。
最初は、いろんな音が飛び込んでくるのを、意味のある信号として受け取る訓練をするようです。

 

(2) 障害の受容

これは、先天性の聴覚障害者よりも、
後天的な聴覚障害者の方で、
よく話題になって、
重い課題だといっていいでしょう。

最近は突発性難聴が増え、中途失聴者もそれに連れ増えてきているようです。
ストレスや騒音によるものも否定できないので、
現代病と言えるかもしれません。

ある程度社会的な地位・環境を得た後で、
聴力を失うというのは,大変な苦痛です。
時には,自己否定に突き進む危険すらあります。

前に「社会的不利 職業の制約」のところで述べたように、
医師や薬剤師の方が中途失聴した場合を想像すると、
思い半ばに過ぎるものがあります。

警察官になったものの、聞こえなくなって高校の先生になった方が、
アンケートに書き込んでいたのを読んだことがあります。

 

また,失聴に至らず、
難聴でも受容の問題はあります。

難聴は、聞こえていながらも、聞こえない事実も受け入れる難しさがあります。
周りの人が、忘れることさえある時には、本人だけでなく周りの問題でもありますね。

若い人向けに話したり書いたりしたことがあるのですが、
長崎で耳の聞こえにくくなった高校生が、
先生にひどく叱られて、
「何で怒られているのかわからなかった。
悔しさでいっぱいです」と書いた遺書を残して、
自殺しました。
校長は「難聴ということは把握していなかった」と話しています。
1995年8月の事件ですから、
そんなに昔の話ではありません。

 

受容の問題は、皆さんが思っておられるよりも、
ずーっと深い問題だと私は思います。

仕事場でのパートさんが,
耳の聞こえが悪くなって耳鼻科の先生に見てもらった時、
「命にかかわることじゃない」と言われたって、
怒っていたのも、思い出します。

 

障害の受容は、人ぞれぞれに異なる問題点を持ちます。

更に受容しなければいけない局面がいろいろあって、
本人としても簡単には受容しにくい時もあります。

既に難聴者であっても、徐々に落ちていく聴力や失聴との対面があり、
又、人生での場面の変化も伴って、常に進行形の問題でもあります。

一人の聴覚障害者が、成長していく場面を想像してみてください。

家庭の中から、地域の学校へ出、
進学するにつれ、遠方の学校に通うようになり、
それから,就職して本格的に社会に飛び込みます。

少しづつ、親しみ・理解のある囲いから出て、社会の中へと入っていきます。

その折々に、受容の遍歴がありますが、
個人的に大きく感じたのは、

身体障害者手帳を修得する時、
就職する時、
家族を受け入れる時、例えば結婚、出産、育児、等です。

 

もう7月も半ばになりましたが、
この春,就職した人の中にも、
聴覚障害があることを言わずに就職し、
今苦労している人がいると思います。

就職の面談時に、
聴覚障害があることを言うか言わないかは受容の問題であり、
又、受け入れていても甘えを辞さず突っ張っているという問題もあります。

 

私が社会的に受容できたのは、随分遅く、
三十代の後半辺りでしょうか?
私の場合は,仕事ができるようになったことが大きいです。
4,5人から20人程の人に仕事の指示を出し続けるという、
誰にも出来ないことが出来るようになったら
聞こえない所はカバーして欲しい!
仕事の段取りで待たせる事はしない!
という心意気になります。

 

それでも、
全く聞こえなくなったらどうかなぁ、と
思うことは時折あります。

 

4 身体障害者福祉法における障害認定

1 聴覚障害者の程度等級

ここでの表示はあくまでも参考にとどめてください。
私は,6級ですが、女房は3級です。
それでも、私に聞こえず女房に聞こえる音はあるのです。

個人的には、日常生活に支障が起きる40デシベル辺りから、
認定されてもいいのではないかと思います。

聞こえることに,もっと強い関心を持って欲しい。

静かな環境で落ち着けること。
豊かな話し言葉を交わすこと。

そんなことにもっと多くの人が関心を持つには、
聴覚障害をもっと重視し、大事に扱う必要があると思います。

 

2 障害者手帳の交付

非常に事務的に書かれていますね。
この手帳を受け取れる程聴力が悪くても、
障害者に身を落とすという感じ方を持って、
交付を受けていない人もまだまだ多いと思います。

5 障害者福祉施策の概要

1 聴覚障害者に関係する福祉施策

ここは、いろいろ課題のあるところです。
私自身にも、扱いにくい問題があります。

ただ次のことは、言えます。
まだまだ,よく知られていない,使われていないものが多い。
ということです。

先日も、福祉事務所に行って、
補聴器の給付について問い質すと、
即答出来ないんですね。
利用者がいないから、事務員が知らないんでしょう。

又、この春、
県の視聴覚障害者センターの利用手続きをしましたら、
登録証の番号が,思ったよりも小さく、
思わず,エッって言いそうになって…。
自分のことを棚に上げて、問題だなぁとも感じました。
ここの施設は,障害者よりも,そのボランティアの方がよく利用しているように、
思えます。

 

2 中途失聴・難聴者に対する福祉施策の課題

(3)にある相談員そのものについて、ではないのですが、
聴覚障害が認められたその直ぐ後からの、
アフターケアが、日本には無いに等しいと感じております。

耳鼻科のお医者さんが、診断をくだした後、
心理的なケアをすることは、望めそうにありません。

子どもに聴覚障害がある場合、どのような教育がもっともいいのか?
インターネットで、聞こえない子を持つ親のHPなどを見るにつけ、
親達が納得できる相談相手が無いように思えます。
やっとの事でいくつかの選択肢を得た後も、  
迷いはあるし、

現状に満足出来ず、
海外へ視察に行く人たちもいます。

『聴覚障害者の心理臨床』という本があります。

聴覚障害者の問題で、本人だけの問題というのは、思いの外少なく、
聴覚障害を持たない人にこそ、読んでいただきたい本で、
もっと多くの人に、聴覚障害者の心の相手をして欲しいと感じます。

(4)

皆さんには、活動を通して、
要約筆記をもっと社会に広めていただきたいと思います。

その傍ら、要約筆記と構えなくとも、
ちょっとしたメモなんかも、
いろんな場で,さり気なくやって、
周りの人に啓蒙してもらえたら大変うれしいです。

メモをしてあげる。
この簡単でありながら,めんどくさい事を、
周りの人へ楽しそうに見せてください。

最後になりましたが、
正規の要約筆記も
もちろん,宜しくお願いします。

聴覚障害者のサポート、
日本語の問題、
コミュニケーションの問題、

あなたが足を踏み込めば、
踏み込んだけ、奥の深い世界のようです。

うまくいかなくて
思いも寄らない厳しい先生が登場するかもしれません、
いろいろ用事で続かない時があるかもしれません、
でも、
めげずに、
明るく、続けて、
又、お会いしましょう。

2001.7.14

今回、このような場で発言の機会を与えてくださった、
要約筆記クラブのgansukeさん、
市難聴者協会のMさん、
お二方に、この場でお礼を申し上げます。

これまで,このHPの他のところで書いていたのと,重複する所があり、
長々と読んで下さったあなたにもお礼申し上げます。

これまでにふれていない新しい箇所では、
インターネットの仲間達のお世話になり、
その仲間達にもお礼申し上げます。 

 

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岡山要約筆記クラブ二十周年記念誌
「さくらんぼ」
   難聴者に書いて伝える

 

ちょうど一ヶ月前の2月25日に、
岡山要約筆記クラブの設立二十年記念式典があり、
後日、会長から記念誌をいただきました。

会報「さくらんぼ」に掲載された文章が中心ですが、
要約筆記を知らない方、知っててもよく存じてない方々に、
是非読んで欲しいと思います。

 

初期の頃の手探りの段階から、
厚生省より「要約筆記奉仕員養成カリキュラム」が出るに至る最近まで、
否、今後の展開を示しているところまで書かれています。

私もいろんな事を教えてもらいました。
この中に登場している何人かの方々は、顔なじみ。
所々で思い出すだに冷や汗が出そうになったりして…。

 

要約筆記の奥の深さが以前にも増して感じられ、
これからは気軽に勝手なことを言えないくらい勉強になりました。
(まだまだ知らない、理解できないことも有るはず)
今まで自分勝手に要約筆記を捉えてしまっていましたが、
利用者の、ボランティアの具体的な体験談を知ると、
以前にも増して、もっと多くの人に要約筆記のことを知ってもらい、
要約筆記者になって欲しいと痛感しました。

例えば、ノートテイクをしてもらっている大学生の手記を読むと、
耳が聞こえないだけで、その人が本来持っている資質が発揮できないのは、
辛いというより、腹立たしく思えるぐらいです。
若い人の悩みや苦労を聞くと、これって大変な社会的損失かもしれないと思う。

要約筆記者の定着率が非常に低いと書いてありましたので、
この道、生易しくないと思われますが、
もっと多くの要約筆記者が、少しづつの協力を集め、
一人一人の負担を少しは減らし、尚且つ多くのことをして欲しい。
今は、部署によっては少数精鋭で頑張っていて、
いつ燃え尽きるかと心配してしまうくらいです。

折りしも、HP「岡山要約筆記クラブ」の「お知らせ」によれば、
近々「パソコン要約筆記入門講座(仮)」が始まるようです。
この文章をご覧の方は当然パソコン使えてますよね。
聞こえる方は、是非参加してみてください。

要約筆記から広がる世界が多岐にわたる事も、この本で理解できます。
いろんな人との出会い・聞こえの世界の意外さ・言葉の世界の襞、
様々な場面で工夫して広がる創意の達成感、
もっと有るかもしれません。

それから、
眼前の要約筆記者の後ろに居る、彼らを支えているボランティアも欠かせません。
要約筆記活動を運営しているクラブの裏方さん、
様々な必要機材を手に入れるために協力いただいているオリエントライオンズをはじめ、
助成していただく財団・基金、
本当に広く大きな広がりがあります。
それが広がるに連れ、聴覚障害への理解も広まるとうれしい。

岡山ならではの誇りを紹介させてください。
第一回全国要約筆記問題研究会が、岡山で開催されています。
それから、中国へ要約筆記が訪れたのも初めて。
旭川荘厚生専門学院から、養成講座の依頼があり、
学校の教育課程の中に取り入れられたのも全国初との事です。
(当HPの福祉会館内の「要約筆記講習会でのお話」は、ここでのもの)

現在、インターネットを通して、
全国各地の要約筆記の活動や字幕などを受け取れますが、
インターネットが普及する前からの足取りを通して、
今に生かせることも多々有ると思います。
わが街の要約筆記活動を通して、いろいろ皆さんへ伝えたかったのですが、
上手く表現できませんでした。
どこかで、この記念誌を手にする機会がありましたら、
是非隅々まで読んでください。m(__)m

岡山要約筆記クラブの皆さん、これからもよろしく!

 

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字幕ビデオをもっと利用して見ましょう。

 

この頃、毎週日曜日には県の視聴覚障害者福祉センターへ出向いて、
「星の金貨」のビデオを2、3本ずつ借りています。
女房の楽しみです。
以前テレビでも見ていたのですが、又嵌って見入っています。
共演の男優二人とも、今では立派な役者さんになりましたね。
さて、今日も続きを…と用意すると、
「いつもそんなに空いてるの?誰も見てないの?」
と、不信な顔で聞きます。
そう、もったいないくらい利用されていませんねぇ。
それとも、今時「星の金貨」を見直すなんて、私の女房ぐらいか…。

手元の登録証をみると、番号が139。
これは、身体障害者手帳を持っている人に支給されますが、
手帳の所持者数からみると、少ないと思う。
先日、難聴者協会の事務局長に視聴覚障害者福祉センターのことを聞きますと、
「不便なところにあるからね」という返事が帰ってきました。
確かに同感。
それでも、何とかならないかなというくらい、歯がゆい気持ちにさせられます。
今では、所蔵本数も増えてきて、比較的新しい作品が入るようになりました。

聴力障害者情報文化センターというところの、
字幕ビデオライブラリー共同事業等制作作品等が、置かれてある由。
どんな作品があるのかは、聴力障害者情報文化センターのHPで最近のリストを見ることが出来ます。
劇場公開映画作品もあり、
私は今日、「学校V」を借りてきました。
(朝テレビで大竹しのぶさんの演技を見てて、むしょうに見たくなった(^^ゞ)
街角のレンタル屋さんには遠く及びませんが、
それでも遅まきながら、この頃は充実し始めていると感じます。
期待しないで行くと、意外に多いと、思われるのではないでしょうか。(^^ゞ
無論、今よりもっと多くの人が利用するようになれば、当然直ぐに不足してきます。
需要はあるはず。

いろいろ不備はあっても、頑張ってどんどん利用し、あれこれ要望の声を集め、高め、
利用しやすい施設・システムにしていけたらいいなと思う。
何回か利用しているうちに、今日はめずらしく、受付の方が吉本喜劇のテープを取り出し、
「これはいいですよ!」と薦めてくださいました。
いつも控えめで無口な方にしてはめずらしく力が入って、
思わず「オッ?」と言いそうになった。(^o^)
そう、県の視聴覚障害者福祉センターの担当者も熱い思いがあるのですよ。

映画作品だけでなく、「君の手がささやいている」などのテレビドラマ、
福島智さんが出演していた「徹子の部屋」といった番組から、
教養番組、そしてアニメなどテレビ番組を中心に幅広く取り揃えています。
わが街の方は、この視聴覚障害者福祉センターへ、
その他の方は、聴力障害者情報文化センターのHPの中で紹介で案内してある、
貸出窓口をご利用下さい。
もし、近くになければ行政機関へ働きかけて新たに設けていただきましょう。
専門的な機関でなくても、市立図書館でも扱っているところありますからね。

こんなところからも運動を広げ、
一般の映画館での字幕版上映も、もっと増やしたいと痛感します。
この春の東映アニメフェアも、東宝の「ドラえもんフェスティバル」も、
日本語字幕付き上映は、わが街では見られません!(T_T)
少しづつ上映館が増えてきてはいますが、まだまだです。


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