病院、そして耳鼻咽喉科の先生方へ

 

亡き高原先生への手紙

病院でのお話 その2

耳鼻咽喉科の先生ってどうしてこんなに違うの

突発性難聴について

緊急救命医療の現場に想いを馳せて

市内の総合病院の病院長さんへ

 

 

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病院でのお話 その2

 

2001年4月15日日曜日付朝日新聞の、
日曜日版のコラム「いわせてもらお」から。

病院で、
「補聴器を拾いました。落とした方は取りに来てください」と
繰り返しアナウンスが流れていた。
隣のおじいさんがポツリと一言。
「本人にはきこえないよ」

(秋田県湯沢市・そこまで気が付かなかった・62歳)

如何にもありそうで、
やっぱり実際あっただろうなと、思わせられますね。

わが街の某総合病院の受付のことですが、
薬の受付ではランプで準備が出来たことを知らせているのですが、
その前の会計が、直ぐ隣にあって、
そこでは、大きな声で人の名前を呼んでいるだけなんですよ。
これらの前で、この二つを並べてみながら、
これって何なんだろうな?
と、来る度に思っていました。


更に、診療の方では、
私の診療カードに耳のマークが貼ってあっても、
呼び出しは頭上のスピーカーからの場合が殆どでした。
一度だけ、待合所まで看護婦さんが出てきて、
私の顔を見て手招きしてくれたことがありました。
その看護婦さんは、私が急患で初めて来た時にお世話になった方でした。

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緊急救命医療の現場に想いを馳せて

 

「ER」という、アメリカのテレビ番組では、
緊急救命の現場で働いている医師や看護婦等を中心に、
そこへ出入りする様々な人たちの人生も、織り込んで、
スピーディにドラマが展開されています。

このシリーズの中に、今まで、三人の聴覚障害者が登場しました。
その中の最初のケースにそって、述べます。

セカンドシーズンの第3話「こんな日々」の中にあるお話です。
患者として、緊急治療を受けました。
そして、意識を取り戻した時、暴れたため、拘束を受けました。
医者とのコミュニケーションはまったくありませんでした。
それから、しばらく後に、その患者の部屋の側を通りかかった医師が、
患者の手のしぐさに気付いて、患者に耳が聞こえないのかと尋ねました。
こうして、初めてこの患者は、医師とコミュニケーションがとれ、
拘束を解かれ、適切な処置を受け始めることが出来るようになりました。

私のような聴覚障害者が、今、実際に、緊急救命医療を受ける時、
医療現場で適切な対応が受けられるだろうか?
正直言って、不安があります。

それは、緊急医療でなくとも、
普段の診療で満足のいく対応が得られていないからです。
この事は、私もこのHPの他の所で書きましたが、
同様のことを、他の聴覚障害者もあちらこちらで書いています。

更に、緊急の場合は・・・。
私が今までに読んだ本の中に、参考になる二冊があります。
「緊急招集」 奥村徹 著 と
「給食が危ない!」 佐瀬稔 著 とです。
前者は、地下鉄サリン事件の時の、担当医の著書です。
後者は、ルポライターによる、O−157についてのノンフィクション作品です。

混乱した病院でのコミュニケーションは、ほとんど、音声によるものです。
意識を失ったり、動けない、患者を次々に見る医師に、
次の患者が聴覚障害者かもしれないという懸念を期待するのは、到底無理なようです。
又、患者でなくとも、家族・付き添いとして、病院に居て、医師や看護婦から十分な情報を得るのも、
困難な状況が描かれています。

この話題を、難聴者協会の青年部で取り上げたところ、
一人の青年が、交通事故に遭った経験を語ってくれました。
事故で、補聴器も眼鏡も、手話をする手も、自由が効かず、大変だったようです。

では、我ら聴覚障害者は、いかにして、我が身を守らないといけないか?
恥も外聞もなく、周囲に聴覚障害者であることを、どんな形であれ、
知らせなければならないと思います。

しかし、それが難しいのも、聴覚障害者とりわけ難聴者の特徴です。

耳鼻科の先生、聴覚障害の治療も大事ですが、
聴覚障害者が安心して診療を受けられるような病院作りにも、関わってくださると、
私たち聴覚障害者は、どんなに心強いことか!
よろしくお願いします。

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突発性難聴について


2000年7月16日付朝日新聞日曜版で、「突発性難聴」が取り上げられていました。

私はすでに、難聴ですが、この突発性難聴に対する怖れはあります。
本で、難聴者がぜんぜん聞こえなくなった話を読んだり、
自分自身、耳鳴りに襲われて聞こえなくなるのではと、不安に落ち込んだことがあります。

この記事で、突発性難聴も、意外と、間口・奥行きがあるようで、
一概に言えないことがいろいろあるのだと、知りました。

命に関わるものから、自然に治るものまであるようです。

私の耳鳴りは、過労・睡眠不足・ストレスから来たものだと、今では納得して、
以前よりは、過労にならないよう気をつけています。

他にも、免疫異常や、ウィルス、循環障害等の原因などが、考えられているようですが、
私の漠然とした感じでは、これは、この頃だんだんに増えてきている、
現代ならではの病気という気がします。

ここには、書かれていませんでしたが、騒音によるものもあります。
ミュージシャンの例を、二三聞いたり、何かで読んだりしました。

この突発性難聴のうち、原因不明のものの過半数が、早期の発見・治療で治るか軽くなるそうで、
それなら、この事を、事前に多くの人に知っていて欲しい。

そして、聴覚障害に気持ちが向いたなら、
理解を深めていってもらいたい。

わたしの素人考えでも、耳の予備知識で、大事なことは、まだもっとあります。
例えば、以前、雑誌「暮らしの手帳」で、痛い中耳炎・痛くない中耳炎の記事を読んでいて、
自分の子どもが中耳炎にかかったと思った時、躊躇せずに、医者にかかりました。
上の子は、ものすごく痛がっていましたが、下の子はさほど痛がりませんでした。
自分が中耳炎で聞こえなくなったから、よけいに過剰反応したのかもしれませんが、
それでも、上のような知識一つを知っているだけでも、ぜんぜん違うと思う。

この記事では、この分野の最前線の模様も描かれていて、
素人の一人としては、我が家の近くの耳鼻科の医者で、
この記事で触れている事等を能くふまえて対処してもらえるのかという、不安もある。

医者にかかるよりも、医者を探す方が先で手後れになるなんて、全然笑えませんね。
突発性難聴だけでなく、他にも多くの病気で同様のことがあるようです。

でも、聴覚障害者として、この問題で、ここからお医者さんに問い掛けたいと思います。
自分の至らぬ事に問題が及ぶようであれば、即座に、より適切な医者にかかれるよう、
お医者さんのネットワークを充実・強化して欲しい。
又、自分の専門分野での、診断にこだわるよりも、より広い見方から診断が下せるような方策を
検討・実施していただきたいと思う。

現在の医療問題に、患者として、率直に陳べる機会・それを積み上げる場がどこにあるのでしょう。
インターネット上で、HP「突発性難聴なび」を時折開いたり、
人工内耳の設置ミスの書き込みを読んで、思うことです。

2000.7.27

 

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    亡き高原先生への手紙

 

 

 先日、耳鼻科のお医者さんからのアンケ−トに答えながら、
この間、読み終えた柳田邦男さんの『犠牲』を思い出しました。

 緊急医療や産婦人科医療に携わるお医者さんたちは、手を尽くしても成功せずに終わる事も多く、
そんな時に挫折感を感じると、言います。
そういうお医者さんが,残された患者やその家族に対して出来るケアの事について、
ものすごく考えさせられました。
それは、告知を受けた末期ガン患者の為にホスピスが作られている事に通じるものがあると思います。
そして、先生の事を思い出しました。
 

例えば、私に対して耳鼻科の医者は検査等をして、
神経性の難聴で、今の医学では治せれないと診断すれば、話はそれまでなのですね。

お医者さんは自分の分を尽くしてすべきことをした。
その医者に対して私は何もいう事は無い、と言うわけです。
 

でも、高原先生は、医療では何も出来なかった難聴児に、ケアをしなければならないと判断され、
その為に出来ることをつぎつぎにされて、難聴学級を作られました。
今から35、6年も前の事です。
この先進性と、医者の発想を超え、実現に至ったスケ−ルの大きさとに、今頃ようやく思い至って、恥じ入ってしまいました。
 

難聴児教育は、多くの分野の領域に関わっています。医学・教育・工学・行政等々。
それでいて、中心は、どこまでも一人一人の難聴児です。
高原先生が難聴学級を作る時にされた苦労は、この点にありました。


難聴学級が出来た後も、高原先生がご自分の思い通りに運営出来るわけでなく、
祈るような思いで、次々に赴任されてくる校長先生方に挨拶されたのでしょう。

又、自分に出来る事は他に無いだろうかと、自問されながら
陰になっていろいろ手を尽くされたのだと思います。


そういう風に考えていくうちに、
高原先生の、難聴学級に関する文章や発言を辿ってみたいと思うようになりました。

もし高原先生が今、難聴学級を作ろうとしたら、
どんなビジョンを持ち、どういう風に作っていかれただろうか。
それは、取りも直さず今の難聴児教育を問い直す事になるだろうと予感します。


高原先生はアメリカに赴かれて難聴学級の必要性を具体的に感じ取られたと聞いています。
だとしたら、1995年の『アエラ』9月4日号に載っていた記事
「耳に優しい工夫 アメリカの難聴補助機器事情」に書かれている様な今の状況に対して、
難聴児教育をどう考えられるでしょうか。

また、この2.3年急速に普及してきたパソコンをどう取り入れられたでしょうか。
パソコン雑誌『ASAhIパソコン』に連載されている
「ハンディキャプ」の欄を私は楽しみにしているのですが、
例えば1995年7月1日号に「聴覚障害者の事情を考えたパソコン通信入門者向けネット」、
11月15日号の「聴覚障害者ネット「アニモネット」がニフティサ−ブ内に開局」
という具合に聴覚障害者向けの情報がコンスタントに取り上げられています。

あらためて考えるまでもなく、パソコン通信は聴覚障害者のハンディを無くしています。
これを使わない手は無いと思います。

電話が難聴者のハンディを大きくするだけのモノだったのに比べて対照的です。
ファックスの良さも無視できませんが、それ以上にパソコン通信は使い勝手がいいと思います。
しかし、高価であることや、親しむ機会が無いことから、普及はまだまだです。 


新しいモノを取り入れたり、よりスマ−トな方法を取り入れることは、
高原先生の流儀でしたね。
今この時に、さぁこれから難聴学級を作ろうと先生が思い立たれたら、
どのような難聴学級になったでしょうか。

ご返事を聞けないのが、とても残念です。


テレビで「愛していると言ってくれ」というドラマがありまして、
大変興味深く、毎週夫婦で楽しみながら見ました。
それから、コミック誌の『ビッグ・コミック』に連載されている「どんぐりの家」も、
毎回楽しみにしているほど目が離せません。

メジャ−な所で聴覚障害者が紹介されているわけで、
私が子どもの頃とは随分様変わりしました。
でもこの流れはまだ始まったばかりでもあります。

身近なところでは、耳の日について一般の反応はまだまだ鈍いと思いますし、
現在の難聴児の親たちの不安は、以前として、それぞれに新しいものなのです。

これまでの教育の成果が、
今の、これからの聴覚障害に関わる人達にとっての知恵と成るにはどうしたらいいのだろうかと、
手探りの毎日です。

これからもこうして先生に問いかけながら、先生の遺志を受け継いでいきたいと、思います。

補記
これは、1996年に、高原先生が亡くなられた後に、書いたものです。
今でしたら、パソコン通信よりもインターネットという風に書き直したいところもありますが、
当時のままにしておきました。
また、障害者としての私の意識も、又、変わってきていますが、
耳鼻咽喉科の先生、難聴学級の恩師への手紙ということでは、そう変化はありません。

 

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市内の総合病院の病院長さんへ

 

 

お宅の診察カードに,耳のマークが貼っています。
でも、ただそれだけの様でした。

カウンターへ初めて行った時、
何も分からなくて事務の方の口元を
一所懸命見詰めて、補聴器のボリュウムを上げました。

じろじろ見てるという風に、嫌な顔をされたけど、
私が見てるのは、唇の動きと表情。
これでも、精一杯メッセージを受け取ろうとしています

待合所では,看護婦さんが来る度に、
アナウンスがある度に、緊張が走り、
他の人達の様に,何かをしながら,読みながら、
ぼんやりと待つ事が出来ないので、
ただ待つだけでも疲れます。

診察室でやっと補聴器に気づいた人達が
ゆっくり大きく話してくれました。

帰りの待合では,声で呼ぶところと、掲示板で番号を示してくれるところとがあります。
呼ぶところの真ん前で度々顔を見上げていると、
忙しくて厳しい表情が,ぶつかってくるので
申し訳なく思えてきます。

一度,聞きました。
カードにこのマークを貼ってあるけど、
聴覚障害者へどう接するのか説明を受けた事ありますでしょうか?
笑って,横に首を振りました。

 

 

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耳鼻咽喉科の先生って

 

 

以前、耳鳴りが激しくなって、近所の耳鼻咽喉科に行きました。
何度も首を傾げながら、耳の中を覗き、
「何ともいえないから、しばらく今日出す薬を飲んでごらん」と、言いました。

診断は下されず、説明の無い薬をたくさん貰いました。
ちょっと考えれば、誰だって不安になると思うのですが。

直ぐに、以前難聴学級でお世話になった学校の先生に、
他の耳鼻咽喉科の先生を紹介していただきました。

その先生のところで、問診をしただけで、笑われました。
「しばらく、補聴器を外して、仕事を休みなさい」と、言われただけなのです。
お医者さんのお墨付きに飛びつき、
それまで休みたくても休めなかった会社へ欠勤届を出して、
3、4日、横になってずーと何もしないで休みました。
そうして、耳鳴りは治まりました。

たぶん、最初のお医者さんは、咽喉の方の専門家であろう、と
ご近所なので好意的に解釈しましたが、
それでも、否、それならなおの事、他の耳に詳しいお医者さんを紹介してくれればと思います。

 

そうして、最近の出来事。
去年の暮れに、私の職場で一緒に仕事をしているパートさんの耳が遠くなりました。
それで、かかった耳鼻科のお医者さんに不安・心配を言うと、
「命に関わる訳じゃないし・・・」との返事があり、パートさんはとても憤慨してました。
耳鼻科の先生なら、なおの事言ってほしくない言葉だと、私も思います。

確かに、耳鼻科の先生には直ぐに手のうち様が無かったのかもしれません。
確かに、直ぐに命に別状は無いでしょう。
そうであっても、患者の不安には、心を沿えて、何がしかのケアをしていただきたいと思います。
気休めではなく、具体的に取り掛かれる方法、道を示すだけでも、良い薬ではないでしょうか?

私には、以前お世話になった、耳に詳しい耳鼻科の先生と、
「突発性難聴」のホームページとを、紹介する事しか出来ませんでしたが。

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