染人への旅    Vol.2   古代 染のあけぼのと染色の概念  目次  top

 日本の染織、特に手描友禅染を研究・考察してゆくサイトです。

前回---創刊号という事になりますが、今後の展開に関してと、誠に大雑把な友禅染の歴史に
ついて書き述べましたが、二回目の今回は、染めということの概念について考えてみたいと
思います。

○染めの歴史と意味合い

 我が国の染色というものが、一体何時ごろから始まったかという問題は、極めて難しい
事柄です。先ず、布というものは腐敗分解しやすい、即ち実物資料そのものが極端に少ない
ということです。更に、その布帛についていた「色」となると、もっと分からない。
仮に古代に染料というものがあったとして、褪色が全くないという色素はありえません。
現代の我々ですら、一番の最重要課題がその「褪色」という問題なのです。

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 大昔、例えば縄文の頃にも、人は自然天然のもの---土や泥、消し炭などを用いて、
衣服のみならず様々なものに、形を描いたり色をつけたりしていたろうことは、想像できます。
それを染め--とよんでよいかどうかは問題ですが、染めを始める前段階--きっかけにはなった
でしょう。
 古代中国では、およそB.C.5000年の新石器時代の後、B.C.3000年頃に黄河文明が生まれたとされますが、最近の調査によると、仰韶文化や龍山文化を遥かに遡るB.C.6000年には、揚子江
下流域の河姆渡遺跡の発掘などから、畑作以前に既に稲作が行われていたとされ、B.C.1500年
頃の殷王朝以前に、伝説の「夏」王朝が存在していたとしたら、既に人々は布帛類を身に纏って
いたことでしょう。ちょうどそれは、我が国の縄文時代前期と重なる事になる訳で、想像の域
を出ませんが、何らかの形で、そういう「文化」の一端が、我が邦に伝授伝達され得なかった
と、全否定する事は出来ないのではないか、と期待させられます。
 三世紀の始め頃、当時の我が国から、魏の国へ贈られた献上品の中に、木綿の斑布や絹の錦
があった事が「魏志倭人伝」の中に記述として残っており、我が国でも養蚕や綿花の栽培が、
規模の大小は定かならずとも、結構盛んに行われていたのではないかと、想像できます。

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 最近俄かに、縄文びとに対する熱心な研究や強い関心が流行し始めており、いろいろ勉強に
なったり、驚かされたりすること多々でありますが、今までの毛皮に腰紐、肩に棒槍で、
猪を裸足で追いかける・・といった、ほぼ野人のままの風体いでたちのイメージから、もっと
静かでおおらかで文化的な、優雅なる人々の輪を連想させる方向に大分変化して来ているように
思われます。
もしもその頃の布帛類が、鮮明に残っているのであれば、我々は岡本太郎氏や梅原猛氏が絶賛
してやまない、あの素晴らしい「土器」を創り上げた人々が、着衣にも驚嘆に値する立派な
「芸術」を施していた事実を、再認識させられたことでしょうが、残念ながら今のところはまだ
それも又想像の範疇の事柄でしかありません。

 布に、色を染める--という事と、模様を描き出す--ということは、実は又全く別のこと柄です。又、染める・描く・・ということも、厳密な意味合いで、別の作業と言わねばなりません。
 単純に考えれば、描くことも染めることも、画面上に形を表現し出すという事で、同じようですが、描く---とは、あくまでも絵の具・顔料などを用いて、画面(布や紙などの上)に色を乗せてゆく、という行為。染める--とは、紙なり皮なり布なりの素材を「色素」に浸し、素材そのものに色を浸透させて、定着させる・・という行為です。
ですから、染色の根本というか基本は、矢張り「藍染」などの「浸染(しんせん)」によるものか、乃至は「茜染」などの「煮染め」ということで、所謂「無地染め」・・どっぷりと染液の中に布を浸け込んで、地色一色で染め上げるということが、染物の第一歩でしょう。
 更に加えて、そこにいろいろな紋様を染め上げるという出来事は、時代の変遷と人間の知恵との様々な絡み合いが織り成した、気の遠くなるような遥かな「文化」への道です。
 
 嘗て私の師匠である、故松井健一師は、染めの紋様について述べられた中に、「染め残され
た部分」・・という表現を好んで用いられておりました。
一色で染められた布の一部分にふと目を留めると、そこに偶然か神のご意思か、木の葉一枚が
ついていた。その木の葉をそっと、どけてみると・・・・・そこには木の葉の形のままに、
「白く染め残された部分」が、日の光の中、眩しく輝いていた・・・。
 そんなロマンチックな連想が、夢が、染めという世界には、息づいているのだ、と。

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 我が国の染織・布帛に関する資料が、豊富に出始めるのは、四〜五世紀以後、飛鳥・白鳳と
それに続く奈良・天平の時代からです。
が、それに関しましては、又次の回に譲りたいと思います。
 中々順を追った説明にならず、資料不足を言い訳に、記述があっちこっちしておりますが、
少し時間を頂戴して、まとまった、段階を踏んだレポートを今後心がけて参ります。
 一応------
 友禅史・友禅とはなにか・友禅の技法・問題点及び今後の可能性と展望・イベント情報
といった線に沿っての展開を考えておりますが。・・永い道のりになりそうで、少々
戦々恐々といったところです。