染人への旅   Vol.3     縄文   目次    top   


 前回は、布と染めの発祥について、染めの概念づけとともに、
 述べさせて頂きましたが、その内容について少し補足したほうが
 今後の展開に、より理解を深めて頂けると思いますので、用語の
 解説などを致します。

○言葉の解説

【斑布 はんぷ】
 木綿をロウケツ染めでそめた布。
 
【錦 にしき】
 絹織物の総称。

【仰韶文化 ぎょうしょうぶんか】
 中国新石器時代の二大文化のひとつ。
 河南省、メンチ県・仰韶村の遺跡から命名。
 彩色のある土器の出土から、彩陶文化と呼ばれる。

【竜山文化 りゅうざんぶんか】
 仰韶文化以降に発達した文化。
 山東省、歴城県・竜山鎮の遺跡により命名。
 その後の「殷」王朝につながる黒い光沢の
 土器出土から、黒陶文化と呼ばれる。

【河姆渡遺跡 かぼといせき】
 長江下流、主に揚州辺の流れを揚子江と呼ぶが、
 その更に下流域で発見された稲作跡の遺跡群。
 黄河文明のアワ主穀の畑作文化を、更に遡る
 とされる。
 太陽を象徴する紋様や、それを支える鳥を描いた
 遺物(双鳥朝陽紋)が出土しており、水稲耕作の
 最初期に、既に太陽信仰が行われていたことに
 興味をつのらされる。

【蝋纈染 ろうけちぞめ】
 蝋に樹液を混ぜ、模様を描いて浸染し、蝋を落として
 文様を出だす染法。

【來纈染 きょうけちぞめ】
 板締め染め。
 模様を彫った二枚の板で布をはさみ、浸染する染法。
 正確なパターンの繰り返しに適している。

【纐纈染 こうけちぞめ】
 いわゆる、絞り染め。
 布を糸などで縛り括って、浸染する。
 偶然のアブストラクトに魅了される。
 上記のロウケチ・キョウケチと共に
 正倉院の三纈(さんけち)と呼ばれる。


○対照年表

           日本             中国
BC
3000 
(新石器時代)   縄文中期           黄河文明

2000       集落生活            夏?王朝
         貝塚・竪穴式など 

1000       母系社会            殷王朝興る
                         (BC1500頃)
                         青銅器時代

500        大集落             春秋・戦国時代
         母系から父系へ         鉄器時代

200       漢委奴国王金印          秦の始皇帝
                          前漢興る
                         ローマ皇帝 
                         マルクス・アウレリウスの使者
                         漢に至る
                        
 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
 

AD
200〜       邪馬台国            魏・呉・蜀の
         卑弥呼、魏に絹布などを      三国時代始まる
         献上 (弥生時代)

    
300〜      古墳時代             晋 中国を統一

400〜      飛鳥時代             南北朝時代

500〜      厩戸の皇子(聖徳太子)      隋 興る
         摂政となる
         遣隋使
         天寿国曼荼羅繍帳
     
600〜      奈良・天平時代          唐 興る
         遣唐使
   

700〜      古事記・日本書紀          大唐西域記
         東大寺正倉院


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○上記、用語解説と簡単な対照年表を掲載しました。

○前回まででは、古代以前には、染織資料はほとんど無い、という
 書き方をしましたが、正確を期すれば、たとえば縄文時代の
 晩期に、土器の底部に布の圧痕(あっこん)--押し付けられた
 跡--が残っております。
 また、炭化してはいますが、布の一部も見つかっております。

 縄文・・という言葉からも明らかなように、当時の人々は、
 縄をなう技術を既に持っていた訳です。
 その縄などを更に複雑により合わせ、今度は平面を織る・・
 という新しい技術の段階に移行してゆくのですが、
 それは、「機」という機械の発明を意味しており、大変な
 試行錯誤があったと推測されます。

 それが、日本人自身の手になるものか、大陸からの渡来伝来に
 よるものなのか---、まだはっきりとしませんが、出来れば
 前者の裏づけが確定されれば、との希望を禁じえません。

 弥生時代になると、前回にも記しましたが、魏志倭人伝の記述などで
 も分かるように、大陸から比せばまだ幼稚な技術とは言え、錦の布などを
 魏へ献上しており、布帛の生産が盛んに行われてたようです。

 しかしそれから、本筋である「染色」へと進んでゆくのには、また
 膨大な時の流れを必要とする訳です。

○訂正
 前回、浸染のところで、布を液に浸して--と記述しましたが、正確には
 「糸」乃至は「布」を---、という事でした。
 お詫びして、訂正させて頂きます。

○今回は、Vol.2のサプリメントになってしまいましたが、次回は少し飛んで、
 正倉院の染織布帛類について考えて参りたいと思います。
 
 手描友禅を考察するサイトですが、まだ布の発祥の段階でも序の口、
 といったところです。
 友禅にたどり着くのは、いつになるのでしょうか・・・。
 
○又、次回からは、友禅の技法の紹介も段階を踏んで、解説してゆきたいと
 思っております。
 今後とも、宜しくお願い致します。


【参考文献】

 「染」日本の美術 第7号 山辺知行編  至文堂

 「染と織の文化史」 切畑 健編  NHK放送出版協会

 「アジアの龍蛇」 アジア民族造形文化研究所編  雄山閣
   
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 前回、Vol.3の内容に関しまして、まだ不備がございましたので、
 補足させて頂きます。

★用語説明の欄

 太古、洪積世以前は省略致しまして、BC10000〜5000ほどの間に、人類は
 新石器時代に入るとされております。(それ以前は、後期旧石器時代)
 日本では、縄文先文化--縄文の最前期--の頃で、人は岩穴などに住んでいた
 などとものの本にありますが、最先端の研究ではどうでしょう・・、今後の
 発見に期待したいものです。

 BC3000〜あたりを境にして、中国では、黄河流域に畑作の農耕が始まるとされる
 訳ですが、前記のごとく河姆渡遺跡(BC5000〜?)の発掘により、更に数千年のレベル
 で農耕と文明開花の時期が早まったと言われます。

 その後、BC2000〜頃から、彩陶文化とそれに続く黒陶文化の時代区分に入ります。
 そのあたりに、幻の「夏」王朝が存在した・・・との伝説が根強いのですが、
 定かではありません。

 日本では、BC8000〜頃からBC300〜頃まで、北九州辺に新しい文化圏(弥生文化)が
 生まれるまでの間を、「縄文文化」と呼んでいますが、その頃に果たして大陸との
 交流があったのかどうか・・。朝鮮半島との関係も、まだ定かではありません。
 縄文も後期になると、はっきりと大陸の影響を受け始めていたことが分かるように
 なりますが、全体的には、まだまだ推測の域を出ません。
 
 中国では、BC1500〜1400頃に、一昔前まではそれも「伝説」とされていた、
 殷王朝の存在が歴史的にも確定されてきます。
 その後、西周・東周の時代、孔子など諸子百家の春秋時代、兵学書で著名な孫武を生んだ
 乱世の戦国時代を経、始皇帝の中国統一へと進んでゆきます。
 (余談ですが、柔よく剛を制す・・の言で有名な、兵書の最古書「六韜三略」は、六韜が
 周の太公望、三略が黄石公の著乃至撰と言われておりますが、実は魏晋時代か、または
 もっと後の偽作との事。孫子の兵法書中の一書・・とは、全くの誤認です。)

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○蝋纈染のロウの字は、「鑞」ですが、中々ワープロで表現出来ず、簡略文字で
 表記しました。
 バティック・・ジャワ更紗は、このロウケツ染の手法によるものです。
 この更紗の、チャンチンという糊引きの用具と、イッチン糊を使う方法が、
 後の友禅染にどのように関わってくるのか・・そんなことを、考えております。

 コウケチ染の項の「アブストラクト」は「抽象」・「抽象的」の意。

○年表の古墳時代の項に、「AD3〜400大和朝廷の統一」が入ります。
 また、AD700〜の大唐西域記のあたりが、漢詩の李白・杜甫の時代になります。

○弥生時代への言及で、「・・布帛の生産が盛んにおこなわれてたようです。」は、
 「布帛の制作が盛んに行なわれていたようです。」
 に、訂正させて頂きます。

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○以上、補足と訂正をさせて頂きました。
 文章の再確認を徹底せずに配信致しました事を、心よりお詫び申し上げます。
 以後、誤字・脱字等のないよう、気をつけて参りますので、どうか宜しく
 お願い申し上げます

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 前回、Vol.3 補記版 に、一部記述の誤りがありましたので、
 訂正し、お詫び致します。

○ロウケツ染---の記述
 
★チャンチン・「糊置き」の用具ではなく、「ロウ置き」の用具。
       竹などの筒の先に、金属(銅?)製の小さなヤカンの
       ような入れ物をつけ、ロウを入れて、ヤカンの注ぎ口から
       ロウを生地の上にたらして線描などを施してゆく。


★いっちん糊・糯粉で作る糊に小麦粉を混ぜた糊。
       粘りが少なく、割れやすい。
       ロウの感触が得られる。
       
       *バティックでは、いっちん糊は使用しない。

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○友禅独特の、細い「糸目模様」の表現と、更紗のロウ線による防染。
 更に、室町期の「辻が花」の日本画的・絵画的紋様。

 これらの、「融合」と歴史の「謎」とに、思いを馳せるあまり、つい
 記述が混乱してしまいました。
 申し訳御座いません。

 その話につきまして、我が師匠、松井健一師の鋭い考察がありますが、
 改めて、友禅発祥の項の折に、詳しく記載させて頂きます。

 以上、追記まで。
 失礼致しました。