染人への旅   Vol.4    縄文〜弥生   目次  top   


 昨年末より、このサイトを立ち上げまして、まだ4冊目です。
 その半分は補足とういことで、スピードは遅いのですが、出来うる限り、
 懇切丁寧に、記述・解説してゆきたいと思っており、私自身、勉強研究をしてゆく
 つもりで、一所懸命やって参りますので、本年もそして今後とも、どうぞ宜しく
 お願い申し上げます。

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○前回まで、染めというより我が国の「布帛」の発生と発達の過程を、初期の段階で
 記述いたしましたが、その「まとめ」をノート致します。

「染料」 水溶性、即ち分子のレベルで水に溶解し、蒸す・煮る・媒染剤を用いるなど
     して、繊維そのものに色素を定着することが出来る有色物質。

「顔料」 非水溶性。水に溶けずにただ混合しているもので、基本的に膠などの接着
     剤で、繊維の表面に色素を定着させるための有色物質。

「染色」 上記の染料・顔料などを用いて、繊維・布帛に色素を定着させる行為一般をいう。

「無地染め」
     繊維・布帛を一色で染める作業。染めの概念の基本。

「模様染め」
     無地の中に、模様を染め出す操作。技法的には、単に「色」の概念以外に、
    「防染」という「何らかの方法で”染め残す”」という概念が入ってくる。
     

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★我が国、縄文時代には、その名の通り、植物の繊維を手で縒り、縒り縄や縒り紐、
 また少し複雑な編み布のようなものを用い、土器の表面に模様を施していた人々が
 やがて大陸の影響を受け、又直接大陸の人々と交わりながら、「機」による「織り
 布」を作り上げ、大陸への献上品として、それらの品々を贈るまでに発展して参り
 ました。 魏志倭人伝の記述の中にも、かなり細かく当時のわが邦の様子が、書か
 れています。
 
 弥生時代の当時、使用されていた主な布帛の素材は、「紵麻(ちょま・からむし)」
 と呼ばれる「麻地」でしたが、例えば、「須玖岡本遺跡(すぐおかもといせき--弥生時代
 ・九州福岡県)」などから出土の鏡には、「平絹」という平織りで織られた「絹」が付着
 しており、絹布が登場してきます。

 それらの時代、人々がそのように編んだ又、織った布に「色」を施すという行為を
 行なうに至るには、どういった事情が絡むのでしょうか。

 それは、人間の四大苦・生老病死にまつわる呪術的な色合いが、初期には最も強かった
 でしょうか。
 まじない・祭り・葬式などの儀式の折、春夏秋冬の季節にまつわる植物よりの「色」を
 身に纏う。自然災害や病気、害虫・猛獣からの忌避。更にそれらの「強さ」への憧れ。
 四季折々の祭祀の節に、折々の意味深い「色」と同居するという行為は、最も人間的な
 生活に根ざした文化行為のひとつであったと思います。

 人類は布帛発明の当初より、既に染色行為を行なっていたと言われます。
 エジプトのミイラの装飾着衣には、藍で染められた布が用いられていたことが
 分かっています。
 洋の東西を問わず、人と染色との兼ね合いは密接なものがあります。

 飛鳥時代、聖徳太子ゆかりの、「天寿国繍帳」。
 古墳時代に入り、日本書紀に記述の、中国・朝鮮からの染織技術者たちの大量渡来。
 又、染織の宝庫・聖武天皇ゆかりの「正倉院宝物」。
 
 次回からは、それらの事柄について、詳しく解説してゆく予定です。
 染めと織り、染めと刺繍の関わりは、実は中々分からないことも多いのですが、
 出来る限り、詳しく考察してゆきたいと思っております。

 
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○まだ、歴史を紐解く段階で、技法になかなか触れられませんが、これらの染めの
 発展の最終段階に、今日「お正月・成人式」に目にする「友禅染」が位置しており、
 退屈ではありましょうが、なにとぞ今暫くお付き合い頂ければ幸いです。