染人への旅  Vol.5    飛鳥・奈良次代   目次   top   


○前回、Vol.4までは、古代から上代以前・・縄文、弥生~古墳時代までの我が国の
 染織事情について記述して参りましたが、今回より、染織文化の上では正に「文明
 開花」とも言うべき、「飛鳥・奈良時代」の染織に入って参ります。

 以前にも述べました通り、古代に於いては実物資料が決定的に乏しく、多雨多湿の
 我が国では、織物でさえ土器の表面圧痕や、鏡面・鏡背に僅かにサビとして付着し
 たものの繊維を解析することが出来る・・それでも、糸の組織・材質、年代などか
 なりの分析が可能ですが・・ほどで、それが染色布帛となると皆無に等しく、加え
 て本邦の文献も無い訳で、全ては推測の域を出ないと言うのが、その実態です。

 ただ、人物埴輪に微かに残る彩色などから、「色」に対する意識は確実に存在して
 いて、当時の人々が全員無地の晒の如く、単に真っ白一色の着衣を用いていたなど
 とは想像し難く、何らかの染色がなさらていたと考える方が、より自然です。
 更に、「魏志倭人伝」で明らかなように、三世紀の前半には既に我が国で養蚕が始
 まっており、大陸との人物往来による染織技術の伝播で、新しい魅力的な文化を積
 極的旺盛に取り入れたであろう当時の人々の瑞々しい興奮が、想像に難くありませ
 ん。
 しかしそれも、例えば恐竜の骨の化石から、皮膚の色や生きていた頃の形状まで、
 確実に解析出来るかと言えば、矢張り無理な事と同様、あくまで想像の世界の事で
 しかありません。

○ここで、資料をいくつか記載いたします。

「資料」

現存する最古の織物

1)BC4200頃    エジプト新石器時代・ファイユーム遺跡からの発掘
          麻布断片

2)BC1750頃    殷遺跡から発掘 
          鉞(えつ--斧、まさかりの類)に付着した綾織物
         *あやおりもの--緯糸(ぬきいと・横糸の事)が経糸(たていと)
         に対し、斜めに模様として現れる織り方。
         緯糸が経糸を二本くぐっている、など。

3)BC200頃    1973年発掘 長沙・馬王堆(まおうたい)1号漢墓
         中国湖南省・長沙市(桂林の北東、洞庭湖の南)
         有名な龍などを描いた布帛と、夥しい数の染織品が発掘される
         前漢初期

4)BC100頃    1923~5年発掘  ノイン・ウラ遺跡
         モンゴル人民共和国
         錦・刺繍品発見

*資料年表*


        日本         中国        ヨーロッパ

AD100~   倭奴国王     インドより仏教伝来す    暴君ネロ
      後漢に遣使を送る   後漢           キリスト教迫害
      光武帝の印綬を受く

 200~  邪馬台国女王卑弥呼   三国時代       カラカラ帝
      魏に遣使                  ローマ公民権
                            カラカラ浴場

 300~   古墳時代       晋朝統一       キリスト教公認
                             民族大移動

 400~   大和朝廷の統一  東晋・西晋時代     ローマ帝国東西に分かる

 500~   仏教伝来      南北朝時代       ローマ滅亡
      聖徳太子摂政となる             王国群雄時代

 600~   冠位十二階の制定    隋朝      ササン朝ペルシア文化
                           全盛期

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〔飛鳥・奈良時代〕

○日本の染織史上、飛鳥時代~奈良時代は、まるでビッグバン宇宙に於けるインフ
 レーション・モデルの如く、突如いきなり出現した「文明開化」のような様相の
 時代です。
 その豊富さから、まるでそれまでの時代は、こと染織文化に関しては不毛の時代
 かのような錯覚すら覚えるほど、。絢爛豪華たる品々が大量かつ良好な保存状態
 で、整然と収蔵されております。
 その理由は、「法隆寺」そして「東大寺・正倉院」という優れた「収蔵庫」が、
 新たに建立されたという事。
 そして、それらの収蔵システムを生んだ「仏教伝来」という歴史上の巨大な潮流
 がその最大理由です。

 無論の事、それまでも徐々にではあっても、大陸文化の吸収消化は営々綿々と永
 きに亘って繰り広げられていたのであって、新たなる文化を受け入れる素地は十
 二分に整えられていた訳です。
 そこに大国「隋」との公式交流により、「仏教」という新しい教えと共に入って
 来た豊富且つ最新の高度に洗練された様々な技術が、満を持して一気に花開いた
 のでしょう。
 そして、聖徳太子という優れた文化人・為政者の出現により、仏教保護と共に、
 寺院の建立、様々な服飾・装飾品や調度品--楽服・屏風・装束・袈裟・幡(ばん
 --寺院で立てる旗)・褥(じょく--敷物)などの構成と確立、冠位十二階などの
 政を整えるに当たっての権威と当色(とうじき--位階に当てた服色)との融合な
 ど、諸々の飛鳥文明の構築が、素晴らしい勢いで次々と結実されてゆく中で、新
 たなる染織文化・染織工芸技術も共に、急激な進歩を遂げていった、と言えるの
 です。

○その我が国染織文化の華、完成された形として現存する日本伝世の染織品として
 は最古の例が、「法隆寺」の伝来品です。
 現在では、それらの大部分は、東京都台東区上野の東京国立博物館・法隆寺宝物
 館に保管収蔵されております。

 仏画、仏像、木工、金工、漆・・など夥しい御物の中に、染織・染繍品も見られ
 蜀江錦(しょっこうきん)断片・天寿国繍帳小片など、優れた布帛類に魅了され
 ます。
 但しこれらの物の内、純粋に本邦政策の作品として認め得るものを選別・分類す
 ることは大変難儀な、しかし貴重な作業であって、今日に於いても議論の分かれ
 るところ大です。
 即ち、日本人の手に依って造られた、我が国固有の文化財・・という所から常に
 発して染織工芸技術に対する推論研究を積み重ねつ、最終的に「手描友禅染」に
 行き着かねばならないと考える時、国産品か輸入品かという区別は、大きな問題
 となる訳です。
 法隆寺伝来品は大雑把に言って、約七世紀頃の収蔵物と言われております。
 
○もう一つの宝庫は、正倉院です。
 法隆寺が、飛鳥時代の文物を集合してあるのに対し、正倉院では約八世紀頃、奈
 良時代の染織品を一堂に集めたと言えます。
 その代表的なものが、所謂正倉院の三纈(さんけち)と呼ばれるところの、
 纐纈(こうけち)・きょう纈(けち)・﨟纈(ろうけち)の三染法で染められた
 布帛類です。
 こうけち--は、しぼり染め。きょうけち--は、板絞め染め。ろうけち--は、今日
 のろうけつ染めです。
  
 *きょうけちの " きょう " の字は、糸偏に夾と書き、右端に頁を書く。
  ワープロで、出ませんでした。*

○これらの大量の資料により、飛鳥以降の我が国の染織事情は、大変明らかになって
 参りました。
 今後、その一つ一つを取り上げ、ピックアップして、説明・考察を加えて参りたい
 と思いますが、取り合えず今回はその概要の解説に留めさせて頂きたいと存じます。

 次回は、個々の品々について、より詳しく調べて参ります。


〔参考文献〕

日本の美術 第七号 染 山辺知行編   至文堂

染色概説  矢部章彦 林雅子共著    光生館

染と織の文化史  切畑 健講義 日本放送出版協会編集 日本放送出版協会

アジアの龍蛇 金子量重他・アジア民族文化造形研究所編 雄山閣


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★尚、法隆寺宝物館では、聖徳太子御忌記念特別展観(太子の忌日--旧暦2/22)として、
 2006年 3/14~4/9 期間限定で「天寿国曼荼羅繍帳(奈良・中宮寺蔵)」等を、
 展示する予定となっております。

 

○より詳しく・・と思うと、説明過多で余計な事柄も挿入したくなりますし、かと
 いって適宜にすまそうとすると、どうも説明不足になってしまいそうです。

 程よい解説というのは誠に難しいと、つくづく思い知らされます此の頃です。
 次回も又是非宜しくお願い申し上げます。
 有難う御座いました。

 
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 Vol.5の記述に、一部誤りがございましたので、訂正致します。

★飛鳥・奈良時代---の項  5行目
 「かのような錯覚すら覚えるほど、。・・・」の、「。」は無しです。

★法隆寺の説明---の項   8行目(空白行は除く)
 「但しこれらの物の内、純粋に本邦政策の・・・」とあります、「政策」は「製作」の 
 誤りです。

〔語句の説明・追加〕

○幡 ばん
 仏の威徳を示す荘厳具(しょうごんぐ)。
 法会・説法などの際、寺の境内に立て、又は本堂に飾る。
 三角形の首部の下に細長い幡身をつけ、その下から数本の脚を垂れたもの。
 (広辞苑)

○褥 じょく
 畳又は筵の上に敷いた綿入れの敷物。
 方三尺余、表は唐織、もしくは固織物などに、広さ約四、五寸の赤地錦の縁を四方に
 差し回し、裏は濃打絹などを用いた。
 (広辞苑)

○当色 とうじき
 位階に当てた服色。位色(いしょく)

 1 大徳(だいとく)  紫
 2 小徳(しょうとく) 薄紫
 3 大仁(だいにん)  青
 4 小仁(しょうにん) 薄青
 5 大礼(だいらい)  赤
 6 小礼(しょうらい) 薄赤
 7 大信(だいしん)  黄
 8 小信(しょうしん) 薄黄
 9 大義(だいぎ)   白
10 小義(しょうぎ)  薄白
11  大智(だいち)   黒
12 小智(しょうち)  薄黒

*冠位十二階では、上記の色分けで身分を分別した。
 但し、白の濃淡の見分けについては、いまだ疑問が残る。

○蜀江錦 しょっこうきん
 蜀の河の水でさらして、織ったと伝えられる錦(にしき--絹織物のひとつ)。
 蜀江--中国、三国時代に、景帝皇子中山靖王後胤昭烈皇帝・劉備玄徳が治めた蜀漢の都、
 成都(現在の四川省)付近を流れる河。
 元来その蜀から産した錦織物。龍、牡丹唐草、亀甲紋などが、精緻を極めて織られている。
 しかし残念ながら、これらの伝来品は、ほぼ皆中国外来の品であろうと思われる。

★上記、訂正、又補足説明させて頂きました。
 謹んで、お詫び申し上げます。